2020年11月22日
京都で紅葉撮影と思い立った私、最初の撮影スポットとして選んだのは常寂光寺。
そこに迷う余地がなかったということが、常寂光寺=京都最高の紅葉スポットという私の基準を示している。
写真技術がまだ未熟だった頃から幾度か訪れている常寂光寺、
今日この時の写真で納得だね、NIKON D850とNIKKOR 58mm f/1.4G単焦点レンズの画質。
例年よりも1週間早かった2020年秋の紅葉、11月22日でもピーク中のピークをやや降りかけたタイミング。
紅葉のバリエーションと呼べば良いのか、紅葉をテーマにした常寂光寺の幾つもの表情がそれぞれ美しい。
紅葉だけではなくて、そこに和風のエッセンスを含めることができるのが常寂光寺。
正しく言えば、常寂光寺が紅葉撮影スポットであったのはもう何十年も前からのこと。
私の美的センスとか写真撮影スキルがようやく常寂光寺に追いついてきたのが今。
竹林と紅葉なんて、なんて意図的に創られた美しき被写体なのだろう。
嵯峨の奥まったところにある常寂光寺、朝9時のオープンと共に多くの訪問者があった。
常寂光寺の丘の頂上・展望台から、京都嵯峨の町並みを望む。
鐘楼付近では黄色が圧巻、落ちた銀杏が紅葉と混じって黄色と赤色で。
オーソドックスな赤色もみじは、逆光気味に撮ると映える。
光線が弱く、フラットに撮れる場所を選びながらオレンジ紅葉と竹を撮る。
1時間少々、他の何事も考えることなく、常寂光寺の紅葉だけに無心になった時間。
苔の名所でもある常寂光寺、落ち葉に彩られて。
初対面で惚れた常寂光寺の紅葉、何度訪れても裏切られることはなく、むしろ都度圧倒されるよ。
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「常寂光寺の紅葉」動画を、YouTubeにあげました!
2021年11月20日
こんな日もあるさ、この日はまだ紅葉は若かった、早かった。
いつも朝一番に常寂光寺の紅葉へ会いに行くのに、この日はお昼、どうやら光の具合もいまいち。
それでも美しいことに違いはないのだが、どうも満足がいかない写真ばかりに。
だからページのトップに飾ることはなくて、その下に埋もれさせてしまう。
もう十数年は愛しんでいる常寂光寺の紅葉、気持ちが焦って1週間早く来てしまったか。
それと、この日は動画撮影メインだったから、静止画はあまり撮れなかったな、だから傑作が少ないだけ?
常寂光寺の一番高いところから、比叡山と京都の街を眺める。
また数年後に訪れよう、タイミングを見計らって、もう間違いが起こらないように、僕は常寂光寺の紅葉の名人なんだから。
僕が一眼レフを持つ前、2007-2008頃なのかな、初めてみた常寂光寺の紅葉には強い驚きがあった。
あの日の感動を、自分で撮る写真で再現しようと常寂光寺の紅葉を訪れる僕、また来てしまうのでしょう。
2014年11月撮影
常寂光寺の紅葉に心底惚れている。
京都の紅葉はどこも素晴らしいけれど、常寂光寺ほどの輝きを私は知らない。
初めて訪れた2006年の秋、その時のビッグインパクトを今でも覚えている。
今まで知っている紅葉のレベルをケタ違いに越えていってくれた常寂光寺。
デジタル一眼レフカメラ(D90)を買ったら、紅葉は真っ先に常寂光寺を撮った。
フルサイズ一眼(D800)を買った今年、紅葉は真っ先に常寂光寺を撮りたくなって来てしまった。
写真が雄弁に語ってくれているけど、紅葉の豊富な色は圧巻。
緑の苔も、地面に敷き詰められた赤と黄色の葉も、青竹の色も美しさは言葉にできない。
釣鐘付近の紅葉の色づき具合が、常寂光寺の最大値なのではないか。
そう、初めて鐘楼付近の紅葉を見たときは衝撃だったよ。
「燃え上がる」という言葉がこれほどぴたりとくる現実があったから。
この紅葉の色付きは、今も昔も変わらないものなのだろう。
私が愛する今昔物語集や万葉集の時代の人が見たものと、大きくは変わっていないのだろう。
現代ならではのデジタル一眼レフを持っている僕だけど、
平安時代の人が美しいと思った景色や美意識が現代の私にも共通していると考えると嬉しい。
常寂光寺をNIKON D800で撮ることができて、私は心の焦りが一気に消し飛んだ気がした。
常寂光寺の感動を写真に永久保存だ、それが常寂光寺への私の恩返し。
夢中で、片時も飽きるときなく、私は常寂光寺を撮り続けた。
光栄の限り、私のカメラ表現の最高舞台の一つ。
何度でも言おう、京都には東福寺など紅葉の名刹は数あれど、常寂光寺はそのトップクラス。
特別に有名なお寺ってわけではないけど、私の中では京都最高の紅葉名所。
秋にね、「京都」と「紅葉」の2つの言葉を重ねた時、真っ先に想うのは常寂光寺のこと。
「じょうじゃこうじ」と読むことさえ知らなかったのに、今は甘美に聞こえる。
2006年の秋、初めて常寂光寺の紅葉を見たときは感動したよ、色彩の豊富さと集中具合に。
2009年、一眼レフ NIKON D90を買った僕、秋には迷うことなく常寂光寺の紅葉再訪問していた。
2013年、フルサイズ一眼レフ NIKON D800にアップグレードした僕、秋には躊躇せず常寂光寺の紅葉を撮っていた。
京都の紅葉名所を両親に見せようとプランニングしていた時、当然ながら行先に加えた常寂光寺。
これからも節目には常寂光寺に来てしまうかもしれない、良いレンズを買う度に撮りに来てしまうかもしれない。
もう1つの京都の紅葉名所・東福寺との違いは境内の広さ狭さでしょうか、常寂光寺は隠れ家サイズ。
秋、紅葉、そんなイメージを思い浮かべる時、僕の心の中には常寂光寺の画像がある。それは宝物ね。
季節も距離も時間も超越して、常寂光寺の紅葉が僕の生きてきた道を飾ってくれている。主に黄・赤・緑の三色で。
2010年撮影
常寂光寺の桜写真
常寂光寺を紅葉の時に訪れて、私はえらく感動した
「燃えるような紅葉」と書くのは簡単だが、本当に燃えるような常寂光寺の紅葉だったんだ
それで桜の時期はどうかと、古い恋の相手に逢うような気持で、常寂光寺を再訪した
大きな枝垂れ桜が一本
美しいけど、常寂光寺と絡まって美を増幅させているわけではなく、桜は桜で美しい
常寂光寺を歩きまわってみて気がついたよ、常寂光寺は紅葉の時期に訪れよう
ここは桜の名所ではないよ、紅葉は京都一だけど、桜の時期じゃ普通のお寺だから
美は、美のときに訪れよう
いつも美しいわけじゃないもんね、それぞれ事情あるし
悪い桜ではないのだが、あの紅葉と比べれば、桜の季節の常寂光寺、魅力はやや落ちる