鉢形城という堅城が武蔵国にあるとは聞いていた、後北条氏の北関東でのメインの城のひとつ。
豊臣秀吉による小田原征伐の時、この鉢形城が秀吉方の北国勢から攻められたがよく守ったことは知っていた。
埼玉県の100名城は、この鉢形城と川越城だけ。
何が鉢形城を100名城に値させたのか、とワクワクしながら車を走らせる、この日は父と共に。
まずは地の利が凄い、北は荒川を抱え、城内にも小さい川。
現代にも残っている堀の深さ、土塁の高さと連なりはかなりの土木建築の成果。
三の曲輪の復元・四脚門、この建築物が鉢形城を代表する写真にはなると思うが、
本当の鉢形城の凄さは徹底した守備の堅固さ、堀に土塁に石垣に角馬出。
秩父曲輪の石垣(石積)は、向こうの土塁を高く積み上げるための工夫。
これだ、秩父曲輪から二の曲輪へと攻める敵兵は下の通路を通るしかなく、畝堀になっている下の通路は移動しにくく、上から挟撃される。
小田原征伐で鉢形城に攻めてきた数万の軍はここを通ったのかな、だとしたら下の通路は死地を経験している。
石積は今も健在、なんと美しいお姿でしょうか。
右上は後北条氏お得意の角馬出、この下の通路を攻め手は進まないといけない、なんて死地。
秩父曲輪の土塁、ここは高さをかなり稼いでいる。
荒川越しに対岸を見る、この下は絶壁で敵兵が這い上がっては来れない。
こうして横から見ると石垣ではないのが分かる、左奥の土塁へと上がるための石積、階段ってこと。
父は私よりも元気にあちこち歩き回っていた、その姿を見て安心。私の健脚は父譲りだったと再認識。
三の曲輪の堀と土塁、こっちもよくぞ現存してくださった。
同じく三の曲輪、その向こうに深沢川。
主郭にある「鉢形城本丸跡」。
天然の要害、城の規模の広さ、技術を凝らした縄張り、ついでに(田舎の場所柄か)遺構の保存状態の良さ。
それが鉢形城を100名城に押し上げた、とわかって、私は納得して鉢形城に拍手を送った。