正直そんなに期待していなかった正伝寺の紅葉、ところが確かな秋の写真撮影名所でした。
参道の石段を見上げて、広角レンズで撮ったら、こんなに色豊かな!
↑の写真、下の中央に僅かに正伝寺の庫裡が見える、それにしても色使いの妙。
落ち葉で紅い道が出来上がっていた。
山門近くに気軽に停められる無料駐車場があるのはありがたい。
とにかくこのアングル、京都の秋の美しさを見事に体現。
静寂の枯山水庭園はこの日も、ちょっと違うのはところどころに見える秋の色。
和室から開放値でぼんやりと紅葉色を入れる、日本の美ね。
借景となった比叡山もこの日は紅葉に色づいていた。
枯山水庭園に無音で向き合った後、もちろんこの日もデビットボウイの曲をかけてHEROを偲ぶ。
ゆっくり過ごした正伝寺、紅葉撮影スケジュールが詰まっていても、ここで深呼吸する時間は確保できました。
失礼ながら紅葉に期待はしていなかった正伝寺ですが、紛れもないハイレベル・ハイセンス紅葉が(特に参道に)ありました。
2020年7月16日
私と正伝寺と繋げてくれたのは、デヴィット・ボウイだった。
京都の北、西賀茂にある正伝寺(しょうでんじ)は、いわゆる京都の穴場。
観光客はまず存在を知らない(知る必要がない)お寺で、この正伝寺だけを目的に訪れることはないだろう。
だけど私にはデヴィット・ボウイがいた。
「デヴィット・ボウイが愛した庭園」なんて言葉をウェブ上で見つけたら、もうどうしても訪れずにはいられなかった。
今は周りはゴルフ場と住宅街になっている正伝寺、近くに有名な観光名所もないから、わざわざ正伝寺だけを訪れる感じ。
それは普通は行かない場所。
場所柄だけど、京都のお寺にしては珍しく無料駐車場がある正伝寺。
山門はこんな感じで、この奥にずっと進まないと本堂は見えてこないが、門構えからすると立派なお寺に思えた。
鎌倉時代に創建、江戸時代には塔頭5寺というから、なかなか規模の大きい名刹だったのだ。
入り口から竹林と石段を進む、色濃い苔が何かを感じさせてくれる。
頭からデヴィット・ボウイが離れない僕、「デヴィット・ボウイが愛した苔」とか勝手に妄想を始める。
「デヴィット・ボウイが拝んだお地蔵さん(←空想です)」
観光地化はされていない正伝寺だから、普通の野性味のある風景がある。
この石段を上がりきった先がゴール、美しき境内よ。
拝観料¥400、別に観光客商売としているわけではない正伝寺、自然体ね。
宝焼酎「純」のCMロケ地となった正伝寺の石庭はここにある。
クリスタル・ジャパンと名付けてくれたセンスを僕は感じることはできるのかな。
この景色だ。
あの白壁とサツキの前でデヴィット・ボウイは座って、日本酒のグラスを持っていた。
石もないシンプルな庭園、白砂とサツキと壁だけ。
見える高い山・比叡山を借景にした庭園、比叡山の存在感が際立っている。
これだけなのだ。
この最小の世界に、デヴィット・ボウイは、それから谷村新司さんもそうだが、彼らのセンスで、最大限の世界を見つけていたようなのだ。
僕も真似して方丈に座って枯山水の庭園に向き合う。
先客だった男性はうたた寝した後で去っていったから、誰もいない。
方丈の天井は、血天井と呼ばれる曰付きのもの。
関ヶ原の戦いの前、石田三成方に攻められた伏見桃山城の廊下板。
鳥居元忠ら、奮戦した武士たちの血のついた足跡がある。
これが血天井、抽象的な模様に怖いものを見る。
余計な飾りがないシンプルな景色、他に訪れる人が少ないからとびっきりの静かな時間、それが正伝寺の贅沢。
何か電撃的なことが起きたわけではないけど、僕はデヴィット・ボウイと繋がったのかな。
時空を超えて、同じ環境で同じ景色を見た、それだけで嬉しい時間。
枯山水を通して、デヴィット・ボウイと向き合った正伝寺。
We can be Heroes, just for one day.
そんなフレーズが、この時のデヴィット・ボウイと僕の関係性にぴったりと思ったよ。
2016年1月11日
デヴィット・ボウイ ありがとう 変わり身ができる音楽性
「デヴィット・ボウイが亡くなった」というニュースに驚いた。
驚いたけど、僕にとって彼は現実世界を超越した人だから、生身の生死に一喜一憂することもないのか。
死んでいても、生きていても、僕にとってのデヴィット・ボウイの価値は変わらない。
布袋寅泰がデヴィット・ボウイを好きだったから、のぞき見する気持ちでジギー・スターダストを聴いた。
一番心に響いたのはアルバム「アウトサイド」、あの音楽性の暗さが、当時十代の僕の性格の暗さに適合した。
「Strangers when we meet」あたりの表現に随分と励まされましたものだ。
当時好きだった推理小説ともイメージがマッチして、そっちの方向性への僕の興味を大いに誘引してくれた。
謎めいた方、僕が知っているのはそういうデヴィット・ボウイ像。
その音楽路線を進むと思っていたら、次はアルバム「アースリング」の派手なデジタルサウンド。
統一感がない?と初めはデヴィット・ボウイのセンスを疑ったものだ。
いいや、常に変わり身ができる素晴らしさを持っているのだと、その後で気がついたものだったっけ。
「二人といないミュージシャン・アーティスト」というありきたりな言葉を、真剣に彼に送ろう。
ありがとう、デヴィット・ボウイ。
これからも、あなたの音楽は、生き様は、僕の心の中に。