小説「見習い芸術家の冒険」アメリカ国立公園での十代旅行記

~プロローグ~

  ここに1冊の手帳と2冊のメモ帳、そして1冊の太いフォトアルバムがある。

  手帳には、31日間にわたる冒険旅行の記録が残されている。メモ帳には、当時の私の見習い芸術家たる所以――ひとつひとつの感動が生まれた場所で、ひとつひとつの感情をそのまま詠んだ言葉――が刻まれている。感動と出逢った、感情が揺れた場所は必ずカメラに収められ、その場所で詠んだ言葉は冒険の後で現像された写真の裏に仕舞い込まれた。

  今からは遠い、ある夏の終わり。大自然に恵まれたアメリカの国立公園を、幾つも幾つも周った経験が私にはある。しかもたった一人で、大自然の偉人たちに比べれば語るに足りない、ほんの僅かな欠片でしかない大きさの人間がたった一人だけで冒険を試み、それを見事にやり遂げたのだ。

  自分自身のことながら、時を隔てた今ではそれが奇跡に思われて仕方がない。ちっぽけな人間のどこにそんな偉業を成し遂げる力が備わっているのか。増して当時の私には19歳という年齢的な未熟さがあった。人生経験を絶対的に欠かした白面の一青年の一体どこにそんな生きる知恵があったというのだ。

  過去の自分自身への謎を心に抱えながら、思い出の品々を手に取ってみる。あぁ、普通の手帳やアルバムのようだが、これは違う。手に取るだけで私の心は大きく揺らぐ。この手の平に乗っている紙の上には、幾多の冒険の切れ端が踊っているのだ。

あの冒険の日々にすり減らされ、すっかり疲れ果ててしまった手帳とメモ帳。幾度となくめくったフォトアルバムのページは、今にもはがれてしまいそうだ。ただでさえ激しい冒険でくたびれていた所に時の流れが重なり、今ではどれもボロボロになってしまった。時代を経た今、その深みが私から尊敬の念を引き出す。これは奇跡の軌跡なのだ。

  あの時私を走らせた理由には、それ程まで真に迫った「何か」があったのだろう。想像して楽しむだけの無責任な計画に留めず、それを実行に移したということには余程の決意が必要とされたはずだ。

思えば当時の私は渡米してまだ約4ヶ月ばかり。言葉の心配はそれ程なかったとはいえ、アメリカという文化を自分の中で充分にコントロール出来る程理解してもいなかった。日本でも一人旅の経験は浅かったし、1ヶ月間の単身冒険旅行などとてもとても手の届かない存在だったはずだ。

  ──表紙の皺に指をなぞらせてみる。皺をたどる我が指のなんという優しさよ。無意識の内に優しくなるこの指先が、今の私が抱く深い敬意を表していた。あぁ、私はこれが愛しくて堪らない。

  私は、過去の輝かしい栄光だけに固執している人間ではない。今の私もまた、溢れんばかりの現在の幸せと、未来に約束された未知の感動の中に生きている。――それは事実。しかし、この歳になれば昔物語を懐かしいの一言で片付けるだけでは済まなくなるのも事実だ。

  あの頃は夢中だった。それは先の見えない「霧」中であり、ALL OR NOTHINGの精神で冒険していたことを考えれば「無」中でさえあったのかもしれない。理想として夢見た憧れの英雄たちの生きるスタイルと、現実で自分が取るべきスタイルを区別できるようになるにはもうしばらくの年月が必要であった。

  この記録の品々は必要に迫られて残したのだろう。短い期間で一気に押し寄せた感動の洪水から心の均衡を保つために自然と行った生理的な排出だったと言える。19歳の小さな心に留めておくには、余りに急で、余りに感動の量が多過ぎた。逐一何かに吐き出しておかなければ、到底耐え切れるものではなかったと思う。

  それとも、単純にその時その場の気持ちがそうさせたのかもしれない。深くは考えていなかったのだ。あの頃は、本当にそうだった。未来に残そうだとか、自分のこれからに取って有益だとか、そんな前向きな考えを持つ程将来を見越していなかった。大人になってゆくにつれ自分の若さや無力さを知らされてゆく周囲の社会から、自分一人の今の心だけをコントロールするのに精一杯だったのだから。目の前の障害物だけを乗り越えるのが関の山だったと思う。

  ──だが、今は違う。

  あれから過ごした中身のない夜に、感慨深い夜に、私は幾度となく思い出をたどってみた。イエローストーンの大草原にたなびく風の音を、ホワイトサンズで触れた白砂の熱さを、グランドキャニオンの谷底に流れるコロラド川の色を、ハーフドームの頂上で浴びるようにして飲んだ水の美味さを、少年の流した汗の匂いを、思い出す。そして、その度に懐かしいの一言では片付けることができない「何か」を心に覚える自分がいたではないか。

  写真の1枚1枚から、文章の1文字1文字から、確かに、不確かな「何か」が私に語りかけてくる。こんなこともあったな、と懐かしがるだけでは終わらない心のもやもや。若き時代、すなわち無力な時代を我武者羅に突き進み続ける中で、いつしか色々な力を、様々な術を、この歳になりようやく手に入れた。

  若さという無力な烙印をかき消すために精一杯の情熱を費やし、遂に落ち着かせることができた今の心を、もう戻ることができない遠い過去から弱火で責め立てられるような気がして私は迷う。しかもその遠い過去とは、今の私からどう冷静に見ても充実していたとは言い難いのだ。実力はなく、ただ情熱的であっただけだ。しかし、あの日々はずっと私を迷わせている。

  それは一体何だ。遠い遠い時間を隔てた、他人同士のような2つの時代が、一体何を共鳴し合うというのか。毎回疑問は募り、私は時間の狭間に迷い込む。

  ――また私は、この品々を手に取ってしまう。

  出口がなく、入口も塞がれてしまった迷路。行く当てがなく、帰る場所もないドライブ。生きる理由が定かでなく、死ぬ理由も定かではない人生。この冒険旅行の記憶も眠る場所を探せずにあれからずっと私の心の中で彷徨を続けたままだ。

  横死して二度と悩むことがなくなれば、所詮はつまらない人間だったと自分自身に諦めがつくことだろうに、死はそう簡単に身近に感じることができるものではない。今を生きることができるという幸せを、分かっているような、分かっていないような傲慢さで、恵まれた私の毎日は終わる兆しを見せずに長々と続いている。

  冒険旅行の空気を求めるかのように丹念に皺をなぞっていた指を止め、ページをめくるため表紙の端へと移動させた。

  ──あぁ、こんなことを繰り返して私はどうしようというのだろう。記憶をたどる度に心が察知するあの「何か」をどうすればいい。過去は過去として、今はそれをどう活かせばいい。

  騒ぎ出した心のためらいを押し留めるため、私の指がページをめくった。

              ――この旅は過去の再確認ではない

                   新しい自分の流れのためだ

-小説