「水堀と桜と忠勝公と」
私がつけたそんな桑名城キャッチフレーズ、その3つに個性が強かったから。
初代桑名藩主・本多忠勝公は桜シーズンには桜に囲まれる。
揖斐川からの水を、天然の水堀としていたのだろうね、当時に桑名城は。
七里の渡し一帯もまた桜の名所、お散歩が楽しい場所。
水堀には花筏(はないかだ)ができていた、これも桜の美しさ。
桑名城にはお城らしい遺構はほとんど残っていないけど、水堀だけはしっかり形を留めている。
桑名城跡(九華公園)は桜の名所、水堀との組み合わせが美しいと思った。
2015年1月5日
桑名城・九華公園ランニング写真
知らない場所を走る楽しみ、今回は桑名城をランニング。
なばなの里のイルミネーションを写真に撮る前、せっかくだから早めに出掛けて、なばなの里⇔桑名城の往復8kmをRUN。
すぐに長良川・揖斐川の合流点付近、伊勢大橋を渡る。
長さが1kmもある橋は珍しい、なんだか光栄なランニング。
なんていうことのない生活の場所でも、一期一会を感じて走る。
六華苑の洋館や七里の渡し跡を見ながら、揖斐川沿いの遊歩道を軽快にランニング、凄く整備された道で走りやすい。
今日はこの方にお会いしに来ました、本多忠勝公は桑名藩主だった時がある。
徳川四天王の一人・最強の戦国武人。
鹿角の兜は極端に目立ち、敵兵たちから首を狙われるはず。
本当にこの兜で戦場にいたら剛毅。
岡崎城の像よりも武を強調しているかのような像だ。
桑名城跡は九華公園として残っている、「九華」を「くわな」と読ませたセンスに脱帽。
水堀を巡らせた桑名城だった。
その水堀一帯をぐるぐると走る、僕の観光は走りながら行われる。
美味しいものを提供してくれる柿安さん、本店はこの桑名城下にあった。
本多忠勝公像のすぐそこ。
向うは伊吹山・関ヶ原の方角だな、この桑名城一帯も東西の交通の要所、徳川政権にとっても大事な場所だったのだろう。
そこに派遣された譜代大名・信頼の本多忠勝公、戦場以外でもご活躍。
とてもランニングしやすかった桑名城、未知の場所を自分の足で見て回ることはいつも楽しい。
2024年2月12日
長島城が不可解だった、織田家の大軍勢にどうやったら打ち勝てるのだろう、あんな平地で、と。
今は埋立地か平坦な土地があるが、当時は海と海の間にある不安的な地形だったのだろう、と思わせる長島の地理。
蓮生寺に移築されていた長島城の門のひとつ、しみじみとなでなでしてみた。
長島城は破城されたのだろうな、今はこの水路を残して城跡らしい名残はもう消えさせっている。
一向衆徒の気配はない、こんな狭い土地でよくぞ抵抗したものだ。
中央の松は樹齢300年で長島城本丸にあったものだという、それ以外は城の痕跡ありませんでした。
古木江城跡、ここは織田信長の実弟・織田信興が討死した場所、織田家が長島一向一揆に対抗して作った城。
川と川の間にある古木江城、まさに長島城という海城への備え。
海からの冷たい風に吹かれての籠城、しかも援軍くるわけもなく、織田信興の絶望。
長島の地理を自分の肌で感じることができてちょっとは理解が進んだ。
大軍だろうと1人1人しか進めないから大軍の強みを活かせないのかな、当時は海の島々だった長島一帯では。