夏草に覆われて写真に映らないけど、長篠城の見どころは本丸前のかなり大きな空堀と土塁でしょう。
北からの攻撃と馬出しと空堀で防いでいたこと、はっきり分かる。
南は2つの川と断崖絶壁に面しているから、攻撃ルートは北のみ。
中央の鉄路の先が長篠城、この川と崖を登っては攻撃できない。
逆に、この崖を下って岡崎城まで走ったのが、あの足軽英雄・鳥居強右衛門。
もう何度も訪れた長篠城、今回は周辺の史跡を回るのがメインでした。
鳶ケ巣山の山中、ただ何もない森林、眼下に長篠城を見下ろせる位置にあり。
鳶ケ巣山の砦跡、早朝に酒井忠次率いる奇襲隊に襲われたら、それはひとたまりもない。
戦とはいえ、死の朝を迎えた先人たちに合掌。
武田勝頼が本陣を構えた医王寺、その物見櫓からは長篠城が見え、距離感がよく分かる。
長篠城の戦いに触れて、恐怖を感じ、歴史ロマンも感じたひと時でした。
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「長篠城〜お城Vlog㊷内堀と土塁で籠城、設楽原の馬防柵」動画を、YouTubeにあげました!
2014年6月29日
長篠城跡を訪れてみた、公園風になっている広くて明るい場所。
中央右の白いのぼりがある場所が本丸だったという、高低差はないのね。
長篠城址と聞くと三河武士たちの壮絶な防衛戦があったことを思い出す。
とりわけこの足軽・鳥居強右衛門の生き様は驚きだ。
公園みたいだが、所々に長篠城跡を思わせる地形が残っている。
この堀と土塁、まぁ切岸というが、保存状態が素晴らしい。
武田軍に捕らえられた鳥居強右衛門が、あの有名な言葉を発した場所だという。
長篠城から川を挟んで向こうかと思ったら、川の反対側だったのは意外。
牛渕橋から見た長篠城方面、電車の向こうが本丸になる。
豊川と、長篠一帯の山野風景。
あの位置に鳶ケ巣山の砦があったのか、長篠城内は筒抜けではないか。
酒井忠次らの奇襲隊も、夜中から早朝にかけてよくぞあんな場所へ到達したものだ。
長篠城内から、豊川を挟んだ向こう岸に、鳥居強右衛門が磔にされた場所がある。
車で移動してみると、こんな石碑があった。
鳥居強右衛門は長篠城の戦いの英雄。
その鳥居強右衛門のお墓が、少し離れた場所にあった。
新昌寺(住所:新城市有海稲場2)を訪れて、鳥居強右衛門の墓参り。
鳥居大権現とは、英雄はもはや神格化されているのか。
すねえもん氏、死んでからまさかの有名化。
生ある内に伝えたかった、あなたの勇気は素晴らしいと。
そしてJR飯田線の駅名にもなった、鳥居強右衛門の人気ぶり。
無人駅なのに、この鳥居駅は名前のおかげで僕のような訪問者もいる。
武田軍の重臣たちが、翌日の設楽原の戦いを前に、死を決意して水杯を交わしたと言われる場所。
大通寺の本堂の裏側にあった、盃井戸。
長篠城から300mほどの距離にある馬場美濃守信房の墓、整備されていて嬉しいものだ。
鳥居強右衛門同様に、岡崎へ走った伝令兵と言われる鈴木金七の生誕地。
住所:新城市富永字屋川52 (訪れてもこの看板しかありません)