ハーフドームトレイル・ヨセミテ国立公園、見習い芸術家の冒険29話

9月20日(金)

  早朝5時半、僕は寝袋から抜け出した。テントの外は8ぐらいに冷え込んでいて、僕をまた寝袋に引きずり込もうと妖しい誘いをかけてくる。でも僕は修行中の身だ。欲望に負けていては先に進めない。

潔くテントから出て、僕は最後の冒険へ向けて食事を作ったり、今日のトレイルで必要なものをデイパックに詰めたりと活発に動いた。テントはそのまま残しておいた。隣の親切なファミリーの方向にテントを引っ張っておいて、安全の確保も怠らない。慌ただしい朝だが、今急いでおくと帰ってきた後で楽になるだろう。午前6時半にはキャンプを出発した。

  昨日のファミリーはまだ全員眠っているようだった。歩き出しても、キャンプ場にはまだ人の姿がちらちらしか見られない。これはかなりいいスタートを切ったみたいだな。今日は午後6時15分ヨセミテ発のマーセド行き最終バスに乗るというノルマがある。それに、ハーフドームへの道のりは生易しいものではない。通常なら丸一日かけるべきハーフドーム頂上へのトレイルを、日帰りでクリアしてしかも夕方のバスに間に合うようにしなくてはいけないのだ。かなりのハードスケジュールだ。のんびりしている暇はない。

  キャンプ場から徒歩で20分の位置にハーフドームへのトレイル入口がある。ガイドブックによれば、このハーフドームトレイルは片道約27.4km、予想往復所要時間は10時間以上、急坂が多く特に最後は垂直な登りになっているらしい。キャンプ場が標高1,200mで、ハーフドームの頂上は2,695mだから、1,500mの山登りになる。この冒険旅行のファイナルを締めくくるのに丁度いいレベルだ。

僕は足にわずかな不安を感じていた。昨日のトレッキングでかなり状態が悪くなっていた。そろそろゆっくり休めなくてはいけない頃だ。でもね、僕の足よ。今日このトレイルさえクリアしてしまえば、あなたにもうず~っと休息を与えることができるのだよ。今日働かなくては一生の後悔となる。今日は張り切って行こう!

  だが、足の裏の痛さが昨日までのような僕のハイペースを維持させてくれない。何とかしなくてはならない、と靴下を2足重ねで履いてみると、何とか痛さを誤魔化すことができた。これなら何とかなるかもしれない、と僕は意識的に足の痛みを意識しないようにしてみた。痛みというのは、それが痛いのだと意識から完全に忘れた時に消えるものだ。痛さをどこかで意識している限り、痛みからは逃れられない。だから、ここは自分に痛みがあるということを意識の中から排除させてしまえばいい。それはどうやってすればいい?それは音楽さ!痛みを忘れさせてくれる麻薬、それが音楽さ。音楽さえ聴けば僕の世界は音楽だけになる。

  午前6時50分。大きな使命感に燃えた見習い冒険家がトレイルを歩き出した。どうやら足跡から判断する限り、今朝僕より先にここを通った人間がいるようだ。こんなに早く歩き出したのにな、大した気合の入れ様だ。でも、歩く限り全く人気がない。まるでたった一人、ジャングルを探検しているかのようだ。

  森の中を縫うように敷かれたトレイル。一本目の橋を渡ると、いきなり大した登り坂の連続だ。朝の清潔感のある空気の中、無心で森のトレイルウォークを満喫する僕。人気の全くないトレイルだから自分だけのものさ!後ろから煽られることも、前の人を抜こうと思ってしまうこともないトレイルは最高だね。美しい景色を歩くことに没頭できる。あぁ、美しい自然の中を歩くだけでも、立派な芸術活動になるんだね。増してや、美しい鑑賞者である僕が歩けば、この世に美しいものをひとつ付け加えることができる。

  途中ではイリロート滝という滝が前方にちらちら見えたりして僕を誘う。どうも、水が集まる場所に僕は引かれてしまう。形のないものの強さと美しさを肌で感じてきたからだろう。危険な美しさの誘惑を断ち切った僕は更に進み、2本目の橋をクリアする。

橋を過ぎるとMist TrailJohn Muir Trailという2つのトレイルの分岐点に出た。どちらを歩いても最後にはハーフドームへ辿り着くのだが、ここは途中に2つの美しい滝が流れるMist Trailを選むべきだろう。

  スタートから50分も過ぎた頃だろうか。僕の前に強敵が立ちはだかった。バーナル滝が心地良い爆音を立てて流れているのだが、滝の上まで登る道がもう登り坂というレベルではなく、ただの石の階段になったのだ。これはかなり厳しい道だった。霧のトレイルの名に相応しく、容赦なく浴びせられる滝の水しぶき。逆に涼しくて歓迎だよ。

  ここまでのトレイルを歩いて足慣らしはできていた。エンジン全開になった僕は子供のような無邪気さで石の階段を駆け上る。こんな立派な場所も、僕一人の貸し切りだ。バーナル滝と一対一で向かい合うMist Trail。僕は滝の頂上へまっしぐらだ。

  午前7時40分、石の階段を上がり切った時には滝のような汗を流していた。標高1,538mだ。10分ばかり休憩を取ろうか。バーナル滝が落ちて行く所のすぐ横で僕は腰を下ろした。朝から不吉なことを思い浮かべた。死刑台を想像していた。手足を縛られ、縄尻を持たれてやってきた一人の死刑囚が、ここで執行人に後ろから腰を蹴られ、死への儀式へと旅立ってゆく。そういうイメージがした。

  こんな景色に自分自身だけだからか、暗いイメージになってしまったね。さぁ、次の目的地は3km先のネバダ滝だ。更なる感動を貪欲に求めてみようか。

  歩き出すと、まずはダラダラとした中途半端な登り坂が続いた。面倒だ、とばかり僕が暴走し出そうとする時期を見計らったかのように次にハードな登り坂を繰り出してくるというここの攻撃の仕方は、理に適っている。かなり急な登り坂となったが、ちゃんとお楽しみまで用意してくれているのはニクい演出だ。登場した2番手のネバダ滝は、繊細でありながらも豪快な美しさを持つ滝だった。細くて白く長い落水には女性的な美しさを感じる。一方で、遠慮なく流れる滝はたまらなく美しい。

  当たり前な言葉だが、ここネバダ滝では水が崖を流れていた。馬鹿な言葉だが、それ以外に適切な表現の仕方がないのだ。他の豪快な滝と同じなのだが、行き場を失った水が岩上から岩下へとダイビングしている、というイメージだ。ただし、それに加えてネバダ滝はあくまで自然な流れで下っている。あたかも岩上から岩下へとそのまま川が続いているかのようだ。

滝の前では透明だった水が、ネバダ滝を下るこの一瞬だけ一筋の白い直線となり、瞬間の美学を追求していた。僕はこの滝の美しさに酔った。すかさずカメラを構え、言葉を詠む構えをする。こんな言葉が生まれた。

            水は岩壁を下る

                形のないものだけのなせるワザ

                      ~ネバダ滝~

  僕たち形のあるものがこの岩壁を下り落ちたら壊れてしまうだろう。だが、無形の水は見事にこの関門をクリアしている。僕たち人間の身体と水を見比べてみる限り、僕たちの身体の方が劣っているだなんて思えない。でもこれは事実として、僕たちには有り得ない能力を水が見せているのだ。あぁ、形のないもの最強説は本物か。この冒険旅行を通して形のないものの柔軟性に益々憧れが募るばかりだ。

  バーナル滝から50分、ネバダ滝の天辺まで辿り着いた。ここで標高1,801mだ。トレイルを外れて、水が落ちる現場へ行こう。この滝も、流れる場所を失った水が岩から雪崩落ちるというイメージだ。バーナル滝といい、ここネバダ滝といい、グランドキャニオン谷底のリボン滝といい、どれにも似通った所がある。これまでの僕の短い人生で見てきた日本の滝は、水が優しく流れ落ちている感じだったが、アメリカの国立公園の滝は実に豪快に水が下に叩き付けられている。遠慮がないのだ。日本のような柔らかいイメージはない。

  ネバダ滝が落ちる所にあった岩に腰を掛けて、休憩時間に入った。すると面白いことに、昨日僕が頑張って登ったグレイシャーポイントが目の前に現れたではないか!今や谷間を挟んで立場は逆転した!昨日立っていた場所を今日は見渡していて、今日立っている場所を昨日は見渡していた。こうなるために今日はこっちに登ってきたのだが、実際こうなってみると妙な感じだ。

  荷物を解き、20分程その場所で景色を堪能していた。僕は昨日グレイシャーポイントの下から上まで歩いたのだが、こう見てみるとかなりの山だ。良くぞ登りつめたものだ。今日は昨日以上の冒険をしている訳だろう。この冒険旅行で僕の脚力は相当鍛え上げられたと思う。ハーフドームの標高は2,695mで、ふもとから頂上までは1,443mあるのだ。立派な登山だよ。それを昨日の思いつきで実行に移してしまう僕の余裕が凄い。

  休んでいる途中に後ろから足音が聞えてきた。自分自身だけのトレイルを気に入っていた僕は警戒の眼差しを向けた。ここでようやくこのトレイルに自分以外の人の姿を目にした。なんだか安心したのだが、やはりちょっと煩わしく思う。これでは僕だけのハーフドームが遠ざかってしまう。追いつかれないように先を急ぐことにした。

  ネバダ滝からに奥へ行くと、ようやく平らな道になった。トレイルの左手上空を見上げれば、のっぺりとしたハーフドームの山が控えている。滝付近の森を抜けると、砂漠のトレイルになった。この辺りになるとすれ違う人の姿も出てきた。彼らはこのトレイルの途中にあるキャンプ場からの人なのだろう。

  足を止めることなんて僕は知らないね!ただ両の足を忙しく動かすのみ。早くハーフドームの頂上に立って、あいつのメッセージを心に取り込みたい。昨日は分からなかった答えも、こうして苦労をしながら自らの足で歩き、直接逢いに行くことできっと分かってくる。僕はそう信じて、ただ歩いた。

頂上まで行けば必ず感動させてもらえるだなんて、誰も決めた訳ではないのに、僕はそれを微塵も疑っていない。僕の勘で明白なんだ。これは僕の真実なんだ。ハーフドームにたどり着けば、必ずや僕は何か大きな言葉を学ぶ。そして、その学んだものはこれからの僕を豊かにする材料となる。修行中の僕だから、そう信じて進むしかない。

  砂漠のトレイルをクリアすると、いよいよハーフドームの本城が見えてきた。今まではハーフドームの裾野と同じ高さまで登ってきたというだけだ。ハーフドームの足元へしがみつくためにここまで登ってきた。これからが本当のハーフドームへの挑戦だ。平坦な道は終わり、山道になってきた。さぁ、ハーフドームを登ろう。

  健脚を誇る俺様だが、何と後ろから追手が迫ってくるのが聞こえるではないか!人の気配を感じ、ちょっと迷った。ネバダ滝を出て1時間半が経つ。あれから少しも休憩をとっていないし、今の体力が充分とは言えない。それにしてもこのペースに付いて来て、更に抜かそうとするぐらいなのだから、大したヤツがいるものだ。アイツのペースの方が上なのか?数々の偉業を遂げてきたこの見習い冒険家も、ここで他の冒険家に負けてしまうのか?──そんなのは嫌だ!!

  僕は見違えるぐらいに元気になり、ペースを早めた。誰かに抜かされるなんて、自分で自分が許せない。残された力を振り絞り、グランドキャニオンから続く不敗神話を継続させるのだ!そうだ、大切なのは心だ。心さえ折れなければ身体は後から付いてくる。

無我夢中で先を急ぐ僕。──抜かれてたまるか!──抜かれる訳にはいかない!──抜かされるはずがない!しばらく山道を駆け上がって、ふと後ろを振り向けば人影は視界から消えていた。やったぞ!僕はまだまだ抜群だ!

  間もなく、道は登り坂から岩登りへと姿を変えた。最早横に進むトレイルではなく、縦に進むトレイルだ。トレッキングの厳しいものでもなく、山登りでもなく、これは岩を登り続ける作業だ。四肢を使って身体を岩の上に持ち上げる作業に、僕のTシャツは汗でびっしょりになっていた。

額から流れる汗が目に入るのを嫌い、拭う汗は太陽の光を受けて輝き、そしてハーフドームへと落ちて吸収されてゆく。泥と埃まみれのブーツ。フラグスタッフのユースホステル以来満足にシャワーを浴びていない身体はすっきりしない。さぁ、見習い冒険家よ!何事も気にせず、ただ歩いて行け!ゴールは近い。ハーフドームはすぐそこにある。無心になり、岩を登り続けて行こう。

  その苦しい岩登りが終わると、森が無くなり岩肌だけが突出した場所に出た。歩く地面も灰色の岩。周りも一面全部堅い岩だ。どこにも柔らかい土はないし、緑もない。あぁ、僕はハーフドームの足元へ辿り着いたのだな。ロールプレイングゲームでボスキャラの前まで来た時のような静けさ。それまでは強敵が沢山出てくる場所を切り抜けてきたのに、ある場所まで来るとがらっと雰囲気が変わる。大体そんな感じでボスキャラは勿体つけて登場してくる。正に、今がそれだと思う。ロールプレイングゲームの主人公になったような気持ちだ。さぁ、これからきっとボスキャラが静かに僕を迎えてくれる。一時の静寂の後で、地獄のような最終バトルになるのだね。

  つるつるの岩肌をゆっくりと歩く見習い冒険家の前に、大きな壁が立ち塞がった。遂に最後の敵が現れたのだ。それは、信じられない化け物との遭遇だった。この冒険旅行始まっての以来の怪物、ハーフドームからの挑戦。僕にとっては1ヶ月に及ぶ冒険旅行最後の挑戦。ハーフドームの大岩石が、垂直の岩壁を見せて僕の前に立ちはだかる。ハーフドームの挑戦状の意味はすぐに分かった。この垂直の岩肌を登ってこい、と言っているのだ。──僕はこんな化け物と戦えるのか?!見習い冒険家に最大のピンチが訪れていた。

この化け物を説明してみよう。岩肌の道はハーフドームへと向かっている。道は真っ直ぐ進むが、急にその道がほぼ垂直に上へ曲がった!空の方向に曲がられては、僕たち人間には重力という障害があるので困ってしまう。岩をよじ登るなんて幾らなんでも不可能だ。これ以上先へは進めない。つまりハーフドームの頂上へは上がることは誰にもできないのだ。

ここまで登ってくるのも相当な高さだったが、ハーフドーム個人はそのレベルの更に274mも上をいっているのだ。あいつは凄いよ。一人だけずば抜けている。こんなにレベルの高い世界なのに、どうしてそこから更に一枚も二枚も上をゆけるのか。

  しかし、人間は対抗策を用意していた。近寄ると、急角度の岩壁に鉄のクイが打ち込まれているのが見える。1mおき、左右対称に2つ打ち込まれている。クイとクイは鉄の鎖で繋げられていて、左右対称のクイの下には上手く木材をひっかけてあり、これが足場になっている。

僕は想像した。ハーフドームの頂点へ上がろうとする人間には、両手で左右2本の鎖をつかみ、木材を足場にして少しずつこのほぼ垂直の絶壁を登っていく方法が残されている。さすがの僕も、これには一瞬躊躇をした。

  足を止めて上を見上げると、もう既に幾人かの挑戦者が壁をよじ登っているのが見えた。それ見て、僕の冒険心に火が付いた!僕の他にも挑戦している人間がいるのだ。最早見習いではなく、本物の冒険家となった僕にできないことなど何もない!!

楽しくなった。子供のようにはしゃいでその登り口へ歩き出した。僕なら大丈夫だ。僕なら絶対にクリアできる。早く遊ぼう!早くクリアしよう!

  登り口には軍手が沢山転がっていた。これを滑り止めと皮膚保護のためにはめて、ラスト274mを制覇するのだ。正に最後の最後に現れた究極の試練。隠されていた最終関門。ハーフドームだけではなく、この冒険旅行の最終関門。見習いから本物の冒険家になるための実技試験だ。

本当の直前までこんな場所があると気配を全く感じさせないとは見事なものだ。誰も想像できないよ、こんなボスキャラは。エンターテインメントか。意地悪か。試練か。裁きか。これが、冒険なのだろう。

手袋は投げられた。古い表現だが、それは決闘の申し込みを意味する。僕は軍手をはめ、鎖に手をかける。恐いだなんて少しも思っていない。僕は純粋にこのロッククライミングを楽しみに思っている。今までにない経験ができる。そして、僕の肉体は必ずこれをクリアできる。

  楽し気にトライしてみたのはいいが、これがまた想像を絶する作業だった。岩の角度が半端じゃない。鎖を握る両手に自分の全体重がかかる。足元の枕木は全体重を預けられる程の安定感はなく、今の木材から次の木材へと踏み出す力を溜めるのが精一杯だ。一歩一歩が遠い。今の木材に足をかけていてもちっとも楽にはならない。完全に楽になるためにはあの見果てぬ頂上まで登り切るしかないのだ。

後ろに戻ることは登ることよりももっと危険だし、一度足をかけて登ってしまった以上、最後まで登り切るしかない。なんという試練だ。見かけのエンターテインメント性は、実際に登ると全く姿を消す。僕は真剣になっていた。本気で取り組まなくては、自分が危ない。僕から全ての余裕が無くなった。何も考えない。いつものように次のスケジュールを考えるとか、言葉を詠むとか、そういうレベルではない。今の一歩を刻むためにどうすれば良いのか。目の前の障害をクリアするためだけに心身共に集中した。

45分後、冒険家は最終テストに合格していた。このハーフドームを登り切ることに成功したのだ。

  たった274mを登るのにこの僕が45分もかかった!45分!274mに45分だぞ!予想外の疲労だった。僕は浅はかだった。このハーフドームを侮っていた。ハーフドームを他のトレイルと一緒にして考えていたのだ。息を切らせ、全身から汗を流しながらのゴールだった。遂に最後の難関を越えた。さぁ、あとは本物のハーフドームを俺の血肉へと取り込むだけ。出発から丸5時間。午前11時30分。遂に冒険家はハーフドームの頂へとその身を躍らせた。

  まずは頭の中でこれからの予定を立てる。ヨセミテ発マーセド行き最終バスは午後6時15分に出発する。登りに5時間かかったということは、ここを午後1時にでればテントに5時半ぐらいに戻ることができるだろう。まぁ、本当の最後の力を振り絞って5時には着くと想定しよう。急いでテントを片付けても6時15分のバスには間に合う。1時発だとギリギリかな。まぁ、最後の方法は親切な隣の人にお願いすれば今夜一泊ぐらいは何とかなるだろう。よし、ここの出発時刻は1時にしよう。

  疲労困ぱいの身体を引きずるようにして、グレイシャーポイントから眺めたあの削り取られた半身に向かった。近寄ってみると、20人ぐらいだろうか、その周りでそれぞれ岩に座り、ゆっくりしている。その雰囲気が、なんだか小学校の遠足で登った山の頂上のように思えて僕は少し微笑んだ。

  僕は恐る恐るその切り立った崖の下を覗き込んだ。正に絶壁。しかも頂上から下の部分に向かって内側にえぐれている。これは恐いぞ。上の部分がいつ崩れてもおかしくない。最初は歩くのも用心しなくてはならないな、と思っていたが、そんな小心者モードはすぐに止めた。ここまで来た人間が落とされる訳がない。天辺にゴロゴロしている岩の上に座って僕は景色を眺めることにした。出発から5時間、ようやく落ち着くことができる。

  言葉を詠むためには心に余裕を持たなければならない。心に余裕を持つためにはまず身体からだ。水分を取り、携帯していたポップコーンを貪り、呼吸を調える。ちょっと落ち着いたらすぐに言葉を詠もうとする僕。よっぽどこの冒険が性に合っているのだろう。

  僕はハーフドームの本性を読み取るためにここに来た。ハーフドームに座っていて、こんな言葉が溢れてきたよ。

              この傷に触れることはできない

                触れないまでも心の岩を下手に崩せば死

                  傷に触れれば即、死だ。

                        ~心の傷の崖

  僕はすぐに分かったよ!このハーフドームの崖がどんな過去を背負って生きてきたのか。ハーフドームとは一体何を伝えようとしている偉人なのか。

ハーフドームの削り取られた半面の崖は心の傷だった。ハーフドームはその傷口を全ての人間に公開して、相手がそれをどう受け取るかでその人間を試しているのだ。

  ――みんなは心の傷の側に座っているのだぞ、気を付けなよ!

僕はこの忠告を大声でみんなに叫びたかった。自分自身で詠った言葉だが、これは正しいと思う。ハーフドームの半身は心の傷である、そこに思い至れば全てに理の通った説明が付いてくる。ハーフドームは自分の傷口を全ての人に開放していた。普通ならば自らの傷は隠すものなのだろう。だが、この偉人は逆に見せ付けた。

ハーフドームは時として残酷だ。すっぱりと割ったこの崖は人目を引く。誰もが近付きたくなる。だが、下手にこの傷に触れる者があればハーフドームは容赦なくその人間を崖下へと引きずり込んで殺す。理由ははっきりしている。不用意に傷口に触れたからだ。

  それだけではない。触れた人間に即刻死が加えられるのは勿論、触れなくても下手に心の傷に触れ、傷の周囲の岩を崩したのならそれもアウトだ。その種の人間もハーフドームに殺される。心の傷を理解しなかったからだ。

  ハーフドームの傷口に近付いた人間で、唯一生命を取り留めることができるのは、ハーフドームの心の傷を理解できた人間だけだ。

  甘い罠を仕掛けている採虫植物の姿が重なってくる。例えば、昨日のようにグレーシャーポイントから眺める分にはここはただ純粋に美しい景色だ。美しい景色だから誰もが近寄りたくなる。美しいものに寄りたがるのはごく自然な欲求だからだ。見せるだけなら誰にでもハーフドームはその美しい姿を見せてくれる。見るだけなら良いのだ、見るだけなら。しかし、一歩踏み込んでその美しさに触れようとする人間のことを、ハーフドームは裁く。

何という人生の教訓だ!僕は遂にハーフドームの本心に辿り着いた気がした。自分自身として納得のゆく解釈が得られたと思っている。僕はすっかり満足したよ。我ながら爽やかな表情でその場を離れていたのだろうな。今日の目標だったハーフドームの意味が僕なりに分かったよ。僕とハーフドームとの関係も明白なものとなった。僕は、あなたの痛みを理解し、尊重し、僕自身の今後に活かしましょう。それが、僕の答えだから。

  腰を上げ、傷口の崖を離れる。グレイシャーポイントに向き合う側に行ってみた。崖がない部分は、足元の巨大な固まりが丸いことを感じさせてくれる形になっている。つくづく、特殊な場所だと思う。まん丸い大きな岩の上を歩き、その片隅に腰掛ける。これで完全に昨日の自分とは逆の立場になった。

携帯コンロを取り出し、インスタントラーメンを作り始める僕。インスタントラーメンだからね、食事自体は質素なものだけど、こんな場所で火を使って食事を作るなんて、最高の冒険だよ。こういう純粋な楽しみ方を僕は愛している。幾つになっても、幾ら偉くなっても、こういう人間本来の純粋さは忘れたくない。人は、こういうものだと思う。

  ハーフドームの半身を削り取った氷河の通り道は、今や森が支配している。最高の存在であったハーフドームも、氷河の前には崩れ去った。その氷河も、時間の流れの前には姿を消した。歴史の痕跡は残っているが、今の実態はその当時とは全然違っている。氷河の流れた道は、今や豊かな森だ。ハーフドームも含め、ヨセミテの大自然は過去の出来事をしっかりと受け止め、それを現在の糧として上手に、肯定的に活かしている。ここには立派なリーダーがいるからね、彼が上手く見守ってくれていたからだろう。

  しばらく休憩を取ったら、もう一度心の傷まで歩いてみた。僕は自然のソファーに腰をかけて、静かに煙草を吸い出す。なんとここにまでリスがいて、僕のあげるポップコーンを食べに数匹が近寄ってきた。こんな場所にも小さな動物が住んでいる。驚きを通り越して、僕は静かに笑っていた。そしてふと言葉を思いついた。

ここは――ここは、小さな月だ。

  今まで見たこともない急斜面の岩壁をよじ登った。自然豊かな大トレイルを歩いて辿り着いた山頂は、足元がつるつるとした場所で、幼い頃にゆめ見た宇宙の惑星のようだった。醜い者を吸い込むという落とし穴を見た。

ここまで自分が見てきたもの、感じてきたものを集め、頭の中で繋ぎ合わせてみたらこんな言葉になった。小さな月、か。こいつはいい。小さな月、という文字から受ける印象と、実際に触れてみたハーフドームのイメージは我ながら見事に重なる。こいつは名言だぞ!ハーフドームは小さな月だ!

小さな、という所がまたポイントで、万人が知っている夜空の月の意味でもないし、小さいからそんなに騒ぎ立てられている訳でもない。だが、幾ら小さくてもそれが月である以上スケールは大きい。オリジナルの月と比べれば比較にならないかもしれないが、世の中に転がっている普通の出来事と比べるとやはり小さな月は大きい。

月は孤高のシンボルであるし、誰もが不安になりつつも歩かなくてはならない夜道を照らす道標である。ハーフドームには世界一の存在であるという言葉よりも、世界で唯一の存在である、という言葉が似合っていると思う。小さな月――か。これはいい。これはいいぞ。本当にぴったりだ。

  僕はハーフドームからひとつの教訓を学び取った。それは、誰もが持っている心の傷口とどう向き合えば良いのか、どう向き合うべきなのか、ということだ。不用意に触れてはいけない。直接触れないままでも、間接的に嗅ぎまわってもいけない。臭いものには蓋、という考え方もいけない。不祥事は闇に葬るべきだ、と言っているのではないし、知らないものには触れなければいいと言っている訳でもない。

ささやかな心の傷のことを言っているのでもない。取り上げているのは大きな大きな心の傷であって、挫折や屈辱という言葉が示すものを言っている。小さな傷であれば逆にほとんどの場合、口に出してみた方が相手のためにもなるし、これからの糧になろう。だが、例えばこの小さな月が見せている半身の傷の程度は、小さいというレベルではない。馬鹿みたいに大きな大きな傷口だ。ここでの傷とは、致命傷となるぐらいの大きなもののことを差している。

  僕は提案する。相手の深い傷口を本当に尊重する気があるならば直接は触れないべきだ、と。相手が大きな傷口を抱えていると分かった時、本当に心を込めて痛みを読み取ろうという誠実な気持ちさえあれば、その痛みの大きさには気が付くはずだ。繰り返すが、小さな痛みはその根元をとことん追求すべきだと思う。だが、本当に大きな痛みは決して触れてはいけないのだ。小さなミスはとことん追求し、大きなミスはあえて見逃すことで部下の心を掴むことができるが、それと同じだと思う。その人が昔に乗り越えてきた大きな痛みに、第三者が改めて触れてみる必要性はない。これは何人も否定できない真実だと思う。

  痛みは教訓を伴う。他人の痛みを理解することで、自分自身で痛い思いをせずとも大きな教訓を得ることができる。他人の傷は教訓の宝庫だ。教訓を読み取ったら、あとはそれを自分自身が同じ轍を繰り返さないよう、あるいは決して他人にしないよう、そして絶対に他人にされないよう、注意していけばいい。僕はハーフドームから貴重な教訓を得た。こんな素晴らしいことを教わるとは今日も昨日も思ってもいなかったよ。

  このハーフドームはあなたの真価を試している。他人の心の傷にどう応対するかで、あなたという人間の真価は試される。本当に深い傷には触れるべきではないのだ。それが、見習い芸術家がここヨセミテ国立公園のハーフドームで得た教訓だった。

  これは余談だが、ここで得た教訓が、シアトルに戻って数ヶ月後に見習い芸術家の記念すべき第一作目の習作「小さな月」という物語の核となった。

  ハーフドームで授けられた教訓が、僕の1ヶ月に及ぶ冒険旅行にクライマックスをもたらしてくれた。見習い芸術家の冒険、ここに極まる!!8月23日にシアトルのホームステイ先から始まり、今日の9月20日まで続いた僕の冒険旅行。初めて乗るグレイハウンドの中では心細さの余りポケットの中のナイフにすがるように握り締めていた。あれからあっという間に冒険旅行に慣れ、今ではこんなに堂々と冒険をできるまでに成長した。

  マウンテンバイクで力走したイエローストーン国立公園を皮切りに、今まで見た中で最も美しい街ソルトレイクシティに立ち寄り、ユースホステルの夜が忘れられないデンバーから苦戦したロッキーマウンテン国立公園、隣接しながらも世界の違うアメリカのエルパソとメキシコのファレス、土屋さんと遊んだカールスバッド国立公園、幻のようなホワイトサンズ国定公園、フラグスタッフに着いてからはグランドキャニオン国立公園の谷底を制覇し、モニュメントバレーを観光し、ラスベガスのショーに魅せられ、そしてイエローストーンのハーフドームを踏破したのだ。

  その間に詠んだ言葉は数知れない。言葉を詠むことはイエローストーンの川辺から始まった。少しずつ蓄積された芸術家の欠片がここハーフドームの頂上で合わさって、僕にハーフドームの大きな教訓を感じ取らせてくれた。この1ヶ月の全てが総合的に集まって、小さな月という物語のコンセプトになったのだと思う。

この冒険旅行以前の僕は、小説や音楽の言葉を愛する人ではあったが、自分自身で言葉を詠むということはしていなかった。そもそもこの1ヶ月はただ単に自分自身を冒険させるためのものだった。気まぐれか、運命の数奇さか、僕はこの冒険中に言葉を詠むことを覚え、夢中になった。初めは見習い冒険家の冒険旅行とでも名付けるべき1ヶ月が、こうして終わりを迎える今は見習い芸術家の冒険というタイトルに変わった。僕がしていることはそのまま冒険旅行で変わらないが、僕の内部の職業がすっかり変わっていた。ただの冒険家から、芸術家志望の冒険家へ。僕は変わった。

シアトルを出るバスの中で僕が誓った言葉をここで繰り返そう。

         ――この旅は過去の再確認ではない

                    新しい自分の流れのためだ――

  僕はこの冒険旅行で本当に新しい自分に出逢うことができた!これから僕が進むべき道は何だろう?それは、見習い芸術家だろう!自分の人生の理想が、はっきりと僕の目の前に現れてくれた。この冒険旅行のお蔭だ。予想以上の成果に身震いする。

  ――いざ、小さな月を離れよう。その時が来た、来てしまった。僕はもう少しここで人生の教訓を学び取っていたかったよ。栄光の瞬間はあっという間に過ぎ、出発時間が来てしまう。ここまでの往復にかなりの時間をかけたくせに、肝心の目的地では余り時間を取れなかった。なんだか馬鹿馬鹿しくも思えるが、その限られた時間の中で重い教訓を得られただなんて、僕は本当に幸運の持ち主だ。欲を見せたくなるが、ここはこのぐらいで満足しておくのがいいだろう。

  出発間際、ため息をつく僕がいた。あぁ、永遠に続くかと思われたこの冒険旅行もこうして目的地を全部クリアしてしまったからには、これでどうやら終わりらしいのだ。あとはヨセミテ国立公園からシアトルまで戻るのみだ。でも、それも冒険である。バスを乗り継いで戻るのだが、どのぐらいの時間がかかるものなのかまるで見当がつかない。まぁね、今までと比べると冒険とは言えないレベルだとは分かっている。今までの冒険旅行を整理して、バスの中で沢山言葉を詠もう。

  僕は登ってきた崖へとぼとぼと歩いて行った。小さな月にさようならを告げ、小さな月にありがとうを告げる。小さな月よ、素晴らしい教訓をありがとう!僕はこの経験を必ずや活かして、はっきりとした自分自身という存在を創り上げてゆきます!だから、いつの日も僕の中で血となり肉となり、僕を叱咤激励して下さい。励まさなくてもいいから、ただ叱って下さい。あなたの存在を思い出すことだけで、僕は自分自身を引き締めて生きてゆけるでしょう。

  想いに耽る時間は過ぎた。次は冒険家として、バスに間に合うよう急いでハーフドームを下る仕事が待っている。登った場所から恐る恐る下を眺めると、そいつは豪い角度に見えた。スキー場で実際40°ぐらいの下り坂なのに、上から見るとほぼ垂直に見えるあの錯覚のようだ。絶対に垂直ではないのに、上からは垂直のように見える。

これは怖いぞ。一度身体のバランスを崩し、両手のワイヤーを手放してしまったら間違いなく月の斜面を真っ逆さまだ。あ、でもここは小さな月だから地球と同じ重力ではないか。いやいや、妄想は取り払おう。ここは小さな月だが、地球上にある小さな月だ。落ちるとならば、激しく地表に叩きつけられてしまう。

もう一度下を覗いてみよう。やはりそうだ、やはり鉄杭とワイヤーや支え木は地面に真っ逆さまに作られている。おぉ、これは何だ!道を下る人間はこんな恐ろしい景色を見ながら下らなくてはならないのか。まるで狂気の沙汰だ!これは小さな月が投げた最後の試練か。

時刻は昼を過ぎ、今朝トレイルを出発してきた人たちが丁度ワイヤーにぶらさがって天辺を目指して登ってきているぐらいなのだろう。人が増えている。こんな狭い道ですれ違うのは大変だし、下を見ることの恐怖を乗り越えなくてはならない。最後の最後で恐ろしいトレイルに当たったものだ。ここを越えなくてはシアトルに帰れないのか。

  しかし、遊んでいる暇はない。僕は勇気を振り絞って道を下ることにした。軍手をつけ、用心に用心を重ねながら一歩一歩に確実に道を下る。少しも気は抜けないのだが、どうしてもここで写真を撮っておきたいという願望はそれ以上だった。これが究極のトレイルだと後日に残しておきたくて、後ろの人にお願いして上から下に向けて写真を撮ってもらった。現像しても良く分からない写真にはなるだろうが、記念に残る一枚になることに違いはない。

  頭より先に足が前を急ぐ。身体と荷物の重みが、このまま墜落したいと僕を誘う。両腕だけが僕の味方だ。登りの時と同様、下りも両腕でしっかり身体を支える。鉄の柵に摑まり、足元に意識を集中させ、スキーのようにずるずると下に足を滑らせる。歩いて下るというよりも、滑りながら下るのだ。手を離したら人生が終わってしまうから真剣そのものなのだが、スキーの滑りを思い出して僕は笑っていた。危険な状況でも笑ってしまうぐらいの肝っ玉を身に付けた自分自身に気が付いた。我ながら、頼もしい成長ぶりだ。見習いではなく、一人前と呼ぶにはまだ早いだろうか。

  午後1時に下り始めてから35分、ようやく急斜面を下り終えることができた。――見上げごらん、この岩山を。あんな高みにあるハーフドームの頂上は正に異空間だ。ハーフドームを登り下りする者は全員が命を懸けて、この小さな月に挑んでいる。どうやら僕は無事に往復できたようだ。ということは、僕は心の痛みを理解できた人間だと考えてもいいのかな、ハーフドームよ。

  だが、想いに耽っている時間はない。何せこの戻りの道で遅れるとバスを逃してしまうからな。今夜の宿も決まっていないのだし、ここは残りの体力を出し切って戻るぞ。登りに5時間かかったということは、帰りは4時間で充分だろう。僕はそう読んだ。

それからの僕のスピードはいつにも増して大したものだった。ハーフドームの足元へ降りてから歩き続けること1時間45分。僕はネバダ滝の手前にいた。よく働いたご褒美としてここでようやく休憩を取ることする。川の流れの側まで歩き、腰を下ろした。

  午前中ここを歩いている時には気付かなかったよ。緑色の水を湛えた美しい川の流れがあった。ほんの少しトレイルを外れてみるだけでこんなに素晴らしい景色が広がっていたのか。あくせく生きる時間を過ごしていては分からない美しさ。純粋な緑色にも目を奪われたが、この川の俗世間との隔離具合が妙に気になった。こんな場所だ、多くの人が来る訳がないし、トレイルからも外れているからこの川辺に足を運ぶ人間は数えるぐらいにしかいないと思う。

緑色の水に触れてみればすぐに分かる。ここにも、自分のペースで永遠の時を刻む在野の偉人がいた。

  急ぎの道中も何のその、僕は川辺にゆったりと腰を下ろして一服していた。考えてみれば、この冒険旅行で出逢った沢山の美しいものの大半を水が占めていた。水とは形の無いが故に美しいもの、そんな考え方を僕はずっと持ってきた。

無形の水だから最強の個体にもなる。僕は解体作業に使われる水圧カッターという技術を思い出していた。テレビで紹介されていたが、チェンソーなどを使ってもなかなか歯が立たない硬い物質を解体するのに使われているもので、水を凄い速度で流すことで水の刃を作り、その力を利用して解体を行うというものだ。地上での最高硬度を誇るダイヤモンドにも引け目を取らない力を持つ水は、最弱にして最強の個体でもあるのだ。

  水の柔軟さは見事としか言い様がない。どんな障害が突然前に現れても、自らの形をその場に最も適した形に変え、流れるように攻略してゆく。いつだってその柔軟な対応力は絶品だ。この冒険旅行で見てきた様々な水の形が僕の脳裏を横切る。

イエローストーン国立公園の怒れる水――オールドフェイスフルやマンモスホットスプリングスの熱水だ。イエローストーン国立公園とグランドキャニオン国立公園の切り開く水――イエローストーン川とコロラド川の激しい水だ。ロッキーマウンテン国立公園の在野の水――ベアレイクとCub Lakeの穏やかな水だ。ファレスの集中する水――集まる時はとことん集まるスコールと大きな水溜まりだ。ホワイトサンズ国定公園で感じた命の水――喉を潤し、命を繋ぐ貴重な水。この冒険旅行の前に行ったアラスカでのマイナスの情熱の水――これは氷河だ。

色々な場所で水を見てくる中で、僕は水の永遠さを感じていた。本来は一滴一滴のはずの水が、滝・川・湖・海となることでその寿命を永遠のものにする。水はなくならない。水は滅亡しない。いつまでも流れ流れて、必ず将来に子孫を残す。

  様々な美しさを見せる水の偉大さに、僕は恐れ入るばかりだった。酷く感情を揺らさせて、こんな言葉を詠む僕だった。

     水は姿を変えた

       永遠を生きようとするかのようにひとつにかたまり

       体制への怒りで逃げるように空へ散り

       情熱を隠しきれないかのように階段を降り

       その力を誇示するかのように大地を削る

     水は色を変えた

       深い情熱を抑えるが如く蒼にそまり

       感情をあわらすが如く紅にそまり

       理想を語るが如く緑にそまる

     形のない力は強い

                         ~緑色のキレイな川~

  ここで詠んだものがどの水を表しているか分かってもらえるだろうか。この冒険旅行ですっかり水に魅せられていた僕が最終的に詠んだのは形のない力は強い、という言葉だった。もしも強く生きてゆきたいと願うのなら、水のようになればいい。

  急いでいるのに、すっかり35分も時間を取ってしまった僕がいた。まぁ、どんなに忙しくても言葉を詠むための時間は貴重なものだ。ふとインスピレーションが訪れたのなら、採算を度外視しても言葉に夢中になる方が冒険旅行らしいと思う。そんな時間の過ごし方を目指していたのだからこれで丁度良いのだ。

冒険旅行の中で、僕は大きな疑問を持っていた。水の正体についてだ。水とは一体何なのか、正直な所今まで解決できるような言葉が見つかっていなかった。水は色々な顔を見せてくれた。どこ場所でも斬新な姿を僕に見せ付けてくれていた。

形の無い水は強い。無形の型が最強だ。水は無形、水は最強だ。これが僕の結論だ。何て嬉しいことだろう。遂に見つけたよ、僕なりの答えを!僕はもうシアトルに帰ることができるぞ。もう、この冒険旅行に悔いは残らない。

  理想を語る有意義な時間は終わった。僕は元気に川辺から腰を上げる。――さぁ、僕は行こう。次のゴールを目指そう。まずはテントまで急いで戻ろうではないか。たっぷりと休憩を取った足は勢いが良い。きつい下り坂も順調に僕の身体を運んでくれる。

  ネバダ滝をクリアした!バーナル滝をクリアした!おっと、これはかなりいいタイムをはじき出せそうだよ。これなら順調にバスに間に合うぞ。ちょっと安心しながらトレイルを歩く僕。ふと、アメリカ人らしきグループ数人とすれ違った。すると、一人の兄ちゃんが「このトレイルはどこへ行くのか?」と僕に聞いてきたので、僕が「あのハーフドームの天辺だよ。僕はちょうど頂上まで行って帰ってきた所さ」と自慢話を始めると、兄ちゃんは「日本人?」と聞いてきた。その時は思わず「Yes」と応えていたが、よく考えると「日本人?」の所は日本語でしゃべっていたのだ。すかさずその兄ちゃんはなかなか流暢な日本語で「私も日本人です」と言ってきた!

おいおい、僕は単純なんだから一瞬時間が止まってしまったじゃないか!ようやく冗談に気付いた僕は、その兄ちゃんと一緒に高笑いをした。全く、面白いヤツだっ!相手の母国語の簡単なフレーズを国にするだけで距離を近付けられるの異文化に育った者同士の特権だが、この兄ちゃんの使い方は見事だった。

  1時ジャストにハーフドームの天辺を出発して、テントに着いたのは午後5時10分だった。休憩の35分を引くと、実質3時間35分で下りのトレイルを制覇した計算になる。登りには4時間半かかっている。往復8時間は凄い記録だぞ。感性を売りにしている芸術家にしては、見事な健脚だろう!

  あの嫌な家族のキャンピングカーはもうサイトになかった。テントへ着くや否や大急ぎで帰り支度をしていると、あの優しいお隣さんが話し掛けてきてくれた。まずは昨日のトラブルの話から始まったが、「私は作家だから、昨夜のような経験も大切だ」と僕が言うと、お隣さんは優しく肯いてくれた。作家、と言ったらさすがに驚いていたけどね。でも、あながち嘘でもないよ。僕は芸術家の見習いだ。

なんと彼は、昨日僕をフォーマイルトレイルで見かけていたらしい。彼もマウンテンバイクであのトレイル登り口まで行き、なんとマウンテンバイクを担いでトレイルを登ったという。そう言われてみて思い出したが、僕がトレイルを下っている時、確かにマウンテンバイクを担いで登っているヤツがいた。顔は見なかったから僕は気が付かなかったけれども、あちらからすればさすがに僕の姿は目立ったらしいね。それにしてもマウンテンバイクを担いでトレイルを登るその考え方は分からない。

  彼は僕を車の近くまで招くと、クーラーボックスを取り出して「今週の月曜日にクマに襲われた痕だよ」と、かじられてボロボロになっている部分を見せてくれた。奥さんも出てきて、二人で興奮気味に語っていた。食料は全部鉄の食料入れに入れておいたから大丈夫だろうと思っていたが、日中に食料を入れていたクーラーボックスの匂いを嗅ぎつけて夜中にクマが来てしまったそうだ。

クーラーボックスをテントから離して置く用心までしていたから良かったものの、偶然でもクマがテントに寄ってきていたらと思うと恐かった、と二人は語った。それはそうだろうな。しかも子供連れなのだし、そんな状況に出くわした時の絶望はどれぐらいのものだろう。あのクマよけの食料ボックスも、クマ対策の案内も本当に真剣なものだったのだな。緩みがちだった緊張の糸を改めて張り詰めさせられる体験談だった。

  この素敵な家族に出逢えて嬉しかったよ。荷造りを終えると、最後にこの家族全員と握手をして歩き出した。ありがとう、心優しい人たちよ!昨夜嫌な人たちに出くわしてしまったばかりだったから、更に嬉しかったよ。あなたがたの存在が、僕の中のマイナスをかき消してくれた。感謝する所がとても大きいです。――ありがとう。ただ、それだけだ。ただ、感謝をしたい。

  さて、5時50分頃にキャンプ場近くでバスに乗った僕だが、バスはノロノロと遠回りをするし、6時15分発のマーセド行きに間に合うかどうかギリギリの所になってしまった。あぁ、24時間前の他人の姿が今の自分に重なる!なんという皮肉だ、昨日否定したものを今日は肯定しなくてはならないとは!あぁ、こんなことなら昨日ちゃんと人助けをしておくべきだった。悔やんでも悔やみきれない、これは人生の皮肉だね。まぁ、万が一バスを逃してもあの家族のサイトの隅にちょこっとお邪魔すればいいという代案もあるのだし、見習い冒険家は案外気楽に構えてマーセド行きバスが出るヨセミテロッジへの到着を待ち続けていた。

  6時15分を過ぎること数分、ようやくバスがヨセミテロッジへ着く。苦々しい顔をした僕が降り、ヨセミテロッジへ向かうとバスはまだ出発していなかったよ!急いで乗ると、すぐさまバスが出発したではないか。あ~間に合って良かった。最後の最後で失敗してしまってはどうにも笑えないからね。

  ――こうして、丸2日間を過ごしたヨセミテ国立公園を離れることになった。さようなら、ヨセミテ国立公園。僕にとってのヨセミテは、ハーフドームのことでした。ハーフドーム、小さな月よ、さようなら。あなたからの教訓を血に変え肉に変え、僕はこの冒険旅行を終わらそう。本当にありがとう、ハーフドームの偉人よ!




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