ベアレイク・グレイシアゴージ、見習い芸術家の冒険10話

91日(日)

  情けないことだが、昨夜は寝袋の中で後悔の念に悩まされ続けていた。昨日一日の内容が、ツアーで来た方が明らかにマシだと思えるものだったからだ。明日こそ、明日こそはこの半端な気持ちを鎮めるだけの成果を必ず掴み取ろう、と繰り返して眠りに就いた。

  今日は母の誕生日だ。特に何をするという予定はないが、忘れているのではない。心の中ではしっかりお祝いをしているよ。

  7時に起きると随分寒い。そうだよね、ここはロッキー山脈だ。国立公園とは、高層マンションの近くにある箱庭のような公園のことを差す言葉ではない。ここは大自然のど真ん中だ。ましてや今は標高2,500mの地点にいる。日中の暑さも大したものだが、朝晩の冷え込み方も厳しい。昼の気温だけを考えて野宿でも大丈夫、と判断しようものならとんでもないことになってしまう。

  余りに寒いので携帯ストーブに火をつけて手をかざし、暖を取っていた。ついでに昨夜の残りのクラムチャクダーを温めていると、火が消えた。ガスが無くなったのだ。これはまずい!寝ぼけた頭で猛烈に抗議したが、やる気をなくしたガスタンクはさっぱり色いい返事をくれずに黙ってしまう。あぁ、これは大失敗だ!ガスの補充を怠るだなんてキャンパー失格だろう!

  これは自分自身のミスだし、別に他の人に迷惑をかける訳でもないから自分さえ納得すればいい。朝食は諦めた。大丈夫、キャンプ場には必ず薪が売られているから、携帯ストーブがなくても困りはしない。昨夜の1泊でだいぶ軽くなった荷物を積み、すぐさま出発することにした。

真っ先に目指すのは今夜分の予約が入っているモレーンパークキャンプ場だ。その基地に荷物を積み込んだ後からが、本格的なロッキーマウンテン国立公園の大冒険開始だ。とっとと移動を終わらせて、今日の冒険目的地であるベアレイクという山上の湖を目指したい。

  お腹が空いていることをどうやって忘れよう。これは大きな問題だ。疲れている時、飽きた時、お腹が空いた時。どんな時でも、音楽さえ流せば集中力が蘇るのが僕だ。音楽は僕から普段の力以上のものを引き出してくれる。なんと頼もしい友達なのだろう。

音楽に合わせて踊るようにペダルを漕ぐ。今の苦しさを忘れる暗示を自分自身にかけ、無理矢理潜在能力を引っ張り出すのだ。僕はこの切り札をイエローストーンで覚えた。

僕は朝一番から切り札を投入した。それ程この登り坂は厳しい。それもそうだ。改めて事実を整理するが、このロッキーマウンテン国立公園は標高2,500m以上にあるのだ。この標高では空気は結構薄くなっていて、その分運動するのが辛い。普通の山道に大荷物を抱えてマウンテンバイクを漕ぐ以上の見えない敵が僕を迎え撃っている。

今朝の僕は相当ツイていないらしい!ヘッドフォンステレオがまともに働いてくれないのだ。いじくっていると、完全に動きが止まってしまった。あぁ、この心強い味方までもが戦線を離脱してしまうのか。これで僕は本当に自分自身の力だけで冒険をしなくてはならなくなった。

  入園ゲートで3ドルを支払い、ロッキーマウンテン国立公園に入る。ここのチケットも1週間有効で、何度も出入りできるものだった。まだまだ登り坂は続くと思ったが、ゲートを過ぎるとすぐに下り坂になり、その後も平坦な道が続いてくれた。キャンプ場を出発した直後は厳しかったが、結局は40分足らずでモレーンパークキャンプ場の看板が見えてきた。   

入口のレンジャーに予約番号を伝え、予約が入っていることの確認を取る。こちらの意志を伝えづらい電話をしてまで前もって予約を取っておいた甲斐があった。朝からとてもスムーズに今晩の保証を手に入れられたことに大満足だ。

  昨夜で少し減ったとはいえ、荷物の重さはそれでも大したものだった。今朝の40分間で体力の一部が確実に削り取られていた。あと少し、あとほんの少しだと言い聞かせてレンジャーから伝えられた自分のサイトの番号を探す。

入口にあった大きな木製の地図に従ってサイトを探しているのだが、このキャンプ場は広過ぎる。入口からサイトまでは更に道をかなり進まなくてはならない。キャンプ場という目的地にたどり着いたことで気が緩んでしまった僕に次なる敵が容赦なく待ち構えていた。

楽になれる、ここだけ頑張れば楽になれるよ、と言い聞かせて最後の力を発揮した。ようやくのことで自分のサイトを見つけることができた時には、思わずピクニックデスクに全部の荷物を投げ打って、意味ならない言葉を思わず叫んでいた。――ヴァァァァ!!!

  疲れていたが、それ以上に時間が惜しい。それ程ここで休んでいかなくても身体は大丈夫ということが分かる。ここで落ち着くことよりも、今日一日分の感動を求める気持ちの方が僕の中では大きいのだ。

なにせ2日間も焦らされたロッキーマウンテン国立公園だ。冒険に時間を費やしたい。僕は早々とテントを張り、風が強いからテントの端に重しの石を一杯乗せた。置いていく荷物と持って行く荷物を手際良く分け、すぐさま出かけることにした。

  おぉ、荷物が軽いよ~っ!荷物を積んでいないマウンテンバイクは絹のような軽さだ。これは行ける、これなら僕はどんな所にでも行けるぞ!マウンテンバイクは川が流れるが如く、滑らかに僕を運んでゆく。こんな時は大声で笑いたくなる!さっきは叫んだが、今後は狂ったように笑いながら、キャンプ場を猛スピードで出発した。

  さて、目指すは今日の冒険の地であるベアレイク。モレーンパークからベアレイクへと続く一本道のベアレイクロードは、地図で見る限り相当の登り坂になっている。エステスパークからずっと登り坂だ。輝かしい冒険の時間を享受する前に、大きな壁を乗り越えなくてはならない。

これまでデンバーとロッキーマウンテン国立公園ではなかなか素直に冒険をさせてもらえていない。それもあと少し、これが本当に最後だ。求めている栄光の時間は必ず僕に与えられるはずだ。さぁ、いよいよ最後の関門だ。今はただ無心でこの登り坂をクリアしようではないか。大丈夫、あれだけの荷物を背負ってここまで登ってくることができた気力・体力をもってすれば、僕は何だってできる。

  ペダルを漕げなくなる程の坂ではないのだが、永遠と続く登り坂には閉口した。これまた切れ目がない。公園入口までの坂と比べると、明らかに角度もレベルアップしている。荷物はない分を差し引いても、同じぐらいの苦しみだ。

一向に楽にならないロッキーマウンテンの仕打ちに逆ギレしかけた僕は、あぁ~帰り道が楽しみだね~と強気に笑い飛ばしてしまうぐらいまでになっていた。しつこい登り坂に間もなく僕は完全に逆ギレしたようで、俺様に限界がない所を見せてやるゼ!という粘り強い意志を持ってペダルを乱暴に踏み付けていた。

この道は冒険旅行における僕の本気を試している。きっとゴールは何処にもない。何がゴールとなるのか。それは、僕が己の心を強く持つことができた時に違いない。ゴールはすぐそこにあるが、同時に永遠に現れない存在でもある。僕が腹を決めれば、その時初めて頂上が姿を現わす。――僕は何があってもペダルを漕ぐ足を止めることはないだろう。今の僕にとって、この足を止めることはすなわち自分自身の将来を閉ざすことを意味するのだ。できる訳がない。

  我武者羅に走っていても、僕の風流を愛する心は止まっていない。数十分間一息に登り続けた後、身体を休めるためにマウンテンバイクを止めた。僕を誘うかのように、道端に平べったい大きな岩が横たわっていたのでつい足が止まったのだ。フラフラと近寄り、岩の上に座り込む。水分を補給し、ふと周りを見渡すと、素晴らしい美がそこにはあった。

  ――それはデンバーからの胸のつかえが、すっかりクリアになる程の美しさだった。遠くにそびえる山々の天辺には、夏でも少量の残雪が白く輝いている。山肌は緑がかかっていなく、怒りがちな褐色に染まっている。辺り一帯を埋めるのは森が見せる緑色。空に向けて視界を遮るものなど何も無く、空はひたすら青色だ。風の匂い。身体から流れる汗の気持ち良さ。まだ落ち着かない僕の息遣いもそれは整ったリズムに聞えてくる。なんて自然な景色だろう!人間という動物の僕が、動物の本能的な部分で感じた心地の良さ。僕は一匹の野性動物として、この景色に美を共感している!

  夢想に耽る僕の脇を、車が走り抜けてゆく。僕の取っている行動は普通の生活からみればさぞかし突飛なものであろう。きっと、車に乗っている人たちから見ればこの僕の存在は公園内に住む自然動物のように見えているのではないか。もう少し言えば、彼らから見ればあの大自然の偉人の一人に思われているのかもしれないのだ。なんとも光栄なことだ。他の方法ではありつけない栄光を、このマウンテンバイクが僕に運んでくれる。それならばどんなに辛い坂道だろうとも僕の足は疲れを忘れる。意志ある所に道は開けるというが、本当に、どんな方法だろうともやる気さえあれば目的は達することができるのだ。この道を、どこまでも進む本気の覚悟が僕にはある。

  結局どのくらいペダルを漕ぎ続けただろう。キャンプ場を出てから1時間半は耐えたのだと思う。標高約2,500mのモレーンパークから2,842mのベアレイクまでを僕は完走した。最後の最後に最も厳しい急勾配の登りのコーナーが続いたが、それでも僕は登り続けた。対向車線をすれ違う車から注がれる眼差しが熱かった。この僕を見て、まるっきり偉人を発見した時の目をしていたのだ。その熱狂的なファンたちの熱い声援で、疲れも吹き飛んでしまう程だった。期待されている以上は僕だって頑張らなくてはいけない。

  遂にベアレイクの駐車場が見えてきた。休む間もなく、バイクから降りると息せき切って歩き出す僕。疲れなんて歩いている内に回復してくるさ。それよりも遅れていた冒険旅行を満喫したい。別にここまで登ってくることがゴールではなく、この後の冒険のためだけに今までをしてきたのだ。

  歩き出すとすぐ幾人かに声を掛けられた。僕は驚いた。彼らは僕を賞賛するためにわざわざ近寄ってきてくれたのだ。「よくやったな!」「どこから登ってきた?」などと聞いてきて、敬意を含んだ眼差しで僕を見るのだ。「いやいや、モレーンキャンプ場からだから大したことはないよっ!」と、適当に謙遜をして流したが、そういえば昨日今日で標高2,000mのエステスパークからここまで、約842mの標高差を走破したことになる。

今回の冒険旅行のことを最初から話せば立派な冒険譚としてみんなに楽しんでもらうこともできるのだが、自分の心の細かい動きまで英語で説明できる自信はない。そして、今は余り人間たちと話すことに積極的になれない僕はここに長居することを潔しとしなかった。僕は会話を打ち切り、先へ歩く。もしも僕が社交的な性格だったら、ここで新しい世界を見つけることができたかもしれないが、今はそこまで望まない。

ところで、みんなは勘違いをしている。イエローストーンに続いて繰り返すが、僕は自ら望んでマウンテンバイクにした訳ではない。仕方なしに、マウンテンバイクを選ばざるを得なかっただけなんだよ。あっ、でもやったのは同じことか。

  ――この時には思わなかったこと。今振り返れば、この時僕を称えるために話し掛けてくれた人たちこそが立派な人間だと分かる。どうしてあの人たちは他人の偉業を言葉として褒め称える行動が素直に取れたのか。もしも僕が逆の立場だったら、直接的に褒め称えることをしたいがそれができずに、遠くから見て自分の記憶に留める間接的な賞賛方法を取ったと思う。僕のように躊躇が多く、人を称えるのに臆病な人間では直接話し掛けることはできなかっただろう。今思うのは、ああいう時は直接的な言葉を使って己の感動を素直に伝える方がずっと自然だということだ。見習い芸術家はこの時まだまだ本当に見習いで、周りにいた人たちの方が、豊かな人生経験に裏付けされた立派な方々だった。

  ベアレイクはロッキーマウンテンの山奥にひっそりと佇んでいた。それ以外に表現の仕方がない。四方を森に囲まれて静かに暮らしている湖。小さい湖ではないが、この辺りの湖のサイズと比べると小さい方に入る。こんな場所に自ら好んで住みついた湖だ、きっと独特の時間の流れを持っているのだろう。この湖を見て、僕はおしとやかな女性を想像する。品があり、優しい瞳をした、しかし余り外に出ることを好まない美人。我ながら考え方が古いが、深窓の美人にしかイメージが重ならない。

  湖を一周する800mのトレッキングコースを歩いてみる。そっと瞳を閉じて自然の音に身を委ねてみれば、耳に入ってくるのは風の音、ただそれだけ。他には自然の音がないのだ。自然の音がないのはすぐに分かったが、僕の耳には何だか別の音が聞えてくる。人間の歓声だ。風の音と比べて、人の歓声が多過ぎる。所々に入る歓声は風情を盛り立てる効果もあろうが、度を越えて多いとやや軽率だ。

このベアレイク、本来はさぞかし音のない世界なのだろう。夜や冬にはどんな世界になっていることだろうか。考えただけでも身が震える。あぁ、危険な世界だ。あぁ、甘美な世界だ。僕は今夜にでも再びここを訪れてみたいという気持ちを持ち始めている。いけない、いけない、そんなのは無理だ。熊が出るかもしれないし、真っ暗な山道は危険過ぎる。また、夜のベアレイクの神秘の世界を覗いてしまったら僕はどうなってしまうのか、保証の限りではない。駄目だ、駄目だ。変な考えは止めて先に進もう。

  リスの仲間を見つけカメラを構えると、そいつは立ち上がってカメラに応えてくれた。なんだかアニメの世界のような冗談で、思わず破顔してしまう。湖畔のベンチに座ってベアレイクの趣を楽しんでいると、警戒せずに僕の傍へ近寄って来てくれるリスがいる。僕自身も野性動物の1匹だということを、ここでも再認識した。そうだよね、ここでは僕も君も隣人同士なんだよね。

  ベアレイクを1周した後、他のトレイルへ足を伸ばすことにした。長い長い登り坂に足腰は疲れているし、朝からろくに食べていなので腹も減っているのだが、時間の貴重さを考えると足を止める訳にはいかなくなる。今日この1日に3日分の冒険が集中していると痛感しているから、僕は無理にでも闘志を奮い立たせて冒険に出る。

  自然の中を歩くことは人生の大きな喜びだ。最も原始的な快楽だと思う。19歳の今、歩くことに関して僕は他の誰よりも贅沢ができる。僕の身体は若く、十二分に働いてくれるからだ。年老いた皇帝がこの世で唯一羨ましがるものは、他に何はなくとも健康的な身体を持つ若者に違いない。そうだ、今の僕は世界中で最高の快楽を味わうことができる立場にあるのだ。

  目標をグレイシアゴージという場所に設定してみた。そこは氷河の侵食の跡が美しい峡谷だと聞く。アラスカで氷河に感動して以来、氷河という言葉にはつい引き寄せられてしまう。ここはその誘惑に従ってグレイシアゴージまでトレッキングしよう。ベアレイクからざっと5~6kmといった所だろう。どれ、僕の健脚を100%発揮できるだけの道はあるかな。

  僕は一騎当千の勢いで歩き出した。誰も追いつけない、誰も僕の前は行かせない。次から次へと前の人を抜き去って歩き続ける。

途中から別のことに驚き始めていた。実に老若男女、様々な人がトレッキングを楽しんでいるのだ。僕はこんな山奥を冒険する人は屈強な若者たちがほとんどだと思っていた。実際はそうではなく、むしろ僕のような若者が逆に珍しい。子供連れの家族や、夫婦でというパターンが大半だ。年齢も、20代だろうと思われる人が圧倒的に少ない。

山が若者たちの勉強の場所でなくて、他の何だというのだ!僕はそんな憤慨を覚える。だが、若者の姿がないことを嘆いている暇はない。猛スピードで歩く僕の眼前に次々と様々な人たちが現れてくるからだ。とにかくみんなが楽しそうに歩いている。かなり年配の方、どう見ても60~70歳と思われる夫婦までが元気に歩いている姿を見た。これには本当に驚いた。僕の狭い常識は、ことごとくこの冒険旅行で喝破される。これもそのひとつだ。

  歩いている途中で何頭もエルクを見かけた。不思議な青い鳥とか、リスだとか、動物が沢山いる。僕はひたすらペースを上げて歩いて行く。僕の目的は冒険であり、爽やかなトレッキングではない。僕には若く有能な身体を持っているというプラスのハンデキャップがあるのだから、周りの人たちと同じペースで歩いていてはいけない。素晴らしい景色と出逢ってしまった時にだけ立ち止まるが、あとはひたすらハイペースで歩き続けた。

  イエローストーン国立公園は、一概に言うのは難しくはあるが、大体が草原の国立公園だった。言わば横に広い公園だ。その点、ここロッキーマウンテンは山の国立公園で、縦にそびえ立っている。背の高い針葉樹たちがとげとげしく林立し、山の起伏の連なりは上下に美しくエスカレートしてゆく。両極端なふたつの自然を数日間に見ることができるとは僕は本当に幸せ者だ。

  標高3,000m級の山登りだというのに、僕の身体は空気の薄さを全く訴えてこない。僕の頭はここが高地であることに対して特別な認識を何も持っていないからだろうか、全くいつも通りだ。僕の足は大きな岩の道を登り、川にかかる木橋を越え、泥の水溜まりをジャンプし、僕の身体を色々な場所に連れて行ってくれる。両目が状況を見極め、頭が判断を下す。未知の感動を見つけるというただひとつの目標のために、僕の全身のパーツは実に協力的だ。

無心で歩き続ける僕の前に、グレイシアゴージという本日の冒険の場所が見えてきた。グレイシアゴージの峡谷の足元には穏やかな湖が待ち構えている。それは普通の海や河の流れとは完全に切り離されている湖。アマゾン川の三日月湖の如く、全く別の生態系を生み出しているのだろう。僕は思わず問いかける。ねぇ、あなたは井の中の蛙ですか?それともONLY ONEの輝きなのですか?下らない質問ですが、至らない僕にどうか答えて下さい!

  地図を見て分かったが、上流の湖からの水がこの湖に流れ込み、ここを通過して更に下流の湖へと続いている。この湖は自然のダムだ。停滞している水ではなかった。水が流れている証拠に、下流へと続く出口には木材が溜まっている。いずれにせよ、この湖は独自の時の流れで進化を遂げ続けている存在だ。突然変異したビーバーでもいそうな雰囲気になんだかわくわくしながら、僕はグレイシアゴージ全体の景色を楽しめる大きな岩によじ登り腰掛けた。

  グレイシアゴージは氷河が創り上げた峡谷だ。遥か昔、氷河が果てしなく果てしない時間をかけ少しずつ侵食を続けた結果、このU字型の峡谷が生まれた。この氷河のアートに費やされた時間は中途半端なものではない。

崖の部分の角度が美しい。なんとも言えぬ柔らかい線をしている。一時の勢いで削ったものではないことが分かる気がした。紙やすりでも使って完全に手作業でじっくりじっくり磨き上げた作品なのだろう。偉大な時の流れが織り成す芸術だ。

崖の天辺部分は鋸の歯のように鋭く尖っている。頂上に積もった氷河が、色々な方向にすべり落ちていった結果、こんな奇観が出来上がったのだ。なんという嬉しい偶然だろう。偶然とは、必然的に美しい結果になるものだろうか。

  全体が常に砂煙を上げているかのような色合いと、山肌のゆったりしたすべり具合がとても美しい。氷河が何を意図してこのアートを創り上げたのか、それを今の僕が思い測る術はない。間違いなく言うことができるのは、僕の想像を遥かに超える情熱が存在したということ。静かな景色だが、静かにできたものではない。今は目に見えない、かつての激しい情熱を読み取ろう。

  足を止めれば風を切る音もなくなり、心臓の動悸も普段通りに収まってくる。そこには完璧なる静けさが現れた。一端瞳を閉じ、呼吸を整え、落ち着いた心でゆっくりと目を開けば颯爽と広がるこの雄大な景色。圧倒的な感動が僕をグレイシアゴージの世界に連れ去ってくれる。心にこの景色を映せば、僕は何事に対しても謙虚な人間になってゆく。自分本来の謙虚な人間に戻ってゆく――。

  僕はノートを取り出した。僕の心がこのグレイシアゴージから読み取った何かは、次のような言葉で詠まれている。

    在野の偉人は俺の侵入に寛容だ

      そして静かな時をくれる

                                   ~グレイシア・ゴージにて~

  グレイシアゴージの風貌からは僻地に隠れた野の偉人、というイメージが浮かんでくる。何があったのかは知らないが、世間を見放してこの人里離れた山奥に移り住んだ在野の偉人。都会とは違う世界で何かの独特の人生の理を考えているのだろう。家族も友人もいない場所で、自分だけの世界を創り、そして自分だけの道を歩く。深い勇気のいる行為だと思う。

こんな場所にいるぐらいだから、余り俗世間の人間たちとは関わり合いたくないはずだ。だが、見ず知らずの僕がこうして訪れても、人間嫌いかと思った偉人は僕という人間の侵入を快く許してくれた。僕は頭が下がる思いで一杯だった。彼の広い心は、僕如きとは違う次元に到達している。

僕は推測した。ロッキーマウンテンの険しい道を越えてここへやってくる人間は、普通の人間たちと比べて良心的な部分が多いと思っているから彼は許してくれるのだろう。本当はきっとグレイシアゴージも人の真心に触れるのが好きなのだ。こんな場所に自ら旅してくる人間にはその真心の欠片があると思ってくれているのだ。人間は群れを成した時に醜さを発する生き物だ。だが、一人一人に直接話しかけてみれば決して悪い人間はいない。グレイシアゴージは群れの醜悪さを嫌っているだけで、人間個人の美は好きになってくれているに違いない。

  ここには私たちだけの穏やかな時間がある。さぁ、あなたが今考えていることを私と一緒になって先に進めようではないか。――偉人がそう優しくささやいてくれている気がした。彼は僕に静かな時をくれた。僕は彼と言葉を詠み続けた。僕とこの偉人の共演は無言の中でしばらく続いた。お互いの善性を開放しながら、互いの疑問に影響されながら僕たちは話し合った。

ここでの静かな時間は、僕に謙虚であることの美しさを強く教えてくれた。そんなかけがえのない時間を共有できたのならそれ以上求めることはない。最後に僕は二人の記念写真を撮り、詠んだ言葉をしっかりとメモ帳に書き留めながら帰り支度を始める。

空が曇ってきた。少し肌寒さを感じる。上着を着込み、雨でも降るのかな~と空を見上げるが、降るまではいかない様子だ。すると、突然雲間から太陽が顔を見せ、えらい暑さを振り撒いた。なんだアイツは!いなくなるとすぐ寒くなるくせに、ちょっと顔を出すだけでこんなに周りを変えてしまう。とんでもない権力を持つヤツだな。なぁ、グレイシアゴージ。まぁ、自然をコントロールしている第一人者はアイツなんだから、分かる気もするけどね、ちょっと我が強過ぎると思わない?

  たっぷり1時間は腰を下ろしていたことで体力も回復していた。ありがとうグレイシアゴージ。あなたのその独特の生き様は美しいと思う。僕には共感する部分が多い。あなたのような偉人がいることはこれからの僕にとって大きな励みになる。僕一人ではない。あなた一人でもない。ありがとう、僕の血となり肉となり、永遠の記憶に残し合おう。僕はグレイシアゴージにサラバ!の一言を投げて、元来た道へと歩き出した。

  なんだか嬉しくなっていた僕はトレイルで通りかう人に「Hi!」とご機嫌な挨拶をしては、ブーツの音も高らかに、アーミーパンツと白いYシャツと紫のリュックでどんどん歩いて行く。さぁ、今日の冒険は終えたぞ。今からは明日の感動への用意が待っている!

  ――歩き出してしばらくすると、僕は迷い子になっていた。方向感覚には自信があるのに、どこをどうしたのだろう、途中の分かれ道でミスしたらしく、行きとは違う道になっていた。しかもその道を随分進んでからようやく気が付いた。ベアレイク方向の標識に従ってきたはずなのにここは何処だ?行きには間違いなく通らなかった湖が見えてきて、迷子が決定的になった。

湖を越えると全く人通りがなくなった。道も森の中に入ってきてだんだんトレイルというより獣道に近付いてくる。怪しい。これは怪しい。だが、僕の勘では方向自体は合っている。あと30分歩いて何もなかったら引き返そう、と決めた。あと30分とはえらく気の長い猶予だ。道には今日できたと思われる新しい靴跡があり、最悪はこれをたどって行けばどこかに出られる。冒険がしたい、というよりも自分に自信があるのだ。無理しない程度に自分自身の勘を信じてみよう。

  獣道のようなトレイルは細い水の流れに沿って下り続けていた。僕は余り不安を感じずに歩き続けた。日はまだまだ暮れないし、体力も残っている。僕はまだ進むことも引き返すこともできる。大丈夫だ。そういう自信を持ってどんどん道を下っていると、ふと手前の茂みがガサガサと動くではないか!

  僕の身体はすかさず反応した。ナイフを手に隠し持ち、重心を下げて身構える。呼吸を止め、気配をなくすように努める。人間だったら話し掛けよう。動物だったらやり過ごそう。熊だったらまず策がない。自分の運を信じているから、僕の冒険がこんな所で途絶えてしまうとは思っていない。茂みの何かはまた動いて遂に姿を見せた!

  それはエルクのメスだった。あぁ~脅かしやがって!僕はまだ充分な冒険の感動に触れていないんだぞ!こんな所で死ぬ訳にはいかないのだ!思わず安堵のため息をついたが、それでも周りに誰もいない状況で野生動物と一対一になるとちょっと恐い。エルクを刺激しないように静かにやり過ごした。

  更に歩き続けること数分。前の茂みの陰に人影が見えた!おぉ、助かったぞ、と喜んで下るとそこは行きに通ったトレイルの途中だった。秘境探検ツアーもこれで終わり。本当にスリルがあった。運良く道につながったが、これが全く違う方向に出ていたらかなり厳しい。余りこういうことはやらない方がいいと思った。

  今回はまぁ、ベアレイク方面に下りてくることができた訳だし、善しとしよう。トレイルを歩いてベアレイクへ戻り、マウンテンバイクの場所まで帰ってきた。さぁ、これから数十分は極上の下り道だ!登りで苦しんだ分だけ与えられる、最高のご馳走だ!イエローストーンのマンモスホットスプリングスでの下り坂並みの快感が僕を待っている!

  Deep purpleの「Highway Star」が頭の中をぐるぐると回っていた!僕はマウンテンバイクを駆って、時速40kmの贅沢な時間を遊んでいた!ある時は車道の真ん中を完全に占領し、ある時はバイク並みに身体でバランスを取ってハングオン。中盤から坂が緩くなりスピードは若干落ちたが、たっぷり45分は下り続ける快感を満喫したのだ!世界には他にも幾つもの快楽があることだろうが、これ程のものは望んでも叶うものではない。

登りの忍耐や努力と、今のこの快楽とは切っても切り離せないものだ。もしも君がそれを疑うのならば、登りは車でマウンテンバイクを運び、下りだけマウンテンバイクに乗ってみるといい。君はきっとロッキーマウンテンの大自然に見放されてバランスを崩し、転倒してしまうことだろう。下りの快楽だけを味わうことはできないのだ。

  余りの爽快感で、登りの汗のことはすっかり忘れてしまった。モレーンパークのテントに戻ってきた僕は満足感に浸り切っていた。あぁ~楽しかった~。ベアレイクやグレイシアゴージに、山中のトレイル。そして、マウンテンバイクの下り道。あのきつい登り坂でさえも最高の冒険だったと思うことができる。この満足感、この充足感。今夜は勝利の美酒に酔い、ゆっくりと御馳走をこさえて、キャンプ生活を楽しもう。

  テントの入ろうとすると、中がかなりの高温になっていることに気付いた。大切な食料の肉が嫌な匂いを発し始めている。でも僕は笑って済ますことにした。すぐに食べれば大丈夫だ。実はこの肉が今夜の唯一の食料だから、他に選択肢がない。よく焼いて食べるか、それとも何も食べないかだ。どちらかを選べといわれたらそれは決まっているだろう。

  さっき帰ってくる時にゲート入口で燃料用の木を売っている車が来ていることを見ていたので、買いに行く。太木と細木が程良く混ざっていて5ドルだ。なかなか量があり、かなりの重さになっていたので持ち帰るだけでも体力を使う仕事だった。今日一日ハードな仕事が続いたが、それもこれで最後だと割り切れば、命を削ってでもサイトへ運び込む気力が出てくるというものだ。がんばって最後の仕事をこなす。

  人は誰も火遊びが大好きだ。何人かの仲間たちとキャンプへ行ったとしよう。夕飯の当番の中でも、火を立ち上げる役程楽しい役はない。みんながその一番楽しい役をしたがるだろう。だが自分一人ではないキャンプでは、必ずしも火起こし役が自分に回ってくるとは限らない。あなたも火起こし役にありつくことができず、悔しい思いをしたことはないだろうか。ありつけなかった時のあのストレスは嫌なものだ。

しかし、僕は自分自身だけだからキャンプの楽しみを全部自分自身で楽しむことができる!別に上手く火がつかなくても、景気よく薪をくべ過ぎても、誰にも怒られることがない。なんだかこの時ばかりは自分自身だけの冒険で良かった、と思えるのだ。

  僕は玄人キャンパーだから、火をつけるだなんて基本的なことは上手くできるさ。細い木と身の周りの燃えそうな紙を竈の中で計算して組み合わせ、食用オイルを振り撒く。なんだかドミノでも作っているような気になる。調子に乗った僕は勝負師をイメージした。己にできる99%の限界まで計画を重ねて仕掛けを作る。そして、最後の1%だけは運命に委ね、勝負に出る。それが本当の勝負師の技だ。

  僕の仕掛けた罠は一発で全体に火が周った。こうなってくれると嬉しいね~。本当に小さなこと、どうでも良いことなのに自分の知性を誉められたかのような気分になって僕はすっかりご機嫌だ。

サイトに備え付けの鉄板の上で、骨付きの鶏肉とさっきの牛肉を用心のためによ~く焼いて食べる。味付けは塩・胡椒と醤油ぐらいで乏しいはずなのだが、どうしてキャンプ場ではこんなに美味しく感じられるのだろうか。普段の生活で食事を作ることに費やす数倍の時間をここでは使っている。それは時間の浪費だと言い切ってもいいぐらいだ。そして肝心なのは、ここで作った料理はいつものよりも確実にまずい。だが、この満足感は極上のものだ。

  鉄板の上で焼き上がった肉をナイフで細かくし、そのままナイフで刺して自分の口に運ぶ。う~ん、まずい!苦い!それでも満足。とっても幸せ。この大自然の中で、自分自身の力で生きているという実感が最高の味付けなのだから!

  肉の後でカップラーメンに挑戦してみたが、すっかりふやけてしまった。何だろうと腹さえ膨れれば、今はそれ以上望むことはない。車で充分なキャンプ道具を運ぶことができる立場にないのだから、自分自身で運ぶことができるだけのもので工夫しなくてはならない。これが最高峰のキャンプ生活。限られた方法の中で工夫に工夫を重ね、なんとかそれらしい形にできたのだからそれだけで素晴らしいぞ!

  夕食を作っている時に思っていたことがある。つくづくこの僕は自分自身だけの時に無類の強さを発揮するな。誰かの助けが必要な状況下では上手く生きることができないくせに、こういった個人プレーの冒険旅行ではちゃんと仕事をこなしてゆくことができるのだ。

不器用という好印象の言葉で済ませたくはない。ひとりよがり、あるいは内気、陰気だと言われても僕は納得する。卑怯だ、逃げだと罵られても反論することはないだろう。己の非社交的さには辟易している。それを承知の上で、今はただ自分の性格に素直に生き、冒険をやり遂げるものだ。

背伸びをして世間との関わり合いを重視しようとしても、今の僕の力では壁を取り除くことはできないだろう。僕一流の処世術があり、今は自分自身の力で生き抜くための処世術を向上させたい。その最中に僕は少しずつ変わることができてゆくだろう。

いつかは自分が夢見る、誰とでも気軽に会話のできる人に近付くこともできるに違いない。今は自分のペースで走り続けよう。自分でも嫌いな性格の部分を直すのはこの冒険旅行の後でもいい。まずは行動力と、何事にも動じないような精神力をこの冒険旅行で得るのだ。己の内面を磨き、魅力的な人間になってから、初めて人との付き合いも上手くできるというものだろう。この冒険旅行が終わってから、また僕の長い冒険が始まる。

  ふと空を見上げれば、太陽のショータイムがそこで繰り広げられていた。白い雲をキャンバスにして、太陽がピンクの絵の具をばら撒いている。ロッキーマウンテンの黄昏だ。通り掛かりの夫婦が、素晴らしいサンセットだからと言って写真を頼んできた。彼らを撮り終えた後で「じゃあ、今後は私の番ですね」と言って逆に撮ってもらった。

普通のカメラではこの夕日の美しさもほとんど分からない写真になってしまうとは知りつつも、僕もあの人たちも美しいものを一瞬の永遠としたくて仕方がないのだ。その気持ちは良く分かる。

  この大自然に管理人がいるとすれば太陽だろう。このキャンプ暮らしをしていて、太陽の偉大さをひしひしと感じている。普段の生活では自分が電気をコントロールして眠る時間を決めるが、ここでは人の生活を太陽が決めている。いつもは午前1時に眠る現代人の身体にも大昔の記憶が残っているのが不思議で仕方ない。夜が始まって間もない8時でも眠ろうとしてちゃんと眠ることができる。太陽のリズムが僕の身体と生活にこれ程の影響力を持っているとは今まで知らなかった。いや、人間の身体こそが状況に合わせて柔軟に対応できるという能力に感心するべきなのか。とにかく、不思議なことだらけだ。頭で考える限度を嘲笑う未知の世界がそこにある。

  今日は朝から長い物語を紡いできた。一日を存分に暴れて、燃え尽きようとしている僕の心身。今日は確かに「生きた!」という実感を得ることができた一日だった。そうだ、これ程命に溢れた1996年の9月1日を過ごすことができた人間が他にいるのだろうか?!

  誇り高き一日にさようなら。あなたのような中身のある毎日を、これからも続けてゆくのが冒険旅行の目標だ。とにかく今日は合格でした!

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まつきよ

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