特に目立ったお城ではないんです、武節城(地伏城)は。
ただ、長篠の戦いの前後で武田勝頼が立ち寄ったとされる山城で、とりわけ敗戦後の勝頼ゆかりというだけ。
設楽が原から敗走中の武田勝頼は、この武節城で梅酢湯を飲んだのかな、きっとどん底の心中で。
行きは元々徳川側だった武節城を攻め落として意気揚々、帰りは長篠の戦いに負けて意気消沈。
総大将だから結果責任は勝頼とはいえ、その心中お察し申し上げながらの、僕の写真ウォーク。
明らかな堀切が茂みの中に残っていた、中馬街道沿いの武節城はこの一帯にしては立派な平城。
街道を見下ろす一角、ここも交通の要所。
武田勝頼公のことばかり、築城した田峯城の菅沼定信やその一族のことは頭になかった。
もう誰も歩いていない山城、昼間に家族連れで子供の声でも聞こえれば平和で良いね。
押山雲海を見た帰り、朝8時でもまだ朝霧が残っていました。
本丸や二の丸に何かが残っているわけでもなく。
神社にありがたみを感じるわけでもなく、ただの山城お散歩。
稲武一帯はちょっと早い紅葉が素晴らしいよね、武節城址もまたそのひとつ。
長篠の戦いから7年後か、武田氏が滅びたのは。
なんでもない武節城址の写真ウォークのこと、豊田市稲武地区に残る平山城。