9月19日(木)
朝、目が覚めてみると目が冷めていた。気温は10℃もない。これじゃぁ手足も凍るさ。とにかく一日を始めなくてはいけない、という意識が僕を寝袋から出させた。食べるものを食べると元気になる。爽やかな朝の空気。森のキャンプ場には神々しい朝もやが出ていた。
とりあえずはここにもう1泊したい。そう思って予約事務所へ行くと、満員と言われる。WAITTING LISTに乗せるか、とまで聞かれてびっくりだ。そんなに深刻な状況だったとは思ってもいなかった。キャンプ場のキャンセル待ちだなんて聞いたこともない。まぁ、そんな状況ならばそれはそれで後で考えよう、と丁寧にお断りしておいた。
広い園内だ、歩いては移動できない。シャトルバスがあるのは便利だが、それでは自由気ままにはできない。僕は昨夜見つけておいたビレッジ内のレンタルバイク屋に向かった。見せてもらうと、僕の知らないタイプのものが出てきた。ペダルを逆回転してブレーキをかけるという欧米式のヤツだ。一日20ドルとはまた強気なものだが、足が必要なので借りて挑戦することにした。
椅子が低いので乗っていても全然様にならないし、頑張って立ち漕ぎをしてもちっともスピードは出ないし、止まってから走り出すとスタートダッシュも効かなくて、ペダルを濃いでも前に進んでいるのかブレーキをかけているのかさっぱり分からない。このブレーキのかけ方は初めてだったので、それだけが面白い。風変わりなサイクリングになった。
この国立公園では歩道とサイクリングロードがはっきり別になっていて実に走りやすい。大自然を手軽に鑑賞することができる国立公園、というコンセプトを非常に感じる。これならば確かに大都会からのアクセスする人も多いはずだ。見事な環境整備ぶりに思わず拍手してみた。
僕はハーフドームというヨセミテ国立公園の人気ナンバー1のスターに近寄ってみた。その足元にミラーレイクという美しい湖があった。ロッキーマウンテンのベアレイクみたいな環境だろうな。ミラーレイクの入口にマウンテンバイクを止め、湖畔のトレイルに足を踏み入れることにしたのだが、哀しいかな、どれだけ歩いても何だか普通の景色しかない。しばらく歩いたが、時間がもったいなく思えてきたので急いで引き返した。
次はツーリストインフォメーションセンターを目指した。オフィシャルガイドが有料(50¢)だったことにはびっくりした。どこの国立公園でも無料でもらえたから、お金を出して買うなんて初めてだ。まぁ、ここは訪れる人数が多いので冷やかし半分で持って行かれることを防止しているのだろう。
ヨセミテ国立公園には、目玉の観光地が幾つかある。ヨセミテのシンボル的存在である岩壁・ハーフドーム。世界最大の一枚岩・エルキャピタン。落差の大きい滝では世界3位にランクインするヨセミテ滝。などなど、タレント揃いで、それにどれも割合近い場所に集まっている。まずはヨセミテ滝を見に行くことにしようか。
ここヨセミテ国立公園には大きな滝が多い。それも、世界中で落差の大きい滝のベスト10の内4つもここにあるのだ。う~ん、そう言われてもピンとこないが、とにかくそれが事実だというのだからヨセミテでは滝を鑑賞しよう。739mの落差を誇り、大変美しい滝だと話に聞く。ただ、滝を流れ落ちる水は雪解けによるものがほとんどなので、この時期ではどのぐらいなものか。
滝への入口には大きな駐車場があった。自転車を停め、観光客が歩いて行く方向に続いた。さぁ、ヨセミテ国立公園での冒険の始まりだ。
残念!この時季のヨセミテ滝はすっかりしおれていた。確かに、見たこともない高さから水が落ちている。その水量はどうしようもないぐらいに乏しく、ただの断崖絶壁から水が零れ落ちるぐらいにしか見えないのだ。
想像力を働かせてみよう。水量はわずかだが、この崖の高さは尋常ではなく、そのスケールは大したものだ。想像してみよう、もしもこの滝に豊富な水が流れていた時のことを。その美しさはいか程のものであろうか。
この滝は大年増の美人。今のあなたも美しいが、若かりし時のあなたに一目お逢いしたかった。僕は想像する、全盛期のあなたを。今あなたに逢っている事実を後悔している訳ではないが、やや残念ではある。こんな風に考えている僕はあなたに失礼かな。とはいえ、今のあなたの美しさはちゃんと理解したつもりですよ。季節を変えどうかもう一度お逢いしましょう!
場所柄か、この国立公園にはファミリー客が多い。子供の姿をこれだけ見る国立公園なんて初めてだ。そして、騒いでいる若い連中も多い。日本で言う所の軽井沢辺りに相当するのだろうか、避暑地気分の騒ぎだ。
それにしても、大都会から数時間移動しただけでこんなに手付かずの自然を見ることができるとは、アメリカは本当に大きな国なんだな。この国に住む人間には誇りを持って欲しい。大都会と大自然という偉大なものが2つも、割合近くにあるのだから。そんな国はなかなかないはずだよ。
次に僕はカーリービレッジに戻り、キャンプ場への最終バスの時間を調べた。今夜ここで自転車を返した後、キャンプ場までを歩くのはちょっと辛いからね、最終バスには間に合うように帰ってこよう。こうして行動の範囲を見定めたことで、冒険がやり易くなった。
さぁ、これから僕はグレイシャーポイントという場所を目指そうと思う。ここヨセミテ国立公園で数ある見所のなかから僕はそれを選択した。
――そこは何?そこは、真正面でハーフドームに対峙できるという天然の展望台らしい。
――そこへ行く方法は?車が一番だが、僕には数時間かけてのトレイルが必要だ。
――遂に冒険旅行開始?そうだ、観光はこれまで。いよいよ冒険を始めるぞ。見習い冒険家最後の冒険の地・ヨセミテ国立公園での冒険が!
マップを見てトレイル登り口の見当をつける。マーセード川に平行して走っている道路脇の森の中にトレイルがある。このトレイルを進めば登り口にぶつかるはずだ。自転車を走らせ僕は目的地に向かった。トレイルの前の広場でマウンテンバイクを置き、あとは森中のトレイルロードを歩いた。道路に平行してしばらく平坦な森道のトレイルが続いた。
しばらく横へ進んでいると、ようやく僕の本当の敵が現れた。その名をフォーマイルトレイルといい、グレイシャーポイントへ行こうとする人間を拒む役をしている4マイルの強敵だ。実際は約7.7kmで、登りに3時間かかるとガイドブックにはある。ということは僕にとっては2時間もあれば充分攻略できるはず、と高を括る。
なにせグランドキャニオンの登りをたったの4時間で克服してしまったこの俺様だぜ、こんなお遊び程度のトレイル如き相手にならない!僕の心は危険な過信状態に落ちていたのだ。最後の最後で油断して大きな怪我をする、というのはよく聞く笑い話だ。さて、人生の勢いに乗っている僕はこのトレイルでどんな目にあうのやら――。
だが、経験を積んだ僕の身体に油断はなかった。軽薄だったのは必要時間をはじき出す頭の計算機だけだ。僕の両足はこれまでのトレイル経験をフルに使って、ベストな歩き方をしてくれていた。頭が調子に乗ったからといって、身体までも平静を忘れるということはない。
ここヨセミテ国立公園で残された時間も限られている。僕は焦っていた。明日の夜、ここのキャンプ場が空かない限り、僕は最終バスを捕まえ、バスを乗り継いでシアトルへ戻らなくてはならない。実質明日一日でヨセミテを冒険するのも終わりだ。時間を無駄にしてはいけない。深い森の中、単調な坂を登ることのどこにも冒険の意味はない。僕はスピードの勝負だけに意味を見出し、グランドキャニオンを上回るスピードで歩くのだった。
動物もいなければ、人間も見かけない。景色は次第にちょっとずつ良くなっていくが、それ程気に留める必要はないと思った。
この1ヶ月間、鍛えに鍛えられた僕の足腰の強靭さは天晴れだ!たったの1時間40分で、僕の身体を4マイルトレイルの一番下から一番頂上まで上げることに成功したのだ。ほとんど暴走族だ。景色を見ながら優しい気分で楽しむはずのトレイルを、ワイルドさだけでクリアしてしまった。
トレイルの天辺が見えた時、僕は自分自身の魅力に興奮してつい叫び出していたよ。渾身の魂を込め、開けてきた景色に叫びだす。俺はやったぞ!このペースを見よ!この世界は俺だけのものだ!
頂上にはかなり多くの人たちがいた。人間の群れを見つけてびっくりだ。僕のそのびっくりは余り好ましいことに対してではなかった。自らの足で這い上がってきた人間ならば最高の拍手を送ることができるのだが、ここには車を使って気軽に上がって来ることもできる。展望台があり、店まであり、なんだか日本の観光地のような便利さを感じた。この便利さはきっと人を堕落させる。そう思った。
偉業を遂げた僕を誰一人として気が付かない場所。冒険者と観光客が一緒になる場所。余りそれ以上を考えるのをやめ、僕も車でやってきた呑気な観光者の一人となり、その天辺を歩いた。
噂に聞くこのグレイシャーポイント。ここにはとんでもない大物が控えていた。この場所を訪れた時、誰もがここヨセミテ国立公園のスター、ハーフドームの輝かしさを本当の意味で理解するだろう。グレイシャーポイントから見るハーフドームはスターダムを極めた英雄だ。独特の美しさを、これ以上ない程の方法で見事に開花させた華だ。
目の前に広がるのは、シェラネバダ山脈の白い連なり。山脈の頭の部分は森をかぶらず、白く輝く岩壁のままだ。標高2,199mの場所だから、四方八方に地平線が広がる。山脈の頭が地平線だなんて、何とも斬新な考え方だね。
少しは高さ低さがあるが、大体平らな頭が果てしなく続くと思いきや、目の前にど~んとひときわ大きな岩がそびえている。横半分をスパ~ン、と豪快に割った大きな岩だ。群を抜いて大きい。この岩だけが他のとは世界が違う。そのスーパースターの岩の名前をハーフドームという。2万年前からこの地を見守り続けてきた人だ。
このグレイシャーポイントの人間全員があなたしか見ていないことは間違いないことなのに、少しも悪びれず、堂々と真正面に位置を占めている。これは一体何者だろう?どこからそんな自信が湧いているのだろう?さぁ冒険家兼芸術家よ、その謎を解き明かせ!
人間たちは誰も口数少なくなり、その一帯に座り込んでいる。スーパースターの方を向き、ある者は隣の人間と感動を語り合い、ある者は一人で眺めて心を盗まれている。
みんなが座る展望台付近の岩に柵はなく、すぐ下は大きな峡谷だ。変に人の手が加えられていないのが素晴らしいと思う。
あなたは想像できるだろうか。僕たちの座る場所はハーフドームと大体同じ高さにある。ふと、このまま歩いて渡りたくなる気にもなってくる。だが、僕たちとハーフドームとの間には大きな峡谷が横たわっているのだ。この距離とこの谷間は何を象徴しているのだろう。人生のどの部分を体現しているのだろう。
僕は小さな風も巻き起こさないぐらい優しくふわり、と岩に座り込み、改めて目の前の景色に向かう。ハーフドームの半面は真ん丸いのに、もう半面はスパッ、と切り込まれている。単純であるがゆえの美しさ。誰にでも分かる面白さ。増してやそれが自然にできた芸術だというのだから、ハーフドームとはつくづく人の興味を引いて止まないスター性の固まりだ。
あのスターが何の教訓も持たずに生きているとは思わないね!あんな派手な格好をしている大自然がメッセージも持たずに生まれてくるはずがない!僕は探してみよう。何かを感じてみよう。
偉大な人を前にして、僕の心は謙虚になってゆく。俗世界にまみれて曇りがちな僕の両目から驕慢な野性が削ぎ落とされてゆく。これが、心を開くということなのだろうか?あぁ、穏やかになった僕の心は言葉を詠み始めた。
こういう栄光は足を使った者にだけ与えられて欲しい
車で来るようではこの偉人に失礼では?!
~フォーマイルトレイルをあがって~
折角穏やかな心になっていたのに、詠んだ言葉は嫉妬や自己正当化、排他思想に溢れている。僕は怒っていたのだ。将来を懸念していたのだ。美しい景色に人間が入り込み過ぎるといつかはその絵が壊れてしまうのだ、とずっと思ってきた。もっと言えば、無数の心無き人間たちだけが在野の偉人を殺せる唯一の力だ。
僕は心配だ。心無き人間たちの好奇の目を嫌い、いつかハーフドームのもう片側もこの場を去ってしまうのではないだろうか。本来、美しい景色は自らの努力で勝ち取るもの。車で登ってきた人間に対してこんな美しい景色を見せてしまっては、善悪の区別が付かなくなってしまう。便利な世の中だが、この繰り返しを続けることによって謙虚な心を持たない人間ばかりが増えてしまう気がする。僕の心配は一人でどこまでも舞い上がって行く。
でも、正面を向けば平然と佇むハーフドームがいる。僕の懸念なんてどこ吹く風で、ハーフドームという偉人はただ静かにヨセミテを見守っていた。これは、僕のサイズが小さ過ぎることを浮き彫りにする懸念だったのかな。
なるべく人がいない場所で言葉を詠みたいので、ひっそりとした端っこへ移動した。ハーフドームと僕で記念写真を撮り、唯一観光旅行らしい儀式を終えると、あとはどっしりと腰を下ろした。さぁ、僕にはひとつのことしかないぞ。ハーフドームの心の世界へと入りこもう。
白い岩肌の隙間に見える緑色の森が、お好み焼きの上に撒き散らした青海苔のように見えた。その青海苔を見渡していると、ふと遠くの青海苔から煙が立っているではないか。何の煙だろう。
――そうだ!イエローストーン国立公園を冒険済みの僕だから、すぐにひらめいた。あれは山火事だろう。しかも、自然に対して人間は一切関知しないよ、とばかり自然の火災を無視しているに違いない。余程大きな山火事にならない限り、放置しているだ。あぁ、あの素晴らしい考え方はここでも共通しているのか。自然に起きたものは自然に任せる。イエローストーンでの勉強を再確認できて嬉しい。
このグレイシャーポイントはヨセミテ国立公園で最も標高の高い場所だからね、公園が一望の下だ。干乾びたヨセミテ滝が見えるし、ヨセミテ国立公園の中心地ヨセミテビレッジはすぐ目の下の森だ。到着した昨夜からさっきまで、僕が色々とやってきたのはこの狭い範囲のことだ。その小ささと比べ、目の前を真っ直ぐに続くシェラネバダ山脈のスケールはただ事ではない。
この周辺をヨセミテ国立公園と呼ぶのだろうが、奔放に生きる大自然を枠の中に閉じ込めることはできない。足元に転がる割合緑の多い部分が、ヨセミテ国立公園の主な場所だ。ヨセミテは目玉の観光スポットがヨセミレビレッジに集中しているから、イエローストーンのように大きな国立公園ではない。確かに遠くの公園南部には巨大なセコイアの森があるなど、公園自体は広いのだが、主な部分は非常に限られたスペースに集中している。そういう所もファミリー向けの観光地にぴったりだから、ここの人気につながっているだろう。それは認めるのだが、ちょっと僕には物足りないのではないだろうか。
自分の目線より高いものがないのはロッキーマウンテンの標高3,713m以来だ。あの時は景色に主役はいなくて、全部が全部脇役の集まりだったが、この景色にはスーパースターがいる。ロッキーマウンテンの頂上はマイナスの光に包まれていた。ここの頂上はプラスの光に溢れている。
座った岩の周りをリスとトカゲがちょろちょろする。野性の生き物は正直だ。毒々しい場所には決して現れず、こういう美しい場所にだけ現れる。小動物だと思って油断していると大間違いだ。僕たち人間より見る所をちゃんと見ている。
深呼吸をして、大きく両の眼を見開き、心安らかにハーフドームと向き合う時間。僕は心を総動員してハーフドームの意味を読み取ろうと試みる。圧倒的なシンボルとしてそびえ立つあなたの理由とは何?全部は聞かないが、幾らかでも僕に教えて欲しい。悪用はしないよ、僕はあなたから何かを学びたいだけだ。
さっき詠んだ言葉はとげとげし過ぎた。あれが僕の本性ではないからね。かなりのひがみ根性が現れていた。僕の詠みたい言葉はあんなものではない。ハーフドームよ、僕はあなたの存在理由を追求したい。あなたの強さの理由を知りたい。あなたが僕のどこかに真摯な姿勢を感じてくれ、何かを伝えてもいいと思ってくれているのならば、今無防備に心を開放している僕へとメッセージを送って下さい。僕がこのヨセミテへ来たことを歓迎してくれるのならば、どうか僕へヒントを伝えて下さい。
あぁ、心底からの言葉は伝わるものだ。本当の、優しい心になった時には真実も訪れてくれる。心を開いた僕に、さっきの嫉妬に狂ったものとは全く違う素敵な言葉が溢れてきた。ハーフドームのメッセージを僕の脳は受け取ったのだ。
2万年を生きるなかで深い心の傷も負った
時の流れに心を削られゆくとしても
もうこのままでいい 痛みさえ愛しい
俺たちは今もあるべき姿に歩いているのだ
さぁ、このまま永遠を生きよう
~グレーシャーポイントからのハーフドーム~
――いいかい、ハーフドームの削れた反面は心の傷なのだ。
そのアイディアが、僕の心に深く入り込んできた。そのイメージを心の中で何度も繰り返してみる。この言葉に誤解はないか。この言葉で上手く表現できているか。僕は思ったよ。この言葉は、本物だ。
どんなに哀しいの人がハーフドームを眺めても、ハーフドームは哀しい姿には見えてこないだろう。どこまでも清潔で、気高く美しい姿に思える。自分の節を保って、今まで堂々と生きてきた姿に見える。
本当かどうかは分からないが、噂に聞く所ハーフドームの反面はその昔氷河によって削り落とされてしまったらしい。そんな深い傷を負っていた人だったのか。僕の前で座っているハーフドームには、そんな哀しい過去があるようには見えないのだった。
僕は想像する、氷河が膨大な時間をかけてハーフドームの半身をじわじわと削り取っているシーンを。氷河は水という形のない力の変形であるから、その威力は絶大だ。ヨセミテで最高の存在であったが、ハーフドームも氷河には打ち勝つことができず、半身を削ぎ取られた。なんと理不尽な攻撃だ!身動きの取れない者を攻めるとは、スポーツマンシップに劣る。ヨセミテのシンボルとしてこの場所に居続けなくてはならないハーフドームだから逃げることも許されなく、氷河に対抗する術がなかったのだろう。できる限りの抵抗はしたのだろうが、氷河の流れはハーフドームの言葉を聞かずに半身を奪い去った。
ハーフドームの抵抗が無力過ぎたのか。あるいは、ハーフドームは全く抵抗をしなかったのかもしれない。いや、もしかしたら氷河もただ自分の後ろの氷河に押されていただけで、故意にハーフドームを傷付ける意志はなかったのかもしれない。どれが真実なのか、今となっては分からないことだ。まぁ、その先の追求は止めておこう。
半身を奪われたハーフドーム。奪われた当初は憎しみしかなかったかもしれないが、長い年月を重ねることでハーフドームはある種の悟りを体得した。そうだよ、悟りを開いた者にしかあんな美しい世界は創り上げられないだろう。
僕は言葉を詠むことでハーフドームとの交信を試みた。彼の悟りのほんの一部分でも僕の血肉として取り込みたい。2万年の時の流れに僕も加わりたい。僕はハーフドームから何かを学び取ろうと必死だったのだ。
形のないものが恐ろしい力で変化をもたらす
俺たちは姿を変え場所を変え
ただ理想に近付くように
そんなイメージで生きてゆこう
そうしてハーフドームと向き合っていたが、そんな簡単に悟りの欠片は見つからなかった。まぁね、そんな簡単に見つかっては困るものでもある。僕は決めたよ。明日は朝からあのハーフドームの天辺に登る冒険旅行に出よう!ここからハーフドームを見ていても、深い答えは見えてこない。もっとハーフドームに肉薄してみれば、きっと何かが見えてくるはず。
僕はやったぞ!ここで大きな収穫を得たぞ!ヨセミテ国立公園での冒険目的は、ハーフドームから何かを教わることだ。前に道が開けた。決して楽ではない道だが、僕は是非ともその道を進みたいと思っている。
今日はここまで、と僕は腰を上げる。展望台を横切り、トレイルを下ろうと足を踏み入れた瞬間、辺りの人のざわめきが耳に入った。すると、凄いスピードで僕の頭に言葉が走ったではないか!何だ、これは天啓か?すぐさまメモ帳を取り出して言葉を書きつける。
この岩壁はこの喧騒に耐えられているのだろうか
今のハーフドームのどこにも弱みは見られない。しかし、僕は思った。唯一ハーフドームを殺すことができるとすれば、それは自然の汚染、人間の騒ぎ声だよ。ハーフドームよ、あなたは昔半身を氷河に奪われた時のようにただ静かに佇んでいるが、もしかしたら今その体内では瀕死の重傷を抱えているのではないか?身体の半分を失ってもまだ生きていられるあなたが、本当の意味で致命傷を負うとしたら、それは人間の侵入によってなのではないか?だったとしたら、こうして美しい見学者でいるつもりの僕ですらあなたを傷付ける存在でしかないのだろうか?2万年を生きてなおも美しいその岩肌。それを唯一汚す存在は僕たち人間だろうか?あぁ、それは哀しい話だ。あなたの美しさを愛でに来たつもりの僕は、実はあなたを醜くさせるだけの存在なのだろうか。
僕の疑問にハーフドームは答えてくれない。考え続けながら僕はトレイルを降りて行く。心中に生まれた、明日への野望と明日への課題。ハーフドームよ、明日あなたと僕の関係をはっきりさせたい。
下りのトレイルも随分と飛ばした。わずか1時間20分でトレイルの登り口まで降りたのだから相当のハイペースだ。本来下りのトレイルでは景色を堪能して歩くものなのだが、既に頂上からの景色を見てきた僕にとっては時間短縮の方が大切だ。グランドキャニオンの名残だろうか、足の裏にできていたイボが歩き過ぎで熱くなっていた。僕の足よ、あと1日でいい。あと1日だけもってくれ。そうすれば、もうあなたを酷使することもない。あと1日で冒険旅行は終わりなんだ。あとハーフドームひとつ分だけお願いするよ。無茶ばかりさせてきたけど、本当にもう最後の最後なのだから。
今日の冒険は終わった。明日の早朝出発に備えるべく真っ直ぐテントへ帰ろうとしていると、マーセド川の水の色についつい誘われてしまった。これは仕方ないよ、黄昏時独特のやや非現実的な空気の中、美しい水の色が視界に入ってしまったのだから。そこでふらっ、となるのは見習い芸術家として仕方のないことだ。
そのまま川辺に腰掛けて過ごしていた。これだけの人間と車の通行量があるのに、このマーセド川はエメラルドグリーンを保っている。きっと専門家に言わせればこの水質でも以前とは変わってきているのだろうが、僕が見る分にはただの美しい川にしか見えない。アメリカの国立公園は観光地化する一方で、自然への配慮は万全だということか。
だが、それもやはり常識で考えて矛盾しているのだ。所詮どれだけ手を尽くしても、国立公園は自然の美しさを切り売りしているだけだ。ヨセミテも、イエローストーンもロッキーマウンテンも、どの国立公園も美しかった。いつの間にか出世して、すっかり謙虚さを忘れてしまった人たちに見せて、謙虚になることの大切さを伝えてあげたい。
でも、誰かにヨセミテを広めることは自然を少しずつ破壊していることにつながる。僕は自然を破壊したくはない。だが、美しいものはみんなに伝えたい。それで最終的にいつか自然がなくなってしまうのなら、それは僕の願う所とは違う。
あぁ、きりのない押し問答。ヨテミテよ、マーセド川よ。どうか僕に一言ささやいておくれ。この程度の人災ならまだ大丈夫だよ、僕には何の影響も及ぼさないから。僕の広い宇宙でしっかり飲み込んでやるさ、と。それを聞くまでは、いつまで経っても僕が心から安心する日はないだろう。
マーセド川沿いに走る車道。僕は心配するよ。確かにこんな山中に車道を作るのなら川沿いしか方法がなかったかもしれないが、車が走ればいつかきっとマーセド川に影響が出てくるだろう。隣接しているのだから、影響がない訳がない。目を閉じれば、近い未来に人災で死んでしまったマーセド川の姿を想像してしまう。いやいや、最近の自然保護活動がそんなことは許さないはずだ。
2つのことを願おう。ひとつは、このぐらいの毒ならばマーセド川が持つ生命力によって問題なく消化できること。もうひとつは、人間の活動によって自然と人間が上手く共存できる環境が整うこと。
2つ目は妥当な策だと思う。その兆しは既にどの国立公園でも見えていた。僕が今まで見てきた様々な国立公園の経験からして大丈夫だ、と信じている。心配は心配だが、きっと大丈夫だ。数十年後、大人になった僕が子供を連れてこのマーセド川を訪れたとしても、あなたはきっと僕の子供を美しいエメラルドグリーンで迎えてくれるさ。心配だ、今までの冒険旅行で見てきた経験からいって大丈夫だ!さぁ、テントへ戻ろう。
ヨセミテビレッジでバイクを返した僕がジェネラルストアに行こうとバス待ちをしていると、日本からの観光客が6時15分発のマーセド行きの最終バスを捕まえようとするのに必死で、周囲の人たちに錯乱気味に話し掛けていた。マーセド行きのバスが出る場所は結構離れているし、もう6時だから今からではかなり無理な相談だ。バスは他の場所を周回しているのだし、もう間に合わないよ。運良くギリギリで間に合うか、それともバスが遅れるのを期待するかだろう。
その人はやってきたシャトルバスに大慌てで乗った。ゆっくりと乗る僕。できれば今の僕のたっぷりとある時間をあなたに分けてあげたいよ。ジェネラルストアで僕は先に降りたが、その時点でもうマーセド行きの出発時間だった。もっと早く出るべきなのに、何て無計画なヤツだ。僕はそう心の中でつぶやいていたが、まさかこの件が僕にとってあることの前兆になるとは、全く想像もできないことだった。
水や食料を買い込み、今日は明るい内にテントへ戻った。すると、僕のサイトにキャンピングカーが入り込んでいるではないか。おかしいな、と思いその人たちに「ここは僕のサイトだよ」と話しかけると、彼等は首を横に振ってここのサイトの番号が入った予約カードを見せてきた。あれ、今晩は僕のサイトの番号が違うのかな、と思い僕はキャンプ場入口の電話で昨日の番号にかけると、昨日と同じ人が出た。説明するとそのレンジャーは「そこはあなたのサイトだから私はその人たちと話がしたい」と言う。僕はサイトに戻り、穏やかにその旨を説明するとそいつらはとんでもない行動に出た。
「電話しましたが、この18番はやっぱり僕のサイトらしいんですよ。レンジャーがあなたたちと話がしたいと言っているので電話してもらえますか?」と僕がいう。するとあいつらは「お前が電話しろ!」と、訳の分からないことを言う。あれ、僕の英語が伝わらなかったかな、と思ってもう一度ゆっくり英会話すると、そいつらはやはり「お前が電話しろ!」と一点張りを決め込むではないか。加えて、「お前の予約カードを見せろ」とかなり強気に言い張る。僕はこの冒険旅行を出発する直前に予約を入れたので、予約カードは僕の出発後に家に届いているだろう。そのことも説明しても、とにかくそいつらは家族ぐるみで「お前の予約カードを見せろ、俺たちのカードはこうしてあるから間違いないのだ」とどこまでも言い張る。
あぁ、そんな馬鹿なことはない!人間ならば、増してや家族連れならば、責任のある父親がどんなに妙なことでも問題解決しようとする行動を取るのは当然だと思うのだ。確かに僕は予約カードを持っていないし、相手にはそれがある。それでもこうして真面目な態度で、それなりに筋の通った話をしているのだから、何かを行動するのは人間としての当然の行いだと思う。何にあいつらときたら、一歩も歩み寄ろうとしない。これで家族は形成できるものなのだろうか。
彼らのこの対応は一体何故だろう。何からくるものだろう。それを考えていた僕に、ふと閃くことがあった。そうか、これか。
ちょっとでも自分が不利になる可能性のあるものに対して、自分たちからは絶対に動こうとしないつもりなのだ。自分たちが動かなくてはならなくなる義務が生まれるまで、自分たちの不利になりそうなものは全て拒み続ける策なのだ。それには確かに言い分があるが、人間としてそれは醜いよ。これが狩猟民族のどんな手を使っても、最終的に勝てばそれでいい、という理論なのだろう。そう知った時、僕は自分の心の中に義憤が生まれていたのを感じた。
口論を見かねたのか、昨夜から優しくしてくれた隣人が歩いてきて僕に向かい「あなた一人ぐらいのスペースぐらいなら私の所にあるよ」と言ってくれたのだが、既に義憤が収まらなくなっている僕は丁重にお断りしておいた。こいつらみたいな醜い輩に負けるのは絶対に嫌だ。お前らの卑怯さには心からの怒りを覚えるよ!ここが日本だったら本当に殴っていただろう。
僕は相手の理性に訴えてみた。「あなた方は今トラブルに巻き込まれている。自分たちと同じ日にち、同じキャンプサイト番号で予約が重なっている人がいる。そして、レンジャーはあなたたちと話がしたいと言っている。この状況であなた方に求められているのは、レンジャーと直接話をして、問題を解決することでしょう。他の人を共存していかなくてはならない社会人として、その行動を取るのは当然ではないでしょうか?」と言ってみた。そこまで細かく英語にできて説明した訳ではないが、言いたいことは伝わったはずだ。それなのに、彼らは「オマエの予約カードを見せろ!」の一点張りだ。
酷いな。こんな理屈の通らない屈辱はない。言い合っている内、余りの態度についこんな怒りの言葉が口をついてしまった。それは日本語だった。英語ばかりで話している冒険旅行中でも、本当の怒りは母国語で出るものなのだね。腹の一番深い所から出た怒りの言葉。低く、冷たく、揺るがない本当の怒り。滅多にない怒りの感情。
「……テメエ……」。
いずれにしろ状況が悪過ぎる。相手がああ言い張る以上、説得させられる材料が僕の手元にはない。レンジャーを呼んで白黒つけてもらうこと以外に解決案がない。怒りを抑えて僕はもう一度電話をしに行ってレンジャーに状況を伝え、こちらに来てもらうようお願いした。悪玉への裁きの大きな布石を打った僕が戻ると、そいつらの口から更なるとんでもない言葉が飛び出したではないか!僕を心から傷つけ、怒りを決定的に増幅させる最低最悪の言葉!それは「You CAN stay here」。
当たり前だ!!!僕がここにいるのは当たり前だぞ!カードは持っていないが、レンジャーに正しいと言われている僕なのに、それを「CAN」なんて言われたらたまらない。「オマエは怪しいけど、別に俺様たちは一緒にいてもらっても構わないんだぞ」と高慢に言われているも同然なのだ。遂に激怒してしまった僕が「今レンジャーが来るからそこで待ってろ!オマエらはここから出て行けよ、オマエらみたいなヤツラは大嫌いだからな」と言うと、目を閉じて静かな表情を気取り、首を横に振るそいつらの憎たらしい顔!!
僕の心は闘志で煮えたぎっていた。グランドキャニオンのミュールツアーの時よりも怒り狂っていた。卑怯なヤツラだけは許すことができない。子供の僕がこうして大人の話を提案しているのに、自分たちだけの利益を考えることしかしないヤツラは絶対に許すことができないんだよ!いい年齢をした人たちが幾人もそろっているのに、僕の案を無下に断ろうとするだなんて、醜過ぎて見ていられないぞ!オマエらは本当に唾棄すべき相手だよ!
待てどもレンジャーは来なかったのでテーブルを使って食事を取り、到着を待った。暗くなっていくキャンプ場。まだ、僕の怒りは収まっていない。どうしてもこのことだけははっきり白黒をつけたい。自分自身が信じている正義のためにもここだけははっきりさせたい。コイツらの醜い生き様をちょっとでも正しい方向に直してあげたいという親心もある。とにかくこれにはっきり決着をつかないと、今までの自分が正しいのかそうでないのか分からなくなってしまうのだ!
1時間以上待ったがレンジャーは来ない。余りに遅いので、もう一度電話をしに行く。すると「さっき出た」と言われ、サイトに戻ると丁度レンジャーが来た所だった。レンジャーは真っ先に「同じサイト番号に2つの予約を入れた会社のミスだ」と言った。やはりそういうことか。これで全てに説明がついた。大体それしかないだろう。僕もそうじゃないかと思っていたことだ。後は、こいつらを僕がどうするかだな。ちょっとぐらいいじめてやらなくては気が済まない。あれだけ散々失礼なことを言われて、すぐに許す程僕は大人じゃない。いいや、そんな大人になりたくない。
レンジャーの答えを聞くや否や、アイツらは「彼は私たちのことを嫌いだから出て行けと言った」とレンジャーに詰め寄った。益々醜いヤツラだ。今度は僕の狭量をレンジャーに訴えて、僕を別のサイトに移動させる腹積もりだろうか。そして家族でレンジャーに向かって一斉に、早口でまくしたてる!まるっきり、僕の出番はない。レンジャーもとんだ災難だな。
確かに僕は大人とは思えない言葉、「嫌いだから出て行け」と言ったが、それ以外は何ひとつとして筋が通っていないことは言っていない。むしろ、人としての道理を通さなかったのは、明らかにあいつらの方だ。だから僕にはどうしても許せないんだよ。今更いい顔をしても遅い、ということをあいつらに知らしめたい。できればあいつらの腐った性根を、あの醜い卑怯さを少しでも変えてあげたい。それが住みよい世界を創ることに直結するはずだ。
レンジャーもすっかり困ってしまって「会社のミスだから会社あてに手紙を書いて抗議して下さい」と言うのが精一杯だった。どうすればいいのか、かなり困っている様子だ。そして、「今夜このキャンプ場には空きがあるはずだからそれをこちらで探すからあなたたちが動いて下さい」と家族連れの方に言った。レンジャーは僕が3連泊の予約を入れていることと、車がないことを考慮してくれたらしい。
その一言でそれまでの弱者と強者が入れ替わった。これでようやく本来の姿になれたのだ。正直者は最後に必ず認められる、という教訓だ。良かった。これで僕は裏切られずに済んだよ。
「動いてくれ」と言われたファミリーはごちゃごちゃと抗議を続けた。こいつらは何でこうも見苦しいのだろう。「もう暗いから」とか何とか言っている姿を見て、つい僕は目を背けてしまう。そんな姿が醜くて醜くて、どうしようもなかったからだ。
最初から相手を尊重する姿勢を見せていれば決してこんなことにはならないのにな。そろそろいいタイミングかな、と思って僕はこの言葉をその場の全員にかけてやったよ。「We can share」。哀憐の気持ちを込めてね!
勘違いしてくれては困る。「オマエらのことは嫌いだからどこかへ行け」という暴言を吐いたのは、あいつらの余りの態度に腹が立ったからであって、本来の謙虚な僕としてはこんな暗いキャンプ場で一家を別のサイトに移動させるだなんて、望む訳がないんだ。まぁ、あんなに見苦しいことを続けた家族ならそれも当然だ、と割り切って追放しても良かったのだけど、ここは一番年齢が若いが一番大人の僕が解決策を授けなくてはいけないと思った。
僕は強く願うよ!僕のこの潔い行動を見てこいつらが何か感じ取ってくれたのなら、世界の醜いものが少しでも減ったことになる。それが僕のせめてもの願いだ。
なんとか問題解決となり、レンジャーは足早に去って行った。あの家族も車の中に引っ込んだ。今夜は時間を無駄にしてしまったね。怒ることは大嫌いなのに、真剣に、本当に、激しく怒ってしまった。今夜はとても気分が悪い。
あいつらが何故あの時点で電話を拒んだのか。どう考えても、そこに納得がゆかない。自分たちの権利だけを主張し、社会人として公正な立場を取ることのわずかな手間と、もしかしてそれにより生じてしまうかもしれない幾らかの危機を真っ向から拒む姿勢を醜いと思った。確かに僕はひとつだけ良くないことをしたが、他は理の通った対応ができた。取るに足りない軽輩相手だったが、まぁまぁの対応ができた自分を誇りに思うよ。19才の男と、いい大人4人の一家。その勝敗は誰の目にも明らかだろう。誠実さは常に勝たなければならないと思う。
明日は早朝からハーフドームへの冒険に取り掛かるぞ。そして、長かった僕の冒険旅行も、明日の冒険をもって全部終了となる。午後にはマーセド行きのバスに乗り、そのままバスを乗り継いでシアトルへ帰る計画だ。明日のハーフドームが、最後の冒険の場所。いよいよ、この見習い芸術家の冒険もクライマックスを迎える。最後の冒険だから悔いを残さないよう、思いっきり暴れ回ろうね。今はおやすみなさい、どうか明日もいつも通り素晴らしい一日を過ごせますように。