詩的日記

モニュメントバレー・ジョンフォードポイント、見習い芸術家の冒険25話

9月16日(月)

  今日はモニュメントバレー一日観光の予定だ。昨日の夕食の前、松岡と落ち合う前に予約は取っておいた。ツーリストインフォメーションセンターと道路を挟んだ場所からツアーが出ている。なんと、昨夜の米子の人も全く同じツアーに申し込んであるというので一緒に向かった。7時半にオフィスをバンで出発。我々以外にも数名の参加者がいた。

  僕をイラつかせることがあった。ドライバーはこの俺様に向かって2回も「お前は英語話すか?」と聞きやがった。その聞き方がまるで子供扱いだったのでむかついた。今日一日はドライバーに威圧的な態度で接してやろうと決めていた。

  それにしても米子の彼は奇人だ。車の中からだろうがお構いなしに一眼レフで何でも写真を撮るし、途中の休憩時間にはなかなかバンに戻ってこないし、フリーウェイを走っている時に「トイレ!」と叫び出してバンを道端に止めさせるし、本当に英語が分からないらしく、帰ってきたら帰ってきたで日本語の「すいません」を言いたかったのか「SORRY, SORRY」を連発するし、一人で大変な騒ぎようだった。

一緒にいる僕の方が恥ずかしくなるぞ。こんな人と冒険旅行をするのは初めてだ。でも、僕は面白いと思っていた。僕とは正反対のタイプの冒険旅行だからね。今日一日ぐらいはこんな人と一緒の冒険旅行も僕にとってはプラスにしかならないであろう。

  車窓からの景色は、どんどん素晴らしいものになってゆく。ふとした道脇にも、土の層がはっきりと表れている。車の外を見ているだけで全然飽きがこないよ。増してや隣には気忙しいお友達がいる。僕が詩人の世界に入ろうとしても、隣の人がそうはさせてくれない。でも、それもまた楽しいんだ。本当に、今日一日は訳の分からない冒険旅行になりそうだ。

  フラグスタッフから3時間半も走った頃だろうか。大きな道を外れ、車は横道に入る。僕たち単純な日本人二人に歓声を上げさせる景色が見えてきた。土地が狭い日本では考えられない、ゆめのような光景だ。

周りの風景はさっきまでと同じなのだが、前の道が遥か遠くまでずぅ~っと真っ直ぐ一本の線になっているのだ。どこまでも続く、真っ直ぐな道。僕は無性に憧れた。こんなに美しい絵は他にない。次のアメリカ冒険旅行では必ず自分自身が運転する車でここを飛ばそう、と心に誓っていた。

僕たちの車がその偉大な道を通っていると、遠くにだんだん何かが見え始めてきた。その何かは地上から空へと垂直にそびえ立つ不思議な形をしている。曲がることなく車が走り続け、その何かはどんどん正体を現す。あっ、この景色はガイドブックで見たことがあるぞ!これがモニュメントバレー国定公園だ。

  モニュメントバレーは国立公園に属さない。この土地はナバホインディアンの居留地であり、ナバホの方々が管理する公園なのだ。アメリカの国立公園という枠でくくることができない場所。逆に、アメリカの国立公園とはどういった違う面を見せてくれるのかが楽しみだ。美しいという意識は万国共通だと思う。ナバホの人たちがこの場所をどう捉え、どう扱っているのか、共通の感覚をアンテナにして、僕はそれを知ろう。

  モニュメントバレー随一の見所は、広大な荒野にそびえたつビュートと呼ばれる岩の丘だと聞く。地平線と青い空が、地上と天空の境を曖昧にしているなかで、砂丘は圧倒的な存在感を出しているらしい。その景色こそがアメリカの原風景であると呼ばれ、ジョンフォード監督の西部劇や、様々なコマーシャルによく使われている。僕も少しは見覚えのある景色だが、肉眼で見るとそれは奇妙奇天烈、摩訶不思議な芸術だと思った。まだ全体が見えてきていないが、それでも分かるものは分かる。ここは特別な景色らしいぞ。まぁ、じっくりと勉強させてもらおうか。

  真っ直ぐな道が終わると、いよいよ国定公園らしい道に入った。砂煙を上げて赤土の大地をバンが走る。バンの外で土の塔は間近に見えてくる。近付いたことに興奮し出した僕はそろそろ止まってくれと願う。近付く前にまずはある程度の距離からじっくり見てみたい。ささやかな願いが叶ったのか、バンはまだかなり離れた場所でストップした。嬉しくないことにランチタイムだという。あぁ、僕は食事より冒険を優先させたいのに、ツアーだから仕方ないか!

  こんな原始的な景色が主役になっている場所でも、やはり今は今、ちゃんとしたホテルとショップやレストランがあった。ビュートから離れた場所に、そういう観光施設がまとまって建っている場所があり、バンはそこで止まった。各自で昼食の時間だという。バンから開放されたみんながためらいなくレストランへ入っていく姿を見て、僕はちょっと首をひねった。食事を優先させ、景色や冒険を後回しにしたことなど、自分自身の体験では一度もなかったからだ。食事などいつでも取れる。どんなに飢えや渇きを覚えても、僕一人ならば間違いなく真っ先に景色を見に行ったことだろう。

  団体行動のツアーだからね、これは仕方のないことだ。自分を戒めて僕たちもレストランへ続いた。もちろん個人払いだし、なんだかちょっとだまされた気もする金欠病の僕です。でもここしか食べる場所はないし、他に選択肢がない。食事後は周りの土産物屋をふらつき、ポストカードなどを買い込んだ。出発までまだ時間があるので、遠くのビュートをバックに米子さんと記念写真を撮り合い、それでも時間があるから道路の方まで歩いてみた。

  車はほとんどなく、静かな景色を満喫できる。今日は雲が多い。手の届きそうな高さで泳ぐ雲は動きが速かった。エルパソ付近のように、地面の赤土には背の低い木ばかりが生えていた。それぞれ微妙に距離を開けて点在しているのは、お互いで水分を取り争わないようにする知恵なのか。

道路のすぐ脇には壁がそそり立っていた。地層がはっきりと現れている高い壁。これもビュートの仲間なのだろう。グランドキャニオンの谷底とは違って、表面は垂直で土に覆われているのではなく全てが岩だ。これではとても登れないね。赤茶色の壁は乾燥し、硬そうで、人の侵入を拒んでいる。威厳のある土の城だ。

  そうこうしていると、待ちに待った集合時間が近付いてきた。ようやく今日の冒険を始められるね!バスが止まった所まで戻ると、面白い乗り物が待っていた。窓なし、幌なしのオープンジープ。おぉ、なんと冒険の心を持った車だ!さっきのドライバーに導かれてみんながそれに乗る。さぁツアー再開だっ!!

  ジープの開放感は最高だが、風を切ると砂埃が僕の眼を襲うので、コンタクトレンズが泣きっぱなしだ。サングラスで完全防備をすることにした。ジープは無人の道を走ってゆく。どの国立公園の入口には必ずあった「~国立公園へようこそ!」の看板を通り過ぎ、入園ゲートを越え、遂にモニュメントバレーへ冒険の足を踏み入れた。嬉しい。またひとつ、僕は冒険をできるんだね。

  日本人コンビは他の誰より騒がしい。散々騒ぎながら写真を撮り合っていた。美しいものに対して無粋な人だが、この米子の彼との冒険旅行もなかなかいいね。彼は純粋だ。少なくとも裏腹のないその姿勢は愛すべきものであろう。

ジープは左右に揺れながら、後ろに大変な土煙を巻き上げて走って行く。確かにこの大地にぴったりな車だ。

  まずはナバホ族の伝統的な家であるホーガンを見学した。蟻塚を巨大化したような形だ。赤土の壁に入口が穿ってあり、天井に空気溝が空いている。今でもナバホ族の人たちがホーガンに住んでいるという訳ではないが、昔からの生活をこうして観光客に伝えているのだ。家の中に入ると、ナバホの女性が伝統の生活習慣を再現していてか、羊の毛らしきものを紡いでいた。僕たちは、静かにその姿を見学する。

  ガイドは、ナバホ族の若者がアメリカの若者化しつつある現実を一族の長老たちが心配している、と説明した。それを聞いた時、それはどうしようもないと思ったよ。誰もが物の豊かな生活を望むだろう。余程の信念がある人間でもない限り、仙人のような生活は望まないものだ。ここが物資豊かなアメリカである以上、ナバホ族もいつかはほぼ姿を消してしまうのだろう。ただ、願わくばそれでも一部の人たちが伝統的な生活を続け、それを他の人間たちに伝え残して欲しいものだ。数千年、数百年続いたものが姿を消してしまうのはそれだけでこの世から美しいものがひとつ消滅してしまうことになるのだから。

  車は再出発し、次はビュートが真正面に見える場所で止まってくれた。ライトミトン(右手袋)を呼ばれる、実に堂々としたビュートだ。みんなバンを出て、しばし写真タイムとなった。写真を撮るのも順番待ちになって、僕も並んでとりあえず撮影。それが終わったら、景色を眺め言葉を浮かべようとしていると、もう時間だ。慌しいな~せっかくのご馳走だというのに。景色を楽しむ、というより写真を撮るのを楽しむようになってしまう。写真を撮ることが第一で、景色が写真の二の次になる。そんな逆転の発想なんて僕には考えられないね。

  それからバンは特大サイズのメリックビュートや、さっきのライトミトンの兄弟格のレフトミトンというビュートの前で止まり、それぞれ写真を撮るだけの時間は与えられる。

  土煙を巻き上げながら未舗装の道を進み続ける、かの有名なジョンフォードポイントという所に達した。ここはその名の通り、駅馬車などの西部劇の名作を生み出した映画監督ジョンフォード氏が、西部劇を撮る際に好んで選んでいた場所だという。

  そこは、誰もの冒険心をそそる、余りに挑発的な景色だった。正面には先程の一番大きなビュート・メリックビュートが立ちはだかり、そのすぐ左にはレフトミトンが見て取れる。ライトミトンはメリックビュートの陰になってしまい見えないのが残念だが、他にも中小幾つものビュートも視界に入り混じり、偶然とは思えないぐらいに美しく組み合わさっている。加えて、このジョンフォードポイントにはすぐ真正面に自然のステージができているのだ!この舞台は天然の飛び込み台だ。モニュメントバレーという大海へ飛び込もうとする姿が、ここジョンフォードポイントから観察できるかのように創られている。

奥には地平線が霞み、空は広くて天井が近く、大地は赤茶色に統一されている。そして天然の舞台と、モニュメントバレーのビュート群。間違いなく、唯一無二の芸術だった。そんな素晴らしい瞬間を迎えているのに、感動することよりも先に僕たちがしたことが写真撮影だとは!これは仕方がない!これは諦めよう!今日はツアーで参加しているのだ。写真で残しておかなければすぐに出発の時間になってしまうのだ、何も残さないよりはましだろうよ。

  後日、写真は最高の出来だった。正にジョンフォードポイントの独り舞台に立った僕は黒い服で全身を固めているため、シルエットがよく映える。写真を見る限り、まるで僕一人がこの景色を満喫し、最高の冒険をしたみたいだ。しかし、事実はどうだったかというと、全然時間がなかった。順番に写真を撮り合い、全員が終わるとジープが出る時間になってしまうのだから。

僕は舞台まで走っていって、ジープのあたりから米子の彼に写真を撮ってもらった。出来上がった写真を見る限り、それは感動的なものだった。凄い冒険旅行を成し遂げた男の姿が映し出されている。だけど、本当は全然見足りなかったんだ。仕方のないことだと割り切っていても、僕は少しずつ冷めていった。やはり冒険をするのなら個人で行動した方がいい。利便性はなくとも、じっくり景色を眺めることができる個人行動でなくては冒険旅行ではない。それを痛感していた。

  その後にもゾウやラクダに見えるというビュートがあり、ビュートの三姉妹がいて、色々な場所でジープは小休憩する。本当に不思議な景色ばかりが続く。ナバホの人々はこのビュートを信仰の対象としているが、それは自然なことだと思わされる。誰が見ても、このビュートは崇め信じるに相当する神々しさを持っている。これだけ自然状況が厳しい場所にも拘らず、ここに住みついた彼らの心の理由も分かるではないか。普通ならこんな不毛の土地には住みたくないはず。だが、ビュートの姿が彼らの心をここに強く繋ぎ止め、他の場所のことを考えさせることをさせなかった。今もナバホの人々はここにいる。

  強風と埃に邪魔されながらも、僕はこんな言葉を詠んでいた。

         土が風に吹かれとんでゆく

           無人の野と空を埋め 天へとそびえ立つ

         純粋に暮らす人々を見守ってきた

           信仰と団結のシンボル

                   ~モニュメントバレー~

  魅力のある人の元には、どれだけ条件が悪かろうとも集まる人がいる、ということだろうね。単純なことが、僕の中で実例を経て明快になった。これは嬉しい。

  ツアーに不満を持つ僕がいた。確かにレンタカーを利用できない僕にとってはここモニュメントバレーを訪れる唯一の手段だったとはいえ、このせわしい時間の使い方には反吐が出る。冒険旅行とは無関係な観光旅行になってしまった。まぁ、ここはちょっと交通の便が悪過ぎて、個人では来ることができない場所だから仕方のないことではある。順調にここを訪れることができただけでも満足しなくてはいけないね。残した言葉は少なかったが、かくして僕のモニュメントバレー訪問は終わったのだ。

  僕は結論に達した。モニュメントバレーは見る人の気持ちをひとつにする、リーダーシップに溢れていた。彼はヒーローだ。彼は崇拝像だ。どんな場所にいても自分の美しさを際立たせれば彼ぐらい素敵なものが創り上げることができる。僕はモニュメントバレーでも大事な教訓をもらったと思う。何はなくとも、魅力さえあれば人を引き付けることができる。モニュメントバレー、ありがとう。あなたも僕の血肉の一片となり、僕と人生を共にして下さい!

  ジープは昼のロッジまで戻り、バンへと乗り換えて道を戻った。モニュメントバレーとは半日しか一緒にいられなかったが、それなりに満喫できた気がする。例の真っ直ぐな道を飛ばしている時、僕は後ろの道を振り返ってモニュメントバレーに言ってやったさ。今度はゆっくり、個人的に来るよ、と。再訪の際もきっとモニュメントバレーは歓迎してくれるさ。あの在野の偉人は深い深い懐を持っているに違いない。どんなことにも動揺したりせずただ己の道を進む、そんなイメージが強かった。ともあれ、どうもありがとう、モニュメントバレー。あなたに逢えたことが今日最高の宝物です。

  バンは真っ直ぐフラグスタッフに戻らず、何もない荒野で止まった。我々を車から降ろし、ドライバーが先導する。付いてゆくとドライバーは地面を指差し、それは恐竜の足跡だと言うではないか!何もない赤土の荒れ地は、恐竜が存在していた頃を今もそのまま映し出していた。確かに、3本指の跡がはっきりと残っている。僕の足跡をちょっと大きくしたぐらいか。大地に刻まれた足跡が周囲に幾つもある。これは感動的な出逢いだった。ここら辺の景色は時代不明だからね、常識で考えては有り得ないということも納得ができる。人生は何でもありだな、ということとアメリカの土地の広さを思い知らされる出来事だった。

  次にバンは昔の城跡に連れて行ってくれた。今はすっかり退廃し、その外郭だけがかつての城の名残を留めている。小高い丘の上に建っていて、下から見ればまるでモニュメントバレーのビュートだね。バンを降り、全員で城跡へ歩く。この城跡を案内する看板もあったので、割と名前の知られている所なのだろう。

ここで感動したのは城の上から見る景色だ。本当に周囲に何もない草原の真っ只中にある城だったのだ。盛りを迎えていた頃は民家があったのだろう。今は見渡す限り周囲に何も見つけることができない。彼も在野の偉人。あなたは、この静かな自然の中で何を想っている?眩しい過去のことを思っているのか?知らない世界に触れ、僕はただ恐縮するばかりさ。何かが確かにここにあった。

  今日の冒険はそれで終わりだ。バンはフラグスタッフに戻った。7時半には解散になったので、丁度12時間のツアーだった。グランドキャニオンの谷底から上がってすぐ翌日にモニュメントバレーに行けるだなんて、僕は相当運が良い。モニュメントバレーで個人的な時間が取れなかったのは残念だが、それこそそのために2日も3日も割くよりはツアーで正解だったのだろう。

  ユースホステルに帰ると昨夜と全く同じ面子がいた。米子の人は、ホテルに泊まる金がないからどっかでテントを張る、と言い残して出ていった。全く、この人はさっぱり訳が分からない。みんなで引き止めたが彼は出て行った。最初はみんなで笑ったが後々不安になってくる。あの彼で大丈夫だろうか。どうせユースホステルの人がチェックに来る訳でもないので、黙ってここに泊まるようアドバイスすればよかったかな、と3人で話していたが、もうどうしようもないか。

  僕は食料を買ってきて、貪るように食べた。考えれば今日一日、余りまともな食事を取っていなかった。ガツガツ食べ終わると、今夜も3人で冒険旅行の話をした。二人の好きな国やら、付き合った女の子の話をしていた。タイ好きな人の、ある新説が僕の胸を捉える。日本人の僕たちにとって、外国語では本当に伝えたいことが100%まで伝えられないので、やはり付き合うなら同じ日本語を話す人がいい、という意見に対して、彼はこんな答え方をした。

逆に、言葉がつながらない方が本当に伝えたいことを行動で伝えられるのでいいね、言葉だけでは信用無いから行動で伝える方がいい、と。

成る程。あなたの言うことにも筋が通っている。つくづく、人生は一方向から見てはいけないんだなぁ。色々な人の意見を聞くことで人生は広がってゆくのだろう。

  熱い押し問答を続け、今夜も闇に消える。思えばこのフラグスタッフにも思わぬ長居をしたものだ。明日はラスベガスへ移動する。今日はもう9月16日だ。丁度1週間後の23日にはシアトルの学校で授業を受けている身だとは信じられないね!

この1ヶ月に及ぶ長い冒険旅行にも、だいぶ目途がつく所まで頑張ってきた。そういえば明日17日inから20日outでヨセミテ国立公園のキャンプ場を予約している。とりあえず明日の予約は無駄になってしまったようだ。でも、明後日の夜までにはヨセミテ国立公園へ行こう。明日はラスベガスにちょっと寄っていく予定だ。さぁ、あと少しで冒険旅行が完結する。ラストスパートだ、頑張りましょー!

  ――夜になり、雨が降ってきた。米子の彼は無事だったのだろうか。




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