国家を維持してゆくために、日本の国家予算は膨張してゆく傾向にある。 国内総生産に対して一般政府が使った日本の国家予算の割合は、 1975年に26.7%だったものが2004年には36.9%まで上昇している。 財政収支に関しても日本は3-8%の赤字を毎年出し続けてきた。 2007年にはGDPに対する債務残高が177.6%にもなっているのだから、 日本全体が一切お金を使わないで1.7年間も働かないと完済できないという天文学的数字の借金になっている。 国民一人あたりに換算すると八百万円もの金額になるのに、 政府がこの借金に危機感を持っているコメントをあまり出さず、 また国民に対して周知させるようなこともしていないことに、憤りすら感じる。 この膨大な金額の借金を返そうにも、深刻なのが「財政の硬直化」というもので、 予算の22.4%をも国債返金に費やさなくてはいけない状況にあるために 他へ十分な日本の国家予算を割り当てすることができず、 今や政府の行動は国債費によって制限がかかっているのだ。 例えば、社会保障への予算配分が下がってきている。 先進国では年々社会保障費を増してゆく傾向にあるのに、 元々低い率だった日本はそこからさらに下がってきているのだ。 労働力の95%がサラリーマンや自営業の日本では労働時間も長い上に、労働分配率が低い。 その95%が働いて収める税金は国債に縛られて本来の目的である社会福祉に回ってこない。 この日本が本当に豊かな国かどうか、残念ながらこうしたデータを見てゆくと疑わしい限りに思えて仕方ない。 国家における政府とは必要悪のようなもので、なければ困るが影響力があり過ぎても困るものとされてきた。 自由主義の時代には、政府に税金としてお金を回すよりも市場に投資したいと願う人々は「小さな政府」を理想とした。 弱肉強食の資本主義では都市化が進み政府介入によるインフラ整備や社会福祉が必要になる。
政府の役割が増大して経費も肥大化し、膨張がイコール悪化ではないのだが、
運営に問題があった日本では結果として中央集権によって経費が固定化し現在の財政悪化につながっていった。 80兆円ある日本の国家予算のうち、21兆円は国債の返却に当てられるし、 地方に分配される分も合わせると80兆のうち実に70兆もが 「移転的経費」として中央から地方に分配されている。 中央集権化した日本では「大きな政府」もできあがっているのだ。 現代日本では都市への人口集中と地方過疎化が顕著であることから、 国家によって社会保障を手厚くする必要性が出てきている。 1955年には国民総生産の12.9%が社会保障として使われたが、2007年では25.5%もが必要になっている。 一見高いようにも見えるがヨーロッパでは福祉にこの倍近い割合を当てている。 それに比べて日本では公共事業などの政府投資が欧米よりも多くなっていて、 公共のお金・国家予算が国民の利益や福祉にではなく景気活性化のために使われていることが分かる。 他方で「公務員を減らせ!」という感情論があるが、 日本では2004年時点で人口千人あたりの公務員数が42.2人と、欧米と比べてもはるかに少ない人数である。 別に少なければよいというわけではないが、 全ての面で日本の政府が欧米諸国に劣っているわけではないことも不思議のひとつに感じた。 国民が払う税金(日本の国家予算)は国債の償還に充てられてゆき、 国債を持てるようなお金持ちの企業や個人に利益が流れ、国民のためという本来の目的は薄れてゆく。 1965年に始まった当初は法律で認められていなかった国債が、
1966年に公共事業名義で公に認められるようになってから
国家予算の内訳はうなぎのぼりに金額が上がってゆき、
60年ルールなどの返済計画が定められていたはずが、
いつからかその期限が延ばされてゆき、国債を返すどころか、
来年もまた国債に頼らずには日本という国を運営してゆくことも不可欠な経済状況になっていった。 毎年多額の国債借換えや新規の国債発行を扱うために
金融業が発達してゆくという特殊な状況になっているのが日本の国家予算なのである。 それはやむを得ない状況下にあり、誰であっても不可避のことだったのだろうか。
国債返金にしても定めた60年ルールを守って毎年1.7%を積み立てすれば
返金できる計算だったのに、82年から01年の間の3回あった機会に、
政府は返却金を積み上げることをしなかった。 これは、返済する気のない政府による人災の色が濃くないだろうか。
中央のみならず、地方財政も破綻している。 政府は実質的経費である社会保障や公共事業よりも遥かに大きな金額を
移転的経費といわれる国債や地方交付税として地方にあてがっているのだが、
2008年末の時点で197兆円の累計赤字だ。 若干ながらも国民から国ではなく都道府県に直接お金が入るような仕組みに変えて、
地方が自由に使える金額を増やすなどの努力を始めているものの、
中央から予算配分をするスタイルで政府が地方財政を握っている状況は変わっていない。 こうしたことが積み重なり今も毎年20~25兆円の国債を返さなくてはならず、
本来政府がすべき他の政策すらままならない状況に陥っている。 一方で、戦争を放棄するという世界にも稀な憲法を持っているのにも関わらず、
実質的な軍事費として世界第3位の予算を使っているのが日本である。 どれもこれもが政府判断の甘さ、国民の利益という憲法の立場には立っていない
憲法違反の日本の国家予算ではないのだろうか、と思わざるを得ない。 感じるのはモヤモヤとした政府への不信でしかない。
日本国民の一人として国家の怠慢を監視するためにも 経済学を学んで知識を持ち、
政治関心へつなげるひとつのきっかけにしていきたい。 君、知らずや。日本の国家予算には、大きなトリックがあることを。
日本の国家予算はおよそ60兆円。 それとは別に、臨時国家予算というものが200兆円ほどある。
それでも、前面に出てくる日本の国家予算額は60兆円だけなんだ。 いやいや、煙に巻いているのではありませぬ。
臨時はどこまでもいっても臨時、正統な国家予算は60兆円だけなんです。 国民のみなさん、日本の国家予算は60兆円しかありませんよ!
その裏にある3倍以上の臨時予算200兆円の使い道なんて、気にはしてはいけません! こんな悪徳商売が成り立っているのが日本の政治だから、実は日本ってムチャクチャな統治国家。
あなたの家庭でだって、こんなトリックは通用しないでしょ?
僕の月収は60万円です、副収入が200万円あるけど、家庭に収めるのは60万円だけにしまぁす♪なんて。 臨時予算という言葉をどうして廃止できないのか、
まとめて260兆円が国家予算だと、どうして言えないのか。
政治の世界にはおよそ魑魅魍魎が潜んでいて、
利害・権益・権限・縄張り・賄賂などなど、怖いものが漂っているから? 日本の国家予算の内訳など、大きすぎる数字は、人間からリアルさを消し去っていく。
60兆円でも260兆円でも、国家予算の内訳は一緒? どちらも現実味のない国家予算金額だから、そこに実態に見えない悪魔が住み着くのさ。
君、知ることなかれ。日本の国家予算の内訳のトリックを。
日本の国家予算は、通常予算額<臨時予算額。 日本の国家予算を牽制する、シンプルかつ効果的な方法がある。
まぁこんなの採用されるはずもないけど、呟くだけね。 「国家予算を一律1割減」、こうすればすごい金額が算出できるから、
消費税を増税する必要もないどころか、社会福祉にお金をまわすこともできる。 一律1割減なんて、そんな発想は省庁や官僚たちにはないのだろうが、
民間企業なら当たり前のこと。
だって、今の日本は千兆円の借金を抱えた破滅寸前会社。 そんな赤字MAX企業が、年間経費を各部申請通りに使えるはずもなく、
普通は経理部門からの強いお達しにより、一律幾ばくかの予算カットが
あるに決まっていて、そんなお金の使い方って民間企業なら当たり前なのだから。
人は誰でも自分の仕事にバッファをもうけていて、ギリギリの仕事じゃなく、
何かあっても余裕が持って対処できるようにしている。
実は1割減なんて、そのバッファの想定内の出来事なんじゃないかな。 それが5割減にもなれば業務に支障ができてくると思うけど、
1割なんて、人の努力でまかなえる範囲の障害だと思うから。
その1割が、でも日本の国家予算だから、金額にすれば6兆円にもなり、
消費増税なんてまるで不要、そこら辺の小さな効率化や業務改廃をするよりも
効果のある金額が捻出でき、かつ、どうにでもなる範囲と思われる一手。 でも、まぁムリだろうな、日本の国家予算において、一律1割減なんて。
だって、お金が絡むアレコレにはドス黒いものが取り巻いているから、
こんなシンプルで絶対的な方法があるのに、採用されるはずもなく。 日本の国家予算を疑い続けろ。
常に現状を疑い続けることが、自分の仕事の質を向上させる。
仕事の基本はそこにあると、先達の人たちから教わってきた私だ、
いいえ、いくら200兆円というメガナンバーの日本の国家予算だろうと、
そこに怯える必要はなく、ただ疑い続け、Why?と幾度と繰り返せば良い。
だいたい、誰でも自分の家計を考えれば、
自分のサイフの中にある2-3万円の使い道は明確に把握できていても、
銀行引き落としされる光熱費やクレジットカードや保険など、
10万円以上のお金の使い道なんて、必ずしもしっかり認識しているわけではない。
電子マネーでお支払したピッツァ・マルゲリータなんて、
金額の安い高いの感覚もなく、流れるように支払ってしまうものだから。 こんなミクロな話だけど、それは日本の国家予算の内訳だってきっと同じで、
各大臣とて自分の省の予算の隅々まで把握はできないし、
200兆円と201兆円の差の1兆円が、
どういう意味を持つかなんて理解できるわけもない。
だからマクロな話になっていけばいくほど、
予算なんて甘いものになっていく性質がある。
申請予算が総理大臣に届く頃には、「アイツが2兆円必要といったから承認する」みたいな
ゆるーい意思決定方法になっているだろうと推測するが、
さほど間違ってはいないと思うよ。
だから日本の国家予算内訳は常に疑い続けなくてはならない。
国家予算監査室みたいな中立な立場の組織があっても良いと思う。
なにしろ削減効果、仕事の成果が莫大な数値で出やすい分野だから、
日本の国家予算をチェックして、逮捕して、改善できるなぁ。
きっと誰にでも、あなたにでも、僕にでもできる仕事だと思う。 あなたに知って欲しい日本の国家予算の内訳は、
通常予算60兆円+補正予算200兆円で、合計260兆円だっていうこと。
国家予算の内訳というと、通常予算60兆円の中身のことを思うかもしれないけど、
それはすでに国家予算マジックの術中にハマっているから、あえて僕は本筋に話を振る。
正すべきは、通常予算と補正予算の逆転現象であって、逐一の予算額がいくらだとか、
その配分率がおかしいとか、そんな細部は本来後廻しでもいいんだ。
まずは国民が理解できない、この国家予算の内訳を正さなくては。
補正予算が通常予算の3倍あるっていう事実を理解している納税者は少ない。
政治家からもこの問題については問題提起はなく、世間のニュースに出てくることもないから。 いやいや、おかしいだろ、それも極めてクレイジーな金額になっているだろう。
だから声高々に書かせてもらうよ、日本の国家予算の内訳のマジックを。
疑い深いわたしは、あえて悪く書いてしまおう。
補正予算という、一見どうでも良い名前に紛れて、政府は悪い予算の使い道をしている、と。
このわたしの挑戦を受けて、通常予算と補正予算の逆転を修正できるかな。
日本の国家予算の内訳はずる賢いマジシャンが仕組んだ数字&言葉のマジック。
そこにあるのは醜いウソ、日本の国家予算を悪用する人たち。
さぁ、この一方的なわたしの言いがかりに、どうやって反論してくれるのかな? 日本の国家予算の内訳を見ると、約83兆円ある一般会計歳出予算のうち、
60%の53兆円が租税収入であり、30%が公債金の25兆円になる。 一般会計歳入ではこの内訳の割合の推移が問題であり、
1970年には租税比率が89%だったものが、現在では57%程度になっており、
減少分を公債金によって賄っているのが分かる。 1970年には4%の公債依存度でスタートしたものが、年々数字が高くなってゆき、
現在では実に36%も公債による歳入をあてにしなければ
日本の国家予算を確保することができなくなっているのだ。 租税収入のうち、どの分野にどのぐらい課税して税収を得るかということは、
その国独自の文化が影響することも多いことから税は文化であると言われるし、
その国の経済発展によって、また時代によって変化する。
課税対象や金額は政治的妥協から決定されることが多い。
日本では所得税や法人税といった直接税の比率が全体の約6割を占め、消費税などの間接税は4割である。
国民が税金のどのぐらいの割合を負担しているかを国際比較してみると、
日本は37%であるのに比べ、フランスでは65%、スウェーデンでは73%と
日本国民の租税負担率は世界的に見て低いことが分かる。
それでは社会保障の財源は誰が負担しているのか?
日本では企業が46%程度と、個人よりも企業側が重く負担している。
ドイツでは企業が60%で個人が37%と、他のヨーロッパの先進国でも
企業に重く個人に軽い傾向にあり、日本だけが逆のかけ方をしている。
持っている者から多く取る、というものが日本の課税の考え方であり、
所得額が大きい人に対して日本の所得税は最低5%から最大40%と、6段階で課税率が高くなる。
ただし、日本で番付長者に乗るような人たちの多くが企業主であって、
個人は不安定な雇用や物価上昇に悩まされてなかなか収入が増えていない。
日本では法人に重く税金がかかっているという仕組みは分かったが、
本当にこれで税率のかけ方にバランスがとれているのだろうか?
そもそも租税には財源調達機能や資源配分機能のほかに、
所得再分配機能として高額所得者から重く課税して格差是正をすることや、
経済安定のためのビルトイン・スタビライザー(社会安定化装置)としての機能がある。 しかし、庶民も企業も税金を払っても便益を受けている意識を実感することが少なく、
企業は資本蓄積に走り、個人も生活費貯蓄に走りがちなのが現状であって、
政府による課税は当然と考えていても、政府の存在自体が必要悪、
なければ困る程度のものとしか考えられていない。
様々あるところのどこから税を取るべきか、明確な答えはないものであるから、
政府としては基幹税として所得税は上積みしたいというのが本音だろうが、
次に課税対象とするのはそれまで免税としてきた経済的弱者などが
目に付け易いことから、つい大衆課税の方向に走ってしまいがちなのである。
消費税が導入され、5%にあげられたのも、バブルがはじけた後に
所得税や法人税が落ち込んだ分の税収をそのままそっくり消費税が網羅しているように、
最終的に国家は大衆課税の道を選びやすい方向にある。
日本の消費税は一律5%であるが、ヨーロッパでは標準税率は16-20%と高いものの、
食料品や電力などの生活必須なものに関しては軽減税率をとるなど、税金のかけ方を工夫している。
一律課税にした日本は別の考え方があるのだろうが、
バブル崩壊で落ち込んだ分をそのまま消費税で上乗せしようとした印象も拭い去れない。
中小企業は消費税などの増税分を販売価格転嫁できずらい状況にあり、どうしても弱者が損をしてしまう傾向にある。
所得税は弱者や個人からより多く取り、法人税はできれば下げたく、消費税は近い将来に上げたいのが政府の考え方だ。
金持ち減税の貧乏人追加税、格差社会が広がってゆくのを助長しているのが今の政府課税方針と言う事もできる。 国家予算の内訳とは一年間の国家収入・支出見積もりであって、国の顔である。
予算原則では単一性予算といって特定財源のように目的をはっきりさせておくこと、
一般会計と特別会計を分けてそれぞれのサイフを小さくしておくこと、
補正予算は特別ケースだけに許可すること、
想定できるあらゆることを予算に盛り込んで予算統計主義を取ること、
明瞭性をはっきりしておくこと、厳密性や正確性を重んじること、
事前に決めておくことを重視する、という原則がある。
加えて、予算執行にあたっては質的に移転不可・流用不可とし、
予算を余らせることも不可ならば他に回すこともできないというルールもある。
量的には決められた予算金額を超えることは許されないのだが、補正予算という例外はある。
時間的には単年度主義であるから、一年間でまかなうのが基本とされている。
ただし、近年では複数年にまたがる継続費もでてきていることから、
原則と運用とが表裏一体で動いており、厳密なルールとは言うことができないだろう。
予算編成には政治的な駆け引きがあり、
それぞれの利権機関による予算の分捕り合戦をまとめる、妥協の産物である。
予算機能としての会計統率機能では国家予算の内訳を無駄なく活きるように配分し、
行政機能ではそれを有用に使うようにする機能がある。
財政政策機能は国家予算の使い道の順序を決め、
法的機能では法律をもって予算の使い道を監視しているのである。
経済政策的機能は政府が抱えている課題を
どのように予算執行のなかに反映させて問題解決を図ってゆくか、ということだ。 政府は一般会計、特別会計、政府関係機関予算、
特殊法人・許可法人予算という複数種類の予算を持っているが、
一般会計から次にゆくにつれて国会などのチェック機能も弱くなってゆくので、
問題があるものはわざと一般会計をはずして特別会計にするなど、予算隠しをしがちなところがある。
日本の国家予算作成には各省の課単位が毎年5~6月ぐらいに要求する数字をまとめ、
それを課から局、官房、省・府が取りまとめて、全大臣の閣議での最終決定という流れをとるが、
もっとも大事なのは最細単位の各省各課単位で決める時期であって、
何故ならその上や、上の上になると下から上がってきたものをあまり議論せず、
ただ黙認するだけの傾向があるからだ。 これが日本の国家予算の内訳を決める大事な仕事かと思うと、涙が出てくる。
あるいは、結局は省ごと課ごとの予算の分捕りあいの調整になっているので、
実情とはかけ離れたところで削減されたりするからだ。
通常国会や予算委員会、会計検査院などでは限られた時間の中で、
十分な時間をかけて審議されることなくスルーすることが多いのだ。
日本の財政投融資では、国の資金運用をしている。
郵便貯金や年金貯金、簡保などは国民を担保とする資金運用だったが、
郵便局の解体によって変動していった。
税金は無償、財政投資は有償であるが、この財政投資は第二の予算確保として財政策の一環である。 金融公庫・道路公団・技術開発・国際協力など民間ニーズのため、
国家は40兆円ほどを投融資しているが、この財政投融資は補正予算で追加することもできるし、
無駄を省いた国家予算の内訳割り当てなのかどうかは疑問が残るところである。
中央政府と地方自治体の税制を見てみると、中央政府は防衛や外交というものを担当し、
地方が生活に密着した行政サービスを行う。
仕事の割合としては地方自治体のほうに大きな割合が分担されており、地方には地方ごとの多様性があるのに、
日本では中央集権的な財政がなされている傾向が強く、
中央から均一的に予算が配分されるために格差が表面化せず財政不足にはなりにくい。 一方でこのことが中央政府のほうに強い権限を与え、
地方は中央の顔色をみながら活動しないと予定されていた国家予算がもらえない、
ということがありながら仕事をしているのでそこに無駄が生まれる余地がある。
税源移譲という動きがあり、それまでの中央政府に税収が集中的に入ってくることから、
少しずつではあるが都道府県や区市町村に直接入ってゆく税額は増えている。
消費税も5%のうち、1%は直接地方におちるようになった。
ただし、日本の地方税収はヨーロッパ先進国と比べて遥かに低く、
日本国家予算はいまだに中央集権的な税収方法をとって、中央が権限を持って地方に分配し、
そのことで中央が国家全体をリードしようとする姿勢が見え隠れするのである。
近年では地方分権を推進しているとはいえ、日本はまだ中央集権的国家の色合いが濃い。
今でも中央政府と都道府県が同じ行政で重なっている点があり、無駄はある。
税財政の分配権利は中央政府が明確な権限を持っていることによって
地方の独自性が出にくい体制になっているし、地方からの分配根拠もあいまいなのである。
中央便りの地方では、地方税収減の乏しさにつながっている。
将来的には各地方がいかに独自性を発揮して健全な地方財政を確立するのが急務であり、
中央からばら撒かれるだけのスタイルの打破が
中長期に渡る地方財政健全化の道であると思うのだよ、私は。 日本の国家予算の内訳、そこに潜む悪魔をあなたにも伝えよう。
表向きの国家予算とは、「一般会計予算」の80兆円。
裏の国家予算とは、「特別会計予算」の380兆円。
ほ~ら、もう意味分からなくて、頭の中が混乱しちゃった。
事実だけ整理するとですね、本当の日本の国家予算って200兆円ぐらい。
国会でちゃんと審議される(=使途明確)のが80兆円のうちの約40兆円。
国がナイショで使っちゃうのが、160兆円。 一般会計予算と特別会計予算は互いに重複したりして、もう訳が分かりません。
とにかく最後の内訳として、日本の国家予算って200兆円。
国民が知っている国家予算は、そのうちの20%、40兆円ぐらいね。
他の160兆円は、国が国債発行や公共事業で使っている数字。
政治とはお金の使い道を決めること。
元々は戦争の時代に軍事関係費用を密かに計上するためのシークレットシステムが、
なんと現代でもこんな不透明な使い道をしているのです。
世の中ではエコだ省エネだというけれど、 なにせ200兆円の日本の国家予算の内訳。
ここにもっと大胆な改革のメスが入れば、 巨額の削減・改善ができるわけです。
だからいつも目線は広く高く、エコは大事でも、もっと大事な改善可能性が国家予算にはある。
国民に200兆円という数字を見せないようにしているのにも、何か言い訳はあるのだろう。
けれど、そんなの真因を突き詰めれば、もろくも崩壊する虚像に違いない。
怖くて怖い日本の国家予算の内訳、世の中は真実だけじゃない。
国家予算の内訳には、悪魔が住む。 国家予算の内訳をチェックすべく、日本の国家予算の内部へ旅をしようと思う。
政治というものは、つまりは、お金をどう使うか。
だから国家予算の内訳には日本政府の活動そのものが体現されているのに、
いわゆる日本国民一般には、国家予算の内訳を議論する人は少ない。
日本の国家予算の内訳には、そもそも凄い魔法がかけられている。
総額200兆円という数字を聞いて、誰もが現実的に理解ができない。
あたかも夢幻、ほんわりとした童話とか、イメージで語りすぎる神話を聴いているかのよう。
まぁあなたもそのフワフワの一人なんだろう?
いいかな、ここではたった一つ、国家予算の内訳にみる防衛費について覚えていってくれ。
防衛費なんて難しいと思ったなら、ちょっとプリンでも食べた気になってリラックスするといいさ。 日本の国家予算の総額は200兆円。
そのうち、防衛費は4兆円で、全体の2%の比率。
あなたに直結する農業補助費は5.5兆円だから、防衛費って、農業並みに予算が付いている計算ね。
ほら、この数字だけで、あなたの体内の血は逆流しそうだろう?
国防が大切なことは誰でも分かるけど、この金額の妥当性・必要性がまったく見えないから、
むしろ農業のほうが国民の目線に立ったら必要不可欠だって、それは誰もが思うことだよね。
明らかに改善できる余地があるよ、この国防費の多さは。
素人目には、こうした国家予算の内訳には理解ができないことばかり。
専門家から言わせれば根拠あっての内訳・金額だろうが、そこに国民からする納得感はない。
覚えて欲しいのは、こうした不透明な数字が踊るのが日本の国家予算ということ。
ミステリーの旅、日本の国家予算の内訳。
そこに潜んでいるのは、日本国民を救うための天使か、それとも暗躍する悪魔か。