PLフィルタなしで撮るなんて、祇園白川には失礼なことをしたのかな。
娘の着物着付けの合間に、ふらりと訪れた巽橋一帯。
白川の風情を引き立てるには、やはり川面の反射をPLフィルターで除去してあげたかったのだが。
本当、清潔さが溢れている白川筋、何度来ても感心する。
この日はシラサギにお目にかからなかった、白川の主みたいなのに。
辰巳大明神、小さな神社でも場所が尊いから。
桜がなくても、落ち着きという主役が鎮座しているから、祇園白川への散歩は無駄になることがない。
2020年5月撮影
移動の途中で、京阪・祇園四条駅から阪急・京都河原町駅への乗り換えがあった。
京都はとにかく電車乗り継ぎが不便だ、限られた土地だからもう大幅改良の余地がないのは分かるが。
激しく疲れているのに、地図を見ていて衝動を止めることができなかった。
少し歩けば白川筋・巽橋へ行くことができる、行くしかないだろう。
祇園の町でもなく、清水でもなく、祇園白川に惹かれている僕。
桜の名所だから、春のあの華やかな雰囲気にずっと祇園白川のリピーター。
もう10回以上は訪れているだろう祇園白川だが、この日は5年ぶりの再開。
どうしても逢いたかった、何はなくても白川〜巽橋の雰囲気を再び自分の中に取り込みたかった。
何か新しい価値観を手に入れることができるわけでもないのだが、足は祇園白川へ向かっていく。
歩いて、深呼吸して、写真を撮る、それだけで終わった祇園白川への散歩。
景色は一変していた、これまでとは明確に違う人の数。
後にも先にもない不思議体験に、僕は祇園白川ですれ違ったのだ。
祇園白川の桜を写真に撮ろうと意気込むが、この一角は桜の名所か、それとも雰囲気の達人なのか。
桜が主役には成り得ない場所、祇園白川という一角がかき立てる色気。
ハイセンスなのだ、多額にお金のかかる日本の美を凝縮したような空間が祇園白川。
祇園白川にある景色が主役で、桜は副役に。
ここでは桜は副の存在感が丁度良い。
華やかな場所、明るい春の陽気、桜の色合わせが妙で、歩くだけで幸せに。
本物の芸妓さんをあげて遊んでいる人たちがいた、珍しい光景。
桜の方が、祇園白川の和風情緒に姿を合わせているような感じ。
祇園白川の桜写真、他の京都の桜名所とは味が違う特殊な町ね、祇園白川。
祇園白川、巽橋の一帯は写真映えのする特別な場所ね。
とりわけ桜の季節、川面にかかる桜の枝と、新緑、木造建築物の重なりが好き。
そうだ、木造建築物が多く目につくというところがポイントではないか、だから祇園白川では桜との調和が心地良い。
白川沿いに建つレストラン、白いテーブルクロスがキレイ。
元々は八坂神社の門前町だったのに、僕の感覚では今や主副が逆転、祇園白川がメインね。
よく見ると電柱があったり、高いビルが頭を出していたりするが、祇園白川の雰囲気の保全ぶりは上等。
芸が上達するように、と願った舞妓・芸妓さんたちにとっては、修行の場だったのでしょう、だからお寺のような美しさだ。
黄昏の眩しさの中、川の流れに乗って通り過ぎる鳥の姿、贅沢なツーリングだよ。
紅葉ではなく、桜が良く似合う祇園白川。
いつ来ても白川には鷺の姿がある気がする。
変わらないでほしい、そのままで完成されているから。
そんな桜写真は祇園白川だけの特色。
それは結婚式の前撮りもしたくなる、こんな栄光の場所・祇園白川で。
四条から真っ直ぐ東へ、祇園一帯を見守っているかのような八坂神社。
元々の祇園神社という名前の方がふさわしいかもしれない。
祇園の茶屋たちから絶大な支持を受けていたのでしょう、今でもこの提灯の数。
隣接する円山公園の枝垂れ桜と合わせて、京都の代表的な観光地。
芸事の神社、初詣の名所、「祇園祭」はこの八坂神社の祭礼。
園の文化は、この八坂神社・祇園神社を支柱にして育ったのだろうな。