滝山寺の本殿を、松明を持った男たちが歩き回る。
丸い鏡餅を持った鬼が、滝山寺鬼まつりの主役。
旧暦の元旦から7日間祈りを捧げ、集大成としての鬼まつり、平和と収穫を願う日本の伝統行事。
鎌倉時代から約800年も続くのが滝山寺の鬼まつりだとか。
松明で本堂が燃えてしまわないか?人も燃えてしまわないか?
クライマックスの火祭りは、ほんの一瞬。
写真撮影に夢中になっていたら、お祭りのメインは7分で終わり。
ほとんどファインダー越しにお祭りの最高潮を見てしまった。
肉眼では見ている合間もなかった、それほどに写真撮影に夢中。
伝・運慶作と言われる鬼面、滝山寺には仏師・運慶の作品と伝えられるものがある。
分かりやすく言うと、「伝・なんとか」はかなりの確率で偽物。
ただの伝説、もしくは期待値。
祖父面・祖母面・孫面と呼ばれる鬼面、それから梵天・帝釈天・聖観音の三尊像、
まさか愛知県岡崎市の片隅の小さなお寺で、運慶(と伝えられる作品)に出会えるなんて!
撮影場所の選択が難しかったよ、滝山寺 鬼まつりの画像。
お寺の本堂が舞台だから、目線がやや上、普通に撮ると見物客たちの頭しか入らない。
と言っても見物客ゾーンの最前列に立ったとしても近過ぎて、ドアップのイマイチな写真になってしまう。
望遠レンズで狙うしかないな、全体像をとらえるのではなく、部分部分を切り撮る撮影方法が良さそうだ。
35mm換算で、100mm以上の望遠レンズだな、滝山寺鬼まつり対策として効果的なのは。
フラッシュは使わず、そのままの雰囲気で良いが、ISOをあげてF値を小さくしても、周囲が暗いのでどうしてもブレてしまう。
それが分かっていたから奇跡を信じて連写あるのみ、カメラやレンズ自体の性能に任せれば、一枚や二枚は良いものが撮れるものだ。
自分の技量なんてちっぽけなもの、こんな時は運に任せて数多くシャッターを切るのみ。
満足ではない出来具体だった僕の滝山寺 鬼まつりの画像、またいつか再挑戦する機会もあるだろう。
最前列からは見上げる構図になってしまうから、あまり良い画像は撮れず。
観客席の一番後ろに脚立を立てて、高いポジションから望遠レンズで狙いたい。
実際に早い時間帯から最尾列に脚立をセットして撮影場所を確保していたカメラマンがいた、あれは滝山寺鬼まつりのリピーターに違いない。
火祭りでは撮影場所選びが勝負になる。
初回は下見みたいなもの、2回目以降にベストな場所を確保して撮ることになりがち。
何事も挑戦あるのみね、またお会いしましょう、滝山寺の鬼まつり。
2024年2月4日
岡崎市の滝山寺を訪れた、前回の鬼祭りから9年も経つのだと。
ただカメラを持ってブラブラと境内を歩く、9年前の鬼祭りの夜は凄い人手&真っ暗でした。
そうそう、この場所でカメラ設定をあれこれ悩みながら写真を撮ったな。
そのもっと前には、伝運慶の仏像をみに宝物館にも入ったな、もう忘れてしまいそうなぐらい昔のお話。
滝山東照宮、岡崎にある日本三東照宮だとか。
いつか、鬼祭りという火祭りを写真撮影するため、僕は再訪するかな、まるで見当もつかない先のお話でしょうか。
2024年2月4日
滝山寺の近くにある、岩津天満宮(岩津天神)を訪問、ここは学問の神様がいる。
一番の下の駐車場からわざわざ階段を登る、そのぐらいの不便さが心地良い。
梅が咲き始めていた、梅=菅原道真公をイメージするから、岩津天満宮にピッタリ。
五色布と他もカラフルだった岩津天満宮、明るくて好き。
岩津観音、鳥居の向こうには稲荷社が。
岩津天満宮なのか、岩津天神なのか、私はその違いを知らない。
青色のおみくじ、それは目に留まりました。
さらにすぐ近くにある真福寺、ここは594年に聖徳太子が建立したという凄いフレーズが言える古刹。
仁王門前に車を停めて、長い階段をわざわざ歩いた、このぐらいが丁度いい(再)。
真福寺本堂近くには色々なものがあって驚いた、その規模感と本物ぶりに。
多宝塔に城跡、竹膳料理の食堂、開山堂、つまり三河国で最古の寺院、というフレーズに嘘はない。
大きな鐘もつける。
建物の古さ、かつての立派さも分かる。
知らなかった岡崎市の古刹・真福寺。