ようやくあなたを離着陸することができたよ、シカゴ・オヘア空港(空港3レターコード:ORD)。
あなたを噂に聞いてから、きっと25年は経つのに、今日が初対面だ。
少し遠回りしても、こだわりの薄いアメリカン航空を使ってでも、今回はシカゴ・オヘア空港経由で押し通した。
乗り継ぎ時間を2時間半も取って、あなたのターミナルを永遠と歩きたかったから。
人の多さ、ターミナルの広さ、ゲートの数、どれも僕にとっては最大サイズの空港。
デルタしかいないデトロイトのマクナマラターミナルよりもずっと大きい。
地図も見ずにターミナル1・2・3をずっと歩いていた僕、朝食減らしていたから空腹で歩きが鈍くなった。
分かりやすい作りだと思うのだが、とにかくゲート数が多過ぎて、シンプルはシンプルを越えて、迷路を作ってしまう。
こんなところで乗り継ぎ時間ギリギリになり、ターミナル内をダッシュしたら地獄だ。
空港ターミナルの写真撮影を大好物とする僕は、ひたすら歩いては写真を楽しむ。
オヘア空港のターミナル5にも行きたかったのに、シャトル・Airport Transit System (ATS)が工事中で乗れず。
想い人に逢えた心地で、恍惚感。
でも、現実はアメリカにどこにでもある普通の空港だった。
次の利用時からは、ただの空港として普通に歩くことだろう、シカゴ・オヘア空港。
オヘア空港のようなメガサイズ・エアポートで乗り継ぎをする時、空港地図を紙で手で持つ必要性があるかを考える。
否、エアポートマップを日本から印刷してくる必然性はないと感じた。
ターミナルのあちこちに地図の案内があって、現在地が示されているから、
その現在地をキーに、次のゲートを探すのが自然だろう。
手に持った紙の地図では現在地が分からないから、効率的なものではない。
オヘア空港のターミナル1・2・3は歩いて行ける範疇だ、全部歩いたらキツイけど。
そもそも航空会社毎で近くのゲートで固めて離着陸するから、そんなにターミナル1-3を横断することはない。
乗り継ぎ時間が余っていた僕は、ぶらぶらとオヘア空港(コード:ORD)を歩いていたけど、
紙の空港地図を持ちながらウロウロするトラベラーは1人も見かけなかった。
日本人らしい心配心は美しいとも感じるが、まぁ恐れず乗り継いでみよう、シカゴのオヘア空港ターミナル。
オヘア空港に着陸する前、こんな空港(シカゴ・エグゼクティブ・エアポート)が見えた。
「あれがオヘア空港?」と一瞬でも頭によぎって自分が愚か。
シカゴ・オヘア空港のメガ級さとは比較にもならない。
オヘア空港というのは、イリノイ州シカゴ郊外にあるアメリカ有数の超巨大空港。
ずっと昔から、まだ海外旅行が珍しかった時代から活躍している場所ね。
日本→シカゴ・オヘア空港→アメリカの地方空港、というルートで乗り継ぎをしたのだが、
なんとも言えない異質空間を味わった気分だったので、書き残しておこう。
日本、まぁ成田や羽田発だけど、飛行機がオヘア空港の国際線着陸専用のターミナル5に着く。
飛行機を降りて、オヘア空港内を歩いてすぐに現れるのは、
派手でお洒落な照明のあるアメリカ入国審査場なのだが、
誰もが緊張する瞬間、「アメリカ入国審査官との会話」というシーンがある。
それに向けてターミナル5を歩いていると、
日本からの長距離フライト疲れがある頭はぼーっとしていて、
ふわふわした気分になり、あれだ、ドラゴンクエストとかの
ロールプレイングゲームでいうところの「ラスボス」直前の緊張感が出る。
飛行機から入国審査場の長い通路は、そんな異空間なのだ。
そのラスボスを見事に突破して、ターミナル5からターミナル1・2・3へと
向かうバスかATSの車窓から見る外の景色は、
またどうしようもないほど現実的な光景。
全米有数、あるいは世界でも屈指の乗り継ぎ客をさばくシカゴ・オヘア空港の
物量・人量はそのターミナル1・2・3にこそあって、
発着ゲート数の多さ、コンコースの長さ、
それからターミナル内を歩く人の多さは強烈なインパクトなのだ。
その前に通ってきたラスボス・ターミナル5が異次元の入口
(アメリカ入国の玄関)だとして、ターミナル1・2・3は
大国アメリカの生活風景と呼ぶべき、ものすごい経済・人間活動。
静から動へ。そんな落差のある景色が、
シカゴ・オヘア空港の国際線乗り継ぎではあなたを待ち構えている。
このページの写真だけでは伝わない空気感、
一度は現実としてシカゴ・オヘア空港で体験するのも悪くはないよ。
シカゴ・オヘア空港の繁栄は、過去の蓄積から成っている。
ターミナルを歩いて感じるのは、まず全体的な古さ。
アメリカの空港や駅といったインフラが古いと言われるが、まさにその通り。
全てとは言わないが、オヘア空港のターミナルの待合椅子に腰掛けていると
感じることがあって、全般的に作りが旧型なのだ。
それはそうでしょう。
1940年代に建設されたのがシカゴ・オヘア空港、もちろん当初から今のように
7本の滑走路を持つアメリカ中西部のハブ空港だったわけではない。
需要に迫られては拡張し、また足りなくなっては広げるという繰り返しだったのだろう。
だからターミナル1/2/3のコンコースの突き出し方はどこか唐突だ。
ぐるぐるとターミナル内を歩く僕は全体調和のなさを感じる。
対極にあるのがデトロイト・マクマナラターミナル(デルタ専用ターミナル)で、
2002年にオープンしたから現代っ子で、
最初からデルタを発着させるためだけに作られており、
ターミナル内コンコースのまっすぐの開け具合は、シンプルという言葉に尽きる。
シカゴ・オヘア空港のターミナルは「迷路」であり、
「空港内を迷うかも」というプレッシャーを飛行機乗り継ぎ客に与えた代表格。
それが悪いという意味でもなく、歴史の積み重ねだったんだ。
楽しさ?華美?
いいえ、実用的で、冬の寒さにも負けず、ひたすら航空機の発着を支える。
そんなシカゴ・オヘア空港を写真に収めた僕、意味はなくてもここに残しておこう。
シカゴ・フィールド自然史博物館の写真、恐竜(T-REXのSUE)
この大泥棒がーー。
シカゴのフィールド自然史博物館を回っていて、その言葉しか浮かんでこなかった。
最近はいつもそうだ、メトロポリタン美術館でも、セントルイス美術館でも。
恐竜はだれの所有物でもないのだろうが。
象牙も首長竜もあなたの物ではない、アメリカの物でもない。
1Fの大広間にいたT-REXのSUEは2Fの別室に移動中。
マンモスも、恐竜も、こんなに形が残っているものが豊富、奇跡か。
インディアンたちの文化はポリネシアを感じる、我々の祖先にも通ずるものが。
フィールド自然史博物館の展示物は潤沢すぎる、本物すぎる。
アメリカ人って、白人って、ホントに大泥棒だな。
決めつけてゴメンだけど、罪深い人たち。
現地の物は現地に、その場所にあったほうが幸せだと思う。
エジプトのものも豊富すぎる、こんなの見たことないレベル!
社会の知識を学ぶためには素晴らしい場所であろう、シカゴのフィールド自然史博物館。
訪れて楽しかった、家族で素敵な時間を過ごすことができた。
でもね。でもね、大泥棒を見せつけられて、なんかすっかりしない時間でもあった。
シカゴの亡霊、青年時代のアムトラックでシアトル→シカゴ旅行の記憶
あれは22年前、シアトルからニューヨークまでアムトラックで旅行した時のこと。
シカゴにも途中下車して、金融先物市場?あたりを見学し、レイクショアの公園付近を歩いたはず。
何も覚えていない、都会だった記憶だけ。もうずいぶん昔のことだから。
黒づくめの洋服で、リュックサック1つに旅装を詰めて、寒い真冬に。
お金はあったの?ちゃんと食べてたの?
大人になった今、フィールド自然史博物館・チャイナタウン・リバーウォーク、
ストリータービル地区・日本人街・レゴディスカバリーセンターを回る。
まるで違う世界ね、車を運転して、家族とともに、お金をちゃんと持って旅行する今は。
同じようで、同じところが何ひとつない。
あれは本当に同じシカゴという街だったのだろうか。
結局分からなかった、シカゴの亡霊、青年時代の記憶。
レゴランド・シカゴ・ディスカバリーセンター(ミニ・レゴランド)の写真
今、この瞬間はレゴが好きだった娘。もっとも、彼女のブームは瞬く間に変わる。
シカゴにミニ・レゴランド(ディスカバリーセンター)があるのを見つけて、娘のご機嫌取りのために訪ねてみた。
一緒になってキャーと騒ぐはずだったのに、面白すぎて写真撮影に走った父。
ダメだった、レゴの魅力にカメラを向ける手を抑えきれなかった。
ジャングルを、シカゴのダウンタウンをレゴで表現するとは。。。
それは機械で造っているのかな、それとも人の手で造っているのかな。
ラボらしいお部屋もあったから、レゴ職人が人の感性で造っていると信じたい。
どれだけ暗くともNIKON D850にf1.4Eのレンズ、ISO感度を6400-12800まで上げれば描写力に問題がない。
トロッコに乗ってレーザー銃でポイントを撃つキングダム・クエスト・レーザーライド。
1回目はポイント稼ぎに夢中、2回目は写真撮影に夢中。
娘はレゴを身体で遊び、父はレゴをカメラで遊ぶ。
近所に欲しいな、レゴランド・ディスカバリーセンター。
シカゴのような大都会にしかないか。。。
被写体の宝庫でもあるレゴランド・ディスカバリーセンター、カメラマンも写真で遊びたい放題。