佐和山城という名前は有名ね、あの石田三成が居城としたことで。
旧中山道沿いにある要所だろうし、当時の名城だったのだろう。
でも、彦根城の名前に押されて現代では評判を聞かないし、そもそも城址として何か残っているか分からない。
彦根城側から登るのと反対側、東山道/旧中山道から大手口を見ると、佐和山城の本質がわかる。
上の写真の一本道が登城口、この左右に武家屋敷があったようだ。
真っ直ぐの山上に佐和山城、なんという威風。
今は何もない、破城された佐和山城だし、登城口も荒れ放題、何もない。
大手口の手前に堀の跡、今は小さな川の流れ。
大手門跡を見て、佐和山城の規模を理解したな、これが東山道/旧中山道から見れたのだから、街道の要衝。
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「佐和山城」動画を、YouTubeにあげました!
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「石田三成の才能には過ぎたる佐和山城」と言われたほどの名城だった佐和山城。
いえいえ、能吏として石田三成は優秀だったはず、武将としての実績は少ないにしても。
佐和山城の本丸から見た景色、積雪の伊吹山がはっきり見える。
その反対側に見えるのは琵琶湖、そして彦根城も。
佐和山城が破城された理由は、あの彦根城。
豊臣方の石田家・佐和山城を壊して、新しく政権を取った徳川方の井伊家・彦根城への印象付け。
かつての佐和山城の見取り図があった、やはり大手口からの登城道がメインになっている。
石田三成公が歴史上で嫌われ者というレッテルを貼られたことで、佐和山城も存在感を縮小された。
彦根側に石田三成屋敷跡があった、あれ?大手口側ではなかったのね。
搦手口にある龍潭寺、これは静岡の井伊家の菩提寺の分家なのだが、龍潭寺が佐和山を現在所有している。
ご好意で自由に登山させてくれているようだ、心が広い。
標高232mの佐和山だからそう時間はかからないが、サンダルとかは無理よ。
破城(城が破壊されること)された佐和山城、その大部分は持ち去られて彦根城の築城に使われたとか。
なので城の遺構は限りなく少ない。
佐和山城はその存在ごと無効化されなくてはいけなかった。
井伊家・彦根城を表舞台に立たすために。
土が盛られているが、それが土塁なのかどうかも判別つかない。
山城にある石垣を壊してそれを持ち去るのは大変な労力。
理由があって破城された佐和山城、その徹底された無効化ぶり。
上の写真は彦根城天守から見た佐和山城、この距離感で城が入れ替わった。
龍潭寺の内部を拝観、井伊谷の龍潭寺も行ったがどこか似た美学が。
見事な石庭があった、武家である井伊家らしく。
破城された佐和山城、真の見所は大手口から真っ直ぐ、この上の写真なのでしょうね。