2024年4月1日
桜の時期に稲荷山公園を歩くなんて、もう30年ぶりになるのかな、果てしなく久しぶりな記憶。
稲荷山公園らしい緑色の歩行帯サインを背景に撮った桜、まだ咲きかけでしたけど。
稲荷山駅方向からの正面入口、今も昔も変わっておりません。
子供だった娘を遊ばせた公園をバックに撮った「狭山稲荷山公園」の文字、ハイドパークのお名前はどこにもありません。
この時は実父にもしかしたら生涯最後の言葉を伝えた直後のお散歩、涙の感傷、心を整理するために稲荷山公園を歩いた。
桜は1分咲き未満か、それでも桜に背中を押されて、僕は無心で歩いて写真を撮った。
好きな場所で、好きな桜なのに、心はどうも軽くない、不思議なバランスの狭山稲荷山公園ウォーキングでした。
2024年5月4日
彩の森入間公園の写真、でもここは少年の頃に訪れた記憶がない。
ジョンソンタウンもきっと行っていないし、僕の行動範囲は稲荷山公園止まりだった。
まさに新緑美しいGW、ここもランニングしたかったけど時間が足りず。
駐車場あたりの並木は完全にアメリカの公園の景観。
航空自衛隊入間基地の敷地内にある飛行機。
そうそう、こういう文化でしたね、入間基地のあたり、稲荷山公園もそうだけど。
2022年12月31日
また久しぶりだね、稲荷山公園、その一周1,200mのランニングコースをまた走りにきたよ。
緑色のウォーキングコース(緑色のゴムチップコース)は走りやすい、このランニングコースのシンボルがこの色。
少年〜青年時代の思い出が詰まった稲荷山公園(ハイドパーク)を大人になった今走るのは、ホントに光栄なこと。
なんだかアメリカの公園みたいな造り、と今は思える、米国駐在時代のマイコース・ベテランズパークにも通じる雰囲気。
ジョンソン空軍基地の米人の居住地で、このハイドパークを設計したのも米人だろう、その気配は漂ってくる。
それはともかく1.2kmの稲荷山公園を僕は走った、挨拶がわりに、昔の自分へのSay Helloとして。
埼玉県狭山市と入間市の間、「狭山稲荷山公園」が正式名称なのね、稲荷山公園前駅からすぐ。
中学校の卒業パーティーで、みんなで肝試し大会したお寺。
鵜木の茶畑は今も変わらず。
麗しの母校、ちょっとグランドが狭くなった、桜の並木は変わらず。
僕はこの時ずっと校舎を眺めていた、あの下駄箱に靴をしまって、履き替えて教室へ向かったことを思い出しつつ。
部室は今も変わっていない、鉄棒も。
引っ越した小学校、校歌の歌詞はまだ覚えていた、メロディはもう忘れている。
オシャレな建物ね、場所を引っ越したから僕の母校とは言い難い。
ザリガニ釣りをしていた流れ、今も水は綺麗だった。
全く知らなかったけど、木曾義仲の息子(源義高)が命を落とした場所。
16号沿い、こんな場所は知らなかったな。
この近くで、運転中の母に僕のランニング姿が見られたらしい、なんていう偶然!
清水八幡宮、ここには鎌倉武士の悲劇がある。
狭山八幡神社の階段を上がる。
お正月準備中の狭山八幡神社、あの同級生は健在だろうか。
すっかり住宅地化された小学校跡地、遠い日々が遠い記憶に。
校舎後、鉄棒の校庭あたりがここかな、今は公園。
駅前はすっかり変わった、喜ばしいことですけど。
入間川基地、頭上の飛行機を見上げて、僕は何を思っていたのか。
秩父の山並みを見つめて僕は何を思っていたのか。
懐かしい、誇らしい稲荷山公園と周辺一帯のRUNでした、いつかまた走るよ。
2015年8月13日
まさか、20数年ぶりに狭山稲荷山公園をランニングするとは。
あれは小学校の高学年だったのかな、学校のマラソン大会が稲荷山公園(いなりやま こうえん)であって、僕は良い成績を収めた。
野球やサッカーという球技が不得手だった少年の僕。
短距離はまぁまぁぐらいの速さだったけど、長距離を走ることだけは何故か得意だった。
小学生の僕が他人よりも優れていたもののひとつが、走ることだった。
大人になり、早く長く走れることが今の自分のささやかな誇りであり続けるとはは、少年の頃には想像もしていなかったこと。
まだ小さかった頃の僕には、狭山稲荷山公園内ランニングコースの上り下り坂が、急角度で、距離が長いものに思えていた記憶があった。
手足が長くなった今に走ってみると、案外普通の道、ただのキレイなランニングコース。
ただし平坦なランニングコースではないね、地形上アップダウンがはっきりしている。
森の深さは昔も今も変わらない、天井を大樹に覆われて、枝が風に揺れる音を聞きながら走ったようなイメージがある。
子供の頃は狭山稲荷山公園でカブトムシとクワガタを探した。
成長すると、300本もある桜を愛でる花見をしたり、芝生や木陰で本を読んだり詩を詠んだな。
西武池袋線の稲荷山公園駅にほぼ隣接していて、飯能方面へ行く時にこの狭山稲荷山公園の横を通った。
どれも懐かしい思い出ばかり。
僕の少年期〜青年期の何シーンかは、狭山稲荷山公園と共にあった。
そんな狭山稲荷山公園、大人になってから走ると何とも言えない感銘を受ける。
正式には「埼玉県営 狭山稲荷山公園」という名前、ラフには「ハイドパーク」だけど、ここは埼玉県が管理する公園施設だった。
少年の視点からの記憶が強かった狭山稲荷山公園だが、今訪れてみて感心するのは良く整備された公園だということ。
さすがは元・米軍基地(ジョンソン飛行場の一部跡地)であり、そこで働いていた米国人の住居用地とされていた土地だ。
今でもどこかアメリカの公園風なのはそうした歴史があるから。
「ハイドパーク」と昔は呼ばれていた、狭山稲荷山公園。
そういえばうちの母親含めて地元の人が「ハイドパーク」と言っていたな。
1周1,200mの狭山稲荷山公園ランニングコース、これから10年先も20年先も、童心に帰って走っていたい。
この場所を走る僕はいつでもいつまでも、小学生の心なのだろうから。
戻せない時だって、この稲荷山公園ランニングコースを走れば、僕の中では時が巻き戻っている。
2012/08/14 14:45:00
稲荷山公園 ランニング
20年ぶりぐらいの稲荷山公園ランニング、光栄な夏休みの思い出。学校のマラソン大会やら何やらで、この稲荷山公園を走った記憶がある。
登り下りの坂があって苦しめられたこと、一周が長かったこと。
大人になって走ってみれば、身体があの頃の倍?になったからか、坂はまぁ普通だし、一周だって1.2kmのショートコース、辛いことはない。
時差はあれど、コース自体は走っているうちに記憶が蘇ってくる、あぁ、あの時走った道よ。
瞬間だけ、小学生の頃の自分に重なって、走ることができた。
ちと物足りないので、当時の通学路を通って中学校まで。
この道もまた懐かしさMAX、それ以上に、何もかもが記憶よりもずっと小さい。
遠い思い出をたどる旅はまだまだ続けてみたい、きっとそこに何かがあるから。