若者たちが両手に持っているものが手筒花火、円陣を組んで一気に火をつけると火の粉が舞い上がった。
花火は高さが7mに達するときがある、知立神社の秋葉まつりは派手な火祭り、日本らしいと言えば日本らしいクレイジー(良い意味で)な伝統行事。
火の粉を浴びても微動だにしない?
こうして写真に撮ると美しいから、祭りに参加している若者たちにも心地良い空間なのか?
興奮に熱さがかき消されている?
アドレナリンが出まくって、戦い中は痛みを忘れている格闘家のように?
「池鯉鮒」と書いて知立と読む、江戸時代の東海道宿場町だった三河の知立。
火災に悩む池鯉鮒宿の人たちは、火伏せの神である秋葉社を崇拝していた。
だから、知立神社で火祭りが生まれたのも不思議なことではない。
高提灯は主役なのだ、手筒花火の合間に顔を出す瞬間を狙い撮り。
カメラマン目線で言うと、ピントが合わせにくいからオートフォーカスと偶然に任せて何十回もシャッターを切る、そうすれば奇跡の一枚は自ずと撮れる。
見物席は限られており、一番前は随分前から並んでいるカメラマンたちで埋まっていた。
良い写真を撮るには良い場所取りから、それもカメラマンの総合力であって、写真技術だけで決まる良い写真ではない。
後ろの通路側に並んで、一脚+望遠で狙う。臨場感が欲しいからスピードライトはいらない。
なんとか通路側を得て、前の人の背中や頭に邪魔されずに真っ直ぐ被写体へカメラを向けることができた、そんな僕のまぁまぁのカメラマン力。
6つある町、それぞれ衣装を揃え、若い衆が協力しての手筒花火。
神事+地元結束の大切さ。
秋に入った日本の祭りを撮るシリーズ、知立神社の秋葉まつりの写真。
火祭りは最高の被写体だ、多少暗い写真になっても良いからフラッシュは使わずに、その場そのままの空気感を残したい。
ようやくマニュアル設定にも慣れてきた、絞り優先設定も習熟、でもピントはぴったり合わない。
火祭りならではだが、このぐらい明るいとISO800前後でもブレずに撮れる。
露出は分からず、いつも白とびしちゃう。
相変わらずD800とナノクリスタルコートの品質は凄まじく、
ただ撮るだけなのに火の粉ひとつひとつまでくっきり。
知立で夜泣きする赤ちゃんも、この手筒花火を見たら泣き止むことだろう。
大人でしかできない火祭りかと思いきや、青年や若者が火の玉を操っている、これは成人に達したことを証明する行事でもあるのか。
手持ちだと辛いから、一脚の機動力を活用して縦構図で撮る。
有り余る体力で何百枚も撮る。
これが今の僕の技量、この先の写真技術はどこにある?
また新しいものを探す旅に出ましょう。
知立神社の秋葉まつりの写真、このお祭りにもまた他にはない美しさがあった。