ロビンソン・クルーソーの魅力は、政治や社会に縛られることなく、
無人島で自分自身が望むように冒険するロビンソン・クルーソーの姿そのものにあると思う。
生来の放浪癖から航海を続けては海賊やライオンと戦い、
ブラジルの農園でなんとか一財産を築き上げたと思ったらまた冒険に出て、その結果として無人島に漂流してしまう。
そういう浮き沈みの激しいロビンソン・クルーソーの人生に
自分自身の人生を重ねることはいつの時代でも、どこの国の人であろうとも容易にできたのであろう。
孤島での病気や孤独・敵の影に震える様、少しずつ島の生活を充実させてゆく様子なども
同様にありのままの人間の原型像なのであり、誰もが感情移入をし易いものである。
フライデーを従えて蛮人たちと戦い、島を脱出する場面などはなんとも万人の心をかきたてるような豪快な話であり、
それが現代に至っても変わらぬ求心力で我々を惹きつけているものなのであろう。
この冒険は無人島という極限状態の中にあったからこその出来事であるが、
当時の時代背景を知らなくては本当の魅力が薄れてしまうということを忘れてはいけない。
当時のロンドンではペストの大流行があり、多数の市民の命が突然奪われていた。
その翌年には大火災があり、ロンドン市内の木造家屋が焼き払われている。
サウス・シー社の株式暴落も発生しており、
紙幣がある日突然紙くずに成り下がる事態に当時のロンドンは面していたのである。
難破した船に残っていた36ポンドのお金を見て「ここでは何の役にも立たない無用のもの!」と言う
ロビンソン・クルーソーの姿がいかに当時の時代の虚無さを体言していることか。
この時代の人たちは突然生活を闇に閉ざされる可能性に悩まされ続けていたのである。
そんな厳しい状況下で市民階級に求められていたのは、
より身近に自分たちの生活を彼らと近い言葉で語ってくれるものであり、
それは従来の貴族階級による古典的な韻文ではなく、より世俗的な随筆という散文作品であり、
デフォーの『ロビンソン・クルーソー』のような民衆的な冒険小説が好まれる土壌が出来上がっていた。
名誉革命以来の市民階級の台頭で王権に対する市民の声の影響力が強まっており、
時代の主役は次第に民衆に移りつつある状況だったのである。
政治や生活に縛られずに冒険するロビンソン・クルーソーはそんな市民たちの英雄像として受け入れられたのだろう。
ロビンソン・クルーソーの魅力はそれだけではない。
表面の下にデフォーならではのいくつかの具体的な要素が重ねられていた。
まずは苦難にあっても立ち直るための宗教人の教えがある。
生きるためのより実践的な教えを施されていたピューリタン教徒であったデフォーは、
孤島で病気や失望に悩まされるロビンソン・クルーソーの生きる術、心のよりどころとしての宗教を書き上げた。
「中流の生活こそ最上のもの」と説得した父親の言葉を振り払ってまで
冒険に出てしまった自分自身に罪があるとし、その背信からの罰として漂流を受け入れ、自らを悔い改める。
神に感謝を捧げ、聖書を読み、規則的な生活を自分に課す。
それは純粋な宗教、人に役立つ宗教であり、
国を巻き込んで抗争を続ける堕落してしまった宗教ではないものを投影させている。
一方で、経済人としての活動の反映が随所に散りばめられている。
自身が経済活動の成功者であり、同時に失敗者であるデフォーならではの切り口で、
パンの自給自足や山羊の放牧・農園を作るなど、この難破した船乗りはいつしか自分の王国を作り上げてしまう。
その王国のなかで、自分一人分の食料が自給自足できているかどうかを計算する様には、
一見行き当たりばったりに見える島での生活に実践的な経済の意識が取り入れられている。
デフォー自身も浮き沈みの激しい人生を過ごしていたのであり、その経験が作中にも活かされている。
事業の成功やウィリアム王との信頼で勝ち得た王室に出入りできる地位の確立から、
一転して事業の行き詰まりやデフォーが書いた小論文「非国教徒撲滅策」に対しての
国教会と非国教会からの非難と投獄、そしてアン女王による釈放と再度の国家による登用など。
その経験から得たものがヒントとなって、彼は彼の現実の経験を、
無人島で人生の厳しさに直面するという寓意的な姿に変えたのである。
人は失敗しても悔い改めと信仰によって神との満足のゆく関係を見つけることができる、
とロビンソン・クルーソーは語る。
また、この船乗りは他人を尊敬しており、フライデーに対しても決して軽蔑することなく、
奴隷制度を当然のように正当化していない。
これは彼の時代においてはほとんど革命的とも言える声明であるとあるのだから、
当時の社会に対する斬新な意識も込められているのだ。
それらを踏まえたうえで、しかし厳しい当時の生活を離れた位置での
この快活な冒険譚が『ロビンソン・クルーソー』の魅力であるのだ。
これらの背景を知らずに読んでも『ロビンソン・クルーソー』の魅力は伝わってくるが、
ここに書いたような文学史的・社会的側面を理解した上で読むとその魅力もますます深みが増してくる。