私の中では原ノ町駅(はらのまち)、原町(はらまち)ではないの、間に「の」が入るの。
だって、この地に住んでいる親戚たち、それから私の父も原ノ町と呼んでいたから、真実がどうであろうと「はらのまち」。

そんな原ノ町駅への出張訪問は奇跡中の奇跡でした、すっかり新しくなって、歩道橋以外は刷新された原ノ町駅。

相馬野馬追の騎馬武者銅像、特に相馬氏のお殿様の姿ではない様子。

歩道橋の上から、この景色だけは15年前と同じ、いえ、もっと昔と同じ。

父と母に手を引かれて原ノ町駅を出ると、叔父さんがニコニコして車で迎えにきてくれていた、そんな40年以上前の思い出。

原ノ町駅のホームは記憶にしっかりある、到着時のドキドキ、帰る時の寂しさ。

野馬追の紹介のある原町陣屋、最後に父と見れなかった野馬追を、いつか、きっと見よう。

北泉海水浴場の名前だけ覚えていて、訪れるともう何も記憶はありませんが、それこそ48年前に家族親戚一同で来たはずの場所。

この11.1mの高さまで津波が来たというのだから、もう言葉にならない。
震災のダメージは窺い知ることができたが、人が戻ってきていた原町、いつか時間をとって回るべき私の遠い故郷。
2010年10月8日
原ノ町市で祖母の葬式に参列、久しぶりの親戚に再会
祖母が94歳の大往生を遂げた。
後悔は募るもので、ここしばらくお逢いしていなかったから、
生きているうちに逢いに福島まで行こうと思っていたのに、
結局、その福島行きは祖母の葬式に参加するためのものになった。

密かに父の落胆ぶりを心配して、土曜日の早朝に狭山の実家まで帰る。
圏央道がつながったおかげで、愛知から埼玉まで4時間もかからずに着いたのはちょっと驚いた。
それから外環~常磐道で福島の南相馬市・原ノ町へ、これまた5時間のドライブ。
久しぶりに両親と一緒のドライブ、心配したほど落胆はしていない様子で、ちょっと安心。
福島の紅葉はまだ始まったばかり、久しぶりの景色で感じたのは、
その田園風景が愛知や岐阜ともまた違い、なんというか、段違いにのんびりしているところ。
これが相馬の文化なのだな、今だから分かる違い、田舎ぶりのランクが際立っていたよ。

さて、祖母の出棺にギリギリ間に合って、おばあちゃん家に到着。
動かずにいるおばあちゃんに驚き、肌に触れてその冷たさに驚き。
みんなで白装束を着せてやり、白の綿帽子に包み、花束や手紙と一緒に棺に入れる。
葬儀場まで移動して、久しぶりの親戚一同、それから従兄弟たちと逢うのは楽しかった。
もう10年ぶりに逢う従兄弟たちばかり、それぞれ子供を連れてきていて、それが驚き。
雰囲気は湿っぽさがあまりなくて、祖母の死以上に、久しぶりに全員集合した親戚一同だから嬉しさが勝る。
それもこれも、いつも優しい表情をしていた祖母の人柄がなす技なのかな。
真言宗本願寺はお焼香の時に、額にかざすことをしない。
告別式はみんなそのシキタリを不器用そうに学んで、なんとか無事にセレモニーを終えた。
悲しいイベントなのに、おばあちゃんから見たら孫たちが揃い、
さらに曾孫たちが楽しそうにはしゃぎまわっているから、悲しさがないじゃないか。
なんと僕はスーツを忘れるという世紀のミスをしてしまい、翌日来る兄にもってきてもらうことにした。
子供や従兄弟たちと遊んで、親戚の輪を感じるかけがえのない日になった。

翌朝は時間があったので、おばあちゃんの家の裏、昔に父とよく散歩した場所を一眼レフで撮りにいった。
木造だった橋はすっかり鉄筋に、流れが急だった川は、堤防がしっかりした今時の川に。
とんぼを採った山道を歩いて、カブトムシを探した公園をぷらぷらと歩いた。
原ノ町駅はあまり変わっていなかったなぁ、到着する兄家族を待って、懐かしさのあまり駅うどんを食べたり。
兄が合流すると、ますます大きくなった姪っ子が可愛くて、親戚一同にも笑みが浮かぶ。
お葬式の最後、棺に花をみんなで入れて会場を後にするとき、涙が出そうになった。
こんなに温かく、多くの人たちに見送られる最期は、幸せなものだな。
火葬場に着き、あのおばあちゃんの姿はこの世から消えていってしまった。
骨を拾うときになると、もうリアル感はなくなって、他人というかモノのような祖母。
愛しいイベントだったよ、悲しみの中にある喜び、喜びの方が増していて、悲しさを忘れさせてくれる。
姪の可愛さ、それから親戚の10歳の男の子とずっとしていた鉄道話が楽しかったなぁ。

夜はみんなでご飯を食べに行って、翌朝は父親と昔の散歩道を一緒に歩いた。
みんな集合の中、別れる時は大盛り上がりで、親戚の温かさを感じた。
写真もいっぱい撮ったから、親戚一同に送ってあげよっと。
常磐道を戻り、ちょっと東京で仕事などをして、それで狭山駅まで戻ると、駅が大改装していた!
車で中央道を通って愛知まで戻るのはさすがに疲れもピーク、ギリギリの体力でした。
悲しみの中の喜び、家族親戚の温かさ、記憶に残っている田舎の景色。
嬉しいものにいくつも出逢えて、悲しいイベントではなく、愛しいイベントでした。
2010年10月8日
原ノ町・福島県南相馬市原町区の思い出写真

親の実家がこの原ノ町市でね、僕は子供の頃に年2回は原ノ町へ帰っていた。
所謂、心の故郷、それが福島県原ノ町市なんだ。

この公園にも何度も来た、親父と一緒にかぶと虫を探して、夜に歩いたっけ。
兄貴とずっと遊び続けていた、そんな思い出がぎっしり。

子供の頃には永遠に続くような道だと思っていたのに、大人になって歩けば距離は短い。

あぁ、昔は木造だった橋だね、あれはもうずっと、本当にずっと昔の記憶。

清流だったから、飛込みをして遊んだり、ミズカマキリをとって遊んだ川。

網を持って遊び続けた、あの時の記憶も感触も不思議とはっきり残っている。

山へと向かうこの道だって、親父と兄貴と一緒に、何度も何度も歩いたっけ。

とんぼをとった田んぼ、まだ残っていてくれたのかい?僕もまだ生きているよ。

このお墓だって、坂道だって、身体の奥底に刻まれたかのような記憶がよみがえる。

親父は素手でトンボを取るのが上手でね、草で船をつくったり、山の遊び方を教えてくれた。

出逢いと別れ、原ノ町駅ではいつも伯父さんが待ってくれていた。

忘れられない思い出、もう記憶に残っていないと思ったが、心に鮮やかに残っていた。
小学生だった頃の僕と再会できた、そんな原ノ町の写真。