☆☆良い写真

押山の雲海写真と確率、駐車場・行き方・城跡・豊田市

金曜日の夕方に思いがけず雨が降って、かねがね狙っていた押山の雲海(愛知県豊田市稲武地区)に挑んでみようと急に決めた。

残業疲れでも夜11時に寝て、朝5時に起きるつもりが4時に目が覚める。

行こう、眠たくても今朝の好機を逃すのは人生のロスだ、ぐらいに思って。

押山の雲海写真

153号線を走っていると周りに水蒸気が出始めて、伊勢神トンネルを過ぎて稲武地区に入ると周囲は深い朝霧に閉ざされた。

これはいける、これは押山雲海発生間違いないよ、と期待高まる。

この時期の日の出は6:00、なんとか明るくなり始めて、稲武カントリークラブで鹿4頭と遭遇、

押山町下峰山の砂利道、押山登山道下まで着いたのが6:00過ぎ。

駐車場というか駐車できる道路脇に停車させてもらって、そこから10分足らず山道を登っていく。

すると一面真っ白の雲海が見えて、その瞬間、思わず私は腹の奥から「おぉ!」と感嘆の声を漏らしてしまった。

押山の雲海写真

押山の山頂に立つと眼下見渡す限り、見事に雲海が発生していた。

方角は感覚ないけど、1枚目の写真を正面として、右には恵那山と鉄柱、左には猿投山、もう押山からは270度ぐらいが雲海。

朝焼けのピンク色も重なって、もう絶景中の絶景、まさかこんな景色が見られるなんて。

押山の雲海写真

昼夜の気温差が大きくなる10月11月の早朝、加えて前日に雨が降った翌朝は雲海発生確率が高くなる。

この時はその条件をピンポイントで合致させて押山に来たから、雲海が見れるのはまぁ想定内として、

それでもこんな雲海の量に出逢えるとは予想はできなかった。

押山の雲海写真

そこから1時間半ぐらいかな、僕は三脚2台に一眼カメラとi-Phone15proをつけて、ひたすら写真と動画撮影タイム。

なんと贅沢な被写体なことか、時間と共に移りゆく雲海の変容を記録した。

陽が差さないふわっふわの白い雲もいいし、陽が差して雲が立体的に見えてくる姿も良かった。

ひたすら夢中(雲中)でカメラとビデオの撮影を楽しんだ、滅多にないほどの光栄タイム。

24mm, 50mm, 500mmの3本のレンズを持ってきて正解ね、広角から標準から望遠まで写真撮影。

押山雲海

標高773mで「愛知の130山」になっている押山、この時の気温は8℃ぐらい。

近くまで車で来れるからお子さん連れでも大丈夫、場所柄そう混むこともない、なんと恵まれた雲海撮影スポット。

存じ上げないが、雲海発生に必要な自然条件とか地理的な条件が揃っているから、こんなに雲海が発生するのでしょうね。

押山雲海

押山雲海を初回訪問なのに、こんな最高の条件に出会えて幸せな朝。

日頃抱えている悩みたちのことをすっかり忘れ、存分に雲海撮影を楽しんだ。

押山雲海

7時半に去ったけど、まだまだ雲海は残っていた。

稲武に降りて武節城址を散歩していた9時前には晴れ空が広がっていた。

そんな奇跡の押山雲海、素晴らしい写真動画撮影機会になって、人生の名シーンが1つ増えた

押山雲海の動画を、YouTubeにあげました!

特に目立ったお城ではないんです、武節城(地伏城)は。

ただ、長篠の戦いの前後で武田勝頼が立ち寄ったとされる山城で、とりわけ敗戦後の勝頼ゆかりというだけ。

武節城址の写真

設楽が原から敗走中の武田勝頼は、この武節城で梅酢湯を飲んだのかな、きっとどん底の心中で。

武節城址の写真

行きは元々徳川側だった武節城を攻め落として意気揚々、帰りは長篠の戦いに負けて意気消沈。

総大将だから結果責任は勝頼とはいえ、その心中お察し申し上げながらの、僕の写真ウォーク。

明らかな堀切が茂みの中に残っていた、中馬街道沿いの武節城はこの一帯にしては立派な平城。

街道を見下ろす一角、ここも交通の要所。

武田勝頼公のことばかり、築城した田峯城の菅沼定信やその一族のことは頭になかった。

武節城址の写真

もう誰も歩いていない山城、昼間に家族連れで子供の声でも聞こえれば平和で良いね。

押山雲海を見た帰り、朝8時でもまだ朝霧が残っていました。

本丸や二の丸に何かが残っているわけでもなく。

神社にありがたみを感じるわけでもなく、ただの山城お散歩。

稲武一帯はちょっと早い紅葉が素晴らしいよね、武節城址もまたそのひとつ。

長篠の戦いから7年後か、武田氏が滅びたのは。

なんでもない武節城址の写真ウォークのこと、豊田市稲武地区に残る平山城。