能登には七尾城という巨大な山城、そしてかなりの名城があると聞いていた。
奥地にあるけど行ってみたい、勢いで訪問してみると、総じてやはり見事な城郭で、遺構がしっかり残っていた。
本丸駐車場から徒歩ですぐに調度丸まで辿り着いて、標高300mの本丸もすぐ。
だが七尾城址の素晴らしさはその途中にあって、桜馬場一帯の石垣が見事に残っているところがひとつ。
山城にしては歩きやすい道が整っている七尾城跡。
山城のかなり上の部分なのに大規模な石垣が残っている、どうやってここまで持ち上げた?
七尾城本丸の真下にある本丸外枡形石垣、アートのような遺跡。
本丸から見た七尾港、当時は船輸送の重要地点だった七尾港、その港と街の繁栄を守ったのが七尾城。
海とお城の間に街があって、それらの一帯が能登の繁栄、能登畠山氏の時代。
本丸の一番高い部分には神社、これも日本文化ならでは。
本丸からの七尾港方面、下から攻め上がってくるのも大変だよ、標高差300mもあるのだから。
上杉謙信も力攻めでは攻めあぐねて、内応によってついには陥落させた七尾城。
7つもある丸を下から上へと力攻めしていたら、もうどれだけの損害と時間がかかったことでしょう。
七尾城跡の本丸から二の丸〜三の丸〜安寧寺まで下ってみると、この七尾城の防衛力の高さを感じた。
他国からここまで徒歩で行軍して、さらには標高300mまで永遠と攻めていたら、どれだけ物資輸送しなくてはならないのか。
補給が途絶えてしまいそうだから、この巨大山城には簡単に攻められない。
安寧寺跡、山城に貴重な平らな土地、そこにはこうした防衛地点がある。
とんでもない規模の山城、先人たちの知恵と文化と命の結晶というところ。
能登の七尾城を訪問できた僕の記憶よ、またひとつ名城に出会った。