埼玉県の有名な城「忍城〜おしじょう」にはたまらない歴史ロマンがある。
あの石田三成が水攻めしたけど落城させられなかった堅城、北条攻めで唯一負けずに、
先に小田原城が開城したので、忍城もやむなく開城した。
高麗門から入ろうとして、もうなんだか雰囲気を感じた。
成田氏は無能な城主?というのぼうの城イメージにのまれていたが、忍城は巨大な平城。
その統治者が無能(のぼう)のはずがない。
御三階櫓が天守閣代わりの忍城、東門水堀から見上げるとミニサイズだけど、立派なお城ね。
花手水はお見事でした、春の美しい色。
本来の忍城の水堀はこの何十倍もの規模だったのかな。
土塁と鉄砲狭間が素晴らしかった。
忍城ジオラマ、こういう水城だったのだろう、湿地帯の中にこんなのがあったら攻めにくい。
本丸土塁の保存状態が良かった、きっと当時はもっと急角度だったのでしょうが。
城代になった成田長親が無能なはずがない、いくら家臣が優れていたとしても、大将に選ばれたものはそれなりだったはず。
まぁそのあたり、のぼうの城のエンターテインメントとして、無能な成田長親像が生まれたのかな。
水城公園、こうした水路に囲まれていたのでしょう、当時の忍城は。
水城っぽいお城キャラクターがいました。
忍城から3km離れたさきたま古墳公園にある「丸墓山古墳」、ここも歴史の名シーン?を思い浮かべる場所。
あの忍城水攻めの際、この古墳の上に石田三成が陣取って、堤防が決壊する様、水攻めが行われる様を見ていたと伝えられる。
古墳に上がってみると確かに場所はうってつけの丘の上、周囲を一望できる。
この景色、僕は石田三成と同じものを見ているの?
赤丸の中心に忍城が見える、水堀の城、湿地帯の田畑、当時はそんな感じだったの?
真ん中上の小高い丘が丸墓山古墳、桜の名所でもある、石田三成ゆかりの場所でもある。
桜の前に咲く菜の花の色。
場所を移って、今も残っている石田堤が見れる石田堤碑へ。
写真ではなかなか伝われないけど、肉眼で見る石田堤ははっきりと姿を留めていた。
普通の丘ではない、あの忍城水攻めから今まで続く形ならば、ちょっとした敬意さえ払いたくなる。