武田信玄城と呼びたくなるが、それはちょっと違っていた。
武田神社が往時の躑躅ヶ崎館跡、市街地にある平城ながら武田信虎・信玄・勝頼と続いた武田氏3代の城館跡。
神社なのにご立派な水堀、紛れもなく曲輪を守るためのもの、その幅に格式を感じる。
武田神社自体はセンスに富んだ一般的な神社でした、御神体が武田信玄公っていうのだから甲斐国の誇り。
車で少し離れると富士山と甲府市内を見渡すことができる展望台が幾つもある。
平城と言っても周辺地理と詰城で守備を固めている躑躅ヶ崎館。
上の地図で見ると分かりやすい、ハート3つが詰城、武田神社自体は甲府盆地の北端、山の麓だから南からしか攻められない。
甲州の土産物はなんでも「信玄」の名が付く、愛され具合半端ないですね。
武田通り、それは甲府駅から武田神社への2kmをまっすぐにつなぐ道。
当時の武田城下町を突っ切る一本道、桜の名所でもあり、圧巻の仕組み。
城跡としての遺跡が多く残っているわけでもない躑躅ヶ崎館。
それでも大手門近くに三日月堀・丸馬出の跡があったのは驚きでした。
武田神社内を歩くと、もの珍しいシーンで出くわす。
ところで本当に名前を「信玄城」にすれば訪問客数は数倍になるのだろうな、罰当たりな行為で怖くてできないけど。
平城でも曲輪で隔てられた躑躅ヶ崎館跡はそれなりの防衛力だったのだろうな。
まぁ、敵軍が甲府に入ってきた時点で武田家の負けだろうから、山城にする必要性はなかったのかな。
空堀と水堀、どっちが守りやすかったのだろう。
武田神社の絵馬は信玄公と謙信公。
武田菱と武田二十四将の飾り、どこまでも地元に愛される武田家。
武田神社の境内には戦国時代を思わせるものは少ない、城郭というより神社そのもの。
武田通りに出て、周りのお店に入る、どこも信玄公の人気にあやかっている感じ。
この時は気のおける友人2人との再会旅、八ヶ岳の清泉寮からの富士山。
桔梗信玄ソフトは最高、山梨県の今の名物。
まだ冠雪中の南アルプス、こんな風景を見ていたのは往時の甲斐人たちも一緒。
甲州名物ほうとう、その具材の豊富さ、全体の美味しさ。
これも武田信玄時代に軍中保存食がスタートというけど、それは流石にちょっと?って感じ。
武田神社・躑躅ヶ崎館の写真、異質なお城を感じた、ユニーク&オンリーワンなお城でした。
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