「兵数は武田家の倍で20%の勝率に相当。戦略は上がり目の織田家と下がり目の武田家で20%。
3重の馬防柵で10%。鉄砲で10%としたいが、天候次第で0%になる。
まだ50%の勝率しか私には見えていない。
光秀、まずはここまで、君の直感ではどうだい?」
手短に言うと、信長は光秀の意見を促した。突然の言葉と数字の羅列。
それだけで光秀は解読できることなの?
「いいね。後は残り半分の切り崩し方か。
雨は人の力で左右できなくても、鉄砲の10%は知恵で確保しよう。
加えて、敵の調略で10~20%は稼ぎたいところだ」
一息空けるとすんなりと言い返した光秀。戸惑いの色はない。
岐阜城での軍議の後、しばらく時間を置いて信長と光秀が一対一で向き合っていた。
狭い部屋、薄明り、無音、紙と筆。密議のつもりなのかな?共に表情は生き生きして見える。
「一言目から難題を返してきたね。同意見だ。ただ、雨も調略も苦しい。敵に手は打ってあるが、裏切りのサインを示してきた者がいない」
「戦略はこちらに利があるのに調略が通じない?常道外の相手だ」
「そうだよ、武田家とのこの戦では勝敗の駒に限りがあるようだ。それはともかく、全要素を合わせて勝率を80%まで上げなかったら開戦はない。ちょっと、円に描いてみてよ、光秀」
優しい面持ちで信長が尋ねると、光秀は嬉しそうに筆をとった。
「よし、今の状況を紙に落としてみよう。この瞬間、俺は生き様を感じるよ」
そう言うと光秀は円グラフを描き始めた。
兵数20%、戦略20%、馬防柵10%で50%確定。調略20%、鉄砲10%、不足20%で50%が未確定。
二人は覗き込むようにして〇に指を這わせる。
「ひとつひとついこう、信長。倍の兵を揃えると言ったけど、倍あればそれだけで勝率50%をカウントしてもいい。毎回の君のこだわりだから尊重するとして、厳しいよ。20%はとても低い評価だ」
「光秀、そこはね。戦は多くの命のやり取りになるから、甘い算段はしたくない。私のこだわり。3倍集めれば40%の評価をしてもいい。ここから更にどれだけ集めるかは考えておくよ」
平静の中の言葉なのに、信長の主張は恐ろしい中身。
野戦では倍の兵力差があれば確信的な勝因になるはずが、信長の評価はたった20%。一体どこからそんな厳しい判断を持ってくるの?
光秀もこの点はもう少しポイントを加えてもいいのではないかと思う。武田家という格別の強敵を考慮して若干の減点はあり得るとしても。
兵数を揃えることの工数と費用を考えれば、それが勝率20%にしか評価されないなど、他の部将たちが聞いたら怒りそうな話だ。
それでも、信長コンピューターが算出した数字を割り増す必要はどこにもないと光秀は分かっていた。数値化される勝率。信長には実績がある。軍師いらずの君。
「戦略の20%は妥当だと思う。この先、織田家は黙っていても勢力が拡大していく一方、武田家は尻つぼみだから戦機は織田家にある、という理解で正しい?」
「正確だ、光秀。それが何を呼び込むか。私たちは戦場に出ても、好機がない限り開戦せずにすむ。調略成功の確証を得た後で戦えばいい。雨が止むまで待って鉄砲を活かせばいい。三河と徳川家を守るだけでいい。他方、武田家はどこかで突撃し、勝ちをもぎ取らなくてはならない。膠着の後で損害なく甲斐に戻ったとしても、状況が好転しないことぐらい、勝頼も分かるだろう。逃げは彼らの滅亡に等しい」
朝倉家・浅井家は討った。将軍足利義昭を追放し、長島一向衆を制圧したことで、石山本願寺は弱体化させた。織田家にとって直近のライバルは武田家を残すのみ。その武田家にしても、絶対的主柱だった武田信玄はもうこの世の人ではない。
それは信長にも弱みはある。
今回こそ徳川家を救わないと東の守りが崩れてしまう。昨年の武田家侵攻では、高天神城への援軍が間に合わなかった。50万石の徳川家が130万石の武田家を自力で防ぐにはそもそも無理がある。徳川家を窮地に追いやって、両家が和睦でもしたら困るのは信長だ。
織田家を500万石の超勢力まで拡大させた一番の原動力は、信長の独自性。君の感性を信じることだ。下の誰からの突き上げもない絶対的な君主、しかし常に楽観や油断はなかったと家臣が口を揃える。プレッシャーは君自身が課していること。
ねぇ、信長。君はいつ誰にどこで習ってそんな総合力を得たの?
どうしたら聞き出せるのだろう。光秀は今回も口に出せなかった。
君臣の間柄を越え、異様な絆で結ばれた同志だとしても、そんな会話は不要かな。俺たちには勝ちという冷徹な結論さえあればいい、途中の細かなことには興味ない、必要ない。
戦術は当日その場の判断になるから、事前のシミュレーションが大切。光秀は言葉を多く信長に問いかけ始めた。
「ポイントは馬防柵と鉄砲をどう使うかじゃないかな。いくら馬の業に長けた武田家でも、3重の馬防柵が組んである陣に備えなく突撃する愚はしないだろう。武田家にも相当数の鉄砲はあるから重要性は承知している。鉄砲で長槍隊を怯ませ、その隙を突いて騎馬が道を開く戦法は武田家も同じ。だから・・・」
「鉄砲3,000だぞ、光秀」
遮った信長の一声。
「!」
それは光秀も声を出せなくなるぐらいのサプライズだった。
200丁を入れた長篠城でも徳川家にある鉄砲の大半をつぎ込んでいるし、1,000丁もあれば相手を寄せ付けない最高の武器になるのに、その3倍の鉄砲を信長はどうしたと言うのか。
天文学的数字を耳にして光秀は少しの疑いを持った。水増ししていないか?8年前、稲葉山城制覇の時で1,000丁だったはず。
言葉を発せなかった光秀に、さすがの信長も何かを感じたらしい。
「本当に鉄砲3,000丁だ。各地の守備に数を割いた上、硝薬も撃ち手も整え、次の戦に持って行ける実数の鉄砲が3,000だ。鉄砲に期待するものは、音による敵への威嚇、味方が騎馬隊を怖がらなくなること、この二つの心理面だけ。驚いたのか、光秀?」
「それは驚くよ。信長、そういう発想はどこから出てくるの?3,000丁もの鉄砲をどう活かしていいのか、俺にもすぐにはイメージできない」
光秀の声は震えていた。そんな大数、誰に相談すれば叶えられる夢なの?虚構じゃないの?自分の目で見たの?
いや、待てよ。
とてつもなく嫌なことに光秀は気が付いた。その桁外れの3,000丁の鉄砲を活かしたとして、たった10%の勝率だと信長は言い切ったのか!それも鉄砲による直接攻撃は計算外?発砲音が両軍へもたらす心理効果しか期待していないだと?
もう光秀にはワケが分からない。
3,000丁を叶えるハードルの高さと、10%の評価の低さ。バランスを欠いたそのふたつを思うと、光秀は眩暈がしてきた。
「光秀は一言目に鉄砲を活かせと言った。どんな感覚なのか教えてよ」
信長が興味深そうに聞いてくる。3,000丁ショックからまだ立ち直っていない光秀だったが、ゆっくりとした説明を自分の脳に任せてみた。
「同等数の鉄砲しかないと武田家は思っているはず。1対1.5や2の違いはあっても、1対5や1対10になるとは想像していない。鉄砲の効果は相打ちというか、大差はない、勝敗を左右するものではないという認識だろう。すると騎馬隊で戦国最強を喧伝する武田家は、突撃の機さえ得れば勝ちを呼び込めると過信する。誤認する」
努めて冷静に、光秀の脳はしゃべってくれた。
「良い読みじゃないか、光秀。その騎馬隊を防ぐのが馬防柵で、私は通常の3倍、馬防柵を3連にして構えるから、騎馬隊の速度と威力を削ぐ。鉄砲で直接殺傷できる数は期待外、一斉射撃で相手に大打撃を与えられる時代はまだ先。今回は鉄砲の音が心理面で優位に働いてくれればいい。そこまでいってようやく、兵数の多寡に勝敗が転がってくるはず」
信長は慎重。それでいて、知恵と根気を絞って負けない戦略・戦術を創り出そうとすることに大胆。白と黒、水と油を兼ねる。
光秀は特異なアイディアに走るタイプに見えて、小心者で常識人。
流儀が違うため、二人は互いを永遠に分かり合えないことを分かり合っている。ただし、異なる道順を辿ろうとも、双方が真剣に織田家を考えていることを理解し、尊重し合う仲になった。
「武田家の主軸は長槍。馬と同じく飛び道具で圧倒しないと面倒な相手だ。馬にだけ有効ではないよ、鉄砲は。足軽は音で脅せば、前に出れなくなる」
「突撃してくることが間違いない強敵をどう受け止めよう?雨で鉄砲が使えない時に当たったとしても、必ず勝つ方法。3倍の馬防柵というのも前代未聞の戦術だが、きっと他にも何か上乗せできるはずだ。互いの考えを話す中で先が見えるよ、信長」
二人でガチャガチャ言い合えば才覚の欠片が出る。その過程では愚かな事を言っても構わない。良策を出す議論とはそういうものだと光秀は思っている。
「光秀、やはり工夫の余地がある。ここぞという時に敵を調略で崩したい。外部からではなく、敵内部から破壊させるほうが簡単なはず。調略だろうよ、決定的な一打は」
「調略なしだと、敵の突撃は無制限に織田家を襲う。相手に致されるままではいけないね。君が言うように誰かに武田家の足を引っ張ってもらおう。調略は強力に進めるのが得策」
「よし。調略の必要性は符合した。あとは突撃に抗する緩衝材をどう強化するか」
「今一度。俺たちから正面衝突を受ける必要性はどこにもない。罠を仕掛けて待てばいい。引き分けは織田家の勝ち。時間さえあれば四方に領土を広げ、圧倒的な力差を得ることができる」
「その考え方だ。攻めなくてもいい、負けないように防げばいい。鉄壁を敷くまでさ、光秀」
光秀は信長の言葉に納得していた。その考え方さえ軍議で細かく説明してくれれば部将たちも納得できるのだが、この君主の良いところであり悪いところ、自分一人の腹に秘めて開示しない。自己本位、あるいは自己管理。
見方を変えれば、信長一人の頭の中で戦略も戦術も組み立て切るのだから、情報漏洩が起こることがない。味方の裏切りを防ぐという意味では最高の方法だが、それは常人にできることではない。
急拡大している織田家のかじ取りの大半を一人の頭の中で行うなど、スーパーコンピューター並みの能力が必要とされる。
光秀にしゃべるのは、重臣の一人としての明智光秀に話しているのではなく、意気投合した友垣である光秀に話しているまでのこと。
軍師不要のトップ、ただし最後の結論は決して間違わない当主を織田家は持っている。
「なるほどね。守り前提であればシンプルじゃないか、馬防柵の中で鉄砲を頼りに守勢に立つってこと?」
「そう。野戦ではなく、籠城戦をする」
信長が頷く。この男はまた何か唐突なアイディアを持っているようだ。
「籠城戦!また新しい説を出してきたね。野戦なのに籠城戦?倍の軍勢があるのに?聞いたことがない。だが、それであれば陣を敷く地形が勝負になる。目星はあるのかい?今からでも誰かを派遣して探せば遅くはない」
「先駆けて2月から佐久間信盛を通じて調査済みだよ」
涼しい表情で言い放つ信長。光秀の上を通り過ぎて、空へ天へ。
「えっ?もう場所も決めているの?」
「そうだよ、設楽原という窪地に決めている。山と山の間、狭い盆地の真ん中に小川が流れている。両軍はそれぞれ東西の山に布陣して対峙する。武田軍は山を下り、川を越え、沼田を駆け上がりつつ私たちの馬防柵に攻めかかるイメージだ」
「また凄いぞ、信長。我々は野外に居ながらにして籠城をするシナリオを最初から描いていたのか?」
「そこまでは読み切った。籠城で耐えた後、敵の退却を待って追討で成果を上げる。君はどう評価する?」
光秀には驚きしかない。単純に倍の兵数を動員することと、鉄砲を多用することで勝利を呼び込む策かと思いきや、加えて野戦での籠城を考えているとは。
そんな都合の良い戦い方ができるとも限らないが、今の織田家と武田家の立ち位置を考えれば無理とも決め付けできない。織田家は自ら攻める必要がないのだから。
話が違ってくるぞ、勝率を読み直さなくては。
瞬時に再計算した光秀が強化策を投げかける。
「信長、そこまでの備えがあれば勝つ確率はもっと上がっているぞ。更に上げる方法を2点言わせてもらおう。1点は絶対に雨が降らない時に決戦日を設定すること。もう1点はその設楽原に伏兵をすること。倍の軍勢でも武田家には同程度しかいないように見せかけよう」
これには信長も首を捻って言い返す。
「無茶を言うなぁ、光秀。人間が雨をどうやってコントロールする?理論の限界まで踏み込んできたか。2つ目の方は、戦直前になら窪地に兵を埋伏することはできるが、行軍中は隠せない。民を通じて情報は武田家に入ってしまうのが道理じゃないか?」
「そこだよ、信長。不可能をまた可能にしてくれ。さっきの君の話からすると、俺たちから戦う必要はない。雨の日は野城に籠り、晴れの日に決戦となるように仕組む。もしくは晴れの日に初めて野城に着いて決戦する。理論的にはこうなるけど、現実に置き換えるとどうだい?」
「光秀の理論。現実では不確定要素が残るかな。決戦を仕掛けることはできても、“雨ではない日に”決戦日を設定するには何らかの強制力が必要だ。籠城はできる。野城と馬防柵と鉄砲で、負けない線は張れる。あとは武田家に決定的な打撃を与える総当たり戦を呼び込みできるか、土壇場の判断になるだろう」
「天候に詳しい地元の方にアドバイスをしてもらいつつ、行軍のスピードで調整しながら設楽原に着く日時を設定しよう。大軍であることを隠そう。隠せないのなら饗談を放って兵数を過小に吹き込もう。戦国最強を謳われた武田家に怯えている素振りを演出しよう。織田家は各地の防衛に手一杯で、この戦に本腰を入れて来ていないと思わせよう。武田家を油断させよう、増長させよう」
どちらが主君だか分からないような発言を光秀がする時もあるが、信長が気に留めることはない。話し合いの末に良い案を出すことだけが興味のようだ。どうやらこの二人にしか分からない特別な水の流れがある。
もっとも、諸将が並ぶ軍議の場で織田信長と明智光秀がこうした態度を取ることはなかった。密室で膝を突き合わせる時だけ、信長と光秀はスタイルを変える。
「油断を誘う、か。分かった。油断で崩すか、裏切りで崩すか。どちらかで10%は追加したい」
「後ろからの寝返りを期待したいな。一番簡単に敵を崩壊させられる。しかし、乗ってくる者がいないとは、流石は信玄公以来の武田家というところか」
「手強いよ、信玄公。死んでもまだ生きている。私は彼が怖かった、心底怖かった」
茶を飲み干しながら信長が呟いた。彼にも、怖いものがあったのか。
「さぁ、俺たちはもうゴールに近い。改めて数値評価するとこうなるよ」
別の紙を取り、光秀が円グラフに文字と数字を書き込む。
兵数20%、戦略20%、野城10%、馬防柵10%で60%確定。調略20%、鉄砲と雨10%、敵の油断10%の40%が未確定。
光秀が書いた〇を見て、信長は不満気な声を上げる。
「60%か。最低80%に到達していなければ開戦はないから、ギリギリだな」
「ギリギリ?甘く見積もって勝率60%なのに、それをギリギリと言われては後が苦しいぞ。決して負けることはないのは納得かな、信長。80%に達しなければ野戦籠城を続ければいいだけの話だ。勝率60%は織田家が負けない可能性=武田家に壊滅的な打撃を与えられる可能性が60%の意味とも取れる」
「そうだね、光秀。裏を返せば、60%は引き分け以上・大勝利未満の可能性を示すのか。負ける可能性が40%ではないね。桶狭間や姉川での戦いを考えれば数字は悪くはない。あとはどこで積み上げるか。ここからどこまで追い込んでいくか」
朝倉家・浅井家との姉川の戦いでは勝率70%、今川家との桶狭間の戦いでは勝率50%、それが自己評価だったと以前に信長は言った。どちらの戦いにも光秀は参加していないから詳細は判断できないが、不思議なのは姉川では辛うじて勝ち、桶狭間では大勝していること。
大国になるほど、想定勝率を上げてからではないと決戦しない信長。失うものが多くなってきた証拠か。
「出陣することは決断している。正面開戦するかはこの先次第だけどね」
明言する信長を見て、光秀も腹を決めた。勝率を数値化して、道を誤らせないのは俺の仕事だ。
「俺も一緒に、決戦時までには90%から95%へ引き上げよう」
「光秀95%。いいね。95.0%か、95.9%かは問わない。頼りにしているよ、光秀」
そう言って信長は微笑んだ。
「君に安心してもらえるなんて、今を生きている価値があるな、俺も」
つられて光秀もリラックスした表情を見せる。
今日の知恵合わせはこれまでのようだ。月が西に流れるように、自然な仕草で二人は離れる。
こんな充実感、街の酒屋で散々飲んでもないよ。納得の和歌を詠んでもないよ。
家路をたどりながら光秀は信長の考え方を振り返っていた。
手堅い信長の判断。兵力に倍の差があれば、もう勝利間違いないと誰もが思う。しかし信長の軸は、倍の兵力差で勝率20%、3倍で40%。
それこそ、姉川では1.5倍の兵力差で圧倒していたはずが苦戦の上の勝利となったこと、桶狭間では総兵力10倍と言われた今川家を破った信長自身の経験を踏まえて、「兵力差はひとつの判断材料でしかない」という信念に行き着いたのだろう。
信長は大ばくちの戦を二度とやらない。桶狭間の戦いを自分に都合の良い前例とはしない。経済差・物量差で勝つのを基としている。彼が彼の半生から得た教訓だ。
この辺りは信長が存分に才知を発揮しているところ。並みの君主ではない。俺は冷静な数値評価を与えることはできるが、こうした組み立てを一人でできてしまうところが、織田信長という稀代の将の能力なのだろう。
出陣直前になり、 「軍勢を増やせ、武田家の2.5倍まで引き上げろ」という信長の絶対命令が発動されたことで、宿老の佐久間信盛と林秀貞は頭を抱えていた。断ることができるルールなど、織田家にはないのだから。
宿老の二人の理解は、武田家の倍の軍勢を率いた以上、どう転んでも負けるはずがない、という点だけに立っていた。それは当時の常識でもある。
2.5倍の意味は光秀だけが分かっていた。不確定の多さを埋めるための手段、これで2倍の20%と3倍の40%の中間、勝率30%を兵数で稼いだことになる。
本来数値化できないものを数値化してしまう信長と光秀の着想はいびつなもの。賢さでは定評のある羽柴秀吉でさえ、本能的な勘で勝つか負けるかを判断するだけで、パーセンテージに換算することはない。
軍師が存在しない織田家、その組織戦略は信長の脳症だけに任されていたといってもいい。そこに驚異の突破力、独裁政権ならではの判断の早さがあった。
織田家3万の軍勢は岡崎城に向けて出発した。
同時に、尋常ではない数の木材が美濃一帯から岡崎城へ、大量の鉄砲と硝薬が堺や各地から岡崎城へと運ばれていたが、その光景を目にした民は戦と直接関係があるものとも理解しなかった。楽市楽座で商業的成功を遂げている織田信長が何か新しい商売でも始めるのかと考えた。
戦で使うにしては度を越えた物量にする発想の突飛さで、信長は民の目を欺いた。
織田家の進軍は速く、6月21日に岐阜城を出て、熱田神宮で戦勝祈願をしつつ、岡崎城までわずか2日で着いた。距離が70kmだから、時速4kmの行軍では結構な速さになる。だが、そこから不思議が続く。岡崎城から設楽原までの50kmに3日もかけている。先発隊に工作隊を多く含め、兵より木材を先に通したのは何を意味していたのか。
季節は6月下旬の梅雨真っ只中。
牛久保城・野田城を経て設楽原へ着いたのが6月26日。長篠城の陥落は近いと思われたが、織田家・徳川家の出撃を聞いた武田家は長篠城の包囲をほどほどにして反転し、迎撃態勢に変ろうとした。
明智光秀は織田家の左翼に布陣していた。命じられた任務は設楽原に着いたら即時に馬防柵を築くこと。日中に休憩を取り、わざと夕方に着陣すると全兵を動員して3重の馬防柵を夜のうちに造り上げた。
折しも岡崎城からここまで雨続きだった。行軍中も休憩中も露に濡れていて士気は高まらない。
武田家の最強騎馬隊が敵とあって、兵には明るさがない。当主が武田信玄から武田勝頼に変わった点はかき消され、武田家騎馬隊に対する何となくの怯えだけが兵に伝わっていた。
鉄砲の数が極端に多いこと、そして動員兵数がいつも以上であることは兵も分かっていた。遠く雑賀から、丹波や大和からも鉄砲隊が参戦していることが見て取れる。
ただし季節がね。信長様は長く布陣して梅雨明けを待つおつもりか、と兵は口にした。長篠城の落城は近いというのに。
前線を巡回し、地形と地質を確認しながら、光秀は信長に呼ばれる「その時」を心待ちにしていた、案を練っていた。
信長、野城ができたよ、起伏を利用して兵数も少なく見せることもできる。君が思い描いたことがひとつひとつ形になってきている。鉄砲も効果が見えてきた、この野城に3,000丁もあれば、馬防柵と合わせて自分たちを武田家騎馬隊の攻撃から防ぐ壁になることを兵が理解してきた。
なるほど、鉄砲も使い方次第だな。攻めではなく、守りの組織戦術としての鉄砲がこの国で初めて披露される。信長の発想ならではだな。あとは、雨が止むのを待つのみ。
「ダメだよ、光秀。ダメだ、ダメ、%が上がらない。勝てないかも」
しばらくぶりに密室にこもってみると、この天才が弱音を吐いてきた。
「えっ?順当に進めてくれたじゃないか。兵力差を2.5倍にして勝率30%に引き上げ。梅雨は間もなく明ける。長篠城も徳川家も、武田家を食い止めてくれている。何より、我々が来る前に武田家が逃げ帰らなかった。偽報を流してくれたのだろう?織田家の士気は上がっていないと、武田家は噂しているようだ。戦機は熟しつつある」
明るい表情の光秀と対照的に、信長の顔色は冴えない。
「それが、岐阜城を出た時から勝率に差がない。結局、調略はできなかった。岡崎城を出てからここ数日は雨続き。状況はより悪くなっている。本当に雨で鉄砲が使えなかったら勝率は更に10%も落ちて、負けも同然。最悪だ、私は負けるわけにはいかないのだ」
冷静に混乱する信長。
「あとは土壇場の判断になる、と言ったアレが今求められている。さぁ、ここから90%、95%まで詰めようじゃないか、信長」
そう言うと光秀は水杯を取り出し、信長に勧める。戦場では茶とはいかない。
「天気は読める。勝頼が我々に突撃する日を操作するのが先決。仮に雨が降ったとしても、兵数を考えれば圧倒的に我々のほうが有利。突撃は怖くない、問題ではない」
「そうだろう、信長。敵に突撃を開始させたなら、雨が降っていようがいまいが、野城にいて兵数の多い俺
たちの勝ちだ。あとは敵の背中をどう押して突撃を繰り返させるか。調略を武器にできないのは辛いな。決定打を欠き、睨み合いのまま引き分けになるのが最悪のパターンかな。まぁそうなったとしても我々の勝利は揺るぎない」
「変わらず引き分けは織田家の勝ち。勝頼はここで織田家・徳川家から決定的勝利を奪わなければ、あとはジリ貧。武田家の宿老たちもそれを承知していると決めつけてもいい。勝頼は宿老たちに威信を見せないといけない手前、攻めてくるはず。戦況は引き続き私が思い描いた通り」
光秀と議論を交わせば信長は落ち着くじゃないか。もう顔の色が変わっていた信長。
「我々が来たことで武田家は長篠城の包囲を解いて主力をこちらに向けた。最早長篠城が落ちようと落ちまいと関係ない。俺たちの防御力は相当なものだ、負けはないぞ、信長」
「負けはない。そうだ、負けはない。この先も織田家の敵は多い。こんなところで兵を死なせるわけにはいかない。その上で、私は勝ちに行きたい。武田家に割いていられる時間にも限りがある。負けないことを待つのではなく、願わくば守った先に攻めて勝ちたい」
なんと、信長は攻めに転じて勝利を得たいと言い出した。
負けない<勝ちたい。
似て非なるもの。その信長の変化が、勝利の微妙に触れるかもしれないと光秀は感じた。
「膠着して仮に長篠城が陥ちたとしても、武田家が撤退した後で長篠城を取り返せば徳川家への義理は立つ。待てば良い。こちらからリスク含みの大勝負を打つことはあるまい」
「光秀、私たちがもう負けないのは確定だ。あとは勝てばいい。勝てないか?勝つのだ」
ここで信長は光秀の目を見て、今回の本題らしい用件を切り出した。
「調略ができない以上、逆に味方から裏切り者が出るという偽策を立てた。佐久間信盛に武田家へ内通の意思を伝えさせた。高天神城以来、連戦連勝の武田家は鼻息が荒い。過信を誘い出す仕掛けだ」
「5%だぞ、信長。織田家の筆頭家老が裏切るという意外性を出しても、俺には10%の材料とは評価できない。その5%も、今までの武田家の思い上がりを含めてのこと、偽策も合わせて過信で5%を稼ぐのが限界だ。やはり調略がマスト条件か。当日に裏切るか、中立を取る輩もいよう」
「当日の幸運は計算に入れないよ。今川義元の首を討てたことで、私は人生の幸運を既に使い果たしているからね」
その夜も二人で語ったが結果は出なかった。80%の開戦まであと少し、勝率95%には課題が片付かない。
残りの勝率を求める時間はもどかしい。次の一手が出ない。ただし、そこが美しいとも光秀は思っていた。
昔に恋情をぶつけ合った人を思い出し、もう二度と逢えないはずなのに、当時愛し合った寺の裏庭で、今日こそはあの人が再来するとの空想、それによく似ている。
何もないと分かっていても来ては戻り、また来てしまう。無駄で、無駄ではないあの繰り返し。
次に光秀は自分から勝率を捜しに走り回る。
宝探しだよ、こっちの庫裡、あっちの長持ち、いいや、軒下と天井裏も。先入観を捨て、無作為に見て回る光秀は狂人のようだ。
勝率が欲しい。足りないピースを求めて、陰にも陽にも転じる光秀、勝率のためなら。
兵数30%、戦略20%、野城10%、馬防柵10%で70%確定。調略15%、内通偽報・敵の油断で5%、鉄砲と雨10%で30%が未確定。
6月28日の夜、風向きが一変した。
いよいよ翌朝には勝頼本隊が設楽原に来る見込みが濃くなってきた。軍議に上がった徳川家臣・酒井忠次からの迂回奇襲案を信長は一喝ではねのけると、変わらず諸将に防御を命じた。
しかし、軍議の後で密かに、かつ急いで光秀を呼び寄せると信長が口を開く。
「聞いたか、光秀!これで95%になったぞ!」
高揚して話す信長を見て、光秀は遂にあれが成功したと喜んだ。
「調略ができたか!誰だ?誰が意思を示してきたのだ?」
「違う、違う。さきほどの酒井忠次の策だ。あれを採用する。兵3、000に鉄砲500を割いて長篠城の包囲軍を裏から奇襲させる」
光秀は驚いた。ついさっき蹴ったばかりなのに、どうして様変わりした?
「聞いた瞬間に血が沸騰するのを感じたが、とっさの演技でごまかした。存外だった。いいか、勝頼との開戦直後、このタイミングが大事なのだが、あれで武田軍の後方を突く。すると勝頼本隊は心持ち前に押し出され、更に私たちに攻めかかってくる。後に引けないようにする業として、後方からの鉄砲音は心理に響く。3、000のうち500を割く。この星空では明朝は雨なし、奇襲は成功。今こそ佐久間から勝頼に裏切りのサインを出す。それでも勝頼本隊が攻めかかってくるかは分からないが、川を挟んで睨み合うことにはなるだろう。前後に兵を受けたと知ったら武田家が撤退する恐れはあるが、掃討戦で力はそげる。読んだ、勝利は読み切った!引き分けではなく、大中のダメージを与える勝ちが目の前に来た!」
多弁、断言、感情むき出しの信長。何かが彼の心を大きく揺らしたのだろう、勝負師が完全な自信を持ったということは、どういう意味か。
すぐさま光秀は光秀なりに評価してみる。織田家本隊と奇襲隊の前後からの挟撃は10%に値する。調略は失敗に終わったが、揃った。95%だ。
兵数30%、戦略20%、野城10%、馬防柵10%、挟撃10%、鉄砲10%、内通偽報・敵の油断5%で95%確定。
「どうして私はこんな簡単なことが分からなかった?押せば出るのだ、調略で敵から出るのが期待できなければ自分で背後から押せば良い」
「信長。これも賭けだぞ、先手を仕掛けなくても負けない戦いなのに、この奇襲隊が敗れる可能性はないのか?」
「敗れても意味を残す。後方から大量の鉄砲音を聞かせることで勝頼本隊に与えるプレッシャーだ。武田家を前に腰が引けているはずの織田家が奇襲なんて武田家の頭にはない。兵3、000人に鉄砲500をつけるから、この奇襲隊が無成果で終わるとも考えにくい」
調略ができなかったこと、裏を返せば武田家の自信が一枚岩のように固いということだ。武田家を増長させることに成功したと捉えよう。
「君が言うなら。では、95%だ。織田家の勝利は決まった」
光秀がそう言うと、遂に二人から笑みがこぼれた。今夜、95%が目覚めたのだ。理論上の数字が整っただけなのに、まるで天下を取ったかのような喜びの表情。他者には理解し難くも、二人の最高の時間が盛りを迎えたのだった。
場を立った信長は、すかさず徳川家康と酒井忠次を呼び寄る。その後の結果は歴史が語る通り。
鉄砲は武田家騎馬隊を直接壊滅させる戦術には成り得なかったが、野城・馬防柵・鉄砲で固めた織田家・徳川家の守りは堅かった。突撃を繰り返す武田家が成果を上げられず、背後の長篠城一帯から織田家別働隊の鉄砲音が響くと、武田家に敗色が生まれた。その後で織田家・徳川家が逆転攻勢をかけたことで、武田家にクリティカルなダメージを与えたのだ。
95%約束された勝利は、滝から落ちる水流のように、予想と違わない曲線を描き、道理のままになるだけ。
円形の馬場を疾走する裸馬。その首根っこに掴まろうと、飛びつく若者たち。
西三河地方の祭事を見ながら、滝川一益は隣の羽柴秀吉に話しかけていた。
「あのトップスピードに乗るのって、そもそも人間には無理じゃない?個人でどんなに努力したとしても、届かないもの。際限を見せ付けるお祭りだっけ、これって?」
「いやいや、そんなこと考えなくても良いでしょう、一益殿。楽しまないと損ですよ」
「そうだけどね。どうも僕にはあの馬が誰かに見えて仕方ない。追いつけない誰かに」
好奇心むき出しで野次を飛ばしていた秀吉。気になる言葉を耳にして、彼の興味は更に疼いた。
「誰か?はて、そんな馬面の男がいましたかね?」
秀吉がとぼけた振りで聞き返す。
「そっちじゃない。分かるだろう、明智光秀だよ、僕にとってあの馬は」
「突然。何を言いますか、他人のことなんて」
秀吉はニコニコ笑っている。前を向きながら、一益を見ずに。
「あなたは良いよねー、光秀の個性とは違う方面で生きている。考えてもみて。合理的で、調略と鉄砲を得手とし、外様の雇われ部将、結構なところで僕は光秀と被ってないか?」
「あ、本当だ」
今初めて気が付きました、とばかりの表情をする秀吉。知っているくせに、誰よりも見ているくせに。
「秀吉さん、僕は困ったよ。この道にかけては織田家でのパイオニアは僕、能力も筆頭だったのに、今では永遠の二番。僕よりずっと合理的で、裏づけに知性・教養・家柄があるときた。自分が先頭を走っていると信じて疑わなかったのに、突如、遥か前を走り出した新入好敵手」
代々重臣として織田家に仕えてきた家系ではないのに、織田五大将の地位を勝ち取った滝川一益。己の才気ひとつで地位を築いてきたという意味では、秀吉の先輩に当たる。
「一益殿、そう愚痴ることないですよ。あいつは異常人格。俺たち常人が、あんなモンスターになれるはずもない。仕方ないことです」
今度は真面目な顔で秀吉は言った。
だが、一益がそれを真に受けることはない。秀吉さんよ、あなたは人情の機微を悟った怪人なのに、何を言う?織田家の三大クレイジーは、信長の独裁・光秀の合理冷徹・秀吉の行動力だと誰もが噂をしている。
走り疲れて馬のスピードが落ちたところを狙い、祭り人たちは馬の首に飛び乗る。そうだ、その隙を狙うしかないよね。馬が得意になっているうちは手が出せたものじゃない。
明智光秀のデビュー、あの切り口の斬新さときたら。
将軍・足利義昭の上洛を操ることで、武力を天下へ喧伝しようとした信長。織田家は守護職・斯波氏の重臣として名家だが、天下を納得させるほどのネームバリューと、京の文化・伝統に関わるノウハウを持っていなかった。何しろ、天下布武を唱えるぐらいの信長だ、武辺者一辺倒の家臣しかいなかった。
時勢に合った適任者。
清和源氏・土岐家の家格は高い。その支流・明智家は東美濃を居城とする名門かつ武勇の誉れ高い一族として世に知られてきた。
加えて光秀個人には京の天龍寺で学問と作法を得たという経歴がある。織田家に欠如していた京の知性の香り・室町武家の礼式を、唯一持っているのが光秀だった。
将軍家と京を手中に収めることは、織田家の武威を飛躍的に上げ、事実上の武家の棟梁になるために必須。ただし、天皇や貴族、知識層への牽制を考える時、田舎侍では不足がある。
ニーズに合致していた男、それが明智光秀。
織田家に仕官した1年後には、京都奉行を任せられている。こうした光秀の背景と、個人の才能を信長に認められての抜擢。京都関係を担当する職業武将・明智光秀の華々しい登場だった。
武功こそ最上のもの、政治能力は二の次とされたのがそれまでの織田家の風潮。尾張・美濃の二国を治めるだけであれば、信長個人の突出した能力さえあれば事足りたからだ。
伊勢や近畿方面に領地の急拡大を始めた織田家において、それでは限界を迎えていた。政治に明るく、戦略・戦術にも長け、ある地域を委任できるミニ・信長の存在が、何人か必要とされていたのだった。
能力重視。
インパクト大だった、光秀の人事。今までの貢献の積み重ねではなく、実力さえあれば重用する信長の新方針を打ち出すために、明智光秀という外様の新入りは利用価値があった。
美濃を斎藤家から奪った後、郷土の誇りが強い美濃の土豪たちを抑え込むことに難儀していた信長。土岐名門の名を掲げることで、彼らの潜在意識に協力を呼びかけることができるという侮れない効果もあった。織田家では外様の与力だが、美濃にとっては譜代の主筋になる明智の家名。
間もなくすると、光秀の仕官タイミングが絶妙過ぎるという噂を皆が始めた。信長の需要と、光秀の供給の一致は偶然か?必然か?という話だ。
10年仕えた朝倉家を見限って浪人した明智光秀。自分を高く買わせるのは当然の行動だが、最良の瞬間を捉えて織田家に転身してみせた明智光秀に、誰もが納得を超越して嫉妬を感じた。
「あのな、一益殿。上様がこう言ったんだ。私以上に冷たい奴を初めて見た、と」
「それは凄い言葉だなぁ。殿以上に冷徹な人なんているのかい?」
「そう思うでしょう。でも、光秀なら納得できる。合理徹底の自分のやり方が度を過ぎていて、先達の将たちから怒りや妬みを買っているのを光秀も分かっているはず」
「秀吉さん、あなたもあの男には腰を低く話すね。何か異質なものを感じて、実は怖かったりするの?」
一益がけしかけると、秀吉は愛想笑いをしながら返す。
「あいつと俺は交わる点がないので、比較対象にはなりません。怖くはなく、気楽なものです。まぁ、最後には成果の大小で上様から較べられるから、ある意味そっちのほうがキツイかな?」
今や織田家では「合理・冷徹」のレッテルを貼られた明智光秀。行き過ぎた効率化、比類なき能吏、レベルが高過ぎて誰も口出しできない。
「あいつが譜代家臣たちから“記号マン“とあだ名されているのはご存知でしょう?感情というもの、陽気な気配、世話の大切さ、そんなのを切り捨てて、数字や結果だけに生きているのではないか?一益殿もお感じの通りです」
「それはそうだが、」
一益は一度言葉を区切って、吐き出すように続けた。
「感慨を含めず、合理思考を記号のように並べられる彼は一角の大家に違いない。調略成功のためなら、裏切りも嘘も躊躇しない光秀。身から無愛想を放射しても俯くことがない姿勢は、将としては評価すべき。秀吉さん、僕だって織田家に仕え始めた頃は辛かった。ほら、合理を強調して他者との差をつけるやり方だっただろう。あれは普通の人間界では角が立つ。鉄砲という異彩を見せることでインパクトも与えられたが、殿以外からは疎外された。猿殿という変わり者だけは酌んでくれたかな。とにかく、新発想はやりにくい。技で自分が尖ってみたら、他人の角が立ちはだかった。なんだこりゃ」
「一益殿はそこで方向修正をし、中庸を取り、今に至る。生き残る術です。光秀はあの合理冷徹こそ自分が進むべき方向だと強い信念を持ち、軸を1ミリもブラさない。強い男、何がそうさせるのか」
秀吉は立って扇子を振り、祭り人たちに大声をあげながら、その間に一益と会話していた。話し方を器用に切り替えできる人。
「家を守るという責任感がそうさせているのだろうな、秀吉さん。斎藤家から攻められて、明智城が落ちた時の悲しさを繰り返さない。明智家を守るために、他から奪うことに必死。僕だって自家を栄えさせるためなら、大小の罪を犯せる」
なるほどね。秀吉は心の中で呟いた。
つくづく、この世を構成する最小単位は個人ではなく家だ。それは悪いことではなく、普通のこと。俺の人生とは違うだけ。中村村の農民出身の俺に家はない、何もない。妻の寧々ぐらいかな、この世で俺が責任を負っているのは。
秀吉、己は徹底しないとならないぞ。
情に流されれば、相手に致される。それでは後手に回ってしまう。
どうせ、どう生きたところで、この世は生きにくいもの。それなら自分の道だけに生きた方が得だ。一点突破というヤツ。それを光秀は知っているだろうし、俺も知っている。自分の流儀を変えられるものか。
「一益殿、光秀は実利のみを追い求めている感じですな。上様が持つ合理性と向きが似ている。官職には興味が薄い上様、利がない虚名は受け付けない。光秀が織田家の直臣にならず、客将のまま、加えて将軍の直臣でいるのも気にしないのは合理徹底の表れ。体裁ではなく、自分に利をもたらすものが何か、それを突き詰めていくのが得策でしょうか?」
自分に意見を求めているような秀吉の言葉だが、一益はその白々しさを不快に思った。秀吉さん、あなたはそんなことを頭じゃなくて、野性や肌で察知する男だろう。先輩である僕を引き立てるために、自分は分からない振りをする。あなたもまた賢い男、その気遣いは一国や二国を取るかもしれない。
僕だってね。往時は織田家に新世界を打ち立てているという自意識に酔えた時がある。
光秀と秀吉という異端児が侵食してきたことで、今では僕や柴田勝家・丹羽長秀は古いタイプという烙印を押されてしまった。
まぁそれもいいさ。合理性次席に甘んじる僕だが、卑下するのではなく、幾ばくかの優位性に浸りたい。このまま僕なりの進路を貫いていけば、急拡大していく織田家でも4~5番のポジションを得ることができる、まだまだ人生の勝ち組だ。
引いてこられた新しい馬が猛スピードで走り始めた。不可能と分かっていても、若者たちは度胸試しで飛び付こうとする。振り落とされ、脳震盪を起こす者さえいる。危険な行為だ。
観客たちは彼らの勇気を褒め称える。乗れた・乗れなかったかの問題ではない。
あれは伊賀侵攻を遂げた信長が、事後視察で伊賀平楽城を訪れた時のこと。
多羅尾口から攻めた堀秀政と、玉滝口から攻めた蒲生氏郷が当時の戦況報告をしていた。
信長は子飼いの部将二人がどういう意識を持っているかを気にしていた。伊賀を灰燼にせよ、痕跡を残すなと厳命した真意がどう伝わっているか。
いや、信長はあの男との差が出るかどうかを試していたのかもしれない。比叡山延暦寺における明智光秀の立ち振る舞いと、あの策。
「これで不安定な伊賀衆に悩むことがなくなりました。畿内の裏山なのに迂闊に踏み込めない闇を伊賀は500年も保っていましたが、この度の掃討でかき消せたかと」
「織田家の威光に沿わない不明勢力はこうして根絶させるのが唯一の解決策。一向宗徒にしろ、忍びの者にしろ。逃げ遅れた伊賀衆はいるでしょうが、大半が壊滅した今、彼らはもう無力」
堀秀政と蒲生氏郷は納得の表情でそう語っていた。
織田家の若人では能力筆頭の二人、考え方は宿老たちのように固くはない。思いは伝わっている、和睦や一部崩壊で消せない存在なら全滅させるしかないと。
「好いぞ、秀政・氏郷。我々は大将だ。目的完遂のためなら私情は捨てよ。民を虐げることに抵抗はあるが、大将はそれを表立ててはならない。ただ冷たく、事だけを果たせ」
二人をそう諭す信長だが、心底では別のことを考えていた。
光秀の策がここでも生きている!
比叡山延暦寺を焼き討ちにして、僧兵はもちろん、そこにいる人も物も破壊することで勝率95%まで引き上げるという策。
あの時の光秀の提案には、さすがの私も肝を冷やした。
これで何度目の回想になるのか。信長は意識を飛ばし、光秀の口元を思い返していた――。
本願寺と朝倉家・浅井家につながる敵対勢力を比叡山から消すことを、あの時の私は目的としていた。
勝つ意味は80%。敵は少数かつ軍兵ではないから、物理的な勝利は確実。タイミングを間違っていないか、この一手が他所の戦略に悪影響を及ばさないかどうかが勝負のポイントだった。
比叡山を寺ではなく城と捉え、そこに織田家の軍勢を入れることで、本願寺と朝倉家・浅井家の連絡網を断ち切る。その先に、ようやく朝倉家への総攻撃を見据えることができる。
安直な戦略のようで、比叡山を軍事拠点と言い切ること自体が常識外だった。あそこは宗教の総本山であって、城と見なす者はいない。聖域を、聖域と認識しない私の冷たい発想。
しかし、光秀の意見は異なった。
ただ比叡山を押さえるだけでは不十分。延暦寺を焼却し、僧兵はもちろん、関係者を皆殺しにすることで勝率95%まで引き上げるという提案。
兵力差50%・戦況10%・戦術20%で負ける余地はない、という私の読みには光秀も同意。本願寺によるその後の人心操作で、織田家が日本中から仏敵にされる被害としてマイナス30%を光秀は指摘した。
その懸念は正に私も同感するところだった。光秀はその仏敵リスクを排除する方法があると言う。
目の前から物的存在を消してしまうこと。比叡山延暦寺という姿形を取り去ってしまえば、そもそも仏敵とは誰も見なさなくなる。見なせなくなる。どうせ戦うのなら、仏敵にされる寄りどころを中途半端に残すな。それが大衆心理コントロールのあるべき姿だと。
比叡山延暦寺を跡形無くすまで焼き払う?そこにいる僧も民も全て斬る?800年続いた比叡山延暦寺の存在自体をゼロにせよ、という着想に私は驚愕した。
それは確かに合理的な考えだった。信仰心には理由がないと仮定すると、宗徒や民からの恨みが怖いなら、根拠を視界から消し去ってしまえば恨まれることもなくなる。
これまで私が進めてきた将軍権力の無力化となんら性質の違いがないとも話した光秀。
実力を伴っていない権威が私は嫌いだった。天皇・将軍・貴族が代表だが、昔から続く名家と言うだけで威張る者たち。もたらすものは力の一拳ではなく、名誉のみ。米の一粒ではなく、信仰心のみを提供するのが仏教。
全国の本願寺から仏敵扱いされ、戦略上関係ない者にまで逆恨みされることは避けたかった。長島や三河の一向宗徒には何度も痛い目に合っている。今後は加賀宗徒や本願寺との戦いが予想される中、彼らの士気を上げる切欠を作るのは不利。
徹底焼き討ちをし、信仰心の根を粉砕することで、仏敵リスクの-30%を0%に。
なんという逆転の発想。宗教の破壊・特権排除など、非情にも程があり過ぎて、流石の私も躊躇した。業が深い。宗教否定・政教分離という革命、などの美化は成り立たない。ただの虐殺だ。
比叡山を攻めることに、織田家中から反対者が多く出ることは分かり切っていた。織田家にも仏教徒は多い。最高権威の比叡山を自分の手で攻撃するなど、生半可な覚悟では務まらない。攻撃の命令に従わない者さえ出るかもしれない。これまで信長が比叡山を放置していたのもそれが遠因だった。
明智家が先手となって焼き討ちを徹底する、と密会の最後に光秀は申し出た。
片手間での攻撃ではなく、存在を全否定させなければ織田家に仏敵リスクが降りかかることを知る将でなければ先陣が務まらないのは目に見えていた。
今こそ、織田家=完全破壊者のイメージを打ち立てろと光秀は重ねて説く。一向宗徒の団結力を阻止するのなら、想像を絶する仕打ちをしなくては勝ち目がない。比叡山焼き討ちは、織田家包囲網を打ち破ったこと、織田家に歯向かう者は何者であれ容赦しないという究極のメッセージ性を放つ。
光秀の提案、あれは即答できる話ではなかった。合理だが、合理過ぎる。冷徹だが、冷徹にも程がある。隠そうとしても、麻のように乱れていた私の心。
今でも覚えている。
夜半に寝所で幸若を謳い、音楽で自分の心を奮い立てた。あんな恐ろしい判断は、平静の中でできるわけがない。何度も何度もリズムを取って歌い、舞い、様々な角度から自分に問いかけてみた。頭ではない、身体にも聞いてみなくては。一杯の汗をかき、肉体に疲れが出てきた頃、ようやく答えが見てきた。
よし、やろう。勝率を80%から引き上げる手段として適切だから、私は採用する。
勝つ意味は80%、間違えば仏敵となり勝つ意味が50%の結果になっても仕方なしと踏んでいた私だったが、光秀のアイディアは織田家の不利益をピンポイントでかき消してくれる。
私は明智光秀に先陣と焼き討ちを下知した。織田家の部将たちからは予想通り強い反発があったが、冷静に準備を整える光秀の後に従う形で、最後は誰も反転まではしなかった。途中で何ひとつ軟化することなく、シナリオ通りの完全破壊をやってのけた光秀の無表情。
これが比叡山延暦寺攻めにまつわる裏舞台だ。
このことを知るのは私と光秀のみ。以降、私と光秀は勝率95%を積み上げるという共通の目標を持つ友人となった。性質の黒さ・暗さはさておき、戦略として光秀の策が最良のものだったからだ。
いいかな、徹底した合理主義はこの織田信長の特質と後世に伝えられるが、私以上に残忍に人を死地に追いやり、自家の成功を求めるのが明智光秀だ。否定的な意味ではない。両手を挙げて褒め称えるべき、合理の極み。
後日譚がある。
比叡山焼き討ちをやってのけた後、今後の動きを監視するという名目で光秀は坂本城に留まることを諸将の前で私に願い出た。それは近江坂本5万石を自分によこせ、と言っているも同然の要求だった。
あれだけの大事をやったのだ、その後のフォローの必要性は言うまでもないし、先陣を切って事を実行した者が行うのが理に適っている。だから、その通りにするしか私にも選択肢がない。
織田家で初めての万石大名の座を、自作自演で獲得して行った恐ろしい男。見方を変えれば、明智家のためにどこまでも狡猾に深慮を巡らせた光秀。
それほどの鮮やかな指紋を捺して行った男を、私は見たことがない。
光秀と比較すれば、名人久太郎・堀秀政と器量人・蒲生氏郷でさえ、ただ前例をなぞるだけにしか見えなくなる。いいや、彼ら二人だって標準のずっと上なのだ。光秀がいかに突出したものを持っているか。
あの比叡山の件では私からの厳命という盾を上手く使ったが、あんな合理をもし光秀からの発信として実行したら、味方だって誰も付いて来ずに光秀が自滅するのではないか。そんな想像さえ私はしていた。
私のように乱暴少年の延長線上で生きてきた者にとって、騙しというか、謀で人を操る術を巧みに使う光秀は羨ましくも見える。分かりやすい私の悪事と、分かりにくい光秀の悪事。あの演者に私が振り回されているのを、私は知っているつもりだ。
古い噂では、光秀が毛利家に士官した際、鬼謀の人・毛利元就との対面時に「極めて有用だが、間違えば毛利家を滅ぼす存在になる。お引取り願おう」とまで言われたそうだな。その危うさ、私も感じるところがある。
それでいて、不思議と私はあの男が好きなのだ。そして、今の織田家としては明智光秀を必要としている。道を迷わない光秀と、私はどこまで一緒に進めるかな。
屋敷に入る手前で、光秀は足を止めて息を整える。いつものことだ。
別人格に切り替えなければ。別人格なのかな、どれが本当の明智光秀か、もう自分でも分からないけど。
「あけち・みつひで」と自分のなまえを、音読してみる。水色の桔梗が蕾から花開くシーンを、頭の中で再現してみる。
家庭では妻との時間を大事にし、娘たちにからかわれ、所々ぞんざいにあしらわれる甘い父親。家では冷酷さを搾り出す必要はなく、純粋に人の温かさに触れることができるから大好きだ。
我ながら不思議。
明智家中では温情な裁きばかりが出る。家臣、それから民たちにもそうだ。そこには合理徹底の考えは入らない。
もちろん、近畿管領として、織田家のナンバー2としての判断が求められる時はその限りではないが、普段の治世で言えば、俺は善良な統治者ではないか。丹波の領民から好い声をもらうことを嬉しく思うほどだ。
大名になる前も、なった後も変わらない俺の反応。もう少し言えば、家族の前での俺は家族を持った当初から今まで心に変わりがない。一方で、戦略を考えるときの俺の厳しさときたら。
不思議を感じる。合理の俺の非合理。相矛盾する二面性との共生。それを不条理とは思わない自分が救いだ。
光秀よ、何も考えなくていい。門さえくぐれば、お前はいつもの家庭人となる。そうだ、考えずにいこうよ、明るくいこうよ。
織田家に仕官してからの明智光秀の戦歴は華々しい。
本圀寺での三好家撃退戦に始まり、石山本願寺との戦い、丹波・丹後攻略でも、連戦連勝と言っていいだろう。光秀最期の天王寺の戦いを除けば、戦歴は21戦16勝1負4分、負けなかった率は95%。
能吏として内政・外交面で活躍する他方、軍事面でも非凡な才能を発揮した光秀。
明智家の重臣に斎藤利三・明智秀満ら才能ある者はいるが、羽柴秀吉における黒田官兵衛・竹中半兵衛、石田三成における島左近のように、二人三脚で全般をサポートした関係ではない。
信長の独裁に近いのではないか。何も測定基準がない闇の中、自分だけの感性を頼りに、明智家を引っ張ってきた光秀の才。
それは光秀にも失敗はある。
設楽原の戦いの半年後のこと。信長から丹波を単独攻略する命を受けた光秀は、坂本城から出陣し、黒井城の赤井直正を攻めた。
丹波の第1勢力・赤井家を攻めるにあたり、光秀は第2勢力である波多野秀治を始め、丹波国衆の大半の調略を終えていた。
黒井城の周囲に3つの付城を築き、赤井家の竹田城との連絡網を絶った。攻城戦に十分な兵力差を確保し、波多野家や国衆の加勢をもらって黒井城を包囲した。力攻めはせず、冬から春まで兵糧攻めすることで、兵の損害を出さずに赤井家を降伏させる算段だった。
自分の厳しい基準で勝率を積み上げていった光秀。しかし、まさかの波多野家の裏切りで計画から勝利がこぼれていく。
調略したはずの波多野家は、事前に赤井家と密約を交わしていたのだ。衰弱した頃合を計り、黒井城の南から明智家が、他の三方向から波多野家三兄弟が、時を合わせて攻めかかろうと準備完了した直後、赤井家と波多野家、それに他の国衆が翻って明智家に攻め寄せた。
全方向から敵を受けては流石の明智光秀も対処の方法がない。決定的な敗戦となった。光秀自身の失命はなかったものの、明智家の軍兵は散々に討たれて、坂本城へ引き揚げた。
95%は100%じゃない。光秀は感じる。
どれだけ機に恵まれても、95%の勝率には届かない場面の方が多い。信長の言葉にもあったが、80%の勝率が見込めれば開戦してしまう方が多いのが現実。95%の会心はそう簡単に転がっていない。
赤井家と波多野家の捨て身の反撃。まさかの波多野家の転進を、俺は読むことができなかった。5%の不明要素とはよく言ったもの、俺はその5%に負けた。
裏切りで初回は織田家の侵攻を迎撃できるだろうが、次に来る織田家は過酷な攻め方をすることが目に見えているではないか。とりわけ波多野家は裏切った以上、あの辛辣な信長を完全に敵に回したことになり、負けたら家の断絶は確実、赤井家も同じだろう。相当の覚悟がいる。
増してや合戦の常識として、その場でいきなり裏切る行為は武士の恥の極み・禁じ手だ。格式ある波多野家がそんなことをしたら、信頼はもう続かない。家名を放棄したようなものだ。
あれは丹波国衆の感傷や血気による非合理な反撃であって、通常の戦略・戦術では読み切れないものだった。織田家が中国の毛利家に戦いを挑む前に、丹波を制圧しなくてはならないのは地理上の必然。一度の敗戦で織田家が諦めることはない。緒戦に勝ったところで、赤井家と波多野家の行く末は見えていた。
思えば、信長も裏切りで敗北を喫している。比叡山攻略の後、越前の朝倉家を攻めた時に義弟の浅井長政に裏切られて窮地に立った。
読み違えの要素が似ている。妹・お市を嫁がせてあり、厚遇しているからという理由で信じた浅井長政だったが、浅井家が朝倉家と三代続く強固な同盟関係にあり、朝倉家の危機を無視するわけにはいかないという浅井家の事情を甘く考えた。
勝率を読んだはずが足りなかった事例が2件。考えなくてはいけないな。90%ぐらいではまるで駄目かもしれない。95%に達した後も、1%刻みで更に積み上げられるか、その作業に注力しないと俺たちの行く先はない。
俺と信長の関係は、その上積み競争であるべきじゃないか。
土岐明智家の興亡、茶や歌の文化、築城の知識、鉄砲の技術、そうしたもので今の私が動くことはない。若い頃、あれほど必死になって獲得したそれらの実績ですら、95%の数字の前では興味関心が乏しくなってきている。
未完の完に則って100%を避け、5%の隙がある95%を心静かに受け入れるべき?最盛だけが美ではないと、5%からの追尾は慎むべきか?
いや、違うな。目的完遂あるのみ。
先祖から受け継いだ定石、隙あれば容赦なくそこを突いて攻め込むことを徹底せよ。
丹波で明智家に多大な死傷者を出させた波多野家が俺は心から憎かった。切腹や討ち死にという武士の名誉を彼らから奪うのが当然と考え、俺も裏切りをもって波多野三兄弟を生け捕り、安土城下で磔にした。刑を科すべき相手には容赦不要。波多野家を辱め、明智家の名声を取り戻すための最善の方法を俺は選んだ。
残りの5%など価値はない、100%に近付けることだけ。
与力を含めて100万石超の大大名になった今、皆とその家の命を背負っている。だから、勝率を95%からそれ以上に引き上げること、俺の主任務は明確だ。
55歳になった光秀は、勝ち続ければならない。若い頃とは異なる楽しみを俺は覚えつつもある。
白兵戦での血の滾り、軍勢の指揮に生き甲斐を感じていた従来。中年を過ぎた今でも、その能力は落ちたとは思っていない。
加えて、策謀を巡らせることの楽しさが増してきた。肉体を使うことより、頭を使う方がもっと大きな世界を動かせる。
自らが鉄砲を一発撃つことより、織田軍に鉄砲を普及させ、槍では倒すのに多大な労力を要する侍クラスを、鉄砲を使うことで、足軽レベルでも自動的かつ、いかに低工数で処理できるか。この先はそうしたことを整備していきたい。
多方面で非凡な光秀、そのスマートさでは他者の追随を許さない。経験を積み、その芸には磨きがかかってきた。
もう叶わない、こんなに整った人間はこの世の人ではない。オールAの明智光秀、あなたは全能力で95%に到達したように見える。
年を重ねれば人生がシンプルになる。凄みを得た今の光秀は、最高のトリックで信長を支援し、時として上回りたい、95%以上を組み立てたい、そこに生きる意味を見出していた。もう、多くを望まない。
妬ましいから、悪魔の暗示をしよう。
信長と光秀、あなたたちの真ん中に勝率95%を置いたらどうなるの?
あなたたちは今まで、共通の敵に対してのみ勝率問答をしていたようだね。まさか、二人の間に95%が入ってくるとは予想もしていないだろうが、どんな反応が起こるか、僕に見せてよ。
能力の高いあなたたちを崩すのは、凡庸な僕だという意外?顔も持たず、図体ばかりが大きい僕なのに。
今の二人の関係が続くのなら、永遠に気付くことがないものを、この賢くはない僕が引き合わせてあげる。悪ではないよ、それもまた人生。盲点があったままでは不自然だ、僕が二人に変化を打診してみよう。
黄金の掌から、僕はしずしずとボールを投げる。
光秀よ。あなたが今、信長を討てる勝率は95%なのではありませんか?
遠く離れた亀山城の一室。突然、光秀は頭を強打された。
庭から風が吹いただけなのだが、とてつもない異説が考えの中心に割り込んできて、暴れ、狂い、思考を混乱させ、停止させた。あまりの気持ち悪さに光秀は吐き気を覚えたが、その数秒後には脳が明瞭に動き出していた。
あぁ、俺が今、信長を討とうとしたら確率95%で成功する!
毛利家との戦への道中で京の本能寺にいる信長、供は馬回りのみで数百人もいない。護衛しているのは誰だ?俺だ、明智家1万の兵だ。兵力差は10倍以上、籠城戦ではないから勝率50%。
信長一人を討つのは容易。その後で我が明智家が生き永らえる見通しが立つか?
立つ、簡単に立つ。
信長の傍には嫡子の信忠もいる。二人同時に討てば織田家の支配力は消滅する。
ライバルはどうだ。
柴田勝家は北陸で上杉家と、羽柴秀吉は中国で毛利家と、丹羽長秀は四国で長宗我部家と、滝川一益は関東で北条家と、それぞれ直近の戦いを抱えており、すぐに近畿へ取って返せる状況ではない。戦況で20%。
俺は近畿管領であり、地の利に恵まれている。近辺の城も道も指揮下にあり、細川家・筒井家・高山家ら、与力の本領は近畿一帯だ。
人の利として、与力らの他に将軍や公家の後押しが得られる。絶対君主が消えたら、織田家臣の中から我が明智家に従う者が出ることは間違いない。
時の利、これが特に強い。今の近畿に敵はいない。織田家親子は無防備な範疇にいる。もう一人、徳川家康のことを忘れてはならないが、今は堺に物見遊山に来ているではないか。俺が行動したとして、すぐに障害になることもない。そうだ、信長親子を討った後、俺には体制を整える時間まである。
地・人・時で30%としよう。合わせて勝率100%。
何がリスクか。大軍で囲んだとして、その場の運で信長と信忠のどちらかを取り逃してしまうこと、その5%だけ。
「!」
光秀は怖くなって目と耳を塞いだ。
なかなか95%の到達なんてない。理想だが、現実は難しいもの。しかし、この戦では冷静に考えて最初から95%が担保されていた。
「!!」
どうして、信長を主君ではなく敵とする発想が入ってくるのだ?そもそも、それがクレイジーな考え。
「!!!」
逃げようと立ち上がったが、光秀は尻餅をついた。彼の鋭い思考能力が彼自身を捉えて放さない。
95%が光秀と信長の中間にぶら下がっていた。こんなこと、起きるはずがない。唐突に浮かび上がってきたアイディア、登場と同時に確実性を保証しているなんて。
今一度、95%の根拠を読み返してみよう。どこかに落とし穴はないか、5%が裏目に出て、明智家に危険が及ばないか。
この95%に信長が気付いたとしたらどうだ?自分が滅びると察知した瞬間、信長なら迷わずに単騎駆けして今の死地を離れるだろう。今離れているところかもしれない。もう離れたかもしれない。
信長個人を破壊できないことが勝率マイナス5%に値するのなら、俺の95%は信長が気付くか気付かないかで道が分かれる。不安定なことだ。
気付いているのか?まさか、これは信長から仕掛けられた謎かけではないか?
思い出せ。つい3ヶ月前の武田家を滅亡させた戦では、明智家の軍勢が信長護衛軍として用いられた。あの時と今に何も違いはない。最も信頼されているからこその護衛軍と考えるべきではないのか。
もう立ち上がれる。興奮した脳、強張った頬を水で冷まして思考の位置を変えよう。失策を生むわけにいかないのは毎日のことだが、俺は今、特に大事な案件を判断している。
たっぷり30分をかけて冷静に努める。自分の興奮・甘い考え・陶酔に付き合うな。自分がどうしたいかではない、この状況で実行したら事がどう運ぶかだ。合理冷徹あるのみ。
読み切ったり。
光秀は深い考えから頭を上げて、迷いを捨てた。
この95%に疑問はない。信長を討つ理由は何一つないが、95%が目の前にある以上、俺は信長を攻める。今、信長は天下布武への勝率95%を得ているが、それを瓦解させるまさかの5%を俺が引き起こすことになる。
95%が目の前にあれば飛びつくべし!と信長とも笑って話し合ったことがあったな。
これはどうしたことだろう?天から95%が突然に降ってきて、これまで自分が大事に築いてきたものを自分の手で壊さなくてはならない?悪戯にも程がある。
沸いてきた切欠は不可解だが、納得する必要もないか。95%だから、俺は従わなければならない。それだけ。
心を転調させた光秀。すると、次に動かすべき軍略・政略が湯水のように沸いてくる。一度思いついた95%に後戻りは効かない。考えれば考えるほど、この成功が95%だと分かってきた。
自分の才能と狂気を、生きているうちに出し切りたいとはかねがね思っていた。忙しいことだ。俺の仕事の集大成とも言える働きが次に待っている。
俺が信長の未確定勝率5%になる?散々協力し、95%を高めておいて、最後にそんな裏返しをこの俺が招くなんて。
二人の95%の高め合いはもう趣味の世界だったから、こうした行動も信長は理解してくれるかな。面白いと笑ってくれるかな。
そんな考えをしていた時、光秀は自分の甘えに気が付いた。忘れよう、楽しむな、意味などない。合理徹底の中にしか俺の生きる道はないのだから。
光秀は脇差を目の前に置いた。
これを95%と仮定しよう。取るべきか、否か。
1秒の後、95%に伸ばした手の軌道に躊躇はなかった。
こうして、光秀は本能寺の戦を仕掛けた。その後の結果は歴史が語る通り。
織田信長は討たれ、明智光秀の三日天下は成ったが、中国大返しをしてきた羽柴秀吉の前に、明智光秀もまた討たれている。
光秀の95%がどこで転んだかは分からない。
僕はこうなることを知っていた。
奈良の大仏は黄金の掌を差し出したままで、光秀95%の一部始終を見ていた。東大寺大仏殿の戦いで大仏殿と頭部を焼かれた大仏だから、寺の敷地内で雨ざらしのまま。見ていたと言ったが目もない。
本能寺の戦いへ自分を駆り立てた原因が分からないと光秀は言った。
僕にも分からないが、別に理由なんかいらないじゃないか。
考える者は、考えない者を95%は打ち負かす。ただし、考える者が負ける5%は、考えない者が考えないで取る意外な行動によるもの。世の道理は、ループするミステリー。
見渡せばどこにでも95%はある。意識の95%と、無意識の5%が。
どうして、信長は光秀に裏切りされないための策を95%取らなかったのか。いやそれも取ったと想像できるのに、5%で敗れたのか。
どうして、光秀は秀吉らに倒されない算段を95%取ったのに、天王山の戦いで秀吉に勝つことができなかったのか。
秀吉の95%は何だったのか、考えたのか、考えなかったのか。
95%を1%刻みで100%に近付けるため智を競ったはずの信長と光秀。二人の最終形が二人の間での戦いになったのは何故。
光秀は信長との95%の理論を試すために本能寺に向かったが、その結果が出た後はどうでも良くなってしまったように見えてならない。95%の光秀としては、本能寺の後の動きがあまりに鈍い。秀吉の意外の5%が鋭すぎたという見方もできるのだが。
信長がいない世界に改めて気付いた時、光秀はその先のことに興味を失った?まさかね。
この世に完璧などいらない、人はごちゃごちゃと生きるものだ。
信長と光秀、二人は95%で勝ったような、負けたような人生。どっちなのか、そこに理由があるか、誰にも分からない。残ったのは自分通りに生きて死んだ二人の姿だけ。
深く考えない者は弱いのか、強いのか。信長と光秀を死に至らしめたのは奈良の大仏の黄金の掌だ。そこに明確な意図はなかった。
95%に意味はあり、意味はない。事がどうなるか、誰に分かるものか。
95%は本当に95%なの?自己満足で積み上げただけの数字が、世間から見た公正な95%とも限らないじゃないか。理論の遊びをしたに過ぎないよ、信長も光秀も。
奈良の大仏は笑ってそう語っていた、顔を失って笑えないはずの奈良の大仏が。