娘の着物着付けの待ち時間で、知恩院へと散歩に出た私。
三門に桜はない季節だろうが、知恩院のこの表の顔を見るとびっくりする。
徳川家肝煎りの知恩院、その存在感の大きさ。
東山の一等地にこんな広いスペース、お金の余裕が生んだ、余裕の空間。
知恩院の階段のきつさは山登りレベル、上から撮り下ろすとこんな角度がつく。
とにかく大きさが並外れている、徳川家の財力によって。
方丈へ向かおうとしたが、更なる急階段で足を阻まれた。
知恩院というと、織田信長が討たれた時に徳川家康が「仇討ちで京都へ行き、知恩院で腹を切って死ぬ」
と言ったとか言わなかったとか、そのシーンを思い出してしまう。
そんな神君家康公を思い浮かべながら、心落ち着くフォトウォーク。
女坂を下る前、その道の美しさにカメラを向けた。
三門の骨太な感じの造りに魅せられる。
納骨堂という名の割に美が整っている。
知恩院の格の高さを示す、あの白色のアクセント。
この辺りは和装ポートレートが似合う場所なのだが、我が子はまだ着付け中。
隣接する円山公園の枝垂れ桜、この老木は今もまだ咲くのだろうか。
あてもなく円山公園を歩いて、八坂神社から祇園へ。
八坂神社の入り口から四条通りを映す、流石に人通りが減った。
西楼門、見慣れた八坂神社の表の顔。
祇園の人が減って、偶然にもまぁ適正化されたということか。
四条大橋から鴨川沿いを映した、いつも光景か。
2015年撮影
京都・知恩院三門の桜写真
知恩院の三門は大きい、現存する寺院では最大だと聞く。
何しろあの東大寺南大門よりも大きいのだから。
その大きさにびっくり、この手の大きさの意味として、「格式の高さ」と同義語なのね。
加えて、桜の時期は三門と桜の重なりに見とれる。
訪れる者を良い意味でびっくりさせる知恩院の表の仕掛け。
大きさには政治背景があり、将軍徳川家が地位・権力を誇示するため、お金を惜しみなく注ぎ込んだとか。
三河から出た徳川家、それは当時の都・京都にも広告宣伝塔は必要だ。
徳川家に買収されて、輝きを増し、徳川幕府400年以上も続いている知恩院。
政治的なものはさておき、写真被写体としての知恩院は京都の最高峰のひとつ。
これだけ整備されたものをわずかな拝観料で写真撮影できることの贅沢さよ。
浄土宗の総本山がこの知恩院、「寺」の通称はないけど、お寺。
そうだよね、三河といえば浄土宗、浄土真宗の三河一向一揆を連想する。
幾度も焼失しては再建された知恩院、
「誰でも阿弥陀如来の名を唱え続ければ極楽往生できる」という考えが支持されてか。
円山公園や高台寺を散策するなら、知恩院の三門まで足を延ばして欲しい。
階段はなかなか急ですが、明らかに訪れる価値がある。
三門の大きさは信仰の大きさ、知恩院の桜写真。
徳川家康公に感謝しながら、春の知恩院の楽しんだひと時だった。
円山公園の枝垂れサクラの写真
高画質で撮ることしか頭にない写真愛好家の僕、俗世間のことなんて無関心。
それでも円山公園のしだれ桜とカラスのことには、一言書いておきたい。
しだれ桜が見事で、昔から多くの花見客が訪れた円山公園、その生ゴミを狙ってカラスが来た。
カラスが枝をダメにする、具体的には桜の木に巣を作ろうと枝を折ってしまうのだ。
円山公園のしだれ桜は次第に枝を失い、スカスカ感いっぱいの無残な姿に。
「もうダメねー、円山公園のしだれ桜は」などと言いながら、
春のお散歩は心地よく、生ゴミの数は減ることがなく、カラスもまた姿を消すこともなく。
その無限ループが、円山公園のしだれ桜を過去の英雄に変えてしまう。
色鮮やかに出ているこれらの写真も、桜の大木とは言い難い背の低さ、横幅のなさ。
手足を失った何かのようにも見える、制約が出た元・自由人。
見物の主役を失った花見だが、飲み食いの楽しさを人が忘れることはない。
「カラス見」の宴会まではならないにしても。
ネガティブなサイクルによって、いつか円山公園のしだれ桜は姿を消すことだろう。