夜景写真撮影ファンにはたまらない街・ワシントンD.C.、だって、被写体の宝庫だから。
ワシントン・モニュメントは高さ169mにして、ワシントンD.C.で最も高い建築物。
リンカーン・メモリアルの前、池越に長秒露光してみる、夜景撮影・最高峰の美しさになった。
ナショナル・モールから見えるだけではない、
アーリントン墓地からもはっきりと見えた、だってこの街一番の高さだから。
三脚を担いでの夜景撮影、ワシントンD.C.は大観光地だから
夜でも人は歩いていて、治安の心配は感じなかった。
ポトマック川沿い、開花を待つ桜の向うに見えたのはワシントンモニュメント、濃霧に遮られておぼろな姿。
ワシントンモニュメントの後ろには、アメリカ合衆国議会議事堂が隠れている、直線上だから丸かぶり。
複数角度からのワシントンモニュメントの夜景写真、
これほどワシントンモニュメントに特化したページは他にはないでしょう!
リンカーンメモリアルの夜景写真
夜景に白く浮かび上がるリンカーンメモリアル、その美しさは遠目からでも。
すぐ近くのナショナル空港に発着する飛行機が引いてくれる光の線を入れて、僕はリンカーンメモリアルの夜景写真を本気撮り。
三脚での撮影が認められていないリンカーンメモリアルの建物内。
柱にもたれかかって身体を固定し、手持ち撮影でもスローシャッター1/4秒で人をブラす。
記憶に残るリンカーンメモリアルの写真は、この180°真裏、池越しにワシントンモニュメントを見るシーンなのだが。
リンカーンメモリアルを写真に撮るなら夜景撮影が一番さ、ワシントンDCの楽しみ方。
アメリカ合衆国議会議事堂の夜景写真、ここに極まりか。
無風・澄み切った冬の空気に恵まれ、我ながら素晴らしい写真撮影ができた。
正面(ビジターセンター側)から広角レンズ28mm、シンメトリー構図で堂々と。
ワシントンモニュメントと並び、
ナショナルモールを東西から挟むワシントンDCのキング・議会議事堂。
アメリカ合衆国議会議事堂(United States Capitol)内の見学ツアー予約取れなかった・・・
「いつか、また」と言いたいところだが、
これだけ満足に夜景撮影ができた以上、もうワシントンDCには来ないかも。
ユニオンステーションから、道の真っ直ぐ先にアメリカ合衆国議会議事堂が構える。
大袈裟に言うなら、アメリカ合衆国議会議事堂と僕が交差した、
最後にして最高に美しい時間だった。
ワシントンDCへ車で到着した際、フランシス・ケース・メモリアル・ブリッジを渡ると目に入った。
ワシントンDCワーフ(The Wharf DC)の夜景写真、魚市場って書くとヘンな感じになるけど。
ワシントン運河を挟んだ東ポトマック公園・Ohio SW Driveから、僕は嬉しい夜景撮影場所に出逢った。
首都ワシントンDCにふさわしい洗練具合、それなのに魚市場と名付けるセンスとの落差に、誰もがひかれる。
ワシントンDCワーフを歩けば魚の匂い。
霧が出ていて辺りの様子が分からない夜にも撮ったが、酔客の歓声は心地よさと平和を感じた。
トーマスジェファーソン記念堂からもすぐそこ、ザ・ワーフDCの夜景写真。
フランシス・ケース・メモリアル・ブリッジの夜景写真
フランシス・ケース・メモリアル・ブリッジ(Francis Case Memorial Bridge)との出逢いは突然だった。
夜景写真撮影のため、車でグルグルとワシントンDCの有名スポットを回っていた時。
ワシントンDCワーフを撮り終え、トーマス・ジェファーソン・メモリアル方向へ車を走らせると、思わずブレーキ!
紫に怪しく照らし出された橋脚、カメラマンの興味心が疼く、暗く人通りの少ない場所でも車を降りて、三脚を立てる。
ちょうど、フランシス・ケース・メモリアル・ブリッジの橋の真下、中央分離帯に車を停めればいざという時も逃げれる。
治安面の恐怖心に勝る、傑作写真が撮れた。ハイリスク・ハイリターンって奴か。
同じ趣味のカメラマンが1人、きっと互いビビりながらSay Helloして、NIKONトークを交わす。
ありがとう、あなたがいてくれたお蔭で逃げ出さずにすんだ。
翌夜は濃い霧が出ていて、再訪するとまたミステリアスな写真が撮れた。
その先に歩いて行けそうな。
私にとっては、きっと生涯忘れることのないベスト・オブ・ベスト夜景撮影体験となった。
ガイドブックには載ることのないワシントンDCの穴場写真スポット。
車と勇気があるカメラマンさん、どうぞお試しあれ。
トーマス・ジェファーソン・メモリアル(記念堂)の夜景写真
ポトマック川沿い、タイダルベイスンを囲むOhio Drive SWに車を走らせていると、濃い霧がヘッドライトを遮る。
こんな天候ではトーマス・ジェファーソン・メモリアルの夜景写真は撮れないかもしれないね・・・とつぶやきながら。
タイダルベイスンの池越しにトーマス・ジェファーソン・メモリアルと向き合うと、心が震えた。
こうしたレアな気候条件での夜景写真は大失敗か大成功かになりがち、今夜は後者だ。
左に薄く見えているのはワシントンモニュメント、2者を横に並べてみた。
トーマス・ジェファーソン・メモリアルと幽玄、という言葉が交差した、ワシントンDCの奇跡を忘れない。
ナショナルモールの夜景写真
カメラを持って、夜のナショナルモールを歩く。
目的ははっきりしているのだ、手にした三脚がカメラマンである証明。
東を向けば、アメリカ合衆国議会議事堂が。
スミソニアン協会本部は夜になるとますます絵になる、学術機関って雰囲気が素敵。
ワシントンモニュメントに常に見守られているのがワシントンDCのナショナルモール。
第二次世界大戦記念碑、まだ記憶に新しい悲劇を美しく写真に撮りたかった。
脇の歩道を歩こう、ナショナルモールの夜景写真を撮りまわった日の思い出。
ホワイトハウスの夜景写真、それもクリスマスツリーのある時期に。
ワシントンDCの定番だってね、ホワイトハウス前のクリスマスツリー、
今年は高さ6mだとか。
あなたまでの距離が遠過ぎるから、どう手を伸ばしても届かない。
望遠レンズ持ってこれば良かった。
夜10時になると電気が消えたホワイトハウスのクリスマスツリー、
静かにおやすみなさい。
アメリカ最高裁判所・議会図書館の夜景写真
アメリカ議会議事堂(正面)の道向かいに2つの美しい場所がある。
最高裁判所と、議会図書館と。
最高裁判所へ、僕の最高の技術を使って夜景写真をプレゼントする。
アメリカ合衆国議会議事堂の水たまりへの映り込み。
議会図書館は建物内部も素敵だが、外部もまたスター級。
ワシントンDCには写真映えする建築物が数多く。
ユニオン駅の夜景写真
ユニオン駅と名前の付く駅は数あれど、ワシントンDCのユニオン駅(Union Station)の美しいこと。
ひと手間かけ、三脚でスローシャッター。
動いている車の線、止まっている車の形。
ユニオン駅構内は三脚使用禁止だった、クリスマスツリーがあることで一層個性的な空間に。
写真撮影に夢中になって、周りに目が届かないと困るね、治安面も考えないと。
三脚に一眼レフカメラをセットしてスローシャッターを切ると、その秒間は360°ぐるりと周囲を見渡してチェックさ。
寒いのに心温まる色使い、NIKON D850のピクチャーコントロール「フラット」を多用した、ワシントンDC・ユニオン駅の夜景写真。
ワシントンD.C.の旅行観光写真、一眼レフ撮影スポット
カメラを持って歩きながら観光するワシントンD.C.、写真撮影したくなる場所が多い街。
道向こうに見せる国会議事堂、威厳を増幅させるための仕掛け。
ポトマック公園の桜が有名だが、街中にも時折桜がある。「アメリカで一番桜が似合う街」と褒めたくなる。
リンカーン記念館のモニュメント、政治中心地・ワシントンD.C.らしい整然さが美しい。
派手な文化を排した、シンプルな機能美を感じるワシントンD.C.にはランニングやサイクリングが似合う。
フードトラックと呼ばれる出店、ナショナルモール一帯に数多い。
国立アメリカ歴史博物館、国立自然史博物館、国立航空宇宙博物館と回った、なんだかアメリカ版・修学旅行みたい。
世界の喧騒から離れて、ワシントンD.C.は本当に穏やか。この街を創ったアメリカって凄い国だな。
何かを象徴する物が多いワシントンD.C.だが、ワシントン記念塔が一番かな。
高層ビルがないから街のどこからも見える、アーリントン国立墓地からもはっきり見えた。
ホワイトハウス、政治色ではなく機能と象徴だけを上手に見せる仕掛けがあるのか、見て楽しい。
ホワイトハウスの写真、メインハウス前のクリスマスツリーはワシントンDCの冬の定番
日本で「総理官邸へ観光しに行こう!」とはならないな・・・。
それなのに、アメリカというかワシントンDCに来たら誰もがホワイトハウスを訪れる。
ホワイトハウスのクリスマスツリーは長年続く習慣。
本物の木、それも毎年違う木が使われる。
でもホワイトハウス(メインハウス)に日中、大統領はいない。
ウエストウィングに、大統領の執務室であるオーバルオフィスがあるのだから。
アメリカの象徴。
日本でこれに該当するものは、国会議事堂ではないな。
皇居? ちょっと趣旨が異なるが。
ホワイトハウスの裏手の道、ポリスがいっぱいいるが、その歩行者天国は道が美しい。
アメリカの大統領はHEROなのだな、そのエッセンスの幾分かを日本の総理大臣像にも欲しい。
ホワイトハウス前で撮る写真、なんだかアメリカを強く感じるシーン。
国立アメリカ歴史博物館の写真、ワシントンDCらしい歴代大統領の展示物
アメリカは新しい国なんだな、と国立アメリカ歴史博物館で再認識した。
展示物に中世・近世のものがなく、せめて近代、もしくは現代。
歴史の浅いアメリカに歴史を語られても・・・と皮肉を言いたくもなったが、
ワシントンDCの国立アメリカ歴史博物館は近代以降のアメリカの歴史を示す場所。
なかでも歴代大統領のもの、ファーストレディたちのものが人気。
↑はトランプ大統領夫人が就任式で着ていた衣装、現代というか現在。
アメリカ人がアメリカ人であることを誇りに思える場所の創造。
国立アメリカ歴史博物館って、そういうことなのだろうか。
こんな文化あったな、そして、それは世界中から強く憧れられたな。
もはや言葉はいらない、コカ・コーラとか、スーパーマンなら世界の誰もが知っている。
素晴らしい展示物をありがとう、ワシントンDCの国立アメリカ歴史博物館。
リンカーンメモリアルの写真 ワシントンDCの人気観光スポット
これと言って何もない場所のはずが、ワシントン屈指の人気観光地。
リンカーンメモリアルは偉大だな、特にリンカーン大統領がスピーチした場所でもない。
有名なのはキング牧師のI have a dreamスピーチだし。
とにかく不便なぐらいに広いスペースをひたすら歩く苦行。
リンカーンメモリアルとはそういうものだ。
ギリシャ風建築物の中にはリンカーン大統領の像。
我らがケンタッキー州生まれの英雄、歴代の大統領の中でも尊敬される度は1・2を誇る。
ワシントンモニュメント、その先には(写真に見えないけど)議会議事堂が。
ただ歩いて存在の大きさを感じよう、アメリカ版・パルテノン神殿といったところか。
今から100年後には世界的な遺産になっているさ、リンカーンメモリアル。
アメリカ国立自然史博物館の写真 ワシントンDC・スミソニアン協会
悪く書くと、大泥棒・権力者たちの分捕りの成果、それも世界レベルで。
ワシントンDCのアメリカ国立自然史博物館の展示レベルが凄過ぎる。。。
ひとつひとつ見ると、時間が永遠にあったとしても足りなさそうな。
しかも入館無料にしているのがスミソニアン協会というか、国策として賢い。
ダイオウイカのはく製。
大泥棒の象徴・まさかのモアイ像。
宝物はその地に残しておくのが良いのだが、昔の権力者ってこういうことをする。
スーパースターである恐竜の展示は、数と種類が豊富。
アメリカには直接関係ない古代エジプト関係。
1つの建物でこれほど幅広い地理・時代を見れるというのは最高の贅沢。
憎たらしいほどのワガママぶり、国立自然史博物館って。
面白いから満足するが、本来のことを考えればエゴの強い存在ね。
ホープダイヤモンドに至ってはリアルさは遥か彼方。
ワシントンDCの国立自然史博物館を訪れて、人の欲の深さに触れよう。
アメリカ国立航空宇宙博物館 ゼロ戦の写真
ワシントンD.C.で1番人気の博物館、それがアメリカ国立航空宇宙博物館。
昔から現代まで、ありとあらゆる空飛ぶ乗り物を見ることができる。
私のお目当てはゼロ戦。
本物であること自体で驚きなのだが、更には損傷がほぼない状態で不時着した機体。
戦争の功罪はさておき、先人たちの生死に祈りを捧げる。
ところで写真的にはゼロ戦の展示角度で良く撮れない、写真映えしない。
名前も知らないいにしえのアメリカの航空会社名がたくさん。
もう古い歴史になりつつあるのに、宇宙コーナーは未知の世界。
ライト兄弟の飛行機だとか、デトロイトのグリーンフィールドビレッジにも跡があったな。
いくら時間があっても見足りることがない、無限の展示物、ワシントンD.C.の国立航空宇宙博物館よ。
2017年4月23日
ワシントンD.C.のランニングコース、アメリカを走る
ワシントンD.C.はランニングパラダイス、観光は歩いてするものと決まっていない。
なにより移動の自由度というか、スピード感と行動範囲の広さが好き。
そういうことで、ワシントンD.C.を一通りランニングで回ってみることにした。
ポトマック川沿い、桜並木のポトマック公園を走って一周したかったのが、このRUNのきっかけ。
桜の時季ではないけれど、ぐるりと一周走っていたら嬉しくて笑えてきた。
21年前にも歩いたはずの場所、時を超えて僕はまたこの場所にいる。
ワシントン記念塔はワシントンD.C.のどこからでも見える、まさに象徴ってやつだ。
アーリントン墓地からも見れたし、高いビルのない(禁じられた)ワシントンD.C.がいいね。
トーマス・ジェファーソン記念館を訪れる、
アメリカ駐在中に一度は来てみたい、桜満開のポトマック公園を。
ナショナルモールにはランナーが多い、
僕は国会議事堂へと向かうが観光客に交じって地元のランナーが多数。
進路を変えてユニオン駅まで走ってみた、
遠い昔の記憶が残っている場所だったから、足はつい向かっていた。
あの時はアムトラックを使ってニューヨークからフィラデルフィア経由で来たな。
ユニオン駅の中の雰囲気、久しぶり過ぎて涙が出そうだった、最新化されていたが基本は変わらない。
そこから観光地とは無縁の都会ストリートを走る、
政治中心地としてのワシントンD.C.の空気を感じたくて。
中華街があったのには驚き、こんな門まであって。
漢字が見えてきたときは目を疑った。
都心を抜けてホワイトハウス前まで、ポリスカーを横切り、自転車の観光者を追い、僕は走る。
ホワイトハウスの建物よりも、隣のThe Old Executive Office Buildingの造りに目を奪われた。
ワシントンD.C.名物のTシャツ売りのワゴン、TRUMPはもちろん、まだオバマさんのものも売っていた。
第2次世界大戦記念碑からリンカーン記念館へと向かう歩道の緑の美しさ。
季節もベストだったのだろうが、贅沢なランニングコースだな、光栄、光栄の限り。
ワシントンD.C.を自分の足で走り回る? 人生でこんな経験もう二度とないだろう。
日本の古道トレイルランニングも刺激と光栄に満ちたものだったが、今日のRUNもそれに劣らない。
リンカーンにご挨拶、たった2時間ぐらいなのに、ワシントンD.C.のあちこちを一気に駆け抜けた。
この景色だよね、ワシントンD.C.といえば。リンカーン記念館から見渡すとき。
キング牧師記念碑から桜並木をまた走る、僕はこのRUNで21年前の記憶を上書き更新した。
ワシントンD.C.の街の雰囲気を感じるならばRUNは最高の方法、
僕にはきっと忘れがたい思い出、精一杯の時間だった。
ワシントンD.C.旅行の思い出 市内観光名所の画像・写真
ワシントンD.C.の画像を撮り過ぎて、活用するにも余ってしまった。
どうしよう?と考えていて閃いたこと、そうだ、今の写真なのに過去の思い出を書いてみよう。
20年前のこと、覚えているピースを記憶から拾い上げ、ここに残してみる。
1996年の冬、僕はアムトラックでユニオンに降りたった。ニューヨークからフィラデルフィアに寄った後。
1か月の長旅なのにリュックひとつの軽装、洋服をNY5番街のGAPで丸ごと新調した。
ワシントンD.C.では駅から徒歩で行けたユースホステルに泊まって、夜はみんなで映画を見た。
地下鉄に乗ってアーリントン国立墓地に行ったのだと思う、地下鉄構内を雰囲気ははっきり覚えていた。
ナショナルモールを歩いた記憶もある、スミソニアン博物館とかホロコースト記念館とかに入った。
カフェテリアのランチ、国立アメリカ歴史博物館の建物の造りを覚えていた。
大王イカのはく製、Black/Whiteを分けた昔のゲートが印象強かった。
ポトマック川沿いの桜並木を歩いたことも分かっているんだ、桜に興味が薄かった19歳の頃なのに。
ホワイトハウス前での記念写真が残っている、フォード劇場にも行ったのだろう。どれだけ歩いた?
今は2つも柵に遮られたホワイトハウス、20年前は手前の1つ目はなく、奥の2つ目まで誰でも行けたんだ。
ニューヨークやシカゴは治安に怖さを感じたのに、当時もワシントンD.C.ではそんなの感じていなかった。
今も書斎にある「EQUAL JUSTICE UNDER LAW」のブックマーク、最高裁判所にも僕は寄ったのか。
国会議事堂にも入ったと覚えている、まだ当時は9.11のテロ前で割合平和だった。
そうだ、ホワイトハウス内のツアーにも参加したはず。旅慣れていたな、19歳の僕。車と金がなかったのに。
今のワシントンD.C.の画像が目の前にあるのに、それを無視して思い出だけを語る、そんな稀な詩的日記。
アーリントン国立墓地の写真 無名戦士の墓・明るい墓地は公園のよう
アーリントン国立墓地をランニングで駆け抜けてみようとしたが、そんな雰囲気でもなかったので思いとどまった。
驚いたのはアーリントン国立墓地の入り口で空港セキュリティのようなボディー&荷物チェックがあったこと。
確かに21年前はそんなのなかった、しかも市内観光地でもないこの場所で。
余談はさておき、ワシントンD.C.のアーリントン国立墓地の中を歩いてみると、明るい、明るい。
どこにも暗い怨念や、死者へのじめじめ感がない、アメリカらしい前向きなモニュメント、まるで公園。
無名戦士の墓を衛兵さんが警護している、先人たちへのリスペクトを感じる場所。
その裏はコロシアムのように見えたが、各種式典を行うにふさわしい場所か。
幾つもの戦争で亡くなったUnknownの人たち。経緯はともあれ敬わなくてはいけないね。ワシントンD.C.を一望。
アートのような、ゲームのような、とにかく明るい墓地、日本の風習とはまるで違うことが驚きね。
それはリスさんだってアーリントン国立墓地の中に住む、明るく弔ふアメリカらしくて好き。カメラだって向けちゃう。
ジョン・F・ケネディ(第35代大統領)の墓があり、永遠の炎が続けられていた。
ここは衝撃的な場所、ジメジメせず、こんなに明るく先人たちを送っている。
発想の違いに脱帽のアーリントン国立墓地の写真でした。