人間は太古の昔から様々な宗教の価値観によって物事を把握し生活をしてきた。
それが近代になると宗教的個人主義が生まれて、
19世紀の産業革命と市民革命という二重革命によってさらに思想が転換されてゆく。
そこで交わされた議論のひとつが現代の社会学として、それまでにはなかった学問として成立するに至っている。
二重革命以降の社会思想を大別すると
「自由主義」・「急進主義」・「保守主義」の3つのイデオロギーが生まれたことになる。
「自由主義」ではあらゆる価値の重点をそれ以前の「集団」から、「個人」へと変換させた。
「急進主義」では自由主義で叫ばれた個人の権利を強調して「権力」の獲得に自己献身的な立場を取った。
個人的な「権利」を求めすぎるがあまり、自分の「権力」を増大させることばかりに急ぐ人を生むことがあったが、
自由主義が主張する個人の重要さを社会に知らしめるためには必要な存在であると言うこともできる。
「保守主義」では時代をさかのぼって「中世的な価値観」を再評価し、
自由主義が主張する個人の存在に制止をかけて、集団主義の優れた点を社会に問いかけた。
この保守主義がイデオロギーの核心に「中世的価値」をすえて社会的で生産的な秩序の安定を目指して議論を進めたことが
社会学に発展していく直接の原因になったのである。
そもそも18~19世紀には古い行動様式と宗教的信念から解放されないといけないという意識が民衆の中にあふれていた。
人々は古代的な身分制度から人間を解放し、コミュニティーやギルドの中で
封じ込めてきた自主性と自由を解放するものが自由主義や急進主義だと考えて後押ししたのである。
その結果としてフランス革命が起こり、最早国家までもが教会や家族や地元社会に忠誠を誓わず、
個人主義による国家統制を決定づける動きを見せ始めていたのだ。
保守主義の反対は合理主義であり個人主義であるから、この世の中の動きとは正反対の観念を示すものである。
そうした個人解放の新しい流れをさまたげて、時代に逆行するものが保守主義である、と一般的には考えられていた。
保守主義は長い時間の中でも社会秩序を保ってきた中世ヨーロッパ人の体制復権を再度打ち出していたのである。
重要なのは、そのことが自由主義・急進主義に対して逆の価値観を示すことになり、
社会が個人主義の考え方に行き過ぎることを抑制する働きかけを行い、
ヨーロッパ思想史において「中世的価値」への再転換を促すという他にはない役割を果たした、ということである。
中世から近代にまたがるこのような社会的思想の変遷を経て社会学は誕生しているが、
保守主義の思想を引いている思想であるから本質的には保守的であるし、
個人から社会を捉える近代思想とは逆で、社会から個人を捉えようとする思想なのである。
資本主義社会という新しいものが人々の中に確立されれば、
それがどんなものであっても当然のように新しい矛盾や問題がそこには生まれてくる。
そこでは個人主義の観点からだけではどうしても解決できないものが当然あるのであり、
社会はそれを満たしてくれる別の考えを求めてゆくのである。
自立と対極する言葉に、社会集団や秩序というのがある。
民衆が経済的な自立を遂げて高度文明化が進んでゆくと、
一方では昔のようなコミュニティーを大事にしようという気持ちが人々の中に出てくる。
それは宗教や家族・会社などを個人と切り離して合理的に解釈しようとしても、
非人格的なものが社会を支えることはできないからだ。
いくら便利な世の中になっても、町に集まる人は社会の中で互いに結合されることはなく、農村地帯にこそ社会的な連帯があるのである。
ボナールは人間は社会の中で社会のためにのみ存在する。
社会は社会をもっぱら社会自体のために形成すると言って、個人に対する社会の優位を主張した。
ヘーゲルが個人が単なる集合のなかに分解していると描くことは、
個人を圧殺してしまうととらえたように、社会学の観点からすれば
個人は社会の一構成員としては捉えられるものの、社会を個人に分解することはできなかった。
保守主義の思想は過去から人々の間に脈々と受け継がれてきたものであり、
19世紀には一旦自由主義と急進主義に追いやられてしまったが、
現代では円滑な社会につながるものであると再び注目されてきている。
保守主義は中世的価値を再評価する動きをつくり、それが反近代主義として資本主義社会に開いた溝を埋めてゆく。
自己反省と形式化の試みは社会学の軸と言われるように、
進み過ぎてしまった社会に疑問を投げかけ、中世の良好な人間関係を取り戻そうとして
社会集団を評価するのが社会学の役割なのである。