ボケが美しく出る単焦点レンズで、大阪の個性的な夜景写真撮影スポット・新世界と通天閣を撮ってみた。
ずっと前にきたけど、あの時の衝撃ぶりが忘れられなくて再訪。
まぁ派手なんです、陽気なんです、提灯と看板の明かりが賑わいを表現していて。
色々事情があるだろう街の一角、新世界というのは異世界で、別世界で。
この横綱の看板が一番有名でしょうね、時代を感じるけど、それが今は素敵。
洗練されていない雰囲気が好奇心をそそる。
道頓堀をスローシャッターにて撮影してみる。
天王寺公園からの通天閣(工事中)。
あべのハルカス、ビルとしては美しいと思うよ。
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「新世界を夜景撮影・ネオンと看板、大阪の昭和レトロ繁華街」動画を、YouTubeにあげました!
伊丹空港での飛行機撮影スポット、千里川土手からの写真
飛行機の着陸を間近に見れるスポット、しかも夜なら写真の通りその向こうの夜景まで映るベストな場所。
それが千里川土手、伊丹空港に到着する日本国内線のフライト数は多いし、撮影回数も稼げる。
標準焦点距離50mmレンズしかないのが悔やまれた、ちゃんと望遠レンズを持って再訪した場所。
スローシャッターで飛行機の軌道を残す、なんと撮りやすい場所なのだろう、千曲川土手。
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「千里川土手・飛行機撮影の最高峰、伊丹空港で間近に航空機を撮る」動画を、YouTubeにあげました!
大阪市内の夜景写真撮影名所、一眼レフカメラスポットまとめ
個性が強烈、新世界と通天閣。
期待もせずに訪れた通天閣、話のタネに一度ぐらいは見ておこうと思って。
通天閣の真下にタクシーで着いて、動物園前駅へ歩いていくと新しい世界が現れた。
横綱通天閣店のあたり、忙しい串カツ屋さんの客引きと、派手派手なお店の看板。
昭和の賑やかな繁華街にタイムスリップしたような、それでいて新しい、楽しい世界だ。
唯一無二とは、新世界と通天閣を差す言葉なんだろうな、この雰囲気は他にはない。
だから僕はたまらず写真撮影を続けた、大好物だった。
洗練されていない、それぞれの個性が強すぎて、どれもが主役級。
お祭りのような町、不思議な統一感があるんだよね。
道頓堀とも法善寺横丁とも異なる質の大阪を見つけた、これは恐れ入った。
この景色を写真に撮れて僕は満足だった、新世界・通天閣との遭遇は宝物。
道頓堀と並ぶミナミの主役・法善寺横丁を写真に。
呑み屋・料理屋が並び、人と人の楽しいつながりがある法善寺横丁、「浪花情緒」を体現。
僕は三脚を使わず、明るい単焦点レンズを手持ちして撮影している。
道頓堀や新世界・通天閣の派手な演出とは異質、法善寺横丁にはハイセンスな何かを感じた。
だるまさんの二度付け禁止の強面も、ここでは大人の通りを飾る洒落たオブジェ。
法善寺の水かけ不動さんに願をかけて、法善寺横丁を歩く。
石畳と数ある灯りに色気を感じて、でも敷居の高さはないのがミナミらしい。
大阪の街にも多くの表情があるが、法善寺横丁は独特。
戦後から現代まで、先人たちが築いてくれた財産なのでしょう。
リバーサイド、水景は良いね、何はなくても落ち着く。
そんな水景のセオリーを打ち破ってくれるのが道頓堀。
看板が派手ね、あきんど根性のたくましさが景色を占拠する。
マイナスイメージでもなく、難波の道頓堀の個性だから詩的な視点で見れば美しい。
大阪観光を代表する有名店の看板に出会う。
かに道楽、づぼらや、金龍ラーメン、数多くのたこ焼き屋、グリコのサイン。
庶民のための繁華街、このゴミゴミ感はアジアだな。
中国・韓国、東南アジアからの旅行者が、ドンキホーテを中心に多く来てくれていた。
大阪に新世界通天閣・法善寺横丁と名所は他にもあるけど、道頓堀独特の水景。
看板とお店が主役になっている道頓堀はまれに見るユニーク。
正直に話すのなら私は大阪という街がまるで理解できていない。
関東で育った私にとっては大阪は異国だ。
京都に憧れを感じ、神戸に違和感なく、大阪に興味を抱けない。
誰に怒られようともそれが私の素直な感想。
それは大阪人も同じなのだろうか、東京に親しみを感じているのかな。
一概に「東京は」「大阪は」という一言でまとめるのがおかしいのか。
私個人の場合は、そんな感じで好んで大阪に足が向かわなかった。
観光で、仕事で来たことはある大阪、今回が正味5回目になる。
結果は今までの印象と同じになった。
人と人の距離が近く、アジアの都会のようにどこか油っぽい。
大阪の良さが私には悪さに見える、この相性の悪さがいけない。
悪口を言うつもりは皆無、子供を寝かしつけた後に夜の道頓堀や法善寺横丁を美しく切り撮ろう、
と試みた私の興味心を見て欲しい、新世界・通天閣あたりの世界観は素晴らしかった。
カメラを通して得た絵はいつもの美感覚に似ているけど、
異国をさまよう私の心はキャパシティが狭く、大阪という異質を受容できていない。
東京人による大阪人への手紙。
大きな多様性を目にして、強烈を知った大阪の異国写真。
どちらかがダメ、ということではなく、世界には永遠にすれ違う性質を帯びたものがある。
大阪人と東京人の中和、融和が私の中で見つけられるのはまだ先のことのようだ。