詩的日記

関羽と曹操、赤兎馬で千里行「夏侯覇仲権」三国志小説

――どうも、あの関羽という男は気に入らない。

それが最近の子雲と仲権の口癖だった。

いや、この二人だけではなく、曹操軍の将兵が軒並み口を揃える言葉だったに違いない。

「あの過剰な歓迎ぶりは一体何だ!それこそ三日おきに小宴会、五日おきに大宴会だぞ。

それがもうどれだけ続いていると思っている。

それにな、関羽が馬に乗ってどこかに行こうとするたびに丞相は金を与えているそうだ。

帰ってきて馬を下りれば銀だ。もうやっていられん!」

子雲の印象は殊の外悪かった。

「そうだな、子雲。与えられた邸宅も降将のものとは思えないほど豪華だと聞くし、

錦の戦袍や美女十名まで贈られたとのことだったな」

「一番許せないのは、それを少しも喜んでいないかのようなあの素振りだ!

喜びの涙でも流せばまだ可愛いものの、あの長髯はいつもうわべの礼辞だけだ!

これが許せない、俺には絶対、許せないぞ!!」

「張遼将軍とは雲泥の差だな。

どうして、あんな男に曹丞相は熱を上げているのか。僕にも分からないことだ」

仲権も不満だった。

関羽は一騎当千の勇を備えた将だと聞くが、曹操軍にも勇将中の勇将は数多いる。

ましてや、関羽はあの裏切り者劉備の義弟で、

敗軍の将として先日曹操軍に降ってきたばかりの男なのだ。

どうしてこうも待遇が違うのか。

同じ降将でも、元呂布軍の張遼は己の立場を知ってか

謙虚に振舞ったことで、今や誰からも認められる曹操軍の一将軍となった

。しかし関羽は、表面上は礼を保っているように見えるが、

その心根は曹操すらも相手にしていないかのような感じが見受けられるのだった。

明らかに、関羽に対しての曹操の行動は常軌を逸脱していた。

それは降伏を受け入れるときから不可解なものであった。

呂布によって小ハイ城を奪われた劉備は関羽・張飛の二義弟と共に曹操軍の客将となった。

客将といえば体裁が良いが、実際は呂布に敗北して行き場を失い、

曹操の足元に逃げ込んできたに過ぎない。

要は流浪の軍である。曹操はそれを暖かく迎えた。迎えてあげた。

曹操は劉備を高く評価していたのである。

劉備には軍を率いる才能はない。治世の才もなければ、策略の才もない。

ただし、人と人を結び付ける能力は抜群であった。

それは、天下無双の二義弟を旗揚げ以来ずっと側に居させたことに象徴される。

これまで哀れな敗戦と不遇な転地の連続であったにも関わらず、関羽と張飛は劉備の側に居続けた。

劉備の人徳のなせる業であった。

表向きの劉備は、今という時代を知らぬ愚直な仁君である。

旗揚げ以来、劉備は己が漢王室の流れを汲む者であり、

掲げる大義は漢王室復興だということを一貫して主張してきた。

事実、曹操の元に来てからは帝への拝謁が叶い、皇叔として認知されてもいる。

だが、戦乱の時代にそんな建前はどうでもいいのである。

許都の一兵士でも、田舎の一農民でも、今がそんな肩書きにこだわる時代でないのは知っている。

乱世では力が全てである。既に漢の皇帝に権力はなく、その存在は亡骸に近い。

実力で丞相の地位に登りつめた曹操が、現在の中華を指揮する覇者である。

劉備もそれを重々承知の上であった。

劉備は軍や策に暗いが、世間には明るいのである。

それもずば抜けた嗅覚を持っていた。

この戦乱の時代では、力が正義である。

力なくして生き延びることはできない。

その意味で決して自分は先駆者にはなれないことも劉備は知っていた。

ただ、いくら戦乱の世とはいえども大義を欠かすことはできないのも事実であった。

力だけで生き延びてゆくことはできない。

それはあの呂布の破滅によって火を見るよりも明らかだ。

漢皇室の血を継ぐ劉備が、漢王朝の再興を目指す。

劉備の掲げる大義は誰が聞いても筋が通っていた。

その分かりやすさが誰からも理解と同情を引き出していた。

劉備を否定する者は誰もいなかったのである。

曹操の大義は、朝臣である曹操が漢の献帝を助けて漢王室再興を図るというものである。

それはそれで筋は通っているのだが、劉備のものと比べた時の見劣りは否定できない。

劉備は己が善人中の善人であるという印象を徹底させるために、謙譲の仕草を各所に見せた。

献帝と初めて謁見したときに、

遂に一族の者がめぐり逢えたとばかり大いに泣きはらしたことなどがそうである。

見事な喧伝術であった。

その結果、大衆が劉備に抱く印象は劉備の狙い通りとなった。

彼の不屈の魂は尋常ではない。

いくら踏みにじられてもまた立ち上がろうとする、その心が強かった。

これまで劉備は公孫瓚・陶謙・呂布・曹操と、それぞれの元で客将に甘んじてきた。

この後にも袁紹・劉表・孫権の客将となり、あるときは共に戦い、

あるときは彼らを裏切り、そして最後には大成して蜀を建国する。

劉備の唯一の拠り所は中山靖王劉勝の末裔と称する家系であるが、

実はそれすらも怪しいものであった。

なにせ劉勝は好色で知られ、様々な女に百人以上の子供を産ませているのだ。

確かに同じ劉姓を名乗っている以上その可能性は否定できないが、

彼の根本はつまり自分自身の才覚だけであった。

幽州涿県楼桑村の一庶民であった彼が、人生の最後には蜀の皇帝にまで登りつめる。

劉備は英雄であった。

彼のしたことは遠回りのようにも見えるが、結局そうではなかったのだ。

明確な大義を有し、不屈の心を持ち、人心を掴むことができる劉備だからこそ、

成し遂げることができた蜀建国という偉業である。

曹操も大義が何であるかは知っていた。

この後いくら勢力を拡大しようとも、彼は自ら皇帝を称することをしなかった。

あくまで漢の皇帝の命を受け、各地を討伐するという大義を掲げ続けたのである。

賢明な曹操には分かっていた。

一旦己が皇帝を名乗ってしまったが最後、各諸侯や豪族が団結して

己を攻めてくる絶好の理由となることを。

曹操の客将となった劉備だが、いつまでも曹操の下に甘んじる人物ではない。

ある時、献帝が皇后の父である董承に曹操討伐の密命を出した。

献帝は曹操の天下を良く思っていなかった。

いつしか、自らの手で漢王朝を再盛させようと望むようになっていたのである。

もっとも、それは己を知らぬ者の取った暴挙ではあったのだが。

人は良くも悪くも思い上がる生き物である。

時に自信に繋がり、時に求め過ぎる。

李・郭軍に追われ破衣のまま曹操に保護された時のことなど、

最早献帝の意識からは欠落しているのであった。

董承は皇叔である劉備に目をつけ、曹操討伐の連判状に加えようとする。

いずれは曹操を裏切るつもりであった劉備は署名した。

しかし、曹操は董承の行動を察知していた。

また、劉備が参画していることも薄々は見抜いていたのである。

劉備もそんな曹操の気配に気が付く。

そして、寿春の袁術討伐という恰好の名目を作って許都を去ることに成功する。

袁術を討った劉備は、そのまま軍を率いて徐州城に立て籠もり造反した。

すぐさま冀州の袁紹に使いを出し、共同して曹操を討つ約定を取り付けた。

幽州の公孫瓚を破った袁紹は今や冀・青・幽・并の四州を治める最大勢力であった。

袁家は四代続けて三公の高位者を輩出した名門で、袁紹自身も傑物との定評がある。

また、曹操とは幼い頃に悪友同士として育ってきた仲でもあった。

この劉備の狙いは正確なものであった。

曹操と対等に戦うことができるのは今や袁紹しかいない。

袁紹もいつかは曹操を討たなければ覇業が遂げられないことは承知していた。

これを機に、とばかり曹操討伐の大軍を興す。


曹操も自ら軍を率いて北上し、袁紹に当たろうとする。

しかし、結局両者は矛を交えることがなかった。

袁紹陣営に仲間割れが生じ、それを解決する決断力を袁紹が持ち合わせていなかったことで、

袁紹の進軍が止まってしまったからである。

曹操はその場を見限ると、守備の兵を残し自らは許都に戻った。

すかさず徐州の劉備へと襲いかかる。一対一でまともに戦っては劉備に勝ち目はない。

恃みの綱の袁紹はこの期に及んでも軍を動かさなかった。

劉備は破れ、三義兄弟は散り散りになる。

劉備の家族を守っていた関羽は、一人下邳城に取り残された。

かねてより関羽の武芸や人柄を知っていた曹操は、どうしても関羽を配下に加えたくなっていた。

彼のいつもの癖である。

ふと、張遼が関羽と親交があることを思い出すと、張遼に命じて投降を勧めさせた。

下ヒ城は完全に包囲されていた。援軍の当てはなく、食糧も尽きている。

だからといって劉備の家族を置いて単身逃げるわけにもいかず、

進退窮まっていた関羽は三つの条件を曹操に要求した。

投降するのは漢の帝にであって、曹操にではないこと。劉備の家族を保護すること。

そして、劉備の居場所が分かり次第、自分は曹操を離れ劉備の元へと行くということである。

三つ目の条件は異常である。投降する将にそのようなことを言う権利はない。

しかし曹操はその条件を呑んだ。

これは曹操に、必ずや関羽を己になびかせてみせるという自信があったからに他ならない。

まさに曹操ではの大投資であった。

こうして関羽は曹操軍に降り、許都で生活を始めたのである。

関羽は曹操から与えられた大邸宅には劉備の二夫人を住まわせ、

自らは邸宅の外れの粗末な番屋で寝泊りした。

貰った金銀や錦の戦袍・美女十名などは全て二夫人に献じてしまった。

もっとも、そのぐらいのことでくじける曹操の熱情ではない。

関羽らしいと笑い飛ばす。曹操は何とかして己の気持ちを伝えようとしていた。

話す機会をできるだけもうけ、劉備の夫人に気を配り、褒賞を繰り返した。

中でも、関羽に与えた赤兎馬は彼の気持ちが十二分に籠もった贈り物であった。

――赤兎馬。あの呂布が乗騎としていた駒である。

尋常な人間では乗ることすらできないこの名馬中の名馬を、

曹操は数いる勇将を差し置いて新参の関羽に与えた。

これには関羽も深々と礼を述べた。

ただし、それは劉備の居場所が分かったら赤兎馬で飛んで行けるという理由からであった。

他の将にとってこんなに面白くない話はない。曹操ほどの人物である。

一人を特別扱いすることで、他の大勢を不愉快にさせてしまうことは承知しているはずなのだが、

己の心からふつふつと沸き上がってくる素直な気持ちに負けた。

関羽のような武人が、名馬赤兎に跨って戦場を駆け巡る姿を想像して陶酔したのだ。

曹操は実際に詩歌にも通じた詩人であったが、

美しいものを美しいと感じる詩人の心の持ち主であった。

西暦二百年春。雪解けを待って袁紹が再度曹操討伐の軍を挙げる。

相も変わらず自軍の統制すら充分とはいえないが、

広大な勢力によって大軍を編成し、官渡付近の白馬まで南下してきた。

袁紹軍の先鋒は顔良で、文醜と合わせて双虎将軍と称される剛の者である。

顔良は黄河を渡って白馬へと兵を繰り出した。

曹操軍はおよそ五万、袁紹軍はその三倍近くと、兵力には格段の差があった。

曹操は袁紹本隊が到着しないうちに先鋒の顔良へと戦いを挑む。

両軍は大将同士による口上を省いてすぐさま矛を交えた。

曹操は元呂布軍の宋憲を呼び、顔良を討ち取ってくることを命じる。

宋憲は騎馬隊を率いて顔良の本陣へと迫る。

それを見た顔良は馬を飛ばして近付くなり、たったの一刀で宋憲を斬り捨てた。

曹操軍はその光景を見て動揺する。

すぐさま次の将が前線に躍り出た。同じく元呂布軍の魏続である。

しかし、同じ光景が繰り返される。

魏続もまた数合にして顔良に斬り落とされたのである。

重ねての動揺を隠せない曹操軍に対して、顔良軍は突撃を始めた。

あっという間に曹操軍の旗色が悪くなる。

それを防ごうと次の勝負が始まった。徐晃である。

大斧を手にした徐晃が陣を出て顔良へと撃ちかかった。

さすがに徐晃は宋憲・魏続の類とは違う。顔良と数十合に渡る血戦を繰り広げた。

その一騎撃ちに両軍がじっと見入る。

徐晃の大斧は凄まじい威力で顔良へと襲い掛かるが、

顔良の大剣はそれを弾き飛ばし、逆に徐晃へと剣を繰り出す余裕がある。

一進一退の勝負となったが、得物の重さで疲れたのか徐晃が馬を退いた。

徐晃を退けたとはいえ勝ったわけではない。

顔良も体力を使い果たしていた。

曹操軍には徐晃以外にも勇将がいることを顔良も知っている。

突撃を控え、顔良はその場に踏みとどまる。曹操は一旦軍を退いた。

その夜の曹操軍は、徐晃の敗走の話題でもちきりだった。

決定的には負けてはいないとはいえ、

曹操軍屈指の武将である徐晃が自ら馬を退いたのだから、士気への影響は必至であった。

本陣では曹操と幕僚とが顔良対策に追われていた。

許褚を出せばいい、と言う者。許褚と徐晃を同時に出すしかないと言う者。

その中で、参謀の程昱は関羽を呼び寄せることを献案した。

曹操は関羽が功績を立てて、恩返しは終わったとばかりに

自分の元を出立する気になることを恐れて許都に留めておいた。

程昱はさらに言う。

我が軍には時間がない、袁紹本隊が到着する前に

せめて顔良を討っておくのは勝利の最低条件である、と。

曹操はそれでもまだ渋る。

程昱は声をひそめて曹操に耳打ちした。

自分が密かに調べたところでは劉備は袁紹の元にいる、と。

そして、もしも関羽が顔良を斬った場合にどういうことが起こるのかを考えれば

関羽を呼び寄せるのは上策に値する、と。

愛将の顔良を劉備の義弟が斬ったとなれば心の狭い袁紹のこと、劉備を殺すだろう。

そうすれば関羽はもうどこにも行く場所がなくなる。

同時に、劉備を斬った袁紹に対して闘志をむき出しにするに違いない。

劉備も関羽もまだ互いの居場所は知らないのだ。

まさか敵対している陣にいるとは思っていないだろう。

上手くゆけば関羽を完全に味方につけることが可能となる策であった。

それが関羽との信義に反すると知った上で、曹操は遂に頷く。

そして関羽を呼び寄せる早馬をその夜のうちに許都へと送った。

赤兎馬は一日千里(約四百三十四km)を駆ける。

その伝説に偽りはなく、驚異的な速さで赤兎馬は関羽を乗せて白馬へと駆けつけた。


関羽を出迎えた曹操は、敵陣を見渡すことができる丘に関羽を連れて登った。

まさに顔良軍と先鋒の夏侯惇軍が対峙しているところであった。

夏侯惇軍は善戦し、戦いは拮抗しているかのように見えたが、

ふと夏侯惇本陣から離れた場所で陣形が崩れた。

見ると、いつの間にかその前線へと顔良本人が移動していて、大剣を引っさげて斬り込んでいる。

その勢いに押され、夏侯惇軍は勢いを失った。

陣形が崩れ、四方に兵が散る。

顔良軍は第二陣の夏侯淵軍に突入していった。

その光景を見ていた曹操が思わず唸る。

「ううむ!冀州随一の勇があの顔良だ。あぁ、敵ながら見事な戦ぶりかな!」

横の関羽はどうやら薄笑いを浮かべながらそれを聞いている様子だった。

「関羽よ、あの顔良を甘く見てはならぬ。

さすがのそなたでも、そう易々とは手に負える相手ではないぞ。

徐晃ですら苦戦したほどの雄敵だ。

どうやって討ち取ればよいのか、正直わしですら良策が浮かばんのだ」

すると関羽は鼻で笑い飛ばしながら答えた。

「これは異なことを仰せになる。どうぞ我が青龍偃月刀にお任せくだされい。

董卓軍の華雄を討ち取ったときのように、たった一撃の下に顔良を仕留めてきましょうぞ」

曹操は思い出していた。

反董卓軍を旗揚げしたとき、敵の勇将華雄に随分と悩まされた。

当時全くの無名であったこの関羽が華雄を斬ってくれたことで、なんとか逆転することができた。

確かに、あの時と状況は今と似ていた。

曹操としても関羽が顔良と戦って負けるとは思っていない。

だが、簡単に討ち取れるとも思ってはいなかった。

ただ、顔良一人を防ぐことさえできれば、あとは策を巡らせて

顔良軍を打ち破ることも可能だろうぐらいに考えていた。

出陣の許可を得た関羽は、そのまま丘を下って夏侯淵の陣まで赤兎馬を走らせて行った。

その後姿を見て、曹操は脇の張遼に話しかける。

「見事な男よ。わしの挑発を広言で跳ね返しよった。

のう、張遼。関羽を出陣させた結果がどう転ぶかわしにも分からぬが、

関羽が本当の意味で我が軍に加わるきっかけになって欲しいものだな……」

張遼はその言葉を複雑な思いで聞いていた。

思えば自分が曹操の前に引き立てられたとき、

助命を願い出てくれたのは劉備の側にいた関羽であった。

張遼は呂布という君主に満足していたわけではなかった。

呂布の武に対しては無限の敬意を払っていたが、

張遼が求めていたのは己を活かしてくれる君主であった。

流れてゆく点と点のつながりで呂布を君主に迎えることになったが、

張遼の毎日は妥協と諦めの連続であった。

ここにいては己の人生が始まりもせず、また、終わらすこともできない。

それがはっきりしていた。

どうあがいたところで正当化は難しかったのである。

真人は真人を知る。

口にしたわけではなかったが、関羽はそれを分かっていたようだ。

関羽は張遼の信念を貫かせるために曹操へ助命を申し出た。

劉備ではなく、曹操にである。

根無し草の劉備よりも、広大な領土統治のため幅広い人材を必要としている曹操を関羽は推した。

真人の、真人に対する真心である。

そこには自軍の権益を優先させようとする意図はなかった。

あの時の関羽の心遣いを張遼は忘れていない。

この先関羽がどうなるにせよ、それが彼の信念に沿った道であって欲しい。

張遼はそう願っていた。

曹操がいくら関羽を慕おうとも、こればかりは人生の大きな渦の中で流れ、流されてゆくもの。

一個人の力では如何ともし難い。

ただ、願わくば関羽の今後が関羽の信義を曲げるものではないということである。

張遼には軽々しく口を挟むことができなかった。


夏侯淵の陣には子雲と仲権も随軍していた。

十八になった子雲も十七の仲権も、もう立派な一人の武人である。

戦場で沢山の敵を斬ってきた。

今は夏侯淵軍の一部将としてそれぞれ一隊を率いて後陣の右翼と左翼を務めていた。

顔良の突撃を受け、既に夏侯淵軍は前陣を突破されていた。

前軍の夏侯惇が若干勢いと取り戻して挟撃する構えにはなっているが、明らかに分が悪い。

必死に兵を励ます夏侯淵の怒号が一層大きくなっている。

ふと、仲権の横を一頭の赤い馬が疾風のような速度で駆け抜けていった。

馬上の人を見れば顔は棗の如く紅く、長い髯を戦風にたなびかせている。

身の丈九尺(約二百十六cm)、

手に持つ八十二斤(約十八kg)の青龍偃月刀は並外れて大きく、

威風堂々、味方であろうとも見る者は魂を飛ばしてしまうであろう。

その乗馬がまた逸物である。

真っ赤な全身は、たてがみまでが燃えるように赤い。

放たれた矢の速度で、大地を駆けている。

関羽を主としたことで赤兎馬は変わった。

呂布を背中に乗せていた時は、全てを外部から力任せに破壊する鬼馬だった。

しかし、今は内部から崩壊させ、加えて外部を炎で焼き尽くすかのような馬神になった。

仲権は言葉を失った。

許都で幾度も関羽を見かけたが、今の関羽はまるで戦場に降り立った人龍である。

真っ赤な炎に身を包んだ赤龍の様であった。

夏侯淵軍と戦っていた顔良軍の兵士たちは恐ろしい光景を見て呆然とした

たったの一騎、共も連れずに突進してくる者がいる。

その赤い炎の勢いに驚いて、思わず目の前の槍を忘れた。

近付いてきたその一騎から、凄まじい大音声が発せられた。

意味を持たない声。気合である。

その声がまるで怒り狂う赤い奔馬から発せられたかのように思えて、腰が砕けた。

顔良軍の兵士たちは、その馬が通る道を易々と空けたのである。

道は顔良の目の前まで真っ直ぐに開けた。

顔良までもが驚いている。

ようやく大剣を構えようとしたが、顔良は距離感を誤った。

赤兎馬の速度はあたかも飛ぶが如し。

あっという間に顔良の身体へと青龍偃月刀が繰り出され、

鎧を断ち切る壮絶な音がしたかと思うと、顔良の身体が地面に激しく叩き落されて動かなくなった。

赤兎馬から降りた関羽は顔良の首級を挙げる。

髪の毛をわしづかみにして大音声で勝ち名乗りあげた。

「顔良死す!我は関羽なり!!」

赤兎馬に跨って曹操の元へと帰る関羽の姿に、両軍共に静まり返って声もない。

しばらくして曹操軍の追撃が始まると顔良軍は潰走した。

関羽の活躍はこれだけではなかった。

続いて現れた双虎将軍の片割れ、文醜をも討ち取ったのであった。

二枚看板の両大将を失った袁紹は白馬からの撤退を余儀なくされた。

白馬の戦いはこうして関羽一人の功績によって幕を閉じたのであった。

この白馬での戦功により、曹操軍の将軍たちの関羽を見る目は一変していた。

誰もが認めざるを得ない活躍をした関羽を悪く言う者はいなくなった。

いや、今度は誰もが関羽の偉業を大いに賞賛した。

曹操と程昱の目論見は外れた。

確かに、顔良と文醜を斬ったのが劉備の義弟関羽だと聞かされた袁紹は

怒って劉備を斬ろうと迫ったが、劉備は持ち前のしぶとさを発揮して言い逃れをした。

これは自分と袁紹を仲違いさせるための曹操の策略だと主張し、

もしも本当に関羽本人であったのなら自分がこちらに呼び戻すと袁紹に誓った。

根が単純な袁紹は、顔良と文醜を失っても代わりに関羽一人が味方につくならばよいと喜び、

劉備の処罰を不問にしたのである。

曹操軍は許都に凱旋した。

夏侯惇は官渡に留まって袁紹軍の動向を探る任務を命じられる。

淵は都に戻ったが子雲と仲権は惇に従った。

子雲も仲権も、白馬での関羽の武威を目の当たりにしていた。

二人には初めて衝撃であった。

戦は軍と軍とで戦うものであるが、次元を超えた武の持ち主がいれば

たった一人の力で決着がつくこともあるのだ。

惇ですら驚きの言葉しかなかった。

典韋は既に戦死してたが、許褚・徐晃・張遼なども抜群の武人であり、

自分自身や淵も名だたる勇将であることは間違いない。

だが、関羽の技はその範中から大きく跳び抜けている。

単身敵軍に乗り込み、敵兵を一人も蹴散らすことなく敵将の首だけを取ってくる。

それも相手は顔良や文醜だ。誰にできることではない。

曹操軍でも常に筆頭の将軍である惇ですらそう思ってしまうほどの出来事であった。

呂布にはできない人間力。惇にはできない武力。

関羽とは一体どれほどの男だというのか。

子雲は遠目にしか見ていなかったが、

顔良の首を持って敵陣から静かに引き上げてくる関羽の姿に人間を超越した姿を感じていたと言う。

それを聞いた仲権は大きく頷いた。

今までは英雄曹操にしか感じなかったようなこの感じ。

仲権は思わず口にしていた。

「龍だよ、子雲。僕は人龍だと思う」

それを聞いた子雲は、探していた言葉に辿り着いたような顔をした。

「人龍か。そうだな」

「なにか、関羽は地上に足をつけている人間とはどこかが違う気がするんだ」

本音のつぶやき。

「――うん。あれは、何なんだろうな、仲権」

「――さぁ。きっと僕たちには分からない。考え方が根本から違うんだよ」

「呂布よりもずっと強い。あの武は内面に支えられているからこそだぞ」

仲権は人龍の強さの源に思いを馳せていた。

夏侯惇、夏侯淵、そして曹操。加えて、最近知った関羽という男。

自分が知らないだけできっとまだまだ他にも人傑はいる。そう思った。

袁紹は大人しく冀州へ引き上げていった。

夏侯惇は引き続き白馬の守備に当たる。子雲と仲権もそのまま軍に留まった。


そこへ、許都に戻った淵からの知らせが届く。

内容を聞いて子雲と仲権は愕然とした。

白馬の合戦中に弟の夏侯恵稚権と玉思が誘拐されたというのだ。

従者を連れて兗州南部まで薪と山菜を取りに出かけていた二人が

いつまでも戻らないので家族が心配していたところに、ある日二人の安全を伝える知らせが届いた。

途中で流賊に襲われていた二人を救った男からだという。

その男の名は張飛益徳。劉備三義兄弟の末弟であり、あの関羽の義弟である。

子雲の心は乱れに乱れた。張飛といえば、荒くれ者で知られる男だ。

そんな乱暴者が子供をいたわる心を持っているとは思えなかった。

まだ十一になったばかりの稚権は武芸よりも書物を好む性格で身体つきも細い。

手荒な扱いを受けたとしたら耐えられないだろう。

まだまだ子供とはいえ、十四になって身体つきにも

女らしさが出てきた玉思は何もされないだろうか。

張飛は剛勇だが、粗野な人物だと聞く。

あぁ、玉思に何かがあったら自分は正常ではいられない。

仲権の心も同じである。玉思は眩しく輝く太陽である。

夏侯家に差し込む唯一の太陽であった。

そして、自分にとっても唯一無二の女性になっていた。

妹ではあるが血は繋がってはいない。

それを知ってからは、玉思を想う気持ちを止めることできなかったのである。

二人には思い当たる節があった。

白馬の戦いに出る前に、二人は玉思とたわいのない約束をしていた。

どちらが大きな手柄をあげるかを競ったのだ。

玉思は勝った方に手料理を振舞うと言った。

練習のための茸を取りに山に行ったかもしれない。

そうなれば責任は二人にある。

そう思った子雲と仲権は冷静でいられず、惇に打ち明けた。

惇もまた、玉思を心から愛する夏侯家の一員である。

家長として、大切な一族の人間が奪われたことに憤慨していた。

ましてや、その相手が張飛である。

曹操の子飼いの将である惇は、新参者の関羽が特別扱いされることを快く思っていなかった。

逃亡や離反を繰り返す劉備のことは生理的に大嫌いだった。

その義弟である張飛が家族をさらったと聞いて、どうして怒らずにいられよう。

怒りは頂点に達していた。

顔を真っ青にしてことの次第を告げてきた子雲と仲権に対しては何も思わなかった。

そんな理由はどうでもよい。

夏侯家の一員と知った上でまだ二人を返さない張飛が許せなかった。

賊に襲われたところを助けたなどと恩着せがましいことを言い、

あの張飛は二人をそのまま奪い去った。

確かに、理屈は通用しない時代である。しっかりした保護をしなかった惇や淵に責任がある。

そこへ許都にいる蔡陽という将軍からの伝令が届いた。

関羽が曹操の元を離れて冀州へと向かったというのだ。

劉備が袁紹の元にいると聞きつけた関羽が、遂にあの不条理な約定を行使した。

惇の怒りは限界点を越えた。

曹操の心をあれだけ惑わせ、通常ではあり得ないほどの知遇を受けた関羽が、

その恩を忘れて曹操と袂を分かとうとしている。

しかも、現在敵対している袁紹軍にいる劉備のところに行こうというのだ。

惇はすぐに決意を固めた。関羽を行かせてはならぬ。

あれだけの武将が袁紹軍については、曹操軍は危うい。

どうにかして食い止めなくてはならぬ。

「――孟徳、貴様は誤ったぞ!関羽は生かしてはおけぬ存在だ!」

早速惇は兵を集めて白馬を出発した。関羽の行き先は分かっている。

冀州へ向かい黄河を渡ろうとすれば、否が応でも船着場である平陰の町を通らなくてはならない。

平陰には惇の部下であり、蔡陽の甥である秦琪がいる。

平陰から黄河以北は現在曹操の支配圏外であった。

平陰で待ち伏せれば必ず関羽と遭遇することができる。

惇は急いで平陰へと向かった。

もっとも、その軍中に子雲と仲権が紛れ込んでいることまではさすがの惇も気が付かなかった。

関羽は鉄の意志を貫き許都を離れた。

曹操から受けた恩は、一生かけても返せるものではない。

顔良や文醜如きを斬っただけでもう己の責務を果たせたとも思っていない。

曹操には命を救われているのである。

もしもあの時、曹操が投降を受け入れてくれなったら関羽は討ち死にを遂げていただろう。

劉備の家族の安否もどうなっていたのか分からない。

その恩は十二分に承知していた。

それでも、関羽は曹操の元を離れることを選んだ。

曹操の配下として長居するつもりはなかった。

いくら曹操が厚遇してくれようとも、関羽の心は常に劉備と共にあった。

関羽は最初の機会を逃すまいとしていた。

約束通り劉備の行方が分かり次第許都を離れる。

それも、最初に分かった時にだ。

このまま許都に居続けることで劉備への忠誠心が揺らぐとは微塵も思っていない。

だが、様々な義理をつくってしまい

、いざ許都を離れようとしても離れずらくなってしまうのは嫌だった。

己で言い出した約束に二言はできない。

劉備の居場所が分かり次第、赤兎馬で劉備の元に駆けつける覚悟であった。

曹操は関羽の様子を物見に探らせていた。

そして、関羽が劉備の居場所を知ってしまったことを悟った。

あぁ、天下の英雄もこの時ばかりは童子に返る。

丞相府まで最後の挨拶に訪れた関羽に対して、曹操は居留守を決め込んだ。

張遼までもが病気と称して面会を謝絶した。

悪意からではない。ただ関羽を失うのを避けたいという一心からである。

やむなし、と判断した関羽は置手紙をして許都を離れた。

関羽出立の報告を受けた曹操は、断固連れ戻すべきと主張する幕僚たちを退け、

自ら関羽の後を追った。最後の別れを言うためである。

曹操は居留守を使ったことを謝り、関羽に路銀を与えた。

もしも関羽の表情に迷いがあれば、引き止めるつもりでいた。

しかし、関羽にそんな様子は全く見られなかった。

殺すにはあまりに惜しい人物である。

曹操は悩む。

ここで外地に関羽を放ってしまえば、いずれは巡りに巡って己に害をもたらすに違いない。

そうは知っていても、曹操は関羽を行かせたかった。

曹操軍の総帥としての責務よりも、一人の人間としての感情が勝っていた。

関羽に赤兎馬を与えたときと同じ気持ちである。

美しい存在の灯を消したくないという詩人の心であり、

天晴れな武人の意思を最後まで遂げさせてやりたいという武人同士の共感でもある。

曹操は関羽を温かく送り出すことにした。

鵬は、籠から放たれたのである。


だが、通行証を持たずに出発した関羽は、行く先々で通行を拒否される。

関羽はやむなく守将を斬った。

曹操に通行可否の伺いを立てさせる時間が惜しかったのである。

曹操は認めてくれたが、配下の将が快く思っていないことを関羽は知っていた。

抜け駆けの功を狙う連中に襲われる危険性があった。

ただでさえ二夫人を帯同することで足が鈍くなっている関羽にとって、

時間は一刻でも貴重であった。

強行突破をすること四関門。

関羽は最後の関門、平陰の船渡し場を前にしていた。

ここから船に乗り、黄河を渡ってしまえば、以北は袁紹の支配圏である。

守将の秦琪は勇猛なことで名の知れた部将ではあったが、

関羽と矛を交えるには力量に差があり過ぎた。

関羽は易々と秦琪を討ち取り、守兵を蹴散らした。

最後の五関門をも突破したのである。

船を奪い取り、いざ二夫人を北へ渡岸させようとしていたところに、

北岸から一艘の船がやってきた。

船頭にいたのは、劉備の部下の孫乾である。

孫乾は慌てて説明した。

既に劉備は冀州を抜け出し、今は遥か南の汝南にいるというのであった。

劉備は袁紹に将来性がないことを見抜いていた。

確かに幕僚には優秀な人物が多いが、いずれも勢力争いをしており、

常に仲間割れが生じているような状態であった。

そして、なによりも袁紹個人に決断力がなかった。

袁紹は凡将ではない。一州程度を統治させたら彼は有能な君主であろう。

だが、四州もの広大な領地を総括する才覚は彼にはなかった。

有能な部下に恵まれたことで袁紹は領地を拡大させ続けてきたが、

広がり過ぎてしまった領土と厚い人材層を束ねる広い統率力と決断力が袁紹には欠けていた。

関羽のことはなんとか不問に止めたが、

部下の讒言によっていつあらぬ疑いをかけられるか分からない。

危うんだ劉備は冀州からの脱出を謀った。

南の荊州で一大勢力を有している劉表と自分は同族であり、

自分ならば劉表を説得して曹操を攻めさせることができる、と献策したのである。

袁紹は劉備の言葉を信じた。

確かにそれが叶えば南の劉表と北の袁紹で有効な二面攻撃ができる。

快く承諾した袁紹は、劉備を荊州へと使いに出す。

劉備は南へと向かった。ただし、荊州にではなく汝南にである。

汝南には以前から連絡を取っていた黄巾賊残党の劉辟がいた。

彼の勢力を取り込んで、独立しようと謀ったのである。

劉備は不屈の魂で再起を誓う。

そして、道の途中で関羽が冀州に向かったことを知ると孫乾を急行させた。

汝南での結集という劉備の伝言は、こうして孫乾から関羽へと伝えられた。

関羽はすぐさま赤兎馬を南へと向けた。

だが、平陰を去ること間もなく、後ろから旋風を巻き上げて襲いかかってくる一軍があった。

関羽はその軍旗を見て顔色を変えた。夏侯惇である。軽視できない敵であった。

二夫人に孫乾を付けて先行させると、関羽は単騎立ち塞がる。

夏侯惇も単騎馬を進め、関羽と対峙した。

牙を見せんばかりに夏侯惇が吠える。

「――関羽!貴様は丞相の恩を忘れたのか!」

対して関羽は冷静であった。

「夏侯惇、お主ならばわしと曹公が交わした約束は知っておるだろう。

よいか、お主がわしを止めれば曹公の気持ちを無にすることになるのだぞ」

「それは知っておる!しかし、貴様は行く先々で我が軍の将を斬った。

あまつさえ、我が秦琪を斬り捨てたことは許せん!その罪は別だ!大人しく縛に付け!」

夏侯惇は臨戦態勢に入った。それを見て関羽も覚悟を決める。

夏侯惇を討ち取らない限りこの先へは進めない。そう悟ったのだ。

互いの武勇は承知済みである。

己の死を覚悟して戦わない以上、相手を討ち取れないことも分かっている。

龍は虎を睨み、虎は龍を睨む。

「――夏侯惇!貴様の目はこの偃月青龍刀が見えているのか?!

さっさと白馬に戻り、袁紹でも相手にしておれ!」

「貴様!顔良や文醜如き討ち取ったからといって調子に乗るな!!

曹操軍には貴様程度の者、無数におるわ!」

遂に龍虎の闘いが始まった。

夏侯惇の槍と、関羽の偃月青龍刀が激しく火花を散らしてぶつかり合う。

顔良をたったの一合で斬り捨てた偃月青龍刀が夏侯惇の左顔へと襲い掛かる。

死角と思われた左顔であるが、夏侯惇は素早く槍を繰り出して偃月青龍刀を払いのける。

すかさず、夏侯惇の槍が一閃した。

慌てて関羽は赤兎馬の背中へと身を伏せて槍先をかわす。

――この男、やはり只者ではない。関羽は心の中で唸っていた。

左目を失ったことで左からの攻撃が弱点となるはずが、

夏侯惇は素早く反応して、逆に槍を繰り出す余裕があった。

左目の代わりに第六感でも得たとでもいうのか。

子雲と仲権は後方からその壮絶な一騎撃ちを見つめていた。

あの白馬の闘いで英雄として曹操軍に奉り立てられた関羽に対して、

堂々と渡り合っている夏侯惇は、自分たちの家長である。

両雄の攻防は凄まじい激突音を周囲に撒き散らしつつ、数十合に及んだ。

二人には決定的な違いがあった。乗馬である。

名馬中の名馬である赤兎馬は、合を重ねるごとにますます鋭さを加えて関羽を運んだ。

夏侯惇の乗馬も名馬ではあるが、赤兎馬とは比較できない。

次第に夏侯惇の馬が疲れを見せ出してくる。

誰もが夏侯惇の不利を感じた時、彼方から一頭の騎馬が疾走してきた。

「夏侯惇!槍を控えよ!!関羽も馬を退けい!!」

それは張遼であった。二人の間に割り込むと、夏侯惇へ通行証を見せた。

「よいか、関羽が守将を斬ったことを聞いて丞相が発行された通行証だ。

丞相は何者も関羽を妨げてはならないと仰せになっておる。

ここは丞相の意向を尊重して軍を退いてくれ。頼む!」

「しかしだ!この男は我が秦琪を斬った!

秦琪は、蔡陽から是非にと言われて預かった部将だぞ!それを殺されて黙っていられるか!」

「それについては丞相から蔡将軍に直接話してもらうようにする!

頼む、この張遼が保証する!この場を立ち去ってくれい!」

そこまで言われては夏侯惇も槍を向けることができなくなった。

口惜しそうに関羽に一瞥をすると、そのまま軍を指揮して元来た道を走り去って行った。

張遼は関羽の行き先を詳しく詮索しなかった。

通行証を渡すと、素早く馬首を返して許都の方向へと戻って行った。

その後姿に向かい、いつまでも深々と頭を下げる関羽がいた。


平陰を走り去る夏侯惇軍の最尾から、二頭の騎馬が離脱したのに気が付いた者はいなかった。

子雲と仲権である。夏侯惇軍が見えなくなると二人はすぐに道を逆戻りした。

「――仲権。よいな、どこまでも追うぞ」

思いつめた表情。二人は真剣だった。

目的は関羽を追うことにあるらしい。一体何を考えているのだろう。

二人が同時にかかったとしても関羽には到底敵わない。

引き止めることも、阻止することもできない。

関羽の行き先など劉備の元しかないと分かっているのに、一体何が目的なのか。

二人は関羽が進んだであろう道を急いで追ったが、行方は掴めなかった。

そもそも、北上していた関羽がどうして黄河を越えず、進路を変えたのかが分からない。

劉備が汝南にいるとは知らない二人は、半日かけて西の道を進んだ。

道脇の村民に聞き込みを続けたが情報は掴めない。

その夜、宿場で一緒になった商人から関羽とおぼしき一行の話を聞くことができた。

商人は南東から移動してきたのだが、

日中すれ違った一行に赤顔長髯で赤い巨馬に乗る大男がいたと言う。

そんな人物は関羽しかない。

どうやら関羽は北へ行くのをやめて南へ向かったらしいと二人は思った。

早朝、日が昇る前から二人は馬を駆って南へ向かった。

行き交う人々に関羽の人相を聞きながら進むと、昼過ぎには関羽一行を見つけることができた。

二人は関羽に悟られないよう遠くから尾行することにした。

関羽は曹操の支配圏内ぎりぎりの道を選んで南下を続けた。

途中、関羽の前に何組もの賊が平伏してくるのを二人は目にした。

汝南近辺には未だに黄巾賊の残党が無数いるが、彼らに語り継がれている伝説がある。

それは黄巾賊討伐で抜群の功績を挙げた劉備三義兄弟のことである。

関羽が名乗らなくとも、赤面長髯の将が関羽であるということはこの辺りの民や賊は皆知っていた。

彼らは劉備三義兄弟を黄巾賊を討った憎い敵としてではなく、

義勇兵として立ち上がり大功を建てたということで英雄扱いしていたのだった。

劉備が汝南で挙兵しようとしたのも、その伝説を逆手に取ろうとしたからに他ならない。

そんな事情を子雲と仲権は知らない。

二人の目からすれば、関羽が事前工作をしていたのだとしか見えなかった。

だが関羽は降ってきた賊を護衛につけることなく進む。

それが不可解だった。

どうやら汝南方向へと関羽が向かおうとしていることに二人は気付いたが

汝南に何があるのかは見当が付かない。

平頂山という山の手前で宿を取った時、宿の主人が心配そうに話し掛けてきた。

なんでも平頂山は山賊の巣窟で、滅法強いがいるらしい。

山賊にひるむような二人ではないが、多勢には適わない。

関羽の出方を待つことにした。

その夜。大部屋で泊まっていた子雲と仲権に一人の男が話しかけてきた。

二人をこの土地の人間かと思ったのか、

平頂山にいる山賊のことや山を越えた先の様子を上手に聞き出そうとする。

仲権が申し訳なさそうに余所者であることを告げると、男はがっかりした様子を見せた。

そして、今度は一転して軽い口調で二人のことを聞いてきた。

子雲は黙って口を開かなかったが、人好きのする表情に思わず仲権が本音をこぼし出した。

ある野蛮人に連れ去られた大切な人を探している途中であること。

ある男の後をつけて行けば必ずその野蛮人と接触するか、もしくは手がかりを掴めるだろうこと。

家族には黙って二人だけで出てきたこと。

大切な人を取り返すまでは家に帰るつもりはないこと。

さすがに名前は明かさなかったが、仲権は抑えていた感情を一気に吐き出した。

話が進むにつれ、男はまるでそれが自分のことのように心配し始めた。

目に薄く涙を浮かべて、最後は同じ言葉をうわ言のように繰り返したのだった。

――そうだ、信じてさえいればいつかきっと逢える。

信じる心を忘れてはいけない。強く信じることで、それが叶う可能性が高まるのだ、と。


翌朝、男は宿の主人から色々聞いている途中で何を思ったのか慌てて宿を出て行った。

子雲と仲権は平頂山の裾野の高台に身を潜めて関羽を待った。

間もなく関羽の一行が通りかかるのが見えた。

すると、山頂の砦から山賊たちが恐ろしい勢いで下ってくるではないか。

山賊の先頭には立派な体格をした壮士がいる。

手に長い蛇矛を携え、虎髯を生やした巨漢が関羽に近付くと、

二人は大きな歓声を挙げて抱き合った。

子雲と仲権はその大袈裟な喜び方に首を傾げた。

大の男が、ましてや天下に名だたる関羽がこれほどの親愛ぶりを見せる相手といえば、

想像できる人物は少ない。

二人は顔を見合わせた。もしや、という予感がしたのだ。

「子雲!何だあの土煙は!ただの軍勢ではないぞ!」

その時、道の反対を仲権が指差した。

見れば、関羽がやってきた道の向こうから土煙を上げてやってくる騎馬軍がある。

その数、五千は下らない。

近付いてくると、その旗印が蔡陽のものであることが分かった。

「蔡陽将軍だけは、以前からやけに関羽に敵意をむき出しにしていたと聞く。

曹丞相の贔屓をいいことにして、調子に乗っていると言いふらしていたそうだ。

それにな、平陰で討たれた秦琪は蔡陽将軍の甥だ。

仲権、これは壮絶な殺し合いになることに違いないぞ」

緊迫の面持ちで子雲が言う。仲権もさすがに心配だった。

「そう聞いている。だが、いくら関羽でも五千の兵は相手にできないだろう。

どうすればいい、子雲?」

「俺にも分からん!おい、関羽が単騎で道に立ち塞がったぞ!

兵も展開させないし、何を考えているんだ?」

「本当だ!蔡陽将軍だって関羽の凄さは良く知っているはずだ。

ほら、蔡陽将軍は後陣にいる。

あれでは、いくら関羽でも主将を討ち取る得意の先制攻撃はできない」

二人がいる丘の上からは軍の展開が手に取るように分かった。

蔡陽本陣は速度を緩め、先陣の騎馬隊だけが関羽に突進した。

ふと、それまでじっとしていた関羽が急に赤兎馬を走り出させる。

蔡陽騎馬隊とは速度が違う。

飛ぶが如く駆け出した赤兎馬は、見る見るうちに敵軍に突入して行く。

すると、蔡陽先鋒隊はまるでそれが当たり前であるかのように赤兎馬に道を譲った。

あぁ、赤龍は見えない炎を吐いて敵軍を切り裂き、道なき道を進む。

そして、関羽がその速度のまま後陣を通り過ぎた時、蔡陽の首は胴体から離れていた。

顔良が斬られた時と全く同じ光景が繰り返されたのである。

上から見渡していた子雲と仲権にとっては正に目を疑う光景であった。

赤い人龍が蔡陽軍に飲み込まれたかと思いきや、赤の一点が蔡陽軍を通過し、核を破壊した。

中心を失った蔡陽軍は総崩れになったのである。

すると先程の大男が単騎で飛び出して蔡陽軍に襲いかかった。

関羽とその大男のたった二騎だけで、蔡陽軍は支離滅裂になった。

五千の兵が、関羽一人に逃げ惑う。また、大男の蛇矛の威力も凄まじかった。

小蝿を追いやるかのように振り払う蛇矛で、蔡陽軍の兵がばたばたと倒れてゆく。

二人の勢いは同じであったが、その性質が大きく違っていた。

関羽はそのまま龍の炎である。外部を炎に包み、内部をも燃やし尽くす。

片方の大男は黒い竜巻のようであった。蛇矛が叩き落された後は何も残らないのである。

「子雲!なんだ、あの二匹の龍は!蔡陽将軍の兵が吹き飛ばされるようではないか!」

「あぁ、これで間違いないな。仲権、あの大男こそが俺たちの探している男だ」

子雲が静かに言った。仲権も同感だった。

「――そう。あれが、張飛益徳。遂に見つけたぞ――」

関羽は一兵も失うこともなく五千の敵を退けた。

何事もなかったかのように二夫人の車を進ませ、山砦に収容した。

平頂山を占拠していた山賊はやはり張飛であった。

こうして思いがけず劉備三義兄弟のうち二人が揃ったのである。

子雲と仲権は平頂山を迂回して先の町へ向かった。

山砦の門を叩いたところで面会できるとは限らない。

山砦から二人が降りてくるのを待って直訴するつもりだった。

だが、数日経っても関羽と張飛は現れない。

二人は辛抱強く待ち続けた。遂に張飛を見つけた。

張飛がいるということは、この男にさらわれた玉思がここにいる、ということである。

二人は一刻も早く玉思を救い出したいという気持ちで昂ぶっていた。

その気持ちは出発したときと変わらない。

いや、むしろ時が経つにつれ高まっていた。

ひとつ変わったのが、張飛に対する印象である。

ただの荒くれ者だったはずが、蔡陽を蹴散らした戦いぶりを見て変化が生じていた。

張飛は腕力だけの猪武者、乱暴な性格の荒くれ者である。

世間ではそう伝えられてきたし、子雲と仲権もその印象しか持っていなかった。

だが、あの蔡陽軍の蹴散らし方は関羽にも劣らない勇姿なのである。

張飛もまた、人龍なのであった。


関羽と張飛が山砦に入って数日が経ったある日のことだった。

町の飯屋で昼食を取っていた子雲と仲権の前に、いつかの宿で一緒になった男が姿を見せた。

男は汝南へ行ってきた帰り道であるという。

藁にもすがる思いで、仲権は男に平頂山の張飛のことを知らないかと尋ねてみた。

張飛という名前を聞くと男の顔色が変わった。

怪しんだのか、男は饒舌な口を急に閉ざした。

この男は何かを知っている、と踏んだ子雲が思い切って全てを打ち明ける。

自分たちは夏侯家の一員であること、張飛にさらわれた家族を連れ戻すために旅に出ていること、

本当はすぐにでも山砦に行って張飛に掛け合いたいこと。

それを聞いた男は、穏やかな顔つきになって自分の名前を明かした。

男は劉備軍の孫乾であった。

二人の気持ちを聞いた孫乾は、丁度自分はこれから山砦に帰るところだから

一緒に来れば張飛に会わせてあげると誘ってくれた。二人は即座に頷いた。

――遂にこの時がきたぞ、張飛。玉思は俺たちが取り返す。

これが二人に共通した想いであった。

惇や淵にも相談せず、秘密裏に白馬を抜け出してきた。

仕事だって放棄してきた。あれから連絡もしていない。

きっと心配されているに違いないし、帰ったら酷く怒られるだろう。

とにかく、夏侯家の太陽である玉思と弟を奪った張飛が許せない。

関羽と張飛が揃ったあの山砦から玉思と弟を無事に取り戻せるとは

子雲も仲権も正直思っていなかった。

それでも二人は前に出る。命に代えてでも玉思たちを取り返してやるという思いがあった。

既に失われたものがあり、それ以外に子雲と仲権が失うものは

何ひとつとして存在しないのであった。

孫乾に伴われて山砦に入ると、そこでは荒々しい顔つきの男たちが調練をしている最中だった。

予想よりも兵の数が多い。三千人はいる。

そして、動きに調律がある。山賊というよりは立派な軍であった。

孫乾は砦の中心に建てられた大きな屋敷に入り、大広間に二人を案内した。

そこでは張飛と関羽が地図を広げて話し合いをしている最中だった。

「おう、孫乾。よく戻った。して、義兄上の居場所は掴めたか?」

張飛がそう問いかけると、孫乾は自慢気に胸を叩いて言った。

「この孫乾様の情報網を甘く見てもらっては困る!

あぁ、分かったぞ。劉備殿は既に劉辟殿の元に到着されておる。

ここからは目と鼻の先だ。用意が整い次第、すぐに合流しよう。

これで遂に劉備軍は再結成じゃ!」

それを聞いた張飛と関羽は顔を見合わせて歓声を上げた。

すぐさま関羽が席を離れ、二夫人の元へと報告に走る。

孫乾が座り、子雲と仲権にも席を勧めた。

「――ん?その者たちはどうした?山賊の子弟とも思えぬが」

張飛が子雲と仲権に視線を向けた途端、子雲が一歩前に出て、

張飛の目を睨み付けるようにして口を開いた。

「曹操の腹心夏侯惇の弟で夏侯恩子雲と申す。

また、ここにいるのは夏侯淵の長男で夏侯覇仲権である。

張飛殿とお見受けした。

聞くところ、我が甥と姪を無頼の輩から保護していただいたとのこと。

その恩義は、夏侯家として深謝するところである。

しかし、我らが来たからには両名を引き取らせて頂きたい」

子雲は一気にまくし立てた。

口調は滑らかではあったが言い方は強引さに満ちていて、

普段の冷静で要領の良い子雲らしくなかった。

仲権はそんな子雲の態度を危ういと思った。張飛を刺激してはならないと思い、

子雲とは逆の態度を取った。

深く頭を下げ、張飛の慈悲にすがろうとしたのだ。

女や財産は奪うものであった。誰かのために保護するなど、そんな考え方のほうがおかしいのだ。

張飛は虎髯をさすって二人の若者を見つめていた。

頭を深々と下げている少年と、自分に鋭い目を投げている少年。

曹操の親族であり、曹操軍を代表する将軍夏侯惇・夏侯淵の子弟だという。

張飛は迷った。


稚権と玉思は、本当に賊に襲われていたところを張飛に助けられたのである。

薪と山菜を求めて兗州南部まで足を伸ばしていた時、荷物目当ての流賊に襲われた。

従者が斬られている間に逃げ回って岩の陰に身を潜めていた二人は、

しばらくしてから恐る恐る岩陰から出た。

するとそこには流賊たちの骸が転がっていた。

その脇では一人の大男が、賊に殺された夏侯家の従者たちを懇ろに埋葬している姿があった。

玉思は大男に礼を言った。

大男は幼い二人を見ると馬に乗せ、この平頂山の砦に連れて来て面倒を見た。

自分たちだけでは家に帰ることもできないだろうと心配してくれたのだ。

その大男が曹操の政敵である劉備の義弟だと知ると

玉思も稚権も決して自分たちの身分を明かさなかったが、大男も詳しくは詮索してこなかった。

大男は粗忽者かと思われたが、稚権に対して優しく接し、進んで武芸を教え込もうとした。

稚権が武芸ではなく兵法書を好んでいると知ると、

張飛は自分が苦手な書物ですら嫌がらずに大声で読み上げてやった。

まるで子供の友達同士のように、張飛と稚権は読書をしたのである。

張飛と稚権はすぐに友達になれたが、玉思に対しての張飛の態度は遠慮そのものだった。

玉思はいつもの調子で明るく張飛に話しかけるが、

張飛は玉思の目も見ずに適当に言葉を濁すだけだった。

もちろんそれは嫌がっているのではなく、女性に慣れていない張飛が、

玉思の太陽に眩しさを感じていたからであった。

戦場で生き続けてきた張飛は、

玉思の太陽のような明るさの前ではどうすれば良いのか分からない童子であった。

居心地の良さに玉思と稚権はつい甘えていた。

もとより張飛も歓迎してくれていた。

そのうちに玉思は自分たちの身分を明かした。

張飛が信頼できる人間だと分かったからだ。

まさか夏侯家の一族とは思っていなかったから張飛も驚いた。

これまでの人生を戦ばかりに費やしてきた張飛だったが、

二人と一緒にいるときの幸せな時間が忘れられなくなっていた。

夏侯家の一員と知ったところで、どうして良いのかすぐには分からない。

まずは家族が心配していることだろうと、

二人の無事を伝える手紙だけは許都に届けさせた。

誰もが恐れる猛将張飛も、無垢な童子の前では等しく童子であった。

侮辱されれば怒り、誉められれば舞い上がる張飛は、

元々童子がそのまま大きくなっただけであった。

大きな図体から武の性を抜いてしまえば、大きな身体だけが残るものなのだ。

二人をどうすれば良いか、張飛は真剣に考えたつもりだったが、

やはり分からないものは分からない。

そのまま二人をいつまでも手元に置いた。

山砦の部下たちからも言われるようになったが手離そうとしなかった。

合流した関羽からも諭されたのだが、必死に抵抗を続けていた。

稚権は夏侯家の男子だからいつまでもここにいることはできないだろう。

手放すことも張飛は覚悟していた。

しかし、玉思に限ってはそんなことを考えたくなかった。

張飛は生きることの喜びを戦場以外で見つけていたのだ

こんなことは生まれて初めてだった。

玉思である。玉思もよく張飛の元を訪れては笑ってくれた。

聞いたことはないが、少なくとも張飛のことを嫌ってはいないはずなのである。

だらだらと解決を引き延ばしてきたが、そろそろはっきりさせなければならない。

子雲と仲権を前にして、初めて張飛はそう思った。

こんな若僧二人が必死になっているからには、なんとかするのも年長者の務めである。

張飛の気持ちはひとつだった。離したくはない。

できれば二人とも手離したくはない。

戦場に生きて長いが、そろそろ自分にも家族の温もりというものがあってもいいのではないか。

義兄たちとの大志が優先なのはもちろんだが、

家族を養ったところで大志の足を引っ張るものではない。

張飛は本気でそう考えていた。

「確かに稚権と玉思は当方で預かっている。心配するな、害を加えるようなことはしておらん。

夏侯恩と夏侯覇と申したな。しばし待て。二人を連れてこさせよう」

張飛が目配せをすると、従者が部屋を出て行った。

張飛は視線を目の前の二少年に戻した。

片時も目を逸らさず自分を見てくる少年の態度は、異常である。

頭を床にすりつけている少年の態度は、過剰である。

これは何だろう。夏侯家の結束の固さからくるものなのだろうか。

それとも何か他に理由があるのだろうか

すぐに稚権と玉思がやってきた。

子雲と仲権の姿を見つけると大きな声を上げて駆け寄った。

夏侯家の四人は抱き合った。

先に関羽と張飛が再会したときのような光景が繰り返された。

張飛はそれを複雑な思いで見ていた。

「――稚権、玉思。迎えが来たぞ。よいか、自分で選べ。行くも留まるも自分の意思ひとつだ」

その張飛の言葉を聞いた子雲と仲権は驚いた。

噂に聞く乱暴者からは想像できないような言葉だったのだ。

稚権はすぐさま許都へ帰ると言い、夏侯家に帰れることを喜んだ。

だが、玉思の口から出た言葉は違った。

玉思は、張飛と一緒にいることを望んだのだ。

「お兄様。わたくしは張飛様と一緒にいようと思います

いずれは嫁に出る身。それならば、わたくしはこの張飛様がいい。

どうか、惇叔父様や淵お父様にそう仰って下さい。

張飛様は世間で言われているような粗暴なお方ではありません。

わたくしに良くしてくれる、優しくて、純粋なお方です。」

その言葉は子雲と仲権を絶望の底へと叩き落すものであった。

口にした玉思は想像もしていなかったことだろう。

時として、一人の何気ない一言が誰かの人生を大きく変えてしまう。

子雲・仲権・張飛、そして玉思自身の人生を大きく変えた瞬間であった。

それを聞いた張飛は両手を上げて喜んだ。

それまでは玉思に対して遠慮ばかりの張飛であった。

何故なら、己の不安定な立場がある。

義兄弟は散り散りになり、定住の地も持たない流浪の身分で家族を養うことなど叶うべくもない。

十四の玉思と三十三の張飛では年齢差もあり、

それに何より劉備の義兄弟である自分と曹操の親族である玉思では

婚姻関係を結ぶには政治的障害があり過ぎた。

ただ、玉思の気持ちさえあれば

それを全て自分が解決させてみせるという自信が張飛にはあった。

満面に笑みを湛えながらも、まだ少し遠慮がちに張飛が玉思に訊ねた。

「いいのか、玉思、それで本当にいいのか?」

玉思は明るく頷いた。その様子に躊躇は見当たらない。

それを見た張飛は玉思の元へ駆け寄り、身を屈めて大きな両手で玉思の手を取った。

白く細い玉思の手を額に押し当て嬉しそうな声で言ったのである。

「玉思、俺が命を賭けて守ってやるぞ!」

あぁ、張飛は玉思に向かって決定的な一歩を踏み出した。

そして玉思はその張飛を受け入れた。

これがお互いを永遠に受け入れ合う二人のささやかな儀式であった。

「夏侯恩殿!夏侯覇殿!見ての通りでござる!

許都に戻り、一族の方に伝えられよ!これより玉思はこの張飛の妻である!!」

そんな光景を見せられては最早子雲と仲権に言う言葉はなかった。

ただ、二人を祝福するしかなかったのである。


翌朝、子雲と仲権は稚権を連れて山砦を出た。

張飛は三人に護衛をつけて許都まで送ることにした。

山砦の門には張飛と、三人の後姿に最後まで手を振る玉思がいた。

子雲と仲権の胸中はいかなものであろうか。

愛し、崇拝した太陽を自分以外の男に任せる人生。

その始まりの瞬間を迎えようとしていた。

武人としての己の役割、曹操軍の一員としてはこの張飛を含む劉備を討伐する役目がある。

その役割を追求すれば、愛する玉思を不幸に陥れることになる。

かといって玉思を優先させれば、武人として義を欠かすことになる。

愛している。愛しているのだ。

もう幼い心で思っているだけではない。

一人の大人の男性として玉思のことを愛しているのだ。

その胸の苦しみをかき消したい。

だが、今は言葉にすると玉思を傷付けてしまうばかりなのだ。

言い出せるものではない。二人は同じ想いであった。

己の本当の気持ちは口に出せない。誰にも伝えることはできない。

しかし、子雲にはこの世にたった一人、それを打ち明けられる相手がいた。

同様に、仲権にとっては唯一己の正直な気持ちを打ち明けられる相手がいた。

すなわち、子雲にとっては仲権、仲権にとっては子雲である。

これが今生の別れだと思い、二人は玉思に手を振った。

きっともう逢えないだろう。

曹操軍と劉備軍という立場に分かれた以上、

仮に再会できたとしたらそれはどちらかに大きな悲劇が起きた後だ。

幸せな家族の一員同士としてもう逢うことはない。

愛する女性とはこれで永遠のさよならだ。

平頂山をとぼとぼと下る道の途中で、誰にも聞かれず二人はこう言葉を交わした。

「――なぁ、仲権よ。覚えていてくれ。

俺にとってはいつまでも玉思を守り続けることが人生だ」

「――それは君だけの人生ではない。いいか、それが僕たちの人生だ」

この言葉を二人は生涯守り続けることになる。

互いの心根を知る唯一の存在同士で交わされた人生の約束であった。

なんと虚しい帰り道であろう。

張飛と玉思の契りを表面化させてしまったのは自分たちの身勝手な行動ではなかったのか。

それとも、起こるべくして起こったものと思って良いのだろうか。

玉思を祝福したい。幸せになって欲しい。

だが、今は素直にそれができない。

愛しているのだ、愛しているのだ。

――あぁ、子雲と仲権の間にもう言葉はない。

ただ悩み、苦しみ、若い二人は許都への帰路に着いた。

平頂山に集った二匹の人龍は遂に汝南で劉備と合流した。

こうして三人の義兄弟は再集結したのである。

劉備の不屈の魂がもう一度命を繋いだ。

北の袁紹と再び戦を起こした曹操の留守を狙って劉備は旗を揚げたが、

袁紹に本気で戦をする意思がないことを悟った曹操は急遽南下して、劉備を襲った。

劉備は散々に打ちのめされ、南の劉表を頼って亡命する。

人龍も、英雄も、張飛の気持ちも、そして玉思も、全てが大きな流れの中へ飲み込まれていった。

その戦いにも随軍していた子雲と仲権にとっては、

もう何が正義で、誰が強いのかが分からなくなっていた。




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