2020年5月14日
嵐山竹林の小径を無人写真で撮るという夢を叶えた。
初めてこの竹林を見て以来の夢だったと思う、実に15年越しぐらいの。
気候の良い5月の朝7時すぎ、コロナ禍で海外国内観光客が完全ストップした時の奇跡。
春から初夏にかけての嵐山竹林の小径が、最も爽やかだろう。
ところが竹林という性質上、別に季節を問わず清涼なんだな、ずっと蒼い。
お手入れをしてくださっている方々がいる、そのお陰でこれほど質素&美しい。
天然物だけで作り上げているのかな、嵐山竹林の小径は。
若干の加工物はあるのだろうが。
二度とは得ることができないPreciousな時間だったのは間違いない、無人の嵐山竹林の小径を歩くことができたこの時の僕は。
写真・画像では伝わらないものがある、この嵐山竹林の小径で耳と肌で感じた音と空気感。
いくらキレイに写真を撮っても残せないそれらの美も、こうして文字に残しておこう。
野宮神社では不思議な写真を撮ることができる。
下の苔だらけの原っぱに、何故かある小さな橋、川もないのに何を渡流?
この可愛らしい橋が僕にとっては野宮神社の代表に思える。
源氏物語にも名前が出てくる野宮神社、その歴史の深さは間違いない。
今は縁結び・子宝安産の神様として知られている。
有名な神社にしては敷地は広くない野宮神社、見るのをスキップしそうになるが竹林の道と合わせて見にくるのが良いね。
世界観は独特、やはり源氏物語とその時代をイメージするのが正しいのかな。
何やら由来のありそうな物が飾られていることが多い野宮神社。
嵐山の華々しさと、嵯峨の奥ゆかしさ、その両方があるように感じるのは、野宮神社がその中間点付近にあるからなのだろうね。
嵐山を代表する写真とは?と考えると、やはり渡月橋が真っ先に思い浮かぶ。
写真的には決して珍しい風景でもないのに、よーく考えれば日本中どこにでもありそうな橋と言うこともできるのに。
だが現にこの上の写真には渡月橋を選んでしまった。
橋の作りに京都を色濃く感じることもないのに。
川の流れ方はキレイだが特別なことはないのに。
背景の嵐山の色は、春の桜・新緑・秋の紅葉で、それはお見事なのだが。
この1枚の写真を見るだけで京都を代表する観光地・嵐山を連想してしまう、そんな魅力が渡月橋にあることは間違いなし。
和船はあるが肉眼で見れないほど遠いし、この山の上に嵐山城があるとはあまり知られていないし、シラサギがいつも川中でウロウロしているわけでもないし。
見せ場な地味なのに、「渡月橋」と言う派手な名前のインパクトだろうか。
時間帯を選べば、ほぼ無人の渡月橋を撮影することはできる。
だが、この写真の通り、取り立てて何もないのが渡月橋。
ところが嵐山で不動のエースといえば渡月橋、その矛盾を感じるのは僕だけなのだろうか。
いつもはインバウンド観光客を主に激しく混み合う渡月橋交差点付近。
観光客がいないと普通の道みたいだ。
これも嵐山マジックなのか、人数でお祭り騒ぎを演出して楽しみを作る。
嵐山渡月橋の魅力の謎が解けないまま、ただこうしていつも嵐山を訪れるたびに渡月橋の写真をありがたく撮っている自分がいる。
つまり、私は渡月橋が大好きだ、と言うことね。
2023年5月1日
コロナ禍の3年間が過ぎて、いよいよ正常化が始まった2023年のゴールデンウィークの嵐山。
もうダメね、インバウンド観光客が戻ってきてオーバーツーリズムの京都に戻った。
それでもまだ中国人団体が戻っていない分だけ空いているとも言える。
いつかの無人の竹林の小径はどこへやら、カメラを向ける先もなくなるほど人が歩いている竹林。
野宮神社の小さな不思議の橋は変わらず。
日本人観光客が人数比率的にマイノリティになった嵐山、良いことなのでしょうが。
嵐山公園を歩いていると藤の花が見えた。
あえて言うなら、不幸な3年間とはいえ、無人の竹林の小径を歩けた私は幸せだったに違いない。
2021年11月20日
京都で紅葉写真を撮ろうと思うと、足はついつい嵐山方向へと向いている。
この日は祐斎亭・宝厳院・大河内山荘庭園・鹿王院と、初訪問地を揃えていざ嵐山へ。
桂川と嵐山公園の水辺、和船と紅葉の写真は言うまでもなく日本の美。
天龍寺一帯を歩けばハイセンスを感じる、並々ならぬ実力者たち。
停留している船、これもまた桂川&嵐山らしい光景で。
紅葉と逆光、午前中に訪れると光の具合がちょうど良い。
嵐山竹林の小径にはすっかり観光客が戻っていたから、普通に撮る写真には耐えられない。
野宮神社のミニチュア橋は今日も健在だった。
いつ訪れてもカメラを飽きさせない場所、季節はいつでも、それが嵐山。
初訪問した大河内山荘庭園、この広大な空間を個人の労力と発想と財力で築き上げたなんて頭が下がる。
私自身もこのブログに並々ならぬ時間を割いて作っている、個人のこだわりという意味でやっていることは同じ。
だからリスペクトしたくなる大河内山荘庭園。
抹茶をいただき、お庭をぐるぐると歩く、とても数人で叶えられるような夢ではないものを作った?
当時の映画フィルムは永遠保存が難しかったみたいだね、大河内山荘の庭園はこうした今も残っている。
2014年撮影、天龍寺の桜写真
嵐山の主役は、お土産屋さんが並ぶ通りでもなし、渡月橋でもない。
ここ天龍寺が嵐山の美の代表者。
天龍寺~野宮神社~竹林~常寂光寺へと歩くのが、私の嵐山満喫ルート。
なんといっても天龍寺はその庭園の広さ、咲く花の豊富さに舌を巻く。
古木にも毎春可憐な桜の花びらが咲く、このギャップが古都には似合います。
桜を下から支えるハンマー、自然をより引き立てる人間の技は天晴れ。
天龍寺の庭園には、花に疎い私には初めて聞く多様多種の花が咲く。
石像も桜に囲まれれば、いつも硬い表情をほころばせる。
訪れていた多くの外国人たちも驚いている、天龍寺のカラフル具合に。
池泉回遊式庭園を右に左に歩いて、色々な角度から楽しむ。
お寺は文化施設だと思うが、ここ天龍寺は一歩先をいった芸術空間。
天龍寺の紅葉写真、京都嵐山観光の一眼レフ撮影スポット
ただの池庭ではないよ、方丈庭園には禅の思想が散りばめられている
この天龍寺の庭は池を中心に自分が歩いて楽しむ回遊式庭園
池から外れ、庭と歩くと紅葉の林
嵐山を遠目に望み、歩くスピードで天龍寺の様々な表情を鑑賞できる
天龍寺の紅葉は、京都市内の寺院よりもスケールが大きいと思った
嵐山という郊外にあることで、よりスペースがあることだけが理由ではないような
広大な天龍寺の楽しさは、まるでテーマパークのようで、見どころが多い
秋の紅葉の時季はそれが加速するようだね
野宮神社の写真、2013年撮影
野宮神社は、源氏物語にも名前が出てくる神社と聞いた。
なんとも変わったお面が飾られていたのは、歴史の深い野宮神社だから?!
ここは、えんむすび&子宝安産の神社ということですね。
なんて大きな橋でしょうか、奇跡的に誰も通ってないところを写真に撮れた。
いいえ、そんなの冗談、本当は小さい橋、かわいく飾る心が、美しいと感じた。
源氏物語の影はなかったが、他の神社とは様子が違い、嵐山センスを感じた。
野宮の竹道は有名な美スポット、人の姿なしに取れたらなぁ・・・。
でもそれって、早朝しか有り得ないだろうなぁ
野宮神社は天龍寺の裏にあります、嵐山一帯はどこも情緒を感じる楽しい場所。
<源氏物語での紫式部の主張 物語は人間臭い虚構であれ>
紫式部はこの源氏物語で、物語の社会的立場を向上させようとしたのだと思う。
源氏の口から最初に出た言葉は、物語に対して紫式部が持つ否定的な本音そのものである。
男の口から女の馬鹿馬鹿しさを言わせることで、自分も含めた女の世界の狭さを指摘している。
また、物語にはでたらめが多いというところは、
自分が傾倒した物語の中にはびこる退廃的な部分に対して見せた女流作家の抵抗であろう。
まずは素直な言葉で、物語という幻に存在する否定的な部分を前面に出している。
世間体を考えてか源氏のからかい口調を介してはいるが、これは紛れもない紫式部の否定的な物語論である。
またこの否定は、現実の世界に対しての批判が前提にあるものであると思う。
しかし次には物語の肯定的な部分を指摘している。
だが逆にそのような幻の物語以上に人の退屈を紛らわすものはない、という源氏の台詞もまた紫式部の本心であろう。
物語には歴史書以上に人の真実が含まれる、と言ってのけた紫式部の野心を見逃してはならない。
ここでも源氏の口調はあくまでからかい気味ではあるが、前述の否定的意見から一転して、
書かれた文章には紫式部が持つ物語への愛着や誇りが見られるのである。
この肯定は、人間のくだらなさや低俗さ、女性の無力さに対しての反抗であると同時に、
その否定的反抗と対比させての物語の肯定論であろう。
紫式部は、当時女の退屈つぶしだと決め付けられていた物語の真価をここに問いかけているのである。
確かに、女は幻のような物語を読み、幻に浸ることの多い生き物である。
それを紫式部は認めている。
また、物語の内容は現実と壁を隔てたものであるということも認めている。
だが逆に、政治色が入っていない物語だからこそ、時代に合わせた改ざんも内容削除も行われておらず、
書き手の意図が純粋に反映されているのだと紫式部は訴えたかったのだ。
文章にされ、時代を経て残る文芸として物語以上に純粋なものはないと主張している。
紫式部は、時代や文化のひとつとしての位置付けをするための物語論ではなく、
人間の本質に迫る論争をここで行いたかったのだ。
人間が生き、次の時代の人間がまた生まれることで歴史が生まれ、
歴史があればそれを書き留めることが必要となる。
また、人が生活することで規則が生まれ、規則を書き留めることも必要となる。
文芸の誕生は、人と人との生活に不可欠であった。
この不可欠は人間に対し肯定的な不可欠である。
しかし、人と人がいれば主従関係が生まれ、関係を円滑にするために人が人に気に入られることも当然である。
人が嘘をつくのも、必然的な人間の営みである。
その結果として、文芸が嘘やご機嫌取りに利用されるのも人間に不可欠なものである。
この不可欠は否定的な不可欠ではあるが、文学もまた人間のあるがままの姿の結果として生まれたのである。
文学にも様々な種類があるが、歴史書や記録書には人間が生きるうえで
醜い部分が多く反映していると紫式部は思ったのだろう。
確かに歴史書などには社会的地位があるが、その裏返しに人間の業のようなものがこびりついていて、
純粋な芸術作品として紫式部は認めていなかったに違いない。
では紫式部は何こそが純粋な芸術作品だと思ったのか。
彼女は自分が傾倒した物語にこそ純粋な芸術があると信じていたのだ。
物語自身はそもそも虚構の上につくられたものである。
事実を事実のまま伝えては面白くもないから、人が話を楽しいように膨らませて創ったものが物語なのだ。
そして、誇張に誇張された物語が人から人へと伝えられる。
それこそが物語である。
その物語は虚構から発しているが、物語が構成される過程は、
人間の美しい部分であり、人の肯定的な営みからなるものである。
何故ならその過程は人の心を深く掴んで行われたものだからである。
人が楽しむためのものであり、人が自発的に好きだと思うものであり、政治的・社会的な意味が存在しない。
紫式部はそこにこそ、人間本来の性質を見たに違いない。
利害関係無く多数の人々にうけつがれる物語にこそ、
人の本音だとか、偽らざる気持ちや感動が投影されていると訴えたかったのだ。
それは同時に物語を女性の暇つぶしだと決め付けていた男性社会に対しての抵抗でもあったのだろう。
当時の閉鎖的な貴族社会・男性社会ではこういう議論が行われていなかった。
また、女性の中でもこのような意見がなかった。
当時の社会に対する批判と、人間の低俗的・普遍的な業への嘲りと、
同性に対する疑問提起の意味を多大に含み、紫式部はこの物語論を世に出したのだろう。
嵐山の渡月橋越しに眺める桜の景色、春はもちろん観光客で一杯の嵐山。
嵐山の中ノ島公園は桜の名所、空が開けているので開放感があります。
渡月橋の上流では船が遊ぶ姿が素敵、色つきの船より木造船にすればベター。
水の色とボートの色、そこに桜の色を重ねて、モノ珍しい写真を創ってみました。
時間を変えて、これは紅葉時の嵐山渡月橋@2014.11.28
桜も紅葉も素晴らしく、観光客たちを楽しませてくれる。
水のある景色、視界が開けているから渡月橋あたりを歩くとウキウキしてしまう。