奥殿陣屋を10年以上ぶりに訪れ、ふと目についた歴史の一文。
大給松平家の大給藩が、移転によって奥殿藩へと名前を変えたのだと。
先月に訪れた大給城で大給松平家のことを覚えたばかりなのに、ここ奥殿陣屋(おくとのじんや)で、2つが繋がった!
書院の入口は変わらず美しい奥殿陣屋、これでいて入場無料というのだから剛腹ぶりに驚く。
内部は畳が美しく、いつも整備された鑑賞物で楽しませてくれる。
誰かのご苦労で見事に整えられた様。
書院を庭から見た様子、日本庭園が格別に美しい、もはや少々京都・奥殿陣屋。
あんな険しい山城・大給城とはまるで正反対に、美学に生きる奥殿陣屋。
土豪・大給松平家は戦さだけではなく、文化にも通じる家系だったのかな。
日本庭園を背景しながら抹茶をいただけるスペース。
裏千家大第十一世玄々斎宗室という方は、奥殿藩出身者と聞いて、なんだか納得した。
十年ぶりに再開した大きなお皿、一目見た瞬間にあなたのことを思い出せたよ。
大袈裟でもなく、この奥殿陣屋の日本庭園を歩いたら、京都の名刹を訪れた気分になって、京都欲がちょっと落ち着いた。
それほどに整備された庭園。
そうだ、奥殿陣屋には優れた庭師さんがいらっしゃるのだろう。
昔から美しく面白い庭仕事を見させてもらっている。
新緑が美しい、それも奥殿陣屋の計算された風景なのだろう。
5月といえば藤棚、日本庭園のみならず洋風庭園もある奥殿陣屋だが、クラシックな藤棚まであった。
道路からの入り口、このナイスなセンスでいて入場無料は想定できない。
この隣の地元野菜販売所も見て楽しかった。
庭師の仕事すごいな、ジンヤの文字をお見事に刈り込んだ。
センスに溢れた奥殿陣屋、大給松平氏をリスペクト。
豊田市民からすると「北の猿投山、南の村積山」と言われる、岡崎市の有名な山が村積山(むらづみやま)。
遠くから見ると富士山に似て形が美しいから「三河富士」とも呼ばれる。
その村積山へとトレイルランニングしてみようと思った。
奥殿陣屋の先、土塁・墓所から、熊野神社へと横移動する。
いつの時代のだ?と驚く建物が熊野神社にあった、明らかに只者ではない。
人がいる気配のない熊野神社から、村積山への登山道は始まっている。
登山というと大袈裟だ、ただのウォーキングコース・トレッキングコース。
唯一驚いたのが上の写真の巨木、他でも滅多に見れないほどの迫力に僕は足を止めた。
途中途中の案内はしっかりしている。
しかし、この村積山への道は角度が急で、トレイルランニングコースとも呼び難い。
標高が低い割に、急な登り坂が多過ぎる曲者のコース。
行きは走って登れるわけもなく、帰りも足元が危なくてトレイルランニングはしづらい。
30分ぐらいで、頂上の村積神社へ、朱色の鳥居が素敵。
標高256mの山頂には展望台があって、まぁこの景色を見るために登ってくる村積山だ。
35mm相当の広角レンズだからはっきり映らないが、空気の澄み渡った日ならば名古屋駅一帯のビル群がよく見えるそうだ。
トレイルランニングコースとしては、猿投山の足元にも及ばない。
村積山頂へは普通に歩いた方がいい、走る必要性はないみたい。
2009年2月撮影
奥殿松平家・奥殿藩の陣屋だった、奥殿陣屋の写真
奥殿陣屋には文化の香り、日本の美が溢れている
ひな祭りを前にして、幾つも雛壇が飾ってあったよ
日本庭園を眺めながらお茶を楽しむなんて、日本の美じゃないか!
奥殿陣屋にはいくつもの美がディスプレイされているね
今日の一番の作品かな
写真の真ん中にお月様が見える?
奥殿陣屋にはカメラを向けたくなっちゃう相手が一杯!
冬だから庭に緑がなくて写真映り良くないけど・・・
奥殿陣屋の裏山
面白いよ、「2009年 うし」ってアートしてある
岡崎市でひっそりと美を咲かせている、それが奥殿陣屋