霞間ヶ渓公園(かまがたに)の桜写真は、往年の銀幕スターのごとき風格、山谷に咲く桜のお花見として大規模。
岐阜の桜名所を訪ねる旅、ウェブで検索すると東海3県のサクラスポットで名前が出てきたので、霞間ヶ渓公園の読み方は分からなかったけど、とにかく行ってみた。
上の1枚、渓谷を連想させる水の流れと、桜との組み合わせが霞間ヶ渓公園のベスト写真になった。
平坦ではない土地に咲く桜もいいね、縦構造の立体感を考えながら撮影する楽しみがある。
山を削ったような天然の斜面、あちこちに桜が自生していたのだろう。
それを昔に大垣藩が人の手を入れて植樹して、治山のため、あるいは観光のために育てた結果、霞間ヶ渓公園は桜名所として有名になったというストーリーだ。
面白いのは一帯は揖斐茶の産地でもあるから、所々で桜に茶畑の風景が重なってくる。
両者は和風写真被写体の代表格だが、同居してもまぁ自己主張の喧嘩はしない。
桜が多過ぎて、遠くから見るとピンク色の霞がかかったようだから「霞間ヶ渓」?
元は「鎌ヶ谷」と呼ばれていた場所が、桜影響で名前が変わるなどと面白いことだ。
さくら会館の枝垂れ桜はもう終わっていたが、複数種類の桜がこの道を桜トンネルのように飾るらしい。
山崩れ・土砂災害の悲劇を、桜を植えることで守った、というストーリーは日本人の心を打つに違いないよ、霞間ヶ渓公園はそうして桜をマシマシにしてきた。
お城で例えると、人力で築き上げた天守閣・石垣で魅せるタイプではなく、山城そのもので地味な土塁・堀切のタイプに属するのが霞間ヶ渓公園の桜。
霞間ヶ渓公園から大垣城への移動途中、杭瀬川の中島橋あたりの桜も素晴らしくて、思わず車を止めた。
無名なの?いや、これだけの素晴らしさが知れ渡っていないはずがない。
そんな杭瀬川・中島橋が交わる点。
続けて、種類が全く異なる岐阜県の桜名所・大垣城を訪れた。
お城と桜の相性が良いこと、そんなのは今更言うまでもなく分かっていたけど、お城の中でも大垣城は桜にフィットしたお城だと知った。
写真映えスポットは、戸田氏鉄公騎馬像がある大垣公園の一角。
騎馬像・桜・天守閣を見事に一枚にまとめることができて、その相乗効果は抜群。
城壁と城門にかかる桜も素晴らしく、この一帯が至高の桜撮影名所。
そこから大垣城本丸に上がっていくが、本丸に近づいても桜は撮れない。
今日は桜写真に誘われて大垣城に寄ったが、ここ大垣城といえば関ヶ原の戦いの直前で西軍・石田三成たちが入城した場所。
東西軍が大激突する戦場にはならなかった大垣城だが、数万の西軍が一時駐屯した場であり、関ヶ原で西軍が敗北した後で大垣城の守兵は東軍に攻撃され落城した。
ほぼ歴史の表舞台には出てこない大垣城だが、関ヶ原の戦いの一角を占める。
戸田氏鉄の戸田氏も失礼ながらあまり聞くことがないお名前だったが、三河国吉田(豊橋市)から出た家で、戸田氏鉄は美濃大垣10万石というから徳川譜代としては最高峰の大名だ。
そんな大垣城が桜の名所になっていて、こうして良作の騎馬像&桜&お城写真を撮れるというのは嬉しいことだ。
まとめると、戸田氏鉄という戦国時代の名将の騎馬像があり、200本ある桜は岐阜県内のお花見名所として知られ、白亜の天守閣と青空(天気によっては)の景色が開けている。
この3点が交わる春の日に訪れる幸運に恵まれれば、最高の春の桜写真を撮ることができます。
日本の美(=桜)、戦国時代ロマン(戦国武将と大垣城)の合わせ技、ここに極まる。