足助城の魅力を求めて、季節を変え、何度も訪れてきた。
紅葉の足助城はどうだろう、すぐ近くに香嵐渓があるから見事なはずと信じて真弓山を上がる。
西の丸にあまり紅葉色はなかったとはいえ、雪や新緑とは異なる風情、これが秋の足助城。
人の手が入った香嵐渓とは異なり、どうやらかなり自然のままの足助城、紅葉の名所とはいえないが色づきは良い。
眼前の小高いのは飯盛山、頂上だけ赤色になっている。
和風素材の向こうにボケて映した紅葉、凄まじき色。
秋の木柵はなんだか空虚、色に元気もない。
超望遠レンズで足助の町、塩街道を撮影。
部分だけ見れば紅葉の名所と言えるのかな、足助城も。
そういえばこの日、歩いていたオーストラリア人若者に英語で話しかけた、そんな珍しき出来事が。
あの飯盛山の向こうが香嵐渓だ、この日は紅葉ピークぴったりぐらいの日時でした。
生死を語る足助城という山城には季節の美はあまり関係ないか。
日本の美を探し求める僕には、城+紅葉は大好きなテーマ。
足助城の紅葉撮影、これもまたかけがえのないひと時でした。
2022年2月6日
雪の足助城が撮りたいね、カメラマンなら「自然環境が厳しい=写真が美しい、の条理」を知っている。
幾年かぶりに積雪の愛知県豊田市、カメラマン根性が僕を足助城へと後押しする。
雪が解けてしまわないうちに、それは珍しく、儚なく、美しい足助城に出会えた。
三河山間部に雪が積もることはあまりないのだ。
だからこんな足助城の写真は偽物というか、誇張というか、非現実。
真弓山を覆う雪の白色、眼下の足助町も屋根の上は白色、なんだかこう撮ると雪国みたい。
本日は雪のため休戦なり、ついでに永遠に休戦します。
防寒着も十分でない当時だったら、こんな寒い積雪の日は身体がたまらないでしょう。
戦どころでも生活どころでもない、生きるのに必死。
厳しい冬を耐え忍ぶ山城みたいな絵になった、それにしても木造建築物と雪の重なりは美しい。
足助町を見渡せる足助城、あのあたりに行軍があったら恐怖だな、この足助城に攻め込んでくる敵か。
同じ三河でも東三河の暖かいイメージと異なる三河山間部、どれもこれも三河国。
写真も良いが、雪が舞うこの時は動画で収めた足助城は魅力が爆発していた。
クリスマスツリー風になったあの木々が魅力的、木柵に残る雪の色もたまらない。
西の丸はスキー場みたいにフワフワな足元だった、滅多にない栄光の風景。
こんな日を選んで足助城を攻城しようとした僕の計画勝ち、写真も動画も傑作を得ることができた。
雪の足助城を忘れない、人生これ以上鮮やかな足助城にはもう出逢えないかもしれないね。
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「雪の足助城」動画を、YouTubeにあげました!
2021年1月22日
戦国時代の地方山城を、忠実に再現したのが足助城(真弓山城)。
三河国の片田舎、今の愛知県豊田市足助町にある小さな山城。
足助鈴木氏が治めた当時の足助城、徳川家康の父から家康が生きた時代のこと。
松平氏(徳川氏)・今川氏・武田氏の3つ巴の狭間で、
あちこちに味方して降伏して、なんとか生き延びた足助鈴木氏。
足助・香嵐渓を見下ろす真弓山の山頂にある足助城、もちろん訪れる人は少ない。
まさかこんな場所に戦国時代の地方山城が忠実に再現されているなど、誰も想像もしない。
所詮は地方豪族の居城、きっと数百人の軍事力だったのだろうから、豪族とも呼べない小規模国人か。
歴史ファンでも足助城を知っているのは稀。
あしすけ城? 読み方だって分かるものか、正しくは「あすけ城」。
足助町の観光名物とすべく、大変な労力と費用をかけて復活させた足助城。
期待した観光客数には届かないだろうが、足助城の山城再現ぶりは本物。
何より、現代の人工建築物がほとんど目に入らない足助城、もう戦国時代に浸れる。
所々にみられる足軽アート、甲冑アイディアは微笑ましい、コストをかけずに見せ場を演出している。
足助鈴木氏の家紋「下り藤」(右上のもの)なんて誰も知らないけど、リスペクトを感じられて好き。
中馬街道の要所にあった足助町、街道を見下ろす位置にあった足助城は三河国の山奥にしては栄えていたのかな。
歴史ファン、戦国時代ファンならば訪問する価値のある足助城。
足助観光名所のひとつ足助城、現代にも珍しく再現されたローカルな山城。