8月30日(金)
シアトル出発以来、バスで眠れない自分自身に苦しめられてきた。だが、今回だけは違いデンバーまでずっと眠りっぱなしだった。冒険旅行開始から10日が経ち、自分自身が逞しくなったことの証拠だと思う。ぐっすり眠った身体は楽だ。これが夜行バスの正しい使い方かな。昼間身体を苛めぬいておけば、夜行バスの中も立派な熟睡の場となる。冒険の知恵を学んだ。ただし、それは余り歓迎したくない睡眠の場だ。
朝の6時45分にデンバーへ到着した。真っ先にディーポ内のコインロッカーに荷物を預けた。重い荷物を背負って初めての街を歩くのは辛い。
ここデンバーはコロラド州の州都であり、ウエストイエローストーンと比べてはもちろん、昨日のソルトレイクシティよりも遥かに大きな街だ。「街」を越えて「都会」と呼ぶぐらいのサイズだ。見知らぬ都会に来てしまったからには、国立公園とはまた違う意味で油断ができない。とりあえず落ち着く先が決まるまで軽装で歩いてみるのが一番だ。そこそこ大きいバスディーポには必ずコインロッカーがあるから助かる。
ディーポを出ると、地図も見ずに出勤姿の人たちの流れに沿って歩いた。なんだか昨日の朝もこんなことをした記憶があるなぁ。
歩き始めてすぐ、僕には肌で感じ取ることがあった。やはりこの街は昨日のソルトレイクシティとは確実に違う。
どんな街でも、メインロードを歩いてみればその街が一体何を主役にしているかが分かると思う。ウエストイエローストーンは観光地手前のゲートシティだと思ったし、ソルトレイクシティではモルモン教の理想を描いた街だと知った。
ここデンバーは人間が生きる都会であった。主役は、人間たちの暮らしだった。無料バスが走るデンバーのメインロードである16th Streetを歩く僕に、前から後ろから出勤姿の人たちのせわしない流れがぶつかってくる。イエローストーンで大暴れした僕でも、その流れの中ではまるっきり役立たずだった。どうすればその流れに沿って歩けるのか、全然分からなかった。この流れの中にいて、僕はここが人間の生活のために創られた都会だと知った。
気を取り直して、まずは恒例のツーリストインフォメーションセンターへ向かう。8時の営業開始と同時に中に入り、ロッキーマウンテン国立公園へのゲートシティであるエステスパークへの行き方を尋ねる。ツーリストインフォメーションセンターは僕の心強い現地拠点だ。僕にとっては唯一の仲間だと言ってもいい。窓口へと歩み寄る足取りも軽く、僕は親しみを込めて朝の挨拶をした。
それ程便利な交通手段があることは期待してはいなかったが、ガイドブックにはシャトルバスがあると載っていた。まぁ、このぐらいの都会だからシャトルバスはあって当然で、それより悪い方法もないだろう。僕がここに来たのはシャトルバスよりも都合の良い方法を聞きたかったからなのだ。しかし、そんな僕に浴びせられた言葉はNO!の連続だった。
意外にも、シャトルバスはないよ、と言われる。窓口の人が代案として引っ張りだしてきたのは、エステスパークにあるユースホステルの送迎バンだった。そのユースホステルに泊まることを条件に、送迎を片道20ドルで引き受けているという。だが、それは僕の方からNOと言わざるを得ない案だ。エスエスパークはゲートウェイシティだから、そこに泊まる必要性はない。
ロッキーマウンテン国立公園のためにわざわざここまで来たのだから、イエローストーンでせしめたあの味をここでも浴びる程堪能したい。レンタカーは年齢的に不可能なのだから、シャトルバスがないとツアーしか選択肢がなくなってしまう。それは困る。ツアーは嫌だ。
――参った。また問題だらけだ。こんな時に何もできない己の無力さが辛い。とりあえず差し出されたツアーのパンフレットを片手に、ひとまずインフォメーションセンターを出る。他の場所で情報収集をして態勢を整えよう。
このデンバーには造幣局なんていう珍しいものがあるので行ってみることにした。しかし入口は閉まっていて、再開は9月2日からという案内がかかっている。デンバーに来たついでに寄ってみたかった場所だったが、大自然の冒険家があと2日もこんな都会に留まっている訳がない。僕はきっぱりと諦らめて歩き出したのだが、意外にもこの造幣局とはその後も縁があった。
造幣局がある一帯に市内の見学スポットがまとまっていたが、まだ見学できる時間でもなく、僕はぶらぶらと歩いていた。しばらくそうしていると、この街でまず初めての美しいものを見つけた。ソルトレイクシティのユタ州議事堂と似た外貌で、頭の天辺が金ピカに光っているのが特徴だ。コロラド州の州議事堂だ。
中へ入ろうと階段を上がっていると、途中でONE MILE ABOVE SEA LEVELと書かれた段に気が付いた。デンバーはMile High Cityと呼ばれ、標高1,600mの高地にある。わざわざ丁度標高1マイルの場所に州の議事堂を建てるだなんて粋な計らいだと思う。単純なことだが、これだけでなんだか楽しい気分になる。
ここでも議事堂の中を案内してくれるツアーがあったが、きっと参加してもほとんど分からないだろうと思ったので自分自身で探検することにした。内装は大理石でできており、1階から3階までの吹き抜けがあるなど優雅な造りだ。ヨーロッパ式かアメリカ式か、僕には良く分からないがとにかくよくある白人文化だ。一人で見ても何が何だかさっぱり分からず、僕はすぐに外に出た。
議事堂の天辺のドームを覆う金色が見事なのだが、これはデンバーがかつて華々しい金鉱の都市であった時代に、鉱山業者が寄贈した7kgのコロラド産の金でできているものだ。ユタ州議事堂といい、このコロラド州議事堂といい、都市にも美の心が取り込まれている。僕はこういう所を尊敬するのだ。大勢の人が生きる場所こそ美しくあって欲しい。その点、東京はまだまだ世界的に遅れをとっているなぁ。
このユタ州議事堂は周りの環境がまた素晴らしい。正面入口に立って外へ目を向けると、前一直線に緑の公園や銅像、清潔な建物が並ぶ。この正面の建物がデンバー市の市役所というのだから驚きだ。愚鈍な僕からはどう見たって、美術館にしか見えない。
上手く表現できないが、この街には詩の心が溢れている。都市の中に散りばめられた詩の心は人の安らぎとなってくれるものだ。都会の生活の忙しさにつぶされないために、心の余裕は欠かせない。また、このように沢山の人が暮らす都会にこそ、人の心を安らげる詩の心が絶対に必要なのだ。州の中心、都市の中心機関がその必要とされているものの一端を担っているというのがなんとも理想的だ。
その後、16th Streetを走っている無料バスでガイドブックに載っていたユースホステルの近くまで移動した。この16th Streetも、無料バス以外の車の通行が禁止されている所は見事だ。そうだ、都会のメインロードは車が走るためではなく人が歩く方ためのものだ。
バスストップから5~6ブロック歩き、少しうらぶれた場所にあるユースホステルへ今夜の身の安全を確保しに行った。1階の受付でお願いすると非会員は1泊シーツ付きで16ドルだった。2階の部屋に入ると誰もいなかったが、先客たちの荷物がある。他の人がいるユースホステルは初めてだ。
自分の荷物を置くとすぐさま外へ出て、グレイハウンドのディーポに逆戻りした。ディーポとユースホステルは歩いて10分ぐらいの好位置にあった。まずは次の目的地であるエルパソ行きのバスの時間をメモ帳に書き留める。次にディーポの電話ボックスからグレイラインツアーに電話する。イエローページで見る限り、レンタルバイクの店はデンバーにあるし、イエローストーンの時のように公園の入口付近までマウンテンバイクごと連れていってくれれば僕は冒険ができる。
グレイラインツアーのオペレーターにマウンテンバイクごと公園入口まで連れて行ってくれるかどうかを聞いてみるが、そうも上手くゆかず、交渉の結果はNOだった。さぁ、どうするか。いよいよ残された方法は限られてきた。ぶつぶつ考えつつ、荷物をコインロッカーから出してユースホステルの部屋に運び入れる。
部屋でバスマップを開き、グレイハウンドを使ってどこまでロッキーマウンテン国立公園に近付くことができるかを確認する。どうやら、割合近くのLovelandという町まで便があるみたいだ。僕に今あるのは、全てツアーか、それとも近くの町から全てマウンテンバイクか、その両極端の方法のどちらかだと思った。
ツアーで妥協はできない。それならば次は、マウンテンバイクをバスに積み込むための方法確認とマウンテンバイクのレンタルショップを確認しよう。またまたディーポへ行ってスケジュールを見ると、残念ながらLovelandへの便は平日しかなかった。そうだ、明日が土曜日だった。こうして冒険旅行をしていると曜日の感覚なんて全くない。土日は便があってもBoulderという、有名スポーツ選手が高地合宿をすることで知られる町までだ。それでもこのデンバーから直接行くのよりは随分近くなる。あぁ、これはBoulderから長い長いマウンテンバイクの冒険旅行になるのか、と想像した。ただ、それは余りに下策だ。いっそロッキーマウンテン国立公園はツアーでさっさと周ってしまい、他の冒険地で時間を割く方が賢いと言える。現時点ではALL BY MYSELFで冒険するために、ある程度の妥協ができる案がない。
迷い子になった僕は、再びツーリストインフォメーションセンターへと足を運んでいた。まだもう少しはまともな方法があるはずではないだろうか。そういう予感がして、最後の期待に望みをつなごうとする。Boulderからのマウンテンバイクも、デンバーからのツアーも共にかなりの無駄がある。僕の理想に叶うような上策はないにしても、きっと中策はあるはずだ。これは見習い冒険家の勘だ。まだ始まったばかりとはいえ、この10日の冒険旅行で体得したものが僕にそう訴えてくる。さぁ、ツーリストインフォメーションセンター!あなたが僕の味方ならばそのための方法を僕に示してくれ。
ガイドブックにはロッキーマウンテン国立公園のお膝元であるエステスパークまでのシャトルバスを出している会社があると載っていた。朝聞いた時は、そんな都合の良いものはないと言われた。確かにその番号をダイヤルしても、現在使用されてはいませんというメッセージが流れる。つぶれてしまったのだろうと諦らめてはいたが、この状況では諦らめがつかなくなってきた。僕はまだ全ての可能性を試してはいない。そう、ここは再度ツーリストインフォメーションセンターの人にこのツアー会社の名前をぶつけてみよう。それが駄目でも、もう一度何らかの方法を聞き出してみよう。これが僕の繰り出す最後の攻撃だ。これでも駄目なら、両極端の2案のどちらかを取ろう。
結果は簡単に出た。ツアー会社名を挙げて聞いてみると、ガイドブックとは違う電話番号を教えてくれた。今朝は僕の未熟な英語力が災いしたのか、それとも今朝聞いた人の知識が乏しかったのか。とにかく、首の皮一枚で先がつながったようだ。
すぐに電話をすると、結構ムカつくヤツが出やがってさ、こちらの英語事情を理解せずに、一方的にしゃべってしゃべって、しゃべりまくった。市内通話で3ドルも使うぐらいかなり長くかかったよ。
それはともかく、これで送迎の予約が取れた。明日の朝8時45分にこのインフォメーションセンターの前で送迎バンが僕をピックアップしてくれる。エステスパークという町はロッキーマウンテンのゲートシティだから、そこでレンタルバイクを借りて一気に冒険だ。
よし、これでようやく自分の進むべき道が決まったぞ。ロッキーマウンテン国立公園を冒険する具体的な方法が見えてきた。あぁ~安心したよ。いつだって根無し草の、宛先不明の冒険人にははっきりとした進むべき道が必要だ。止まっていた歯車がこれで動き出す。
足取りも軽くなり、僕は適当に市内を歩き出した。すると偶然、ここデンバーで1年に1回開かれるというワールドフードマーケット会場に着いていた。街のど真ん中の公園で開かれていて、店も人でも多くかなり大きいイベントだ。心が開放的になっていた僕は大金5ドルをはたいてクーポンを9枚買った。各国料理の屋台で、それぞれの料理に決められた枚数のクーポンを出し、注文をする。珍しくお気楽観光旅行気分になり、楽しみながら参加することにした。
今の自分にはこういう平和で幸せなことは似合わないと知っている。だが、色々な雰囲気を味わうことで僕の想像力は掻き立てられるだろう。どんなものだろうと、例え今の自分には眩しいものだろうとも、自分になかったものに触れることができれば、必ずそれは自分自分の血となり肉となる。ひと時のすれ違いでも、未知の感動に出逢うことは見習い冒険旅行家がするべき修行だ。
中華料理のチャーハンに5枚を使い、インド料理のカレーに残りの4枚を使った。どうも米にしか手が出ない。いつもサンドウィッチやハンバーガーしか食べていないが、僕が一番好きなのはやはり米だよ。チャーハンもカレーもとても美味しかった。量が少ないので、大金5ドルも出したのにお腹一杯にはならなかったが、久しぶりの米にありつけたので善しとするか。
色々な店がテントを構えていたので冷やかしてみたり、広場でロックの生演奏をやっていたので足を止めて聴いていたりしていた。高地の暑い陽射しを受けて、公園中が眩しく輝いている。園内にいる人たちが、生きることの喜びを満喫しているのが僕には確かに見えた。
楽し気なパーティーから離れ、公園のすぐ横にあるデンバー美術館に足を運んだ。ネイティブアメリカンアートが豊富にコレクションされていることで知られる美術館だ。自然の美しさを愛でる目的の冒険旅行にも、街にある美しさを楽しむ心は必要だろう。
そもそも美しいものには枠などなく、美という共通な感性だけが世界を動かす。美術館なんて普通の暮らしをしている時はまず行かないものだが、今の僕の目からなら何かがとびっきり美しく映るのかもしれない。冒険旅行が今、僕の芸術的な感性を特別鋭くしているのだから。
ネイティブアメリカンのアートに、どこか日本の匂いを嗅ぎ取っていたのは当たり前なことだ。祖先は同じなのだからね。宝石から食器まで、ネイティブアメリカンの日常生活が切り取られ館内に貼り付けてあったが、そういう現実的なものにはなかなか僕の目は興味を示さない。トーテムポールなんてあったりしたが、こういうやや非現実的なものにこそ興味があるようだ。それはきっと誰も同じなのだろう、トーテムポールの場所には沢山の人がいた。
日本の鎧兜などもあった。浮世絵や、書道の展示物もあった。日本コーナーを歩きながら思っていたが、こういう日本の伝統のものは外国人の目にどう映っているのだろうね。僕も一度ぐらい全くの外国人の目から見てみたい。日本のものは世界から見ればどのような位置付けにあるのかが知りたい。これは、自分自身が歩く姿を第三者の目から観察してみたい、という願望と同じだ。有り得そうで決して有り得ない想像上のお話。このゆめはいつか叶うのだろうか。
一通り館内を見て周ったが、一目惚れをするようなものには出逢うことができなかった。美術館を出る頃には、もう他の博物館や観光名所も閉まっている時間になっていた。さっきの公園をブラブラと歩けば、マーケットも店じまいを始めていた。
僕は当てもなく街の中心へ戻り、お腹が空いていたのでSubwayのフットロングサイズのツナサンドウィッチをレモネードで流し込んだ。サンドウイッチはハーフサイズではなく、丸々ひとつのフルサイズだからお腹一杯になった。
Subwayを出ると、途方に暮れた。街へ遊びに出るにも金はないし、何より興味がない。今夜はユースホステルに戻って久しぶりのシャワーをゆっくりと浴び、明日の準備をしようか。
お腹も膨らませたし、明日からの目標も見つけたし、今日は上々の出来だ。今日の成果に満足して、僕はユースホステルへと帰る。あぁ、帰る場所があるのは、本当に幸せだ。自分は何処かに属しているのだという実感は、毎日を生きる上での重い心の支えとなる。このALL BY MYSELFの冒険旅行ではそれを幾度となく痛感してきた。
同室は日本からの旅行者だったので情報交換をした。彼はアメリカのことを知りたがっていたので、僕の知っている限りのことを話してあげた。僕は彼から最近の日本のことについての最新情報を引っ張り出そうとしていた。日本に帰った時に浦島太郎になっているのは辛いからね。
思いっ切り日本語を発音するのは快感だった。英語では語学力の不充分さがあり、自分の言いたいことを全部吐き出せなくてストレスが溜まる。人間の生理的な欲求のひとつに母国語欲という項目を付け加えるのも悪くはない。そんなことを僕は真剣に思っていた。
ユースホステルの1階は受付とコインランドリーを兼ねていたので、僕は初めてアメリカのコインランドリーに挑戦してみた。わずか75¢で洗濯と乾燥ができる。機械は楽だな~。冒険が始まって以来、石鹸でゴシゴシと手洗いばかりしてきた僕にとって、洗濯機と乾燥機がハイテクに思えた。余りに回ってくれる機械が楽しかったので、着ているもの以外全部の服を洗濯機に投げ込んでいた。
洗濯が終わると、次は6日ぶり(!)のシャワーだ。先週の金曜日にウエストイエローストーンのユースホステルで浴びて以来だった。キャンプ場でも水浴びはしていたけどね、これだけ洗っていないと髪の毛はがちがちになっている。こびりついた汚れを根こそぎ洗い流すように念入りに身体中を磨いた。毎日あることだから気付かなかったよ!身体を洗うことも生活の喜びなのだ。当たり前のことを当たり前と思うこと。この冒険旅行ではそれも大切な勉強だと思うことにしよう。
既にツーリストインフォメーションセンターから心はさっぱりしていたが、シャワーを浴びて身体もさっぱりさせて部屋に戻ると、更に別の日本人宿泊客が二人増えていた。その二人連れと情報交換をしているとさっきのヒカルさんという人が戻って来て、僕越しに三人で驚き合うではないか。嬉しそうに騒ぐ三人。聞いてみると、なんでも三人はシカゴのユースホステルで一緒だったという。ヒカルさんと彼ら二人はシカゴからは別々に行動していたのに、このデンバーで偶然の再会となったというのだ。
それは面白いね。小説や映画ではありそうだが、実際に起こるものなのだな。貧乏旅行をしている者同士だからこそ起こったのだろう。そんなのも貧乏旅行のひとつの醍醐味に思えてきた。出発以来ほとんど誰とも口を利かずに冒険旅行を続けてきた僕の目には、その人たちが羨ましく映ったのだった。
夜になり、四人の冒険話は盛り上がっていた。近くのスーパーマーケットでビールを買い込んできて、ユースホステルの部屋で乾杯!今夜限りの知り合いなのに、アメリカ旅行の話から日本の話まで全員の口は止まる所を知らない。ビールを飲みながら四人は語って語って、笑い転げていた。ユースホステルでの楽しい夜。それが冒険旅行の一部であったことに間違いはない。
二人組みの片方が僕に帽子を差し出し、何かメッセージを書いて下さいと言う。帽子を見ると、幾つものメッセージが所狭しと書かれている。あぁ、あなたはあなたの冒険でこれだけの人たちと出逢ったのか。そしてあなたは、その出逢った人たちからそれぞれのメッセージを帽子に残してもらったのだね。あなたの冒険旅行の主役はこの帽子なのだろう。それならば僕も本気のメッセージを残しましょう。これはこちらからお願いしたいぐらいだよ、是非僕にも残させて下さい!
――一生心に残る旅がいい。
僕が贈ったそんな言葉を標高1マイルの街に溶け込ませ、デンバーでの暑い夜は愉快な笑い声に更けてゆく。