尾張国の中心地にあったのが清洲城で、歴代の守護代の居城だったと聞く。
あの織田信長公が10年間住んでいたことで有名ね、桶狭間への出陣もこの清洲城から。
2021年の桜を求めて、お城Vlogの旅、2城目は清洲城(清須城)。
川沿いの桜がキレイに僕を迎えてくれた。
清洲城の天守に登ったら、展示物の豊富さに驚いたな、名駅周辺の高層ビルも見渡せた。
足元が日本庭園になっている清洲城、まぁ元々この場所に天守があったわけじゃないからできる移設の技か。
甲冑作例の展示が素敵だった、織田家の家紋もイメージを増幅させてくれる。
朱色の大手橋が印象深い、清洲城は朱色のお城。
2014年10月14日
清洲城祭り、信長行列と火縄銃演武の写真を撮ってみた。
火縄銃の演武が火を噴いた瞬間、清洲城祭りにて。
発砲の瞬間に連写して偶然撮れた一枚だが、この場この状況にいて偶然でもこれが撮れるカメラ設定をしていること自体が、僕のカメラ技術なのだ。
必然の偶然というヤツだ、偉そうに言えば。
民間から選ばれた信長公が馬に乗ってパレード。
しかし民衆が期待する織田信長公のようなオーラを放つことなど、誰にでも難しい。
うつけもの時代の信長公を、山本高広さんが演じていたり。
何度も「来たぁ〜」っていうギャグをやってくださった。
清洲城への橋が、時代行列のハイライト、写真を撮る場所がなくて困ったよ。
信長公が手を振ってくれる、背景の電線の多さがいただけない。
現代の女性信長が黒服姿の方、見事にオーラを作り出している。
火縄銃隊が歩く様は、楽しい時代行列だね。
足軽にしては重装備すぎるが、そんな時代考証はカメラマンには無用。
清洲城、朱塗りの橋がお見事ですね。
ところどころ、絵になる甲冑武士がいる。
母衣武者が笑みを浮かべながら刀を抜く・・・の絵。
中学生信長は楽しそうに。
当時は元服の年齢でも、今の子だからまだ幼さが残る。
小さな町だからパレードをする場所に恵まれていない、広い道なら様になるのだろうが。
左の方は子供が差し出したもの、右は甲冑武士。それを見て中央の武士が笑っている。
信長公の騎馬、周りがうるさく固め過ぎていて写真映えはしない。
そんな清洲城祭りを見つめている信長公の銅像。
2020年1月21日
清洲城の写真、尾張観光の一眼レフ撮影スポット
仕事前のわずかな時間、清洲城(清須城)を再訪することができた、僕の幸運。
たったの10分、もちろんカメラを構えるのは五條川にかかる橋の上。
紅の欄干が素晴らしいこと、忘れられるはずがない。
思い切り平地に立っているから防御力を心配するが、
清洲城は当時の交通の要所に立っていたというから、ちょっと用途が異なる。
一眼レフは持っていなかったから、i-Phone11 proで撮影した清洲城。
嬉しい再会に感謝。
2010年頃に撮影した清洲城
キレイな色使いの清洲城、ここはあの織田信長が10年間住んだお城なんだとか
清洲城祭りも行われる朱色の橋
今は模擬天守閣になっているから、これが実物ではないけど
あの桶狭間の戦いに向けて信長が出陣したのは、この清洲城からでした
今は憩いの公園となり、名古屋城とはすぐ目と鼻の先
織田信長の正室・濃姫の像がありました
尾張の象徴、実は名古屋城ではなく、この清洲城なんだとか
2021年4月4日
津島神社の写真
三河国に住む私にとって、尾張国は異国のようだ。
ましてや津島神社のある一帯にはまるで縁がなく、ほとんど足を踏み入れたこともなかった。
とある縁(娘のバレエコンクール送迎の時間合わせ)で時間潰しが必要になり、津島神社を訪れる機会に恵まれた。
偶然にも何かの儀式が行われており、境内で厳かな場面に遭遇。
巨木が神の雰囲気を高めてくれている、これが津島神社の境内。
神社といえば御神籤を写真に撮る、楽しい時間。
朱色の鳥居の連なり、雨の水滴をアクセントに。
規模の大きな津島神社、特別なものはなかったけど、神社の格としては素晴らしき。
天王川公園と中之島、この津島湊跡では織田信長公を連想する、若き日の信長公を。
有名な藤棚だが、桜散りかけの時期には流石に色もない。
この津島で稼いだ金を用いて尾張国は大きくなっていった、在りし日の栄えた町・津島のこと。