明知城は「明智城」ではなく、あの明智光秀公が若かりしき日に守った城ではないに違いない。
東濃の豪族・遠山氏の一派、遠山七頭の明知遠山氏が支配していただろう明知城。
夏草が茂った写真からは全く分からないけど、畝状堅堀の形が残っていた。
こんな地形を登らされて攻城する側は、いくら命があっても足りない。
出丸への切岸も分かった、天神神社側からの攻めは辛い。
明智光秀公の学問所と伝えられる天神神社。
伝〜だから、実際は事実ではなくて、ただの伝聞なだけ。
地名に「明智」が残っているから、明智光秀公を連想するのも当然。
標高530mだが、低山レベルだし、平山城で割合簡単に本丸まで登れる明知城。
別名・白鷹城、この規模で考えれば、斎藤義龍3,500人と明智家数百人が戦った城が、この明知城ではないことは明白。
虎口を上がって本丸へ、その広さを見て山城にしては小規模と感じる。
本丸からは明智町をわずかに見ることができる。
明知城の麓にある、龍護寺というお寺は明知遠山氏の菩提寺だが、
流行に乗って?明智光秀公の御霊廟ができていた。
明智光秀公出生地と書かれた石碑、あれ?10年前は別の場所にあった気がする。
下に残された2009年の写真とは背景が異なるような、気のせいか?
この家系図はずっと見入ってしまった。
明智秀満、斎藤利三が光秀の親族であることがよく分かる。
そして遠山家と明智家の縁の深さも伝わってきた。
明知陣屋跡へ向かう途中の竹藪、その美しさにカメラを向けた。
今や一般人が住んでいる明知陣屋跡、「遠山」なんて表札を期待してしまう。
紫陽花が色鮮やかな梅雨時、明智光秀公のまぼろしを追う明知城巡りでした。
大正村の一帯、大正ロマン館は目に留まる美学がある場所ね。
バラ園で足を止めて、雨に濡れるバラを接写する、名作写真になった。
大正ロマンを感じながら歩いていると、地元の中学生たちが現代風に歩いていた。
大正村を故郷として育つ彼女らは、また独特のセンスを持って大きくなるのだろうな。
日本大正村役場のレトロさ、この建物の裏手は明知城、不思議なギャップね。
大正ロマン館が「麒麟がくる ぎふ恵那 大河ドラマ館」になっている。
そしていつの間にか、明智光秀公の像ができるではないか。
今年2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」はヒット中だからね、人気にあやかろうと。
元々は大正ロマン館だから、バラをはじめお花畑になっている庭園が美しい。
その裏手にある旧三宅家は、絵にかいたような古民家。
日本大正村へ戻るの道、コスプレイヤーの写真撮ると面白そうだなぁ。
矢絣の女学生服着せて写真撮影しても絵になること間違いなし。
2009年撮影、日本大正村の写真
これはなんともクラシックな通路で、見た瞬間にカメラを構えていたよ
小京都にでも行かないと巡り合えなさそうな一角だった
ひな祭りの季節、飾ってあるものの数が多く、種類も複雑すぎてもう何が何だか分からない。
よく見ると(よく見なくても)一般的な雛祭りとは関係ないものも多い。
不思議な扉? 何が隠されているというのだ?
昔の暮らしを感じるのって、畳の部屋の冷気だったりする
素敵な道でしょう、大正らしさを感じるでしょう
大正ロマン館だから、バラの花に囲まれたロマン風の入り口でした
明智町は、明智光秀公の出身地だとか(伝説だから本当かどうかは分からない)
お天気の良い3月の散歩でした
ほら、鳥のお腹に透かして見えるのは「大正村」の逆文字