豊川沿いの道を運転していて、細い坂に入って高度を上げる。
と思っていたけど、道を上げると集落と平地が見えてきた、それが田峯と呼ばれる集落だった。
当時は山城だったのだろうが、今は書院造りという高級な屋敷、初夏に訪れるとそれは爽やかで美しかった。
上段の間に甲冑が並べてあって、ローアングルからの広角レンズ撮影してみた。
物見台から御殿を撮る、同じく広角レンズで幅広く、武家屋敷イメージ、でもあまりに綺麗すぎる。
田峯の集落を見ながら、縁側で風を感じていた、現代の平和さに包まれて。
手前は本丸大手門、奥に物見台、どちらも最近綺麗に再現されたものでしょう、足助城並みに整備されている田峯城。
季節のお花は咲きます、この田峯城と田峯菅沼氏が戦国の時代に、血みどろな戦に巻き込まれたことは知らぬ顔で。
武田氏と今川氏、それから徳川氏の巨大勢力の間で、小勢力の田峯菅沼氏は辛い立場だったのだろうな。
奥三河の山家三方衆は名を知っていた、そのうち最も奥の山間部にいたのが田峯菅沼氏。
物見台からの光景は素晴らしいの一言に尽きた、眩しい季節だからということもあり。
死の防具、命のやりとりのための具足、写真に撮ると美しいが、実物を見ているとそう気分は上がらない。
整備された観光山城、幾つもある曲輪の整備具合も良好だし、田峯城は訪れるべき奥三河の山城。
搦手門、このぐらいのシンプルさが当時の実物に近いのかな。
大手門跡(一番下の入り口)、ここから曲輪を経て本丸へ。
奥三河の山中、戦さえなければ平和な田峯集落だったことでしょう、田峯城はお飾りであって欲しかった。
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「田峯城」動画を、YouTubeにあげました!
田峯観音の写真、同じく田峯集落にあるお寺、田峯城の支城というか集落の防衛施設としても使われたのでしょう。
こちらも失礼ながら山奥にしてはご立派な作りのお寺。
天井アート、つまりは一帯の文化中心でもあっただろう田峯観音。
お寺の王道を貫いていて、手作り感あって、なんだか優しい。
奉納歌舞伎があり、三河三観音のひとつ・田峯観音高勝寺。
村人たちの集う場所、心の拠り所って感じ。
新緑にある石仏は可愛らしく。
紫陽花でさえ文化人に見える、そんな田峯観音でした。
近くの当貝津川の色、流れは豊川に合流する。
設楽町〜田峯一帯の歴史旅でした。