ランニング

川中島の戦いランニング、海津城~妻女山~八幡原古戦場

川中島の戦い、子供の頃からずっと気になっていた。

啄木鳥戦法を見破った上杉謙信が、武田信玄の本陣に切り込むイメージ。

謙信の刀を軍配で受け止めた信玄、英雄同士の直接対決。

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大人になるともうちょっと知識が付いた。

広い視野で見ると大名としては武田信玄が格上に思えるし、川中島の戦い(第四次合戦)の後もこの地を支配したのは信玄=勝者は信玄だと。

ただ、双方が壮絶な生き様を見せた川中島の地を知りたい、触れたい、それなら川中島をトレイルランニングするのが一番だ。

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ではまず出発地は海津城(松代城)にしよう、高坂昌信ら武田別動隊が深夜に出立した場所。妻女山を経て八幡原まで走る。

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真田信之から代々、真田家が松代城を居城とした歴史があって、真田六連銭が誇らしく飾ってあった松代城付近。

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松代城下町は洗練・清潔に再現されている、真田幸村の英雄伝説はこんなところにも影響を与えているのか。

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妻女山展望台は便宜的に作られた現代の見晴らし台であって、当時の上杉謙信の本陣よりはずっと下の位置にある。

素直に車道を走っていく気にはなれないから、グーグルマップを見て林正寺そばの林道から山にあがる。

老女に道を尋ねると「(ランナーがこんな細い道に来るなんて)珍しい」と言って歓迎してくれ、色々教えてくれた。

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林道をひた走って展望台方面へ、まるで僕は武田軍の甲州透破。

上杉軍の軒猿に見つからないように忍び寄る。

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憧れていた、妻女山展望台からの川中島の景色。

橋で千曲川を超えた先に決戦の舞台・八幡原がある。

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少し展望台(赤坂山)を登って行く、上杉謙信の本陣があった斎場山頂に行ってみたい。

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15分ぐらいで謙信本陣(斎場山古墳)へ、現在は木々に囲まれて見晴らしもないけど、ここで謙信は指揮を執っていたのか。

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近くにある陣馬平へ、上杉軍の兵士が詰めていたという場所。

分散させたとしても数千もいられる?

昔の数字は伝説が入るから正確とは限らない。

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啄木鳥戦法を見破ったとして、それに全軍の生死を預ける決断をした上杉謙信の勇気を感じた。
僕は妻女山頂から一気に山を下る、狙いは八幡原の武田信玄本陣。

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妻女山を下ったところに、上杉謙信槍尻の泉という場所があった、

謙信が槍の尻で突いたら水が湧き出たという英雄伝説だ。

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妻女山から千曲川までは平地がずっと続く、

ここに千の兵と共に陣を敷いた甘粕景持らに想いを馳せる。

死の殿(シンガリ)だろう、武田別動隊が妻女山から慌てて降りてくるところを、千曲川を盾に時間稼ぎする。

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もうひとつ、妻女山頂に残っていたという上杉軍100名の生死はどうなったのか。

想像するだけでも恐ろしい戦いが、この景色の中で行われていたのだろうと思うと、自分のいる場所に身震いする。

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千曲川を渡った先に見つけた石仏に手を合わせる、不幸な時代、人間が一層愚かだった時代の犠牲者たちに。

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今の千曲川はキレイな景色に見えるよ、美しい歴史ロマンだけが風化の末に残った川中島。

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リンゴ畑の向うに見えてきたのが長野オリンピックの開会式・閉会式会場になった長野オリンピックスタジアム。

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川中島の戦いがあった場所に建てていいの?と思ったが、現代はそんなこと考えなくていいね。遠い昔のお話。

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武田信玄の弟・武田信繁のお墓がある典厩寺を通り、いよいよ八幡原史跡公園へ。

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ようやく出会えた一騎打ちの像。

この二人に逢いたかった、車で来るのではなく、長い道を自分の足で走って来たかった。

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日本の合戦上でも比類ないぐらいに高い死傷率だったと言われる川中島の戦い、その跡地はこの通りキレイ。

血が流れ、人が死んだなどと想像ができないほど。

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関ヶ原にはなんだかうめき声が残っているような気がしたけど(12月の雨の日だったからかな?)、
川中島には哀しみの痕がないような、新緑の晴れた日だったからかな。

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子供の頃、歴史ロマンに憧れた川中島を自分の足で感じる。

誰に伝えるわけではないが、自分の中では満足。

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軍配で刀が受け止められるものか、そもそも大将同士の一騎打ちなんてあり得ない。

それぞれの地元で愛された名君二人の人気ぶりがこの像を生んだってことか。

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1万人か数千人か実数は分からないけど、

多くの部下たちの生死を分ける判断をした両大将、どんな想いで移動を決断した?

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勝鬨を上げた武田軍はそのまま海津城へ引き上げたというから、僕も海津城へ走って戻る。今一度、千曲川を渡った。

その頃、北にある善光寺の手前にある犀川では逃げ遅れた上杉軍が武田軍の餌食になっていたはず、想像するのも恐ろしい絵。

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あちこち走った僕、妻女山ではトレイルランニング、川中島に降りたらランニング、その合計は18kmほど。

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武田別動隊に近いルートで川中島の戦いを疑似体験する川中島トレイルランニング、本物の戦でこの地を訪れなくて良かった。

古戦場トレイルランニングはこれで当面終わり、当時に亡くなった人への哀悼の気持ちを込めたRUNでした。

松代城の真田邸を見て回る。

戦国武将の中でも英雄揃いの真田家の栄光に触れてみたい。

そんな期待だったが、真田邸を歩いていたら違うものを感じた。

ここは日本の美の宝庫だ、派手な武功ではなく、簡素で美しいものが並んでいる。

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歴史を考えればそれも当然で、この真田邸は松代藩9代藩主が1864年に建てたとあるから、戦国時代から長い時間が過ぎている。

より実用的で、かつ経費を抑えた形のものが求められた時期なのだろう。

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質素なお部屋と、手入れの行き届いた庭園が合わさったセンスが見事。

戦国時代の荒々しさではなくて、貴族の華々しさはもちろんなくて、平和な江戸時代を感じさせてくれるようだが、そんな安直な印象は正解だろうか。

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まぁ考えれば、この食事だって畳だって当時の高級品か、質素ではなく、贅沢×贅沢のセンスね。

調べてみると、松代藩の真田家は10万石の大名、これは徳川幕府内では格上の大名になるから、立派なお金持ちの家だな。

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どの角度からも座って見て楽しめるようにデザインされた庭園、ここで座って何を想う?

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海津城から出発する川中島トレイルランニングの前に立ち寄った真田邸の写真。

真田邸と川中島の戦いは、同じ戦国時代のようで、実はまるっきり異なっている。

戦国時代後の真田邸、戦国時代真っ只中の川中島の戦い、平和と非平和の対比。

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美しいものを見つけた、日本の伝統、僕が憧れてやまない先人たちのセンス。

そんな真田邸訪問になり、背筋がピンと伸びた気分がしたよ。


海津城、僕にとっては海津城、決して松代城ではなく。

川中島トレイルランニングをする僕は、海津城から走り出す。

武田軍別働隊が啄木鳥戦法で、妻女山の上杉軍へ攻めかかるように。

そして武田軍本隊は川中島へと密かに移動していく。

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昔はもっと千曲川沿いにあったという海津城、天然の堀を利用した鉄壁の守りだったのだろう。

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海津城本丸跡に登ると、八幡原も妻女山方面も見渡すことができる。

これが武田信玄が見ていた景色に近いものか。

もちろん時代環境が異なるから同一ではないものの、自分が信玄になった気分。

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今では血の匂いもせず、ただの美しいお城の芸術、桜の名所でもある海津城。

その昔、生臭い生存競争の舞台であったことはもう忘れてしまいたい記憶なのだろう。

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真田信之から続いた真田松代藩10万石では、松代城という名前で真田氏の居城となった。

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それでも僕にとっては海津城、ここから深夜に出陣していった武田別動隊のことを思い浮かべながら。

荒砥城の写真 荒砥城の写真 荒砥城の写真