信じられないスピードで周囲が動き出していた。
ウチの会社で「休業」をする、と。
いや、自分もその対象になって、休業補償はあるが、収入は減ると言う。
世間の浮き沈みから離脱していて、現実離れが得意なこの自分、この幸運をもってしても、新型コロナウイルス影響は排除できない?
自分の身に降りかかるとはまるで思っていなかった自分、危機感が薄い生き物。
あれは中国武漢あたりのローカル案件だと思っていたのに、一歩、また一歩と自分の周りまで近寄ってきた感。
方針は決まったのに、なかなか実行にならず待ち時間が長かった。
そして仕事は混迷期へと突っ走っていって、暇どころか気力的に厳しいゾーンへ。
明日までに乗らないと入れないからと全員に電話したり、急な計画変更に対応するのでフルパワー対応をする。
まとめ役との仕切りやり取りに独自判断で突き進む、それは間違わないよ自分も。
外国人ネタにも首を突っ込まなくちゃいけない状況になり、それこそ二足の草鞋を器用にこなす。
全世界で発生している規制ごとを全て頭の中に入れるのは不可能なこと、世界のコロナ対応に自分の記憶がついていけない。
いざ休業が始まっても、自分は仕事に追われて休むなど無理なお話。
給与が出る・出ないに関わらず、いつも以上に働いたしばらく、週末でさえ仕事となり、久しぶりにきつい仕事だった。
そうこうしている間に、目の前の案件が一掃されて、恐れていた仕事のボトムがくる。
あの時の自分は、自分たちは、仕事をバシバシしている自分に陶酔していたのね。
これから数ヶ月続くだろう極端な仕事のオフ、山から谷へと急高下、こんなこと自分の22年間の会社人生でも前例のないこと。
思い返しても、9.11戦争でもリーマンショックでも3.11地震でも、これほどの自体はなかった。
BLRやBAHに行きたくても、現実的に手段がないと言うのだ!

休業が開始できるようになると同時に桜満開の季節を迎えた。
思い切って休みにして、地元の桜名所を数多く巡る。
詩的日記に残っている昔の写真や文章が恥ずかしいのだ、品質の低さに辟易していて、
だから今の装備と技術で品質底上げをしたいと心から思っているから、同じ場所なのにかなりの工数を情熱を費やして桜写真撮影の旅に出る。
平日は休みをとって、週末は全力で、体の疲れさえ感じるほどにあちこちへ行った。
それらの成果物は、これから1日1記事づつ長文ブログでまとめていきたい。
17記事分、桜案件でもないのを含めると20記事分も借金というか、仕上げ待ちを背負ってしまった。
一言でまとめると、日本の春はどこも美しい、優しい、センスに溢れている。
4年ぶりの桜写真に追われる一方、blog.kenbox.jpのメンテナンスもハイペースで行った。
つまらない作業、1つごとに休憩入れながら手作業で1記事づつ直していく。
ちっぽけなプライドなど捨てて、ひたすら文字数800以上をノルマに統合させていく、不要なものを排除していく。
気に入らないものがあるととことん突き詰める性根、地道な作業ならできる我慢力、とにかくやり切った。
並行して、アクセス数が急増していたのが心を支えた。
文字数少ない記事を統合しまくったから、おそらくドメインパワーが付いたのだろう、今までヒットしなかった記事も、検索上位に出てくるようになった。
ららぽーと東郷、コストコ守山区、イオンモール土岐にイオンモール豊川らが主力戦力で、何故か三好池が横から飛び出してきた。
まだまだ伸びるだろう詩的日記、これからは書きたいものを書くのでもなく、ヒットする記事をもっと伸ばすために時間と労力かけて行こうと誓った。

誰かを責めて、自分の正当性を作らないと生きていけないのは人間の性。
しかしそれを自分の家族にやられるのはうんざりする。
もうダメだと心が折れそうになり、こんな人生を望んでいなかったとぼやきたくなる。
もっともっと自分を主張する人間だったら違うのだろうが、今更誰かを攻撃するのは望んでいないこと。
だから自分が我慢するだけのこれからを過ごすのかな、それで我が人生は豊かなのだろうか。
本当に嫌になってきたが、この道を曲がってしまっていいものだろうか、もう踏ん切り付けてもよいはずだね、でも分別がついていない。
随分と温かくなってきた。
不思議と3月からの花粉に重傷を負わされていない。
まさか、アメリカにいた3年ちょっとの間で、花粉症が治ったとか?
4月も後半になればマスクとゴーグルせずに山の中を歩いたり走ったりできるだろう。
桜という大イベントの取材は終わったし、その記事書きという大変な作業が待っているが、休業という天啓の時間でなんとかなる。
自分がやりたいこと、やらなくちゃいけないことを書き出したし、守りの営業から攻めの営業への転換期が来たから、さぁ頑張りましょう。