これから数年続くアメリカ生活の始まり。
いい大人になって、なんでもできるワザを習得したはずなのに、出発前の不安だらけ。
抑えることも儘ならない我が心よ。
年明けまで2週間弱続くアメリカへの海外出張、赴任事前出張を兼ねる、いつか振り返って一笑するために、失敗談を残しておこう。
空港バスの到着が遅れ、最初から乗り遅れを心配していた高速道路沿いのバス停。
何故かついていた空港VIPアテンドにうろたえ、自動化ゲートは自力で突破ならず。
グローバルラウンジではなく、カードラウンジに入ってしまったのも失態か。
バルクヘッドのコンフォートプラスは足元が広かったよ、モニターも机も出すのに苦心。
司馬遼太郎さんの「関ヶ原」3冊が今回の本のお供、アメリカなのに戦国時代なのが良い。
DTWに着くと、ここでもアテンドあり。ESTAがキオスクでは×。
アテンドがいる信頼感からか、お土産が山ほど入ったスーツケースはノーチェック。
ラウンジで食べた軽食が味濃く、逃れられないアメリカを感じていた。
夜、LEXの空港に出迎えに来てくれた先輩と握手、「とうとう来ちゃいました」。
翌日はクローガー、日本食材店で食料品を見つつ、なんとか生きていけそうなことを確認。
事務所に寄り、そこからCRWまでのロングドライブ同乗。
試練の開始はCRW到着後にレンタカーを運転すること、初めての左ハンドル+右側走行で、先輩の車に付いて行く。
両の手のひらから汗が滲み出し、体温が上がる。
結局、運転に慣れるのに1週間はかかった。
よく覚えているのは急に視野が狭くなったこと、日本では左右前後の安全確認を余裕でできるのに、
左ハンドル+右側走行では隣の車線すらろくに意識できず、自分の今だけに終始。
それでも怯えることなく自分ひとりで夜の空港まで走ったり、道と要領を覚えるのに積極的に。
こんな田舎でも日本食風レストラン(中国人が経営)が幾つもあることに驚き。
TGI FRIDAYSで食べたハンバーガー、メキシコレストランで食べたタコス、
クリスマスイブにカジノで先輩と食べたステーキ、クリスマス当日のCRW市内インドレストラン。
あとは時差ボケ+睡眠不足と格闘しながらの仕事、先導も楽ではない。
こんな僻地にあるのね、WV工場は!とびっくりしたよ、霧と鹿が出る何もない道の奥にある。
運転が冒険だった、ある時一人で帰るWV工場からの道、ちょっと慣れた自分を褒めてあげた。
19歳の僕は運転はできなかったけど、今の僕はアメリカという国を車で回れるんだ。
奇遇はあるもので、日本での自分のお客さんに、WV工場の安全講習で隣席になった。
もしや?と思い話しかけてみる積極性、しかも一番のキーパーソン後任者だったという意外。
次第に一人で仕事もできるようになり、戦力として通用するようになった。
ハーツのネバーロストさえあればどこでも行けそうだ、と思えてくる。
仕事のピークは1週間ほどで終わり、先輩らが帰ってしまった後、第2のアメリカ大冒険が始まったのかな。
臆病に負けてホテルに缶詰することは自分で許さず、今の失敗は失敗のうちにも入らないと言い聞かす。
それは怖い心もあるけど、19歳の僕を乗り越えるという目標があるから何でもトライした。
ハンティントンモールで単独になった時からが、アメリカ大冒険2のスタート。
クリスマス明けのブラックフライデー第2弾セール、確かにどの店もセールになっていた。
ヤンキーキャンドルで職場お土産を買い、モール内をウロウロする。
イオンモールのような繊細さはないが、品揃えだけは凄いな。
ノースフェイスの商品も売っていたけど、大雑把な感じで高品質は感じなかった。
子供の遊び場があって安心したが、可愛くないコアラにバッファロー、やっぱり違うのね。
まだ慣れていないからと信じたいが、買いたいと思う商品は見当たらなかった。
帰り道は冒険だったが、ウォールマートでのレジを含めて当たってみれば乗り越えられる。
とりあえずどのお店でもクレジットカードを店員さんに手渡しすることはなくて、自分でスライドってことか。
問題はガソリンスタンドですよ、10年前に日本で人生初めてセルフ給油したときはアタフタした。
アメリカでの給油、初回はクレジットカードが通じて、unleaded=レギュラーガソリンに迷ったが何とか成功。
その次からはクレジットカードが通じなくて、店内でデポジットを払うのにどんな英単語を使えばよいか困った。
給油した後に最終のレシートを貰うのを知りませんでした。
久しぶりのタコベルに舞い上がったか、駐車場に停める時にレンタカーの前をガツン、とぶつけました。
マクドナルドのmeal(セット)という単語が分からなかったけど、なんとか乗り切れた。
アメリカ食に辟易した頃、出会ったサブウェイのtunaサンドに救われた。
逐一好みを伝えてオーダーするのは楽じゃないけど、tuna, footlong, White breadがあれば生きていける。
ウォールマートやクローガーで冷凍食品も買って試したが、どれも濃く、甘く、ちょっと厳しい。
CRW市内を長々とドライブして街の様子をチェック、平和な田舎町だと分かった。
パーキングメーターを使うのも初めてのこと、初回は週末だから?とお金払わなかったが次から払いました。
毎日どこか適当に目的地を定めて出かける、というルールを自分に課したことで行動力が一気に広がったよ。
どこでも行けるし、どの店でもそれなりにオーダーできるようになりました。
運転の苦手意識はなくなった、お店での買い物はまだ慣れないところはありますが。
ビーチフォーク・レイクの写真 ウェストバージニア州ラバレットの野生動物保護区
行き先はどこでも良いのだ、運転に慣れることが目的なのだから。
グーグルマップで適当に選んだのがビーチフォーク・レイク。
ウェストバージニア州ラバレットにある野生動物保護区。
冬だから動物にも遭わないし、キャンプをするわけでもないけど。
ハンティントンからBeech Fork Lake Marinaまでは森の道、別荘じゃなくて普通に住んでいる家が並ぶ。
街に住む必要性を持っていないアメリカ人に感心。
冬のBeech Fork Lake Marinaには何もない。それ以上言葉もない。
そのまま帰るのも消化不良、さらに山の中の細い道を通ってBeech Fork Camp Groundsへ。
さらに凄い場所にも住居があり、車がある=本当に住んでいる、ということに驚く。
冬のBeech Fork Camp Groundsには何もない。それ以上言葉もない。
もうどんな目的地へも自分の運転で行ける自信が深まった。
夏の色が皆無の写真ばかりになったが、これも初期の思い出になればいいな。
サブウェイ>バーガーキング>タコベル>マクドナルド の順で気に入りました。
West Virginia State Museumにも行ったけど、まぁ見所とは言えない。
BEST BUYにはニコンの良いカメラなんて全くなく、DICK'Sにもノースフェイスの良いグッズも売ってない。
アメリカではどこで欲しいものを買えばいいのだろう、Amazonに頼りそうな予感がする。
CRWからLEXまで、今井美樹さんの「野生の風~Jazz Live Version」を歌いながら走ったのも良い思い出。
Fayette Mallが大きくて嬉しかった、あの辺りの住宅街の雰囲気が良かったから家はあの付近かな。
LEXがすごく都会に思えた、店はたくさんあるし、オーガニックなスーパーとか。
コストコは期待外れだったな、日本と造りは同じ、人はガラガラ、特に気になった品揃えはなく。
出張レポートを書き上げ、寒かったけど気晴らしにクーンスキンパークを走る。
いざ帰国当日、フライトディレイで日本に帰れないのが分かった午前4時の悪夢。
丸1日後に帰国となり、ふてくされて外出もせず、書きかけの山走り小説を書き続けた。
そんな悪くも貴重な体験を経て、翌朝はちゃんとフライトが飛んで帰ることができた。
アトランタからの14時間フライトは長すぎ、5本は映画を見続けた。
成田からの国内線が取れず、NEXと新幹線を乗り継いで帰った。
日本に着いて食べた駅弁が美味しかった、何もかも美味しく優しく温かく感じた。
時差ぼけと眠気と闘いながらたどり着いた自宅、もう何もいらない、ここが最高の場所。
2015年12月13日
海外赴任の事前出張 スーツケースの中身はお土産だらけに
海外赴任前の事前出張、いよいよ始まるのだと思うとドキドキする。
スーツケースをパッキングしたら、お土産だらけの楽しい絵になった。
まだ分かっていない、何を持っていけば良いのか、逆に現地に何があるのか。
年明けまで続く長い出張、クリスマスと年始年末を家族と離れるのは寂しいものです。
国際免許取得、初めて取った自分の航空券予約、こんなに食料品持って行って税関大丈夫か?
新たな冒険を求めて始まった海外赴任、未知の自分で生まれると信じて。
2015年7月29日
アメリカ赴任の内示が来た! 自分で自分の将来をデザインする
久々の大きな仕事、迷わず話に乗ることにした、むしろ随分と積極的に。
周りの候補者が断る中、僕は賛成したのは何故?
シアトルに遊学していた19歳の頃、お金と実行力が足りなくてアメリカで達成出来なかったことがある。
行動力や体力はあの頃に及ばないかもしれないけど、今なら取り返せることがあるだろう。
頭で考える前に、後悔というか、未練というか、そんなものが僕の体の奥底で眠っていたからだろう、不思議と迷うことなく立候補した。
こんな人生の展開になるとは思いもよらなかった。
心配は家族を連れていくこと。
行くことには家族も喜んでくれているから良かったが、安心安全な生活がちゃんとできるか。
それから日本と逆になる車の運転。
せっかく一戸建ての家を日本で購入したばかりのなのに、まさかの海外転勤。
アメリカビザを取る必然性のストーリーを書き上げ、大学の卒業証明書を入手する。
20代の頃、会社勤めをしながら通信教育で大卒の資格を取って良かった。
学士の資格が、どうしてもアメリカビザ取得には必要だから。
趣味でやっていたあの頃の努力が、まさかのまさか、今この時に役立つなんてそれも思いもよらない展開。
自分の将来をデザインして、自分の生き方をもう一度リフレッシュさせる、そんな機会になるといいな。
さぁ、アメリカ赴任ができるか、僕の挑戦が始まる。
レキシントン、ブルーグラスの町
2008/04/21 13:09:00
新緑の季節にすっかり惚れた。
レキシントンの空港に降り立つと、白や紫のキンモクセイが花咲き、芝生の青が鮮やかに、
風は4月の涼しさで、鳥たちがあちころでさえずる天国のような場所。
CAMRYを走らせるとケンタッキーの馬たちがブルーグラスの丘で草を食み、絵本から飛び出したようなレンガの家の美しい光景。
どこもかしこも美しく、広大な土地に美しいレキシントン。
アメリカ旅行の思い出
2008/04/23 18:26:00
普段ではありえないほど、たくさんの人たちにお会いできた。
旅が終わるとそれが素敵な思い出に変わってずっと僕の心に残ってくれる。
どのことも、僕にインスピレーションを与えてくれ、まもなく詩的な物語に姿を変えることだろう。
Hello, America! Bye, America!!
12年ぶりの、懐かしい、新しいアメリカ旅行でした。
マリオットのあの人が、レキシントンの花と鳥が、成長した英会話が、Eチケットもホーソンもみんな忘れられないよ。
日常と非日常は交わっている。これからの毎日を大切に生きよう。