素晴らしき仏像を写真に、動画に撮ってみたい、個人利用目的で。
ずっと思っていたそんな夢を叶えてくれるのが、飛鳥大仏、それは1,400年間の日本最古の仏像のひとつ。
奈良県飛鳥(明日香村)の飛鳥寺という心広いお寺が提供してくださっている場。
僕がTV関係者でもお寺の人でもなくても、この大仏に堂々とカメラを向けられる喜び。
肉眼で見るのも良いけど、カメラマンたる者、やはり自分が撮影した写真として残したいよね。
飛鳥の大仏(釈迦如来坐像)、その両頬に見るツギハギの跡は、1,400年の重み?
阿弥陀如来坐像、肉眼で見るよりもカメラでアップで撮った画像の方がより美しく見える。
その肌の枯れ具合も、これまた歴史の重み。
それほど大きいわけでもない飛鳥寺本堂、こんな場所に日本最古の仏像があるとは。
聖徳太子孝養像、その滑らかな肌は聖徳太子の清廉イメージ?
この不動明王のクラシックなスタイル、それでいてちゃんと部品が欠けていないところ。
飛鳥寺を出れば、明日香らしいのどかな、おおらかな田園風景が。
ごく新しい石仏、飛鳥大仏との年の差はいかほどだろうか。
宝のような仏像様と、カメラを通して存分に向き合えた、その貴重な時間をこのブログに残したかった。
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「飛鳥寺の飛鳥大仏」動画を、YouTubeにあげました!
2009年5月12日
日本最古の仏像がある飛鳥寺、1,400年前に創られた日本最初の本格的寺院。
本尊飛鳥大仏の度量の広さは、ただごとではない。
大仏の写真を撮っても許されるお寺なんて、日本に数えるぐらいしかないのだから。
「元々は今の20倍の広さ、飛鳥大仏も火災にあって補修されてもいるけど、
飛鳥大仏が座る場所だけは1,400年間変わっていない」という住職のお話が興味深かった。
飛鳥寺は元興寺とも名乗っていて、奈良の元興寺はこの飛鳥寺を奈良に移転させたもの。
そのほどに飛鳥寺は当時の民衆に知られていた。
気になったのは室町時代に創られた木造の不動明王坐像。
無名の仏像の割に、不動明王の典型を踏んでいて、不動明王らしい怒りがキレイ。
隆盛を誇った飛鳥寺も今は昔、蘇我馬子の首塚と同じく、飛鳥の長閑な景色に佇んでいる。
飛鳥寺は飛鳥一番の見どころ、写真撮影スポットだと思う。
1,400才の飛鳥大仏に逢えるなんて、堂々と写真が撮れるなんて、
飛鳥大仏の度量の広さには両手を合わせずにはいられない。
石舞台古墳の写真、飛鳥観光の一眼レフ撮影スポット
聖徳太子、蘇我氏や物部氏、日本最古の都として栄えた飛鳥のこと、昔に学んだ。
遺跡として有名な石舞台古墳、蘇我馬子のお墓(真偽は怪しい)だって。
石舞台古墳を初めて自分の目で見たとき、「あぁ、これ!」って思った。
特に何もないシンプルなもの、想像の通り石が積み重ねられただけ、どこか遠い記憶が蘇った。
石舞台古墳の中に入ってみると、そのまま石の洞窟、それ以外の何者でもありません。
崩れないように、よくぞ積み上げましたね、石舞台古墳。
何が素敵って、石舞台古墳の周辺の長閑な田園風景、飛鳥ならではの心休まる場所。
明日香という地名が今も残り、そこには今も昔も変わらない穏やかな景色が広がっている。
この平和な雰囲気が飛鳥の地の宝物。
あの聖徳太子が生まれ育ったお寺と聞いたら、橘寺を訪れない訳にいかない。
格別なお宝は何もないが、お寺らしくご本尊を中心に独特の飾りがあった。
変わったのはこの二面石で、右と左とでは表情が違っている。
聖徳太子を乗せた馬の銅像があって、その馬が身に付けている家紋が眩しい。
日本のお寺の原型が、こうして飛鳥には現代でも生き残っていることが嬉しかった。
こんなクラシックなお寺なのに、笑うお坊さん像の存在は意外。
この橘寺に目立った何かを期待してはいけないのでしょう。
時として、変わらないこと自体が価値を生むことがある、その典型が飛鳥の橘寺。