欲しいものを欲しいと言う、ヒットを生み出す〜2024年詩的日記

2024年5月19日

仕事をしても何をしても空虚な数日、どうも父のことが胸の奥から離れない、仕方ないことだ。

Salyuさんに女の子が産まれたという幸せなニュース、その歌声に更なる愛が重なるでしょう。

父の葬儀の動画を作ったら心が落ち着いた、こんな時も僕を救ってくれるカメラ。

FORTISSIMO Hと星ヶ丘で贅沢、週末で心落ち着けて、もう一度頑張れる心持ちになった。

筋トレジムは6月までにした、肩から胸にかけての筋肉が明らかについて、これはやはりいい体験でした。

三好池の夕陽

一世一代の大冒険COMPLEXをした、これはまた別記事で書こう。

短い間に父とCOMPLEXで涙をして、強烈に感情を揺さぶられる、なんて2週間だったのだ。

kenboxはブログを閉じて、まつきよカフェ一本に絞ると決めた、調査の上での大きな決断。

それからもう一つ、裾野を広げる挑戦をする意思を決めて、応募しようと決めた。

30℃近くある夕方、三好池を走ったら写真のような爆焼け、この時から僕の今の季節は夏になったんだ。

2024年5月8日

やはり別の僕、新しい感情を持って戻ってきたよ、父の葬儀を通じて。

長いドライブの後、荷物も持たず家に入って父と対面、「お父さん」の僕の呼びかけに父は無言。

怖かったけど、額に触れると冷たい、その冷たさに「おぉ、冷たいじゃないか」を感情が震えて涙が滲む。

怖かった、身体が小さくなっているのも、返事がないのも、体温が宿っていないのも。

実感の湧かない父の死、ちょっと離れると怖くなくて、非現実的で、一緒の空間にいるからどこか温かくて。

感傷に浸る間もなく、葬儀の日程や品物決めの用事が入ってくる。

兄が整えてくれた通夜と告別式の日が決まる、GWで先約があるから日取りはずっと後ろになった。

お昼や銀行に3人で出て話をする、母と義理兄夫婦に看取られて逝ったと聞いて、それは嬉しかった。

近所の家への葬儀案内を配り歩く、「庭木を世話してくれて父に感謝」という温かな言葉をいくつももらった。

父の人柄を痛感、それは自分にも通ずる部分が多々ある。

親族たちに連絡とって参列者リストを埋めていく作業。

父の手記に「次男は9:40に帰った。泣かせられた。もう最後。これが終われば入院する段取りをつけなければならない」

とあって、僕と父の心がその最期の場ではぴったり重なったと知って、嬉しくも、悲しくも、忘れられないメモだった。

父の葬儀を終えて

2日目は費用の計算、遺影の写真選び、父の無数のSDカードから傑作集を選んだ。

棺に入れて天国に持って行ってもらう写真と、山行記録と、祖母からの手紙を選ぶ。

SAYA Market & Cafeで狭山茶ラテで一息つきつつ、久しぶりの駅前の栄えぶりを見た。

日が開くから帰っても、出かけても良かったけど、母を今一人にしてはいけないという想いで。

3日目はサイボクからの入間茶畑、銀行と家族写真をカラーコピー、夕方は入間川沿いをランニング。

4日目は早朝からの入間茶畑再訪で本気写真撮影、富士山と茶畑が見れる奇跡のシーズン。

叔父が到着して、父との悲しい兄弟対面、父の手記「世界一の兄だ」をお見せして、父の気持ちを代理で伝えた。

5日目は兄が来て、午後には叔父2人目が来て悲しみの対面、その後は姪たちも。

15:30に父の肉体が家から出ていく、顔から下の肉体は小さく、まるでモノのように動かなくて。

この家を出ていくのね、もう40年も住んでいた家を。

緑の奇跡は起こらなかった。

通夜の場、棺に入った父の顔を見たのは辛かった、まるで、亡き人のようで。

時間になると次々と人がいらっしゃる、父と親しくしてくれたのね、ありがとう。

作法は分からないけど、住職が来て通夜が始まる、父よ我が焼香を受けたまえ。

受付の若者たちと交代し、精進落としの皆さんにご挨拶、そして親戚一同でのお食事。

住職に日々の供養は普通に、と教わった。

久しぶりの親戚一同とのお食事会はとても楽しかった、最後に集合写真を撮った。

まさかの品川お迎えに走って、夜は近いいとこたちと話して寝た。

父の葬儀を終えて

葬儀の朝、まずは香典などのお金を集計したら一発で合った。

昨日に続いて予想外に多くの一般弔問客、そして葬儀から焼香。

住職のお話に救いを求めて、私の体もまた自然界のひとつ、

一度のどを通れば自分の体とはいえ、どう作用するかは自然に任せるのみ、とあった。

自然に生かされるということ、死もまた自然だと。

棺の中の父の身体にお花を入れる、それがもう父に触れる最後と聞いて花を入れていたら、涙が出た。

母も泣いていた、周りの皆さんも。

いよいよ最後なのだと実感が湧き、父の顔と体の周りがお花や写真などで埋まっていく。

レイナな怖いと言って遠くから見ていたな、それはそうだろう。

棺を担いで車に乗せる、僕たちもバスで追っていく。

火葬場に着いたらいきなり本当に最後の別れだ、肉体としての父の顔を見るのも最後。

そう分かったらまた涙が出た、最後の、お別れだった。

棺が焼かれる場所に入っていった。

美味しい昼食は楽しいもの、僕が献杯の挨拶者、レイナに母に話しかけるように仕向けて、悲しみを楽しみに。

それからどうしても集合写真が撮りたいと思っていたら、出たすぐ外が背景の緑色といい曇りの光加減といい最良。

どうしても叶えたい夢だよ、父に4兄弟姉妹の写真を届けようと思ってみんなに声をかけた。

撮りたい人たちの写真を納得の高品質・最良状況のポートレートとして撮影ができたんだ。

撮りながら感じていた、人生でも忘れ難い撮影のひとつになる、父はいなくても、最高の作品が撮れた。

骨を拾うところは感情が湧かなかった、流石にあの白い何かが父とは思えなくて。

涙も悲しみもそこになかったのは不思議なもの、骨壷に収まった父の遺骨、その2破片を我が家に持ち帰った。

解散して、みなさんと笑顔でお別れ、家でお金の精算をしたら慌ただしく家までドライブ。

こうして父の葬儀は終わっていった、3.31の父との最後の対面で悔いはないぐらいに伝え切った。

この葬儀の場は母を支えるためのもの、それが我ながら納得レベルを超えるぐらいにやり切れた。

だから父も喜んでくれるだろう、一度しかない悲しい時間を、妙な言葉だが納得の出来栄えでこなした。

僕にとっては父を弔うこと、母や周りの人への感謝の伝達方法、それが僕を後押しした。

自室に持ち帰った父の顔部分の骨2破片に手を合わせ、これからも父を偲ぶことでしょう。

2024年4月30日

GWに入る前は、職場の歓迎会、新人教育の出番で「面接であなたを認めた」とお伝えできたのは良かった。

兄から続報が来て、寝たきりになったと聞いて覚悟を深めた。

GWに入ると、津島の藤、CAFEデザインのフルモデルチェンジ成功、レイナとバトミントン、

西浦半島〜竹島RUN、五万石ふじ、家の各種片付け、とそれは順調に予定をこなした。

父の訃報一報

実家に帰る日を決めようとしていたら、母から一報、4/30 18:00に父が亡くなったと。

自分がそう苦しまずに、周りを引きずらずに最後を迎えたことに敬意、

僕の悲しさは前回の明るい今生の別れで伝えてあったから、なんだかひたすら空虚なだけだ。

そして明日から訪問してくる、数日後には、きっと別の僕になっている気がする。

2024年4月21日

兄からの知らせを受けて、その週末に実家へ向かう、桜休みをとっていたけど目的を変えて。

寝姿と痩せた様子にショック、父の兄弟姉妹たちが来て賑やかに、滅多にないぐらいの華向けに父も元気を出していた。

僕にとってもたくさんの親戚たちとの10年ぶりの再会。

どうしてもしたかったこと、みんなとの集合写真をフルサイズ&最高画質で撮影できた。

写真をやって良かったと感じた一時になった。

夜は父とひとつの部屋で寝て、これもどうしても伝えたかった寝物語をした。

浅川でのナマズヒーロー、金沢八景の海を語っていたら、いつの間にか眠っていたっけ。

父にとっては76年間の兄との最後の別れ、古いアルバムを見させてもらったけど、長い物語だったのね。

僕が去る時、二人きりになって、勇気を出して、僕は一番伝えたかったことを伝える。

この家に生まれて幸せだった、父の手を握ってそう言葉にして伝えられた。

出発しようと車に乗ったら、涙を流してしまった、泣いたのはレイナの誕生以来12年ぶり。

兄弟たちとの最後の別れに立ち会えたこと、父に伝えたかった言葉をちゃんと言えたこと。

真っ直ぐ向き合えて良かった、僕の一生の悔いはなくなった

父との明るい(今生の)別れ。

心揺れて稲荷山公園〜赤い橋〜川南とフラフラして、川越城・忍城・小田原城へとまだ桜咲かぬ春でした。

その後、父は入院ならず、あと数回は逢えるだろう、今度は僕もリラックスした心地で行ける。

父との明るい別れ

COMPLEX日本一心のチケットが取れた、時間も金もかかるが、これも一生の悔いにならないように賛同する。

BEV/HEVの出張は不可避と感じる、久しぶりの海外渡航に覚悟を決める、あなたの想いにはなんと伝えれば良いものか。

2024年の桜写真旅は「未知の桜スポット」と固く誓って、1週目は愛知岐阜を、2週目は三重を。

ただし最後の最後は彦根城いろは松になった、そこでの感動出来事はここでは割愛しておこう。

初めての場所でどう撮るか?を練りながら夢中になって撮影する、そのことが脳を活性化せ、センスを磨く。

まだまだ美しい場所はあるものです、見知った場所よりも、新しい冒険の方が良いと痛感。

レイナの中入学式、バス停での彼女の姿はちょっと大人になっていた。

社会人で初のマイナス評価にびっくり、これは必ず仕返しを狙って差し上げよう。

仕事は直接業務を卒業方向に向かい、自分でやるのではなく、若者たちにやらせて自分は見守る。

そんな裏方に片足突っ込んでいくのを感じて、なんとも言えない気分、僕が言いたくない言葉「歳を感じる」ってやつ。

腹筋300回は余裕のジム、もう1ヶ月も返事はなくてマスターピース写真は叶わないかも、

新しい髙と新人が来て数年ぶりの歓迎会、Adogaショックは抜けない、久しぶりの豚汁料理。

アクセス数は遂にkenboxをcafeが上回った、セオリー外だが、もうkenboxはcloseする方向で。

2024年3月24日

急に業務量が谷間へ、18時台に帰れるようになって、平日3日もジムで鍛えることを2週も続けたら、全身にキレを感じた。

勝負の黒服で、配員のことを交渉、狙い通りになって満足、これであの被害者めいた尻拭いはしなくて済む。

構想から何年だろうか、桶狭間の戦いを動画で私流に描いてみる決心が付いて、長丁場になるだろうが、序盤を作ってみた。

さわやかは実現せず、五味八珍の浜松餃子。

小学校を卒業ですと

まさかのお断りかと邪推したり、嫌がっていたら困るな、そうではないなら本気でGIFTを撮ろう。

自分の顔写真をAI化して、LINEやFACE BOOKのプロフィールに使った、こんな技が使えるのが現代。

仕事ピンチ再来(Agoda)、なかなか完全抹消されないのね、頭を悩ませるネタは。

レイナの小学校卒業式、白鳥の湖発表会、まだ側にいて欲しい、まだまだあなたのお側に。

LEXモデルとの子育てメッセージ、月城の大失敗(もう月出ちゃった)。

3.24の林陽寺から、2024年の桜撮影がスタートしました、来週・再来週と未知の桜スポットばかりを訪れる計画。

2024年3月10日

朝起きたら突然、本当に突如「日本一新2〜COMPLEX LIVEやります」のお知らせがきてびっくりした。

チケットは取れないかもしれないけど、これこそ逃すともう死ぬまで見れないかもしれないステージ、だから申し込もうと思う。

それから鳥山明さんがお亡くなりになった、僕のドラクエ大好き・スライム大好きも、あなた鳥山明さんが創ってくれたもの。

ドラゴンクエストを20年ぶりにゲーム

目の前のキャッシュフローに不足が出てきた、ちょっとこれから質素に行かないといけない。

一通りコストコ記事メンテが終わった、これからは新規だけを狙って、過去は当面振り返らない。

いつものマックにも飽きたので、Writtingに居心地の良いCafeを探す旅に出ようと思う。

父の具合が悪化していると兄からレポート、そして電話で諭される、もう諦めの境地に入ってきた。

杉山城の続きで、一緒に旅に出ようとしていたのに叶わず、もちろん相馬の野馬追なんて全く無理だ。

スタバ写真

レイナとジブリパークプレオープンに、来週は卒業式もあります。

仕事では危険なID橋を渡ったのでNG、もう二度とそんなことやらないと誓った。

桜をモデルに撮れるかもしれないと思うと、もう満ち足りて卒倒しそう、実現のためにはなりふり構わずね。

2024年3月3日

吉川晃司の外傷性白内障にびっくりした、シンバルキックは封印しても歌い続けて欲しい。

ジムのランニングマシーンで走ってみた、アメリカのホテルで使った時は悪印象だったが、安定して走れて悪くない。

景色や風は感じられないけど、花粉/悪天候時の代替案としてはアリなんだね、と知った。

大峯奥駈道100kmの準備として平勝寺〜寧比曽岳24kmトレランで負荷をかける。

筋トレ効果かな、問題ないどころか調子良く走れて驚いた。

前回の35歳の時とペースは変わらないどころかより早い、これで47歳を迎える準備ができた。

強烈な不安が再び

強烈な不安が再び、広い世界を見て、自分の実力を確認でき、繋ぎ止めるものがないならば、遠くへ行ってしまいそうな予感。

嘘でもついて止めたいけど、応援したいから素直なことを伝えるのみ、それどころか工作に助力する。

あなたの実力ね、努力と人間力の為せる技、嬉しいやら、近くにいなくなることの寂しさが深くて、もう怖いほど。

必死になって勧誘活動、ずっと残る何かがないと、僕の小さな心は散り散りになってしまいそうだから。

3.3になり数々のお祝いが届き、生きてて良かったと痛感する、繋がっていたい人たちと繋がれて。

2月アドは2.9にもなった、調子に乗ってまつきよカフェに移管と更新を重点的に。

ドメインは古い方が有利と信じていたけどマヤカシだったのだろうか、自分の目で見たものだけを信じるのか。

三好公園の河津桜が咲いた、春はもう走り出している。

2024年2月25日

いつの日も冒険が必要、それは分かっている、でも馬鹿げている。

左義長で写真応募、鈴鹿の森庭園しだれ梅で傑作が生まれた、コストコ亀山がすごいの。

アドセンスがまさかの目標達成、α7Cがメルカリで売れて、KBからまつきよカフェへコストコ以外を全部集約した。

早めの花粉がきた、だから今週末は走れなかった、そろそろ長距離RUNの負荷と練習が必要なのに。

いつの日も冒険が必要

楽しんだというNC話が聞けて僕の胸まで温まってくる、一方で撮らずには僕の動揺は止まらないのでしょう。

危うく大ミスをしそうになった年休勘違いの2.20はびっくりした。

今度こそ、今度こそ、僕は管理中心で実務メインでの仕事が終焉する、何度も裏切られてきたけど、今度は実現するかも。

ナゴヤドームとノリタケガーデンという滅多に行かないイオン、僕だけでは食べれないもの食べる機会、ただ時間は大幅ロス。

あと2ヶ月のジム活動は止まらずに行こう、そして今週の僕は好機を掴めるのかな、もう流れは設定できるのだから。

2024年2月17日

手抜きを排除できる環境になったから、もうこれで仕事のエラーは出ない、出さないと信じる。

勝負の偽装は成功し帳消しになったのね、随分と危ない海送橋を渡ったものだ。

新しいチームが見えてきて、その通りになればもう現場も残業も縁遠い職場になるかもしれない。

平日2回のジム通いは続いている、確かに筋肉がついた、あと2ヶ月頑張ってみる。

みよし市&豊田市と冒険ランニング&写真を楽しんだ冬、暖冬だったからか来週ぐらいから花粉到来かな。

暖冬だったからか来週ぐらいから花粉到来

火おんどりの人生最良写真を上書きできる火祭り写真が撮れました、9年ぶりのこと。

今尾の左義長と鳥羽の火祭りをハシゴ撮影した日、今尾の左義長での祭り人で奇跡の一枚が生まれた。

やったよ!いつまでも2015年の火おんどりを引きずっていたけど、2024年に更新できた。

まつきよカフェに小説も文学系も移転させて、kenboxはコストコ商業系だけにした。

今月はアドセンス急増で心温まる時間を過ごしている、過去の著作権でこれをキープしようよ、遠慮なしに。

スレッズは1,100人まで増えた、もうインスタは打ち止めにすることにした。

たからもの2

たからもの2をいただいた、それ以上にちゃんと戻ってきてくれて嬉しかった。

リアルタイムのメッセージに高められた日々でした、自慢話が楽しみ。

でも遠くに行ってしまうとか、転機はここでも突然に訪れるのか、人生って良くも悪くもこうでしたね。

川南の山下くんとBUCK-TICKの櫻井さんネタで再会できたのが、その反転版なのでしょうか。

3-4月にかけて環境がまた変わっていく、動いていく、その狭間でどうアクションする僕になるのだろう。

2024年2月4日

仕事の禊ぎが落着して、新しい奥が入り、また頑張っていこうという平日になった。

喜ぶ延長、私的には戻ってきて欲しい、惑わされずの心はどこへやら、NCへやら。

ジム効果で腕と胸に筋肉ついたような、腹筋100回できるし、それぞれの重さを増しても耐えられる、効果出ています。

平日遅くなっても週2回はジム通いしたいね、あと3ヶ月ではっきりした違いが見られるかな。

なんだか新しいもの

あまりお金使わず新しいものを、ブラックミストフィルターを新調したから、その表現方法で撮れる何かを。

アドセンスが好調過ぎて、PV稼ぎに古い小説を直してまつきよカフェへ移植、KBから色々と移していく段階に来ています。

冬は観光RUNね、日曜日に岡崎城ランニング、その写真成果はまつきよカフェに還元、正常な僕の週末。

ひたすらブログ活動・写真活動にのめり込んでいこうと思う、去年一昨年でやり残したことを遂げるのだ。

2024年1月28日

自分で作った傷を舐めた先週、「特効薬はない、同じことをずっとリマインドするしかない」と

お客さんに逆に励まされ、なんとか心が持ちこえた、そして身を入れて再度構え直すことができた。

あと2つを整理すれば、もう怖いものはないゾーンに入れると思う、再生への道がようやく見えてきた。

アドセンスとスレッズ(700人)が好調、まさかの2-3万円枠が見えてきた、KBのコストコを朝マックで書き直した。

カフェに古い小説を移すかを迷う、アクセス数稼ぎになるのであれば。

溜まっていた写真は完全にブログ化し終わった、動画素材はいっぱい残っておりますが。

再生への道

新しい夢、岐阜城と満月をいつか成功させてみるさ、と誓った失敗劇(初挑戦は大失敗に)。

この1月はベスト写真がなんとか1枚あり、しかし「本当にやりたいこと」が成果ゼロだった。

ローンはまだ11/33だけだと、お金のことを少々シミュレーションした。

上の写真は伊吹山方面に大雪が降った数日後の夕暮れ時、こんな風に危機を好機に転換したいものね。

2024年1月21日

休み明けには福が戻り仲間が増えた、一方で早速の依頼殺到で仕事に辟易。

最初の週はそれでも平日2回のジム、なかなかの筋量成長ぶり。

土曜日の朝に久しぶりの朝マックでブログを書き切って、動画素材は残っているけど静止画は完全に片付いた。

ところがRUN中にESTAの件を知って絶望、もう取り返せないぐらいの自己ダメージ

経緯を知るともう完全アウト、俺はこの仕事に向いていない、もうダメかと心身ともに底辺へ。

よくぞ会社に行けたものね、肩身が狭くて目の前の忙しさに逃げるのが精一杯。

過去一番の仕事落ち込み具合、翌週末の土曜にジムで「HANABI」を聞いて自分を奮い立たせた。

もう一度やってみようよ、朝マックでこれを書き上げたら、そっちの処理に本腰入れてやってみる。

もう取り返せないぐらいの自己ダメージ

レイナが中学に合格!心配は尽きないが、順当に行けて良かった。

スレッズが好調でいきなり220いいね、それからも投稿していたら2時間で150は付くようになった。

もうTwitterは不要なのかな、いっときのボーナスではないといいけど。

来週の父とのドライブはなくなった、吐き気が出たのだと、これも私の全身の力を落とさせるダメージ。

来週、自分が復活できるかどうか、3流に成り下がるか、かなりの勝負になると思うよ。

ストレスチェックしたら人生初の雨マークが出た、これは去年からの忙しさが遠因。

もう一度やる気を出そう、日曜日夜に仕事を仕込んだ、なんとか取り戻そう。

2024年1月7日

年末年始休みが終わる最終日の夜に、詩的日記を更新している、書き切れないぐらい色々なことがあった。

まだ続く(まだ終わらない)写真動画整理とブログの更新、バナリパのチノパンを洗濯&アイロン、ワイシャツの襟汚れ落とし、

不要な服整理、お庭の伸び過ぎた木の整備を計3回、JAL機が羽田で追突炎上、地震もJAL機も人間の仕込み疑惑をSNSで見て疑心暗鬼。

年始年末休みを終えて

1泊2日で実家に帰った、父はさらに痩せていたが、今すぐって訳でも無さそうなのが救い。

なんとも言えない表情で説明してくれて、こっちもどう反応して良いか、まぁ自然体で伝えたいことは伝えた。

名義のことは大賛成、きっとこれで兄弟姉妹間のいざこざはないだろう、私が一番願っていたこと。

夜朝に色々と父母と話していると兄登場、宮川うなぎが美味しくて、久々の兄弟揃い。

写真アルバムと年表を見ながら父の人生を遡った、父と兄弟の3人で、それは良い時間でした。

もう準備済みだという地産のお墓に下見?、半日ほどの時間でしたが揃ってよかったよ、上の住人は待ち人来ずでしたが。

超超望遠のP1000を形見分け?みたいにもらった、その心をしっかり受け止めておこう。

新しい夢ができた、原町と野馬追に行きたいと言われて、即答で私が1月と5月にお連れすることに。

そうして先の絶対目標があったほうがいいはずだよ、ついでだけど私もどうしても再訪したかったから。

今年の夢はこうして創り出された、最優先で叶えるべき2024年の目標、何を差し置いてでも実現させる。

レイナのVAPが終わった、きっと問題ないとは思うが、彼女にとっては一大転機ね。

三好ヶ丘をRUN、ジムで筋トレ、バナリパのチノパン5本目(カーキ)をお迎えで上を黒にしてこなれ感、

NCやりとりが嬉しくて、亀山コストコがヒットで、10-15℃もある温暖な年末年始でした。

11-12月と自分へ人間活動回復キャンペーンを貼ったおかげか?体重が65kgオーバーまで回復。

心身ともに元気になったけど、61-64kg内というマイルールを超えたので、3月初旬の健康診断までは節制生活で行こう。

明日から仕事&日常生活の再開、さぁどうなっていくことやら。

2024年1月1日

2024年のコンセプトが明確に突き上げて来ている、「要求する・主張する」ということだ。

2023年の「好きなことだけする」を一歩上回って、自分の苦手分野に食い込む・挑戦する。

こんなの100点取れるテーマではないけど、自由な40代後半を過ごしている今だからこそ。

馬鹿げている, 分かっている, でも欲しいと言おう

ありのままを撮るのではなく、自分から創り出そう

なんだか難しいコンセプトを掲げた2024年、それでも新味に冒険あるのみ、ね。

その次のコンセプトに「あまりお金を使わない」「ますます体を鍛える」も入れておこう。

豊川稲荷初詣

元旦に豊川稲荷へ初詣、人がいっぱい来ている場所がいいと言うので経験のため。

願い事は一番欲しいものをストレートに告げてみた、おみくじは大吉。

その後にイオンモール豊川の炙り百貫で美味しいお寿司食べていたら、石川能登の震度7地震に遭遇。

3.11を思い出したけど、今回も私は安全な場所でいつも通りに過ごさせてもらった。

Twitterから入ってくる現場映像に見入ってしまった、いつか自分たちの身に降り掛かってくる災害だろうか。

今年最初の写真は、豊川稲荷の拝殿内、D90という一眼レフカメラで初めて作品撮りした思い出の場所。

-詩的日記