『舞姫』の主人公・豊太郎の洋行は、お金さえあれば誰でも可能である
現在の留学とは異質のものである、という時代背景を整理しなくてはならない。
国費での洋行であり、明治維新を果たした日本国政府にとって
近代的体制の樹立が早急とされている中で、当時の先進国である西洋諸国に、国内の有望な人材を派遣した中の一人が豊太郎であった。
現在のように個人の質を高めるための留学というよりも、国家の資本主義発展の基礎を築くための目的であったのだ。
豊太郎は大学法学部を首席で卒業し、学士を得たのち官僚となり、
さらには語学にも長けていたことで留学生として選ばれたエリートであったが、
彼の行動には国家的な観点でものごとを見つめる姿勢はなく、個人的な興味ばかりが優先されている。
法学部卒でありながら、西洋法律の細目に興味を示さず、法の精神を理解した気になるとそれだけで充分であり、
概略をつかめば細部は後からなんとでもなる、とした態度にそれが顕著に現れている。
国家留学生としては、法の精神は無論のこと、先進国で現状採用されている法律の細かい部分まで学び、
それが日本に当てはまるかどうかの検討をするべきものなのだ。
また、他の日本人留学生が歓楽街で遊ぶ姿を見て彼らに行動力や能力があると思い込み
歓楽街で遊ぶことができない自分を臆病だと思うところや、
さらには一緒に歓楽街に行かない自分に対して他の留学生が妬むと決め付けているところから彼の小心ぶりが見て取れる。
能力は別として、少なくとも内面的な部分では彼は国家留学生に相当しないような人間である。
そのような国家留学生としての使命があった豊太郎であったが、
結局彼がたどりついた最大の課題は、エリスとの個人的な生活であった。
エリスという一女性との係わり合いは、エリスや豊太郎本人たちからすれば大きなものであるが、
当時の世界情勢の中での国家留学生という立場からすればあくまで小さなことである。
だが豊太郎はそのことを意識することもなく、また自分がエリスと将来どうしたいという決定的な意思を述べないまま、
結局エリスとは離れる運命になってしまうのである。
それは運命が残酷に引き裂いたという言い訳をしているように見えるが、実は豊太郎のはっきりしない態度が招いたことなのである。
確かに、この『舞姫』の時代では、明治維新直後の混乱期・成長期の中で個人の運命は翻弄され、
必ずしも本人の思い通りにはいかなかったこともあっただろう。
だが豊太郎に限って言えば、彼が向き合わなければならなかった問題は、あくまで個人の問題なのである。
国家を建設するエリートにはならなかったこと、エリスとも一緒になれなかったこと、
両方ともに中途半端で、ただ運命や周囲に流されているように見える豊太郎は、
おそらく若き日の森鴎外の自虐的な自己像であったのだと思う。
恋愛に対して不誠実に対することができず、
また最後の別れも豊太郎が直接引き起こすのではなく、相沢からの言葉を使うあたりは、
鴎外がどうしても豊太郎からは若者特有の誠実さを奪うことはできなかったのだと思われる。
これも恐らくは森鴎外本人の若い経験に基づいたものであろうが、恋愛に嘘はつけない姿勢は時代を超えて共通するものである。
名誉も恋愛も自分自身では選択することのできない若者の、時代を超えた無力さがこの作品からは見え隠れするのだ。
明治維新以降の日本の近代化 農業から重工業化と対外貿易
明治維新以後、明治政府が成し遂げなくてはならなかったものは何なのだろうか。
そしてそこにはどのような政治思想・政治文化が影響していたのだろうか。
とりわけ日本は欧米諸国に比べれば近代化の始まりが遅く、太平洋戦争までに急激に近代化を達成したという歴史がある。
その途中の過程に十分な時間をかけることができなかったが故に問題となっている点はなかったのか、
またどうしてそこまで急速に近代化を遂げなければならなかったのかを明治政府の政治の姿を通して考察してみる。
ペリーの黒船が来航した時に日本人は危機感を持った。
いかに日本の幕府が世界の軸からして遅れているのか、
そしてこの遅れは他国から植民地支配されてしまう恐れがあるという危機感である。
そのことが日本をひとつの「国家」に統合させるべきだと認識させ明治維新へと結実させた理由であるし、
遅れを自覚していた明治政府は日本を急速に先進国へ仲間入りさせるための政策を立ち上げた。
ここで言う近代化とはすなわち経済的なものが優先で、
まずは農業中心の国家から脱却し、重工業を推し進めるというものである。
大規模な工業化のために必要となる資本を、他国から導入する方法もあるのだが、
それはアヘン戦争後の英国に植民地化されていた中国という前例があったことから
明治政府はそれを避け、自国内の農業から工業へと経済活動の中心をシフトすることで資本調達を図ろうとした。
国家の安全のために必要なのは武力であると近代国際政治では捉えられており、
自国で軍事力を育てる以外に各国家の物理的存在を保障してくれる
一元的な暴力装置が存在しなかったことから重工業は国家にとって重要であった。
その重工業は官営工業として限られた大企業に集中したため、
重工業化は成功するものの、半面で不可避な問題点が積み上げられてゆく。
政府に優遇された大企業と民間の中小企業との格差、農村の不十分な近代化、
重工業への需要を満たす国内市場を育てられなかった故に対外貿易を目指さないといけないという体質である。
結果としてこうして急な近代化を遂げた日本には無理がたたり、
先進国に追いつくと武力による東アジアの植民地政策に手を染めては太平洋戦争で破綻を迎えていった。
それは逆に他国から侵略されないために不可欠な近代化だったのかもしれないが、
とにかく敗戦を機に日本は次の新たな近代化を迎える。
予算を当てていた莫大な軍事費は不必要になり経済復興のためにそれをまわすことができた。
国に優遇されていた財閥は解体され、市場により健全な競争原理が働くようになる。
そして農地を所有する富農たちの独立を促し、農地改革によって自営する独立農民を輩出し、農村の近代化が進められた。
それは豊かな国内市場の形成につながって、
戦前は海外進出が必要だったものを国内に振替えることができるようになった。
また、長年日本人が「象徴」として扱ってきた天皇という存在を利用して
天皇制国家体制をとったことも、近代化において発生してしまうひずみを和らげるための政治機能だった。
農業中心の日本においては天皇の宗教的存在理由は、
稲作のための宗教的祭祀行為であり、天皇の社会に対する権威を利用していたのである。
その国民性が政治文化として組みやすかったが故に天皇は担ぎ出された。
その天皇に明治政府は強大な権限を定めたが、無責任の体系である権限への逃避として利用され、
この既成事実を権力の根拠として軍国支配者たちは戦争に走ったのである。
民族自立を目標に掲げる日本政府にとって天皇の存在は政治的に利用しやすいものであった。
国内問題が紛糾する前に対外的なものに国民の目を向けさせ、列強国から植民地化されないため、
あるいは逆に東アジアの諸国を植民地化して強い統一国家を作ろうとしたときに民族結集の象徴となった。
これらは支配体制に危機が及んだときに絶対主義国家の支配者がとる
典型的な問題すり替えの論理であり、日本もこの政治思想をとったが故に対外侵略を行い、
そして他国との対立緊張を生んでしまったのだ。
明治維新以降、政治経済は急激に近代化されていたのだが、
日本国民の心中は政府の権威と行政的アウトプットに対する思考の頻度は高いが、
政治のインプット過程と政治参加者として自己に向かう志向はゼロに近い
臣民型に類型され続けて政治文化が低いままであったことが問題であった。
福沢諭吉が提唱した個々人が自分の責任で判断する心を育てることが
国家機構の統一には必要で、政府が上から一方的に天皇制国家体制を作り上げるべきではない、という論も思い出される。