名古屋城の桜写真を撮りに来た春の日、3月26日と早めだが、十分な桜が僕を迎えてくれた。
だが、上の名古屋城画像に何かが足りない、主役級の何かが。
そう、2体の金鯱が大天守の屋根から外されて、地上に降りていた。珍しいことだ。
そりかえる石垣「武者返し」、これは忍びでも登れない角度だ。20mmの広角レンズで撮影。
空堀にかかる桜、美しいシーンだった。
裏の名城公園から撮った水堀と桜、平日の朝は駐車禁止なのを忘れて危ないところだった。
西南隅櫓の立ち姿は美しいと思う、人力で水堀を泳いであの櫓に生きて辿り着けるものか。
石垣に品格。
この日はお城Vlog撮影の旅、桜とお城の相性を信じて。
2021年1月5日
戦国時代好き、和風好きの私、何を躊躇していたのだ、ここしばらく名古屋城の写真を撮っていなかった。
改めて名古屋城と向き合うと、三河の小さな山城なんかとは明らかに違う。
脅威の石垣、何層にも連なる天守、あれと同じものが戦国時代に実在していたわけはないが、
どっちにしろ、誰が落城させられるものか。
水堀も幅が広過ぎてこんなの泳ぐのも一苦労、そこから石垣に取り付いて登っていたら守兵に間違いなくやられる。
恐るべし、名古屋城の防衛システム。
新調したカメラSONY α7Cの動画を試すのもこの日も目的だった。
静止画(写真)も実に良いよ、小型軽量カメラとはいえフルサイズ画質。
西南隅櫓単体だけでも美しいのに、奥にそびえる名古屋城天守。
このアングルがやはり名古屋城一番の写真撮影スポットね、西南隅櫓&名古屋城。
外観も美しき本丸御殿、当時のこんな建物が作れたのだろうか。
前田慶次郎利益殿とお会いすることができた、傾奇者の彼を撮った写真は家宝にしておこう。
本丸御殿に入ったら、その金ピカ具合に圧倒された。
史実か空想の世界か分からないぐらい、もう徹底された独特の世界。
α7Cの良い動画撮影試しの場となってくれた名古屋城本丸御殿。
天井や飾りまでに手を入れてあって、歩いていてもう自分がお殿様気分。
天守閣には耐震工事中のため登ることができなかったが、本丸御殿のおかげで来た甲斐を感じることができた。
加藤清正の石垣が伝わっていたし、築城名人として清正公の像もあった。
重要文化財である西南隅櫓に登ることができた、櫓内の薄暗さにリアルな戦国時代を感じた。
西南隅櫓から見る名古屋駅の高層ビル群、なんともミスマッチな景色。
空堀の広さは小さな城のものとはまるで異なる、攻め手にとっての死地。
愛知県というか、尾張を代表する戦国時代名スポットだね、名古屋城は。
またいつか、コロナ禍が終わって各種イベントが再開された時にでも訪れたいね。
2015年4月4日
名古屋城の桜満開写真、愛知県の桜名所を観光旅行撮影
桜を撮って随分と経つ。
その華やかさは永遠のテーマ、けど今日は「桜と城」を撮ろうと桜満開の名古屋城へ。
思い切ったアレンジが試したくて、減光して長秒露光、空とお堀が流れるようになりました。
威風堂々とした名古屋城、露出をアンダーにして迫力を強調。
堀にかかる桜を逆行で撮る、その明暗差が目を引いた。
名古屋城内からの写真も良いが、外堀を入れて撮る一枚が素晴らしい。
名古屋城は桜名所でもある、やゃ奇抜に撮る名古屋城の写真、贅沢なフォトウォークでした。
数多く桜の風景を撮ってきたが、名古屋城の桜写真に何を求める?
和の文化、桜を愛でてきた先人たち、桜に合うものは何か、それはお城ではないか。
仮説をもとに訪れた名古屋城、天守閣やお堀に桜を絡めると、味わい深い写真になった。
桜+城=日本の代表!みたいな写真に仕上がる、これは良いモノだ。
今は観光用の名古屋城、本来の軍事目的だった頃、名古屋城にも桜はあったの?
もし当時も桜に囲まれていた名古屋城だったら、
この桜が咲く季節だけは戦はできないな、美に戦意が削がれるから。
名古屋市にも多くの桜名所はあれど、名古屋城はその名所の最高峰。
桜と名古屋城の相性は良く、撮ろうとした写真が撮れて僕は満足だった。
名古屋城宵祭り・盆踊りの夜景写真
盆踊りの舞台と、名古屋城が一緒に見れる、これが名古屋城宵祭りの最高潮でしょう。
三脚を立てて撮った名古屋城は、一層凛々しく見えた。
本丸御殿への道、等間隔に並んだ提灯が美しい。
金のシャチホコが悪いものから天守閣を防いでいる、思えば素敵なアクセントだ。
名古屋城に見守られての盆踊り大会、夏の夜の趣き深いイベントですね。
2010年撮影
日泰寺の写真
ピッツァリア「サルバトーレ」、ケーキが美味しい「シェ・シバタ」、素敵なお店が並ぶ覚王山。
名古屋市内でも有数のお洒落ゾーンだ。
そんな覚王山にある日泰寺へ足を伸ばしてみると、とても広い敷地。
ここまで広いお寺は、京都や奈良でもなかなかないよ。
びっくりなのは、そのシンプルさで、門から真正面の本堂まで、途中を遮るものは何もない。
1万人ぐらい集結できるんじゃないか?ってぐらいの、大広場がありました。
地価高いだろうに・・・と余計な心配をする僕。
本堂に入ると、日泰寺のユニークさが分かった。ここは、タイのお寺。
「日泰寺」は「日本にあるタイの寺」の意味だったのか。
何か異風だな、と感じていたけど、文字も仏様も和様ではない。
日本とタイの友好の証しとして建立された、特別なお寺でした。
これほど立派な五重塔があるとは、それも驚きでした。
覚王山駅を出て、日泰寺までの参道は、道幅も広く、距離もある立派なものだった。
格式を示すための参道、日泰寺は風格を備えた名刹ということ。
お洒落な覚王山の守護寺として、日泰寺がある。
なんと心地よいバランスなのだろう、覚王山には日泰寺、親日国でもあるタイ国との友情。
名古屋の中村公園、豊臣秀吉公が祭られている豊国神社の写真と、豊臣秀吉と加藤清正の出生地・中村村。
用事があってシブシブ出掛けたついで、まぁこんな機会でもないと中村公園には足を延ばさないだろうから。
何か新しい刺激を、未知の何かを感じたい。最近もこの願望が強い。
豊臣秀吉、羽柴秀吉、木下藤吉郎、日吉丸。
武士の出世頭である彼はこの尾張の中村村で生まれた。
秀吉公の意志の強さを表現している銅像、おサルさんとは思えないイケメンぶりね。
隣の妙行寺で生まれたと伝えられるのが、あの加藤清正。本当だとしたらこの土地から偉人が二人も。
中村公園駅から大鳥居の参道を歩いてきて感じたが、一昔前の町並みが残っている一帯、園内もお店もこの通り。
豊公生誕の地、豊臣秀吉&豊臣秀長が生まれたとしたら、奇跡の地ね。
銅像を写真に撮っても何の感動もありませんが、秀吉公へのリスペクトが感じられる中村公園。
隣接する名古屋競輪場に行ってみると、この日はレースがなく、ヒマに任せてNIKON1 V3で寂しく撮ってみる。
凄い公園だ!とは言わないが、歴史的な場所を保存してくれている中村公園。
豊臣秀吉公の生い立ちに触れた時間、これはこれで唯一無二ということで。