『雨月物語』は現代に近い。
人間の性の追求がこの物語全体を貫いている主題だと言われるが、
とりわけ『浅茅が宿』においてその性を追求する状況が現代社会に近いという特異性が顕著である。
秋成の性の映し出し方は、個人では打ち克ちがたい状況の変化にもまれることによって、
人間の本質である性が見えてくる、というものである。
『浅茅が宿』では足利氏と上杉氏の関東一円における騒乱が勝四郎の帰郷を妨げ、
そして皮肉にもその後勝四郎に故郷を訪れる気にさせたのも畠山兄弟の戦乱であった。
その状況の代表格として、戦争という中世から近世の日常がここでは活用されている。
秋成はこういった現実的な状況は、人間の性とは異質なものであるという考えをしていたのだろう。
そして、これもまた皮肉ではあるのだが、そういった混乱の環境を通してこそ、
人間本来の性がはっきりと見えてくるという独特の考えに至ったのではないか。
自然に時代を生きる人間は、人間そのものである性と、
その生きた時代という環境という二つの要素において形成されるという結論に至ったのではないか。
そして、秋成はその二つのうちの、人間そのものである性に、文学としての興味を注いだのだ。
そこに秋成の作品の特異性を見つけることができる。
それは中世から近世という、民衆を抑圧する封建体制が整い、かつ戦乱という混乱状況があり、人間の秩序というものが
まだまだ固定化されることのない時代であったことが重要な要素であった。
この『雨月物語』の『白峰』や『菊花の約』のように変動の時代を舞台にした作品を
好んで書いたところからもそうであるが、秋成の別のテーマに「歴史」があると言われる。
なかでも中世を舞台に選ぶことが多く、それは秋成が混乱期こそ、
人間の本質である性が最も著しく現れるということを考えていたからであろう。
そこが現代に近いのではないか。
激動の近代を経て、一応は安定した社会を現代の私たちは享受している。
しかし、その安定した現代は現代なりの問題を抱えていて、
まず万人に共通したゴールがないことで現代人が自分の行く道を見失いつつあるということがある。
例えば近代では政治や戦争という大きなもの、ひいては家庭というものが全国民の最も大きな興味であり続けた。
現代ではそういったものはない。
誰もが自分の興味ある課題を自分で探して生きてゆくわけである。
それが、中世から近世の混乱期と共通しているのではないか。
だからこそ、現代人である私たちにも『雨月物語』が伝わってくる。
『雨月物語』を読んで、自分の行き方を探すという現代文学に共通するものを感じる。
混乱のなかに人間の本質である性を探す、というスタイルはこのように現代に近いのであり、
それが秋成の特異性であることはこのことからも説明できるのではないか。
一方で、上田秋成の教養の深さがこの『雨月物語』から窺える。
『浅茅が宿』だけでも、このストーリーの原作というか、ヒントになった話は非常に数多くある。
『愛卿伝』の話の輪郭や、謡曲『砧』の女の心情、源氏物語の『蓬生』の叙述部分と似ていたり、
そもそも『浅茅が宿』のタイトルも『蓬生』のなかの「浅茅が宿」という一語からであるといわれるし、
『繁野話』とも設定が似ているという指摘があったり、最終部分の手児女の話は『万葉集』の知識であるし、
全体的には今昔物語の説話『人妻死後会旧夫語』に顕れているものと共通する部分がある。
それらは秋成の知識の深さを示すものであり、
また、彼自身の生き方、自身が言うように若い頃は「放蕩者」であり、俳諧に熱を上げ、
紙と油を商う身から医者に転身し、国学者であり歌人であり、
茶や戯文を書いたりする知識人としての姿を総合的に考えると、
秋成はそれら膨大な知識の中から自身が生きた近世という独特な時代をわざと選んで作品にしているのである。
もちろん、秋成の作品はそれらを総合した借り物でもない。
例えば、『浅茅が宿』で宮木が消えてしまった朝、
勝四郎が彼女はいつ死んだかを尋ねた「ちかき家の主」がもうすでに知らない人であったり、
逆に勝四郎がどこの国の者かと聞かれるあたりは、戦乱による時の推移がよく浮き彫りにされている。
これは他のヒントになった話にはなかった部分であり、
それらの話に秋成が近世独特の部分を加味していることを示している。
つまり、秋成はそういった様々な素材を経た上で、
中世から近世という時代に翻弄される人間の性の追求があることを知り、時代における人の性の追及に特化した。
彼の作品の特異性もまたそこに集中するのである。