カールスバッド国立公園・バットフライト観光、見習い芸術家の冒険16話

9月7日(土)

  ――おはようございます。とても素晴らしい目覚めです。何せ全てが上手くいっているのだから。太陽が顔を出した頃にバンはやって来て、30分かけて僕たちをカールスバッド洞窟へと連れて行ってくれた。ホワイトシティからは山道を縫うような道が続き、味気ない乾燥地帯の景色ともまた違う景色が楽しめた。

  朝の7時半、まだカールスバッドのツーリストインフォメーションも開いていない時間帯に僕たちはカールスバッドにいた。とりあえず国立公園の看板があったので記念写真を撮った。他に何もすることがなかったが、ここでは何もいらず、ここに全てがある。公園入口からの眺めが美しいからだ。素晴らしい景色ばかりをもうここ2週間ばかり見続けている僕が今改めて美しいと思う景色だ。

ここの景色は軒並み外れている。言葉そのままに抜群、群を抜いていた。さっと見渡すと辺りは確かに緑色に埋まっているが、緑としての豊かさがない低木ばかりだ。そのとげとげしい緑は少なくとも人間を歓迎しているようには見えない。今までの冒険旅行でずっと僕を温かく包んでくれた緑も、ここではまず自分自身が生きるのにあくせくしているという事情がある。この場所から見渡す限りその環境が遠くまで続く。本当に遠くまで、地平線まで。

信じられないことだろうが、ここには海がある。カールスバッド国立公園の丘の上から見渡す四方はどこも同じぐらいの背丈をした緑の平地だ。凹凸がなく、穏やかに続く地面のラインは正に海原と呼ぶに相応しい。のっぺりとした顔をして、この緑の海原は静かに風を運んでいる。水平線が見える。大海原が視界に入る。雲の色も非現実感を見事に醸し出していて、僕は錯覚してしまう。あぁ、ここは海だったのか。それとも、大地だったのだったか。どちらにしろ、何気なく深いものを見せる場所だ。常人を装う非常人は偉人に違いない。

  そんな景色を愛でている内に太陽は上がり、インフォメーションが開いた。日本語の説明の紙などがあったので参考にしてみた。ツアーでしか行けない洞窟の奥の特別ツアーがあったので5ドルでチケットを買っておいた。洞窟内用のセルフガイド式カセットテープなどもあったが、英語とスペイン語だけだったので必要ない。

  朝食を取ろう、と二人はビジターセンター内のレストランへ向かった。ブリトーを頼むと卵をたっぷりと使った美味しいものが出てきてくれた。地上にはこのビジターセンターしかないのでさっさと洞窟の入口へと向かうことにする。ビジターセンターからエレベーターで洞窟のある程度下まで楽に降りることもできるが、時間もあることだし、あえて本来の地上の口から降りて行くコースを選んだ。ナチュナルエントランスという、地上に自然と開いた出入口だ。

  歩いてすぐにそのナチュラルエントランスが姿を見せた。どう見ても人の手で開かれたとしか思えない程、大きな大きな口を開けている。おい、これが自然にできたサイズかい?今日の夕方にはこの大口から何十万羽という蝙蝠が一斉に飛び立つ天然のショーを見る予定だ。それが、ここカールスバッド国立公園のクライマックスであるバッドフライトだ。どんな偉人なのか、どんな言葉を僕は詠むのか、胸が今から高まってくる。ここの真価は後程楽しませてもらうよ。

  大口の前で土屋さんとふざけた写真を撮り合った。朝のこの時間にも数羽の蝙蝠が入口付近をウロチョロしていた。さて、とりあえず蝙蝠は後だ。洞窟内を冒険しよう。

  現在確認できている中ではこのカールスバッド洞窟が世界最大の鍾乳洞と言われている。僕の持っている鍾乳洞のイメージは、昔初めての一人旅で訪れた日本の竜泉洞ぐらいのものがせいぜいだ。大きな口を開けているこのカールスバッドの鍾乳洞に足を踏み入れてみると、そこにはもう日常生活を随分とかけ離れてしまった世界が待っていた。駄目だ、今までの鍾乳洞という言葉のイメージでは測り切れないぐらいの規模だぞ、これは。

  ――人に見られるために創られた洞窟。大きな口の中を歩いてみて、すぐに僕の脳を刺激したひとつの仮説。これ程人里離れた僻地にある場所なのに、この洞窟の中には自らの美を飾り誇っている在野の偉人がいた。このカールスバッド洞窟が在野の偉人であることなど来る前から分かり切っていたので、今さらそれに驚いているのではない。僕が何に驚いていたかと言うと、この偉人からは他の偉人とは違い「人に見せ誇るための美しさ」を強く感じたからだ。

今までの偉人たちは奥地に引っ込んで自分の理想を追求した結果美しくなり、人間が偶然そこを訪れたので見せてもらう、というイメージだった。この偉人も自分の理想追求はこの奥地でしかできない、とここにやむなく引っ越してきて見事に華を咲かせた。そこまでは同じなのだが、そこからが違う。

この洞窟内の美しい装飾は、あくまで最初から他の人に見せることをコンセプトに創られていると思うのだ。他の偉人は他人に見せることよりも自分の美を咲かせることに意識を集中させていたと思う。言ってみれば、このカールスバッドの偉人は客人を招いては己の美しい作品を見せることに生き甲斐を見出している田舎の大芸術家、といった感じだった。

  だって、この洞窟内の美しさときたらとても輝いていて、これが偉人個人の楽しみのためだけのものとはどうしても考えられないのだ。色々な性格の在野の偉人がいるんだな。このカールスバッドの偉人は他より社交的なのだろう。今までにない、新しい発想を僕は見つけていた。

  洞窟の中には所々に小さな明かりが灯っていて、薄暗い中でも細い歩道がはっきりと分かる。そこをとぼとぼと歩いて進むのだが、持ってきた小型ライトがとっても役に立った。途中、あちこちに面白い形の鍾乳石があった。天井から伸びたとげとげしい氷柱。ポップコーン型のイボイボ。「ET」と呼ばれた指先型。歩道の途中途中に看板の案内があり、名物を紹介している。名物は大体オレンジ色にライトアップされていて分かりやすい。本当にここの主人の見せ方は見事だ。

  僕はすっかりこの地下の世界に引き込まれていた。薄暗い洞窟の中で写真を撮っても、感動は残らないだろう。写真で残らないのなら目で見る瞬間を大事にしてこの心に残そう。

  このカールスバッドの偉人が他の偉人たちと大きく違うものをもうひとつ見つけたよ。それは、次のような言葉に詠まれている。

         経験や才能など超えた万年単位の時のアート

                        ~カールスバッド鍾乳洞~

  僕はこの芸術の気の長さに驚いていた。

――どれぐらいの時間を彼はこの芸術に費やしているのだろう。

  この偉人の凄さを端的に表した言葉がこれだ。この偉人が自分のためではなく、他に誇るためにこの美しさを創ったというさっきの仮説が正しいとすれば、このカールスバッドは気の遠くなるような時間をかけ、いつか誰かに自分の美しさを見せてやろう、という信念の元に恐ろしい時間をかけて美を磨いてきたことになる。鐘乳石が爪の長さ程の成長を遂げるには50~60年もの歳月を必要とするらしい。あぁ、そうするとこの長く垂れ下がった鍾乳石は、どのぐらいの時間の賜物なのだろう!カールスバッドの偉人はその長い間も変わらぬ信念を持ち、自らの美を今こうして創り上げた。あぁ、その執念深い芸術追求の意思に僕たちはひれ伏す。

  洞窟の中では静かに時が流れていた。薄暗い中を歩いて行く冒険家。今からおよそ100万年前、この辺りは海の底だったという。それはあの地平線の如く、さぞかし美しい海の底だったに違いない。珊瑚礁が隆起し、雨水に浸食されてこの洞窟が出来上がった。そういう意味でも万年単位の時の芸術は本物だ。もしもこの指で鍾乳石を折ったりしたのなら、僕はどれだけの重罪を背負わなければならないのだろうか。数万年を償うためにはどんなことをすれば足りるのだろうか。

  時間の芸術とは、何も才能がないのでその分を時間で補っているという考え方ではない。それどころか、この鍾乳石のデザインにはとても時間だけでできたとは思えないコンセプトが見受けられる。この偉人は才能がある上に、時間を充分にかけて美を創り上げる。そう、より高度の美しさを求めた在野の偉人だ。

  冒険家たちは何時間もかけて洞窟内を歩き回っていた。地下には、洞窟の中をくり貫いて作られたレストランや売店まであって驚きだ。でも、その人工的な空間と自然の芸術がなんとも見事なミスマッチで、僕の目には美しく見えていた。天井は鍾乳洞のままなのに、中はまるっきり普通のレストラン。堂々と店を構える姿が確信犯を思わせる。これは本物だ。

  レストランは地上から229m下った位置にある。僕たちはそれだけ洞窟を歩いて下ってきたのだ。地上のビジターセンターとはエレベーターで繋がっていたので、一通り見終わっていた僕たちは地上へ上がることにした。

  光が眩しい。地上に上がった僕は太陽と空気の匂いを大きく吸い込んで背伸びをする。少し休憩を入れよう。時間も余ってしまったことだしね。次は、個別に入ることを禁止された洞窟の奥を訪れるツアーで、キングパレスツアーというのに参加するのだが、何せ朝一番で降りていった二人だから時間が余っていた。地平線の見えるベンチに座って、二人とも書き物を始めた。僕はいつも通り日記と言葉を詠んでいたのだが、土屋さんは何を書いていたのだろう。しばらくすると、土屋さんはベンチに横になりのんびり昼寝を始めた。

  あぁ、地上に現れた水平線よ。それを眺めて僕はため息をついていた。この線は本当にどこまでも真っすぐだ。この辺りの土地は本当に高低差がないのだろう。見える景色のなんとも真っ平で、優しい線なこと。視界を遮るものはなく、ただ緑と灰色が混じった海と雲と水平線だけ。それとは反対に、遠くを見渡せば必ずすぐに何かが見える街で過ごすいつもの生活。こんな景色は二度とはないだろう。今の内に、沢山己の心に取り込んでおきたいと願う。

         「無」であることの美しさ、新鮮さ

                 ~カールスバッドからの地平線~

  そうこうしている内にツアーの時間となり、二人はエレベーターで下まで降りた。集合場所へ行くともう結構な人数が集まっていた。このツアーではScenic Roomsという、この洞窟で一番美しいと言われる場所を訪れることができる。逆に、Scenic Roomsへはこのツアーに参加しなくては行くことができない。観光客の運ぶほこりなどが鍾乳石に付着し、傷めることになるからそれを最小限に抑えるためにツアー参加者のみが訪れることにしているのだ。当たり前だが、それは実に素晴らしい考えだ。

  ツアーガイドの英語は全然聞き取れなかったが、面白い場所であることはすぐに分かった。動物に見立てた鍾乳石があり、今までにないスケールの鍾乳石群があり、美しい地底湖などがどんどん姿を見せてくれる。ガイドの話などはそっちのけで、二人は口を開けたまま上を見っぱなしだった。美しさは世界の共通語だ、言葉は不要で、目だけあれば充分に分かる。

  面白いというか、恐ろしいというか、趣向をひとつこらしてくれた。なんと、ガイドは途中で洞窟の灯りを全部消したのだ!ほんの数秒間だったが、これには心からの恐怖を覚えた。たった数秒でも、その恐ろしさを全身で感じた。正に絶望の闇、悪魔の技。完全な闇におき、光を与えないのが最高の拷問だとは聞くが、それは本当なんだね。あんな状況下にあったら5分もしない内に僕だって狂ったように大声で叫び出すだろう。余興で済んで本当に良かった。最高の恐怖を冗談程度に味わえて良かった。あれが冗談で良かった!

  ツアーが終わると、また時間が余る。次は待ちに待ったバットフライト、蝙蝠たちの飛翔だ。夕暮れ時、約50万羽の蝙蝠たちが一斉にあの洞窟大口から飛び立つという。話だけ聞いても全く信じられないし、想像ができない光景だ。

  有り余っている時間なので、大口近くに設けられた席で1時間半前も前からまったりしていた。一番前右の特別席を確保していた。ショータイムが近付くにつれ、少しずつ人が集まって席が埋まる。特別席を確保していて正解だった。

6時15分、レンジャーの話が始まる。フラッシュ禁止などの諸注意と蝙蝠たちの生態の解説だ。この50万羽の蝙蝠たちは入口近くにあるBat Caveという所で日中を過ごし、日没の丁度15分前になるとエサを求めて一斉に飛び立つのだと言う。話は全然信じられない。だって、そういうのをショーと呼ぶのではないのだろうか。イエローストーンのオールドフェイスフルのような例外はあるが、一体どこの自然動物がそんな定時のショーのようなことをする?50万羽も一斉に飛び立つことの理由が何処にある?ちょっとずつずらすのが普通ではないだろうか。全く想像できない話だね!この両の目で見るまでは信じることができません!

  そのまま待ち続けること45分くらい。ふと、洞窟の大口から黒い点が天の川のように細い線を成して空へ流れていった。これは何?洞窟内からの煙か何かだろうか。──少しずつ、少しずつ空へ流れる線が太くなってゆく!これが、それですか?これが、カースルバッド国立公園の名物、バッドフライトですか!

  50万羽は半端ではなかった。黒い線は、黒い帯となり、次から次へと遠い空に流れて行く。僕は双眼鏡で蝙蝠の行く先を追おうとしたが、無駄な行為だった。どこかへと流れる黒い帯は正体が掴めず、いつの間にか自然と消え失せてしまうのだ。失礼だが、華のない生き物である蝙蝠がこれ程にまで神秘的な技を繰り出すとは思ってもいなかったぞ!

蝙蝠の黒帯は止まることを知らず、次々と大口から流れ出して行く!観客たちの歓声!蝙蝠の洪水!あぁ、やはりイエローストーン国立公園のオールドフェイスフルと重なる。蝙蝠の噴水は、止まる勢いがなく空へと飛び続ける!今こそが蝙蝠たちの栄光の時!なんとも神秘的にして華のある芸術の技よ!これがカールスバッドのバッドフライトか!

  たっぷり20分もそれは続いた。辺りが薄暗くなる頃には、洞窟内に無尽蔵に仕舞われていた蝙蝠たちもようやく尽きる。ショーは終わったのだ。あぁ、あれ程いたはずの蝙蝠たちはどこかへ忽然と姿を消した。空を見上げても、蝙蝠の姿はもう消えている。僕は幻につつまれる。僕は一瞬のゆめを見ていたのだ。あぁ、なんとも不思議なショータイムだった。

  ショータイムが終わり、それぞれの巣穴へと帰る人間たち。興奮覚めやらずの土屋さんが鉄柵で「コウモリ」をした。小学生の時によくやった、鉄棒に足でぶら下がるヤツだ。たまらず、黒服の俺も黒いサングラスまでして「コウモリ」をしてしまった。通り過ぎる人たちが笑ってくれたよ、嬉しいね!アメリカでも「コウモリ」って言うかどうかは知らないけど、伝わった気がしたよ。

  すっかり日も暮れ、洞窟とバッドフライトという二大冒険を果たしたこの国立公園ともサラバする時間がきた。バンの送迎会社に電話をして、迎えを頼む。太陽が水面下に隠れ、大海原が暗闇に消えてゆく神々しい景色を見ながら20分も待っていると、バンが来てくれた。

これが僕と土屋さんの、カールスバッド国立公園での冒険でした。見事なエンターテイメント性を備えた場所でした。地下と大口での壮大なスケールの芸術を見せてくれたカールスバッド国立公園よ、美しいものをありがとう。美しいもの、素晴らしいもの。僕の血となり肉となり、僕をこれからも支えて下さい!

  町へ戻り、小さなレストランへと入った。サラダバーでは一皿いくら、という料金だったので超大盛りに盛り付け、なんとステーキまで無理して頼んでみた。サラダはまぁまぁだったけど、ステーキはたまらなくまずかった!ウェイターさんが席に近寄ってくるたびに日本語で「まずい!!」と言っては二人で死ぬ程笑い転げていた。

これが土屋さんとの最後の食事になるのだった。土屋さんは帰国の予定があるので、深夜のバスでエルパソへと帰る。僕は明日、ホワイトサンズへと向かう。偶然出逢って、偶然一緒に冒険旅行をした仲間との最後の食事なのだ。

  何故か僕の分だけはサラダバーの料金取られなくて得をした。部屋へ戻り、カールスバッド午前2時30分発のバスに土屋さんが乗るから、それまで仮眠を取ることにした。最後なのにのんびりと好きなミュージシャンの話などをし、ビールを飲み、いつの間にか眠っていた。

  1時半過ぎに起きるともうなんだかお別れの空気が漂っていた。バスディーポまで送り、バスが来るのを待った。バスが到着する最後の最後の時になってようやく「色々あったけど楽しかったよ」と、別れと感謝の言葉を交わし合い、握手をして別れた。

お互いに日本のアドレスなど一切聞いていない。数日間行動を共にした仲間ともこれで永遠にさよならなのだ。不思議と二人の間には、日本に帰ってからの会話はなかった。偶然一緒に過ごすことになった時間を楽しく共有できたことだけで充分だと思う。本当に楽しかった。これだけ笑った3日間はなかったよ。

土屋さんがバスに乗り込むと、僕はバスが出る前にモーテルへと歩き出した。何も悲しむことはない、冒険旅行中によくある人との出逢いと別れをしただけさ、とつぶやく。お互いの人生、一瞬でも楽しく共有できたことだけで充分!なんと有意義な出逢いだったのだろう。本当に楽しかったですよ、土屋さん!!




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