個性立つ山城として、ずっと忘れられなかった苗木城跡を再訪。
中津川市、恵那市に入ってから、冠雪の恵那山の色合いにびっくりして、
もしかして苗木城跡+恵那山で写真撮れるかな?と想像していたら、ほら、撮れた。
足軽屋敷からの苗木城跡+恵那山、もう美しいよね。
巨石を舐めながらの天守跡見晴台、空の色との対比が鮮やか。
冠雪の恵那山を正面に、麓には中津川の街並みが見える。
景色は良いが、当時の苗木城内は寒かっただろうな、冷たい風を遮るものはないし。
遺跡群のような大矢倉、何度も言うが1万石のお城にはToo muchな防衛施設。
土と石と木しかない苗木城、華ある主役は不在。
この石垣の用意周到さ、防御力の高さよ。
夕陽の綺麗な山城ランキングも1位になれるよね、苗木城跡。
圧巻のインパクト、苗木城跡の写真は現実のものだろうか?
こんな場所に、こんな規模の山城、それを企画実現させた先人たちの必要性(生き残るため)が怖い。
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「苗木城」動画を、YouTubeにあげました!
2020年4月29日
失礼ながら、これまで全く関心を寄せなかった苗木城跡。
岐阜県中津川市にある苗木城は、東濃の苗木藩のお城で、遠山家の山城だ。
妻籠宿・馬籠宿トレイルランニングの後、余った夕方の時間で近いから行ってみようかと
気が向いた苗木城跡、ごめんね、あなた中心の旅ではない中で立ち寄ったのが出会い。
遠山氏のことは知っていた、東濃の地方豪族・国衆だが特別に名のしれた武将が出たこともないし、
遠山の金さんは有名だが、戦国時代では取り立てて有名なエピソードもきいたことがない。
苗木城も同じで、名前は知っているが、特に堅城だとか特長は知らなかった。
それが、現地に訪れてみると苗木城跡にびっくり!見どころ満載の山城だった。
駐車場から坂を登って、足軽屋敷からの苗木城天守の眺めに心底驚いた。
山城というか天空の城じゃないか?!苗木城がこんなだったとは聞いていなかったよ!
風吹門を通り、大矢倉の規模にも驚き、そして苗木城天守付近の規模感、
この現代においても当時の気配を残してくれている点にびっくり。
驚くのも無理はないだろう、山城といいながら三河の山城たちのように森の中にあるのではなく、
山頂の空が開けた場所にドーンと構えている城。
平城のように下からの見晴らしが良い、しかし究極の山上に建てられた山城なので攻める方は攻めきれるわけがない。
水の補給は?とか余計なことばかり考えてしまった、あちこちで写真を撮ることが止まらなかった。
巨石がゴロゴロしているのが苗木城跡の特徴で、これが元々あったからこの場所に築城したようだ。
流石にこの巨石はどこからか人力で運ぶには無理があるから。
武器庫や笠置矢倉を歩くと、まるで自分が天空を飛んでいるようにしか思えない空間。
本丸と天守展望台に上がると、もう景色は絶景でお城であることを忘れてしまう。
木曽川と恵那山、それから中津川の町も一望できるし、なんだこの見晴らしは!
この天守がさっきの天然巨石によって支えられていることも奇跡。
石垣というレベルではなくて、巨石のアートというか、天然記念物級。
期待していなかった驚きばかり、僕は苗木城が一瞬で気に入った。
(本丸天守展望台からの絶景、恵那方面)
それで遠山家への味方もガラッと変わってきて、戦国時代に七遠山・遠山十八支城と呼ばれたもののうち、
こうして苗木遠山氏と苗木城は苗木藩として幕末まで1万石の大名として継続して、
苗木城跡も残っているということは、苗木遠山氏は尊敬に値する一族だったんだな。
遠山の金さんは、別の明知遠山氏だから苗木城跡とは直接の関係性がない。
待てよ、1万石の大名で城持ちって異例だな、そのぐらいの石高であれば城ではなく、もう少し規模の小さい「陣屋」が通例。
苗木遠山氏には何か特別な力があったのだろう、土地柄かもしれないが特殊な例だ。
(本丸天守展望台からの絶景、中津川と恵那山方面)
僕はなかなかのお城ファンだが、苗木城跡との出逢いは僕を驚かさせてくれた。
だからこの苗木城跡の写真を見て、行ってみたい!とウェブ上の誰かのきっかけになれば良いな。
そして僕は季節と時間帯を変えてここ苗木城跡を再訪するだろう、そのぐらい好きになった。