美濃金山城は、森可成・森長可・森蘭丸・森忠政らが城主を務めた。
蘭丸ふるさとの森・第二駐車場すぐにある門。
車で蘭丸ふるさとの森展望台の先まで上がることができる。
シーズンで咲いていた紫陽花が美しく。
駐車場付近に石垣、これが昔からのものかは分かりませんが。
本丸方面へと石段を上がっていくと、こちらは本物の石垣跡があった。
わざと破城された美濃金山城、今の姿は人の手で壊された後なのだ。
誰かに逃げ込まれないよう、城としての防御機能を壊されたということ。
中規模で、なかなか堅固だっただろう美濃金山城。
森氏の権威を見せるために増築を重ねたのだろう。
曲輪や二の丸、虎口・大手枡形も跡がはっきりと残っていました。
山頂に向かって真っ直ぐ登るかのような美濃金山城。
本丸付近は広めで平坦、眺望は最高だ。
明智長山城は真ん中右の山中にある。
この距離感なのに、明智家・森家はこの一帯にいた時代が異なり、すれ違いなのだ。
本丸跡からは数々の遺物が見つかっている、戦用でもあったが、住居でもあった美濃金山城。
本丸からの別角度、眺望が開けた城址は登った甲斐があるってものだ。
超望遠レンズで狙った明智長山城付近だが、ちょっとどこかが分からなかった。
お互いに肉眼では本丸同士は見えないけど、城は隣同士。
展望台横の駐車場付近のアジサイは、戦国時代のドロドロしたものを洗い流してくれる。
驚きの大堀切!
なんと今は堀切の下部分は車道になっている。
こんな落差のある大堀切、どうやったって登れる訳が無い。
木曽川沿いの城下町へ降りて、可児市戦国山城ミュージアムを訪れる。
可児市にある山城についての資料がいっぱいあった。
写真撮影不可のものと、撮影OKのものが入り混じっているので、
注意しながら撮影可のものだけを写す。
この一帯の山城を訪れる前、一番最初にここで説明を見た後の方が現物の城址を見たときの発見が大きいはず!
森三兄弟、あの本能寺で散った若い命たち。
可成寺? もちろんあの森可成に因んだお寺。
本堂はご立派、その裏山に森家代々のお墓がある。
ずっと手を合わせたままだった、この家系は戦死が多過ぎて涙なしには語れない。
どちらも聞き及びのあるお名前ばかり、そしてそれぞれ若すぎる戦死。
森家の将たちは誰も有能だったのに、武運には恵まれなかったのか。
少しマイナーになるが、可児市の山城の中では有名な方になる「久々利城(くくりじょう)」。
久々利 頼興、ニックネームは「悪五郎」と言う悪そうな男が城主。
美濃土岐氏の庶流と言われる久々利家、まぁ地元の土豪か。
上の写真の登城口付近に駐車場がまったく見当たらない。
可児郷土歴史館の駐車場に無料で停められる、車道からすぐに駐車場が見えないので注意。
登り階段だが、本丸までそう長くはないから辛抱できる。
地元の方だろうか、城名ののぼりを幾つも設置してくれている。
枡形虎口は中央部分に土塁があり、真っ直ぐ前に道が開けていないパターンか?
当時はどう進んで良いか分からなくして、攻め手の混乱を生む仕掛け?
美濃では有名でも、全国的にはマイナーな城。
ところがちゃんと城址を保存してくださっている方々に感謝でしょう。
二の丸・三の丸の間の切岸は高く、こんなの甲冑つけた兵が走って登れないよね。
本丸跡からの眺望はほとんどない。
本丸から土橋を越えて進むと、巨大二重堀切がその姿を現す。
久々利氏がしっかり作り込んだだろう堀切は、今も久々利城に健在だ。