本能寺の変での明智光秀の進軍ルートを走ってみた。
丹波亀山城から山陰街道で25km、織田信長のいた京都本能寺、それから織田信忠のいた二条城まで。
諸説あってどれが本当か分からないのが本能寺の変だが、自分の足で走ってみて、その歴史に触れたい、何か感じるものはあるのかな。
亀岡駅前にある明智光秀公の銅像からスタート、丹波亀山城の北の堀・南郷公園。
南郷公園は美しい、この内堀を隔てたところが丹波亀山城の本丸(この記事の一番下に丹波亀山城の写真あります)。
丹波亀山城の大手門跡、形原神社。
城下町に入っていく、亀山城移築城門とあるが屋根瓦にちょっとそれっぽさがあるぐらい。
ミラーに映った私の今日のランニングファッション。
402号線(王子並河線)をまっすぐ東に走っていく、ここが山陰街道。
真っ直ぐの山陰街道を歩いてきた旅人たちは、ここで亀山城を目にするのだ。
交通の要所にあり、規模が大きかったという丹波亀山城、それを肌で感じた。
あとはひたすら真っ直ぐの道を走っていくだけ、この一帯の山陰街道が真っ直ぐなのは、丹波亀山城の威風を引き立てるため。
京都市内から山ひとつ隔てただけなのに、亀岡一帯は長閑な景色ね。
篠村八幡宮は足利高氏(尊氏)の倒幕挙兵地として名を知られる。
それよりも地方神社の美しさが詰まっていたので、すっかり走りを忘れて思い切り写真休憩タイムを取る私。
旗立楊、足利高氏が自分の所在を示すために旗を上げたと。
本能寺へ向かう明智光秀がここで重臣たちに、本当の目的が織田信長だと初めて伝えたと言われる。
そしてその戦勝祈願をしたとも伝えられる、僕もこのランニング旅が叶うようにと願っておいた。
山陰街道の篠町あたり、道脇に用水路が残っていたので美しくて写真を撮る。
京つけもの もり 亀岡漬処で給水して、通りがかったお店の人に挨拶、ここから細い道に入っていく、右の402号線とはおさらば。
占い石を通って、森というか山道に入っていく、唐櫃越えへの分岐点がこの先にあった。
唐櫃越で軍を分けて進軍したのかな、万人を超える行軍なのだから唐櫃越が副ルートと信じて、僕は山陰道ルートを走る。
振り向くと亀岡市方面。
ところで最近のランニング練習の成果で今回のRUNでは全然疲れない、余裕で走りを楽しめるほど。
数百メートルだけだが、9号線という大きな車道の脇を通る、歩道がない死地なので足早に通り過ぎる。
上の脇道に素早く逃げ込む、老ノ坂峠/首塚大明神 方向の細い道ね、車が多くてなかなか渡れなかった。
あとは平和な舗装道、竹林や山道深くなってきて、老ノ坂峠を越える。
首塚大明神という恐ろしいネーミングの神社、山奥にあるから更に怖い。
その首塚大明神の先が紛らわしい、舗装道が終わって、トレイルを進むのにあなたは躊躇するだろうがそれで正解。
こんな高架下が正しいルート、しっかりした案内はないのでこの写真を目に焼き付けておいて進むのだよ。
京都霊園の横の舗装道を一気に駆け降りる、もう道ははっきりしているから迷うこともない。
京都成章高等学校を過ぎて、9号線のラブホテル街に来たら、道を渡って向こうの142号線に入ろう。
いよいよ京都に入ってきた感が出てくる、洛西の住宅街をひたすら走るのみ、とはいえ山陰街道なので遺跡らしい目印がある。
樫原陣屋跡、さすがは街道沿いの宿場町。
畠川、別名「明智川」と呼ばれるもの、光秀公の善政が残る場所。
そう言えば丹波亀山城スタートして、ここで初めて明智光秀っぽいものにしっかり触れた。
松尾七社之一、大宮社の手水で、手と顔を洗ってリフレッシュ。
こうした素敵な場所が点在しているところに、山陰街道を感じる。
地蔵寺の境内があまりに美しかったので、走る足を停めて、写真を撮った。
桂橋で桂川を越える、この辺りで明智光秀は全軍に「敵は本能寺にあり」と伝えたらしいね。
愛宕山大権現、明智光秀にゆかりのある信仰の山ね。
七条通りに入った、いよいよ京都中心街を走る、当時はこの辺りから本当の「京」の雰囲気なのかなぁ。
場違いな街中ランニングを続けていて、西本願寺まで一気に。
龍谷大学の重要文化財と新緑が美しい。
修復されたばかりの唐門にはびっくりして数分も足をとめた!
本能寺はすぐそこなのに、敵を前にして、僕は西本願寺へと寄り道してその大きな、美しさに観光してしまう。
20kmぐらい走ってきてほどほどに疲れて、ゴールしたい気持ちもあったけど、西本願寺の美がダダ漏れなので写真が止まらない。
ランニング観光の自由さ、勝手さ、それで西本願寺を満喫。
ようやく油小路通りへ、この一方通行を北上すれば本能寺だ。
織田信長はもうすぐそこ、気を引き締めて最後の戦いの場へと走っていく。
そして本能寺跡へと到着!
25.5kmを4時間18分もかけて走った、1km平均10分、このゆっくりペースは写真撮影&観光が含まれるから仕方ないね。
老ノ坂峠あたりは登りだったが、あとはほとんどフラットな道、ちゃんと走ったら3時間ぐらいかなぁ。
もう一つの本能寺跡の石碑にもタッチする。
本当の本能寺はもう1ブロック北にあったらしいので、その本能公園にも挨拶。
信忠がいた二条城まではすぐだった、この距離なら本能寺の後ですぐ追撃できただろう。
いや、むしろ、「何故、信長は二条城に入らなかったの?」の疑問の方が強く残った。
二条城の堀沿いを走ると、楽しさが溢れてきた。でも、疲れよりも空腹に耐え切れずランニングもおしまい。
丹波亀山城〜本能寺〜二条城のランニングは楽な道で、見所多い古街道だった。
他にも古街道は幾つもやってきたけど、歴史ロマンに溢れるコースで、
何よりも明智光秀と織田信長というビッグネームに触れられる本能寺の変ランニングは、時間とって走る価値があったな。
丹波亀山城の写真、これは走り終わって亀岡駅に戻った後、フルサイズカメラで撮ったものだから画質が良い。
宗教法人の管理下にある丹波亀山城跡、観光客が見れるお城らしき遺跡は、正直この石垣のみ。
下から3分の1は穴太衆による現存日本最古の穴太積み石垣だという、確かにここは素晴らしい!
本丸入口跡という門、新緑の素晴らしさで写真映えがすごい。
石垣からお花が出ていて、その美しさが際立っていた。
内堀、当時は空堀か水堀か分かりませんが、その跡ははっきり残っていた。
この季節はカキツバタがお見事でした。
木橋はその昔もあったのだろうか。
石垣に残る、天下普請に携わった藩の印、必死のアピールが今も残っている。
石の矢跡がはっきり。
広角レンズで撮った石垣。
門構えは美しい、もっと言えば管理された丹波亀山城跡は素敵だった。
破城の後、ボロボロにあった丹波亀山城跡を買い取って再整備してくれた宗教法人さんには感謝したいね。
天守や本丸の中心部には入れないけど、丹波亀山城がかなり大きな城郭だったことは分かった。
実は藤堂高虎が縄張りをした丹波亀山城、その天守は今治城のものを移築したとか。
西から京都を守る最後の砦が丹波亀山城だったのでしょう、それは納得。
まさかその丹波亀山城から本能寺へ向かった明智光秀、その動機やらは一切謎に包まれている。
この本能寺の変ランニングでも、光秀の心は察することはできなかったけど、1日あれば本能寺を襲撃できる距離なのは分かった。
夜の南郷公園お散歩は心地良かった。
明智光秀公、あなたに触れた丹波亀山城跡と本能寺の変ランニングだったよ。
僕の人生の貴重な1ページになった時間でした。